はてなキーワード: Love Songとは
ジョナサン・フランゼンとデイヴィッド・フォスター・ウォレス――その時代を代表する二人のアメリカ人作家――はいずれもアメリカ中西部で育った。フランゼンは、ミズーリ州ウェブスター・グローブズで過ごした子ども時代について、「まさに真ん中の中の真ん中。そこには家族と家と近所と教会と学校と仕事しかなかった」と振り返っている。一方、両親とも大学教授だったウォレスは、イリノイ州アーバナで青春時代を過ごした。そこは「穀物サイロと戦後型住宅が並ぶ小さな町で、住民たちは農業保険や窒素肥料や除草剤を売り、近くのシャンペーン=アーバナ大学に勤める若い研究者たちから固定資産税を徴収するくらいしかしていなかった」土地だった。
二人は、セオドア・ドライサー、アーネスト・ヘミングウェイ、ハロルド・ブロドキーらに連なる系譜に属している。地方的で中西部的な背景ゆえに近代社会の衝撃に備えられていなかった作家たち、あるいは逆に、その地方性ゆえに芸術家特有の斜めからの鋭い感受性を身につけ、その衝撃に向き合うことができた作家たちの系譜である。
二人の年齢差は三年にも満たず、扱う題材もよく似ていた。テクノロジー、読者との関係、そしてポストモダニズム文学の曖昧な遺産について、それぞれ独自に格闘していた。そして両者は共通して、小説は依然として人生の「切実な問い」に語りかけるべきだと信じていた。そうするなら、小説は大量娯楽とマクドナルドの時代にあってもなお生命力を保てる、と考えていたのである。
しかし、その一方で二人は驚くほど異なる作家でもあった。同時代に似たテーマを扱った作家同士とは思えないほど、本質的に違っていた。一般には、その違いは文体の違いや、「リアリズム」に対する姿勢の違いとして説明されてきた。
フランゼンは初期にはポストモダン的な構成を試みたものの、現在では伝統的リアリズム作家とみなされている。批評家ベンジャミン・カンケルの言う「永続する小説」の代表格であり、対話、心理描写、三人称語りを「いまや古典的に思える均衡」で組み合わせる作家だ。一方ウォレスは、ゼイディ・スミスによって「リアリズムに挑戦する前衛作家」の一人に数えられている。入り組んだ脱線、渦を巻くような物語構造、脚注の中の脚注――そうした特徴によって、彼はモダニズムあるいはポストモダニズムの系譜に置かれてきた。批評家ジェームズ・ウッドも、あるヨーロッパ実験文学作家の書評で、ウォレスを「単なる文法的リアリズム――現実を整然とした単位に切り分けるリアリズム――とは相容れない作家」の一人として挙げている。
しかし、こうした区別だけでは満足できなかったのか、あるいは「単なる文法的リアリズム」という見方への違和感があったのか、フランゼン自身は何度もウォレスとの違いについて語ってきた。その代表例が2002年の評論「Mr. Difficult」であり、さらに翌年には『The Paris Review』のインタビューでもこう語っている。
「私たちの関係には、一方が芸術のための芸術を追求し、もう一方が現実社会の中で生きようとする作家である、という競争関係が取り憑いていた。」
そして2011年4月18日の『The New Yorker』に掲載された、大きな注目を集めたエッセイ「Farther Away」で、フランゼンはさらに新しい区別を提示する。しかもそれは、それまでで最も単純な区別だった。
二人の本当の違いとは、フランゼンは他人を気にかける人間であり、ウォレスは根っからの自己愛的な嫌な奴だった――というのである。
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もちろん、この要約だけを聞けば極端すぎると思えるだろう。そして実際、ある意味では誇張でもある。しかし同時に、『Farther Away』を読んで誇張した物言いに誘われたのは、私だけではない。このエッセイは、二十年以上に及んだ二人の文学的友情の総決算とも言える作品になっている。
フランゼンは、自分とウォレスの関係を「比較し、対照し、そして兄弟のように競い合う関係」と表現している。その始まりは1988年夏だった。ウォレスが、フランゼンのデビュー長編『The Twenty-Seventh City』を読んで感銘を受け、ファンレターを送ったのである。
実際に二人が会ったのは1990年だった。その間が空いた理由についてフランゼンは、「後になって理由が分かった」と書いている。つまり当時のウォレスは薬物依存の問題を抱えていたのである。
実際に会ってみると、手紙のやり取りほど親密ではなかった。フランゼンは振り返る。
私はいつも、自分が十分に面白く、十分に頭がいい人間だと証明しようともがいていた。
一方ウォレスは、数マイル先の一点を見つめ続け、その視線のせいで私は、自分が何一つ相手を納得させられていないような気分になった。
それでも二人は手紙を書き続け、お互いを称賛し合った。
1996年には、ウォレスが公の場でフランゼンを擁護している。当時フランゼンが『Harper’s』誌に発表した長大な評論「Perchance to Dream」は賛否両論を呼んでいたが、ウォレスはこの文章を、
「芸術をほとんど評価しない文化の中で、本気の芸術を作ろうとすることがどんな気持ちなのかを、これほど率直で親密に描いた文章」
だと高く評価した。
同じ年、フランゼンはウォレスから送られてきた『Infinite Jest』の草稿を読んで衝撃を受ける。
彼は言う。
あの原稿は私を仕事へ向かわせた。競争相手がいると、人は仕事をするものだからだ。
その結果生まれたのが、出世作となる『The Corrections』である。
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しかしウォレスは、『Infinite Jest』以降、長編小説をもう一冊も完成させることはなかった。短編集やルポルタージュを書き続け、未完の原稿は死後『The Pale King』として出版される。そして2008年9月、自宅裏庭で首を吊って自殺した。
フランゼンは後に、この自殺をどうしても「反則」のように感じてしまったと告白している。それは二人の作家同士の競争のルールを破るものだった。
彼はこう書く。
「ようやくまた仕事に集中しようとしていた矢先に、デイヴが自殺してしまった。
『おい、本当にそんなことをするのか?
それは反則だろう。』
と思った。」
二年後、『Freedom』を書き終えたフランゼンは、『Farther Away』を書き始める。彼自身、この文章は、
「私が愛していた人の、おぞましい自殺と向き合うため」
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『Farther Away』は複数のテーマを一本に束ねた奇妙なエッセイである。『ロビンソン・クルーソー』の読解。小説史の概説。インターネット論。そして、ウォレスの遺灰を撒くために南太平洋のマサフエラ島を訪れ、珍しい鳥を探す旅。
その中でも最も物議を醸した部分で、フランゼンは、ウォレスの死後形成された「礼賛一色の物語」に異議を唱える。
フランゼンによれば、ウォレスは信頼できない友人であり、競争心が強く、意地悪でもあった。
ある時ウォレスは恋人に非常にひどいことを言った。また別の日には、サインを頼まれた自著のタイトルページに、自分の勃起した性器の輪郭を描いたという。
さらにフランゼンは、ウォレスは極端な自己没入型の人間であり、周囲の世界から喜びを感じ取る能力に乏しかったとも書く。
ある日二人がカリフォルニア州スティンソン・ビーチ近くを車で走っていた時、フランゼンは望遠鏡をウォレスに渡し、
「すごい鳥だ」
ウォレスは礼儀として軽くうなずいただけで、あからさまに退屈そうな様子で視線を逸らした。
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そしてフランゼンは、ウォレスの自殺そのものについても、世間があまり触れたがらない側面をあえて強調する。ウォレスは抗うつ薬をやめたが、その理由は「自分が永久に病人であると認めたくないという自己愛的な拒否反応」だった、とフランゼンは述べる。さらにウォレスは少なくとも四種類もの自殺方法を考えており、最終的には「自分を最も愛してくれていた人々に最大限の苦痛を与えるような方法で自殺した」と書く。
もちろんフランゼンは、ウォレスが重いうつ病に苦しみ、耐え難い痛みの中にいたことは認めている。しかし、それだけでは終わらない。彼はさらに、自分にはどうしても拭えない疑念があると言う。ウォレスは「自殺をキャリア上の一手として考えた可能性がある」のではないか、と。
もちろん、それはウォレス自身が最も嫌悪していた計算高さでもあった。フランゼンはこう書く。もし誰かがその可能性をウォレス本人に突きつければ、最初は否定しただろう。しかし、「いや、でも君にもそういう面はあるだろう」と言われ続ければ、最後には「ああ……そうだな。確かに自分にはそういうことを考える能力はある」と認めたはずだ、と。
『Farther Away』は当然ながら激しい反発を招いた。「死者への冒涜」「墓荒らし」という批判が浴びせられ、翌年にはすでに「悪名高い失敗作」と当然のように呼ばれるようになっていた。こうした反応は理解できる。実際、この文章には弁護しがたい箇所も少なくない。多くの人は、自分が友人と呼んだ人物について、あのようなことを活字にはしないだろう。
しかし著者は、「それでも、この文章は単なる悪口ではない」と論じる。なぜなら、これは現代アメリカを代表する小説家が、愛したもう一人の小説家を、文学的にも個人的にも理解しようとして書いた、極めて珍しい批評だからである。フランゼン自身、『The Discomfort Zone』『How to Be Alone』といった回想録を書いた人物であり、自分の文章がどのような受け止められ方をするかは十分承知していたはずだ。それでも彼は出版した。なぜなのか。彼は何を伝えようとしたのか。
その答えは、『Farther Away』の中心にある文学論にある。
それまでウォレスについて論じる人々は、「作品と自殺を結びつけてはいけない」という暗黙のルールを守っていた。つまり、ウォレスの小説を論じる際に、「なぜ彼は死を望んだのか」という問題には踏み込まないようにしていたのである。しかしフランゼンは、この禁忌をあえて破る。しかも意図的に。
理由は明確だった。彼は、ウォレスの生き方そのものが、彼の小説を理解する鍵だと考えていたからである。
フランゼンは『Farther Away』の中で、小説には大きく二種類あると論じる。それは、二種類の人間から生まれる。一人目の男――仮に「ジョン」としよう――は、世界を見て、他人を見る。もう一人――仮に「デイヴ」としよう――は、世界を見ても、結局は自分しか見ていない。
もし二人とも小説家なら、前者は社会小説を書く。後者は自己の小説を書く。
この観点から見ると、『Farther Away』で語られる数々の私的エピソードも、単なる暴露ではない。少なくとも批評的には、それらは一つの文学的主張を支える証拠なのである。
その主張とは、「私たちの人生に意味を与える最も重要なものの一つである、親密で愛情ある人間関係は、ウォレスの小説世界には存在しない」ということだ。
しかしフランゼンは、単に「ウォレスの小説には親密な人間関係がない」と指摘するだけでは終わらない。彼はさらに一歩踏み込んで、価値判断を下す。
「自己の小説」は、結局のところ自己賛美の小説でもある。その題材は「どこまでも興味深い自己」であり、最終的に到達する場所もまた「自己」でしかない、と彼は言う。
フランゼンは、ウォレスの作品に漂う自己愛的な視線や語り口を、実験的モダニズム作家――たとえばフランツ・カフカやセーレン・キェルケゴール――に見られる極端な自己省察の系譜へと位置づける。そして、ウォレスが現実でも見せていた反社会的な振る舞いと、その文学的傾向を結びつける。
長年にわたるうつ病との闘い。そして最後には凄惨な自殺。これらはすべて、「極端に個人主義的な魂」が最後にたどり着く場所を示す証拠であるかのように提示される。
フランゼン自身の言葉を借りれば、自己という島は、おぞましい場所である。そして、ウォレスはその島に住んでいた。読者もまた、その島へ近づくなら覚悟が必要だ、と彼は暗に語っている。
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一方で『Farther Away』には、文学史を振り返る長い議論も織り込まれている。その目的は明快である。「自己の小説」には別の選択肢があることを示すためだ。
フランゼンによれば、社会小説家たちは、「どこまでも興味深い自己」ではなく、「終わることなく興味深い、人間関係という危険」を書いてきた。小説という形式を生み出したサミュエル・リチャードソン以来、優れた社会小説家たちは、人間関係こそが「自己という島から脱出する唯一の方法」だと理解してきた。
だから彼らの小説では、孤独だった人物が、誰かを愛することによって変化していく。そして読者もまた、「愛によって孤独を乗り越えた人々の心の中へ入っていける」のである。
この議論は不快だと思う人もいるだろう。しかし、単に「趣味が悪い」と切り捨てられるものではない、と著者は述べる。『Farther Away』には粗さもある。配慮を欠く部分もある。それでも、このエッセイには一つ重要な前進があった。
それは、フランゼンとウォレスの違いを、初めて文学観・人生観の違いとして真正面から論じたことである。
これまで二人の違いは、リアリズムかポストモダニズムか。文体の違いか。実験性か。そうした形式論ばかりで語られてきた。しかしフランゼンは、問題はそこではないと言う。
本当の違いとは、読者にどのような価値観を提示し、どのような人生を目指すよう促しているか、なのだ。
つまり、二人の違いは、文学技法ではなく哲学の違いなのである。
ここで著者は次の問いへ進む。では、フランゼン自身の哲学とは何なのか。
では、フランゼンの小説を支えている哲学とは何だろうか。彼の小説には、「よく生きる」とは何かについてのビジョンがあるのだろうか。
『Farther Away』の議論だけを読めば、その答えはすぐに見つかるように思える。それは、「親密で愛情ある人間関係」である。
確かにフランゼンの小説は、人間関係について書かれている。夫婦。親子。恋人。そして個人と国家との関係。
しかし意外なことに、彼の登場人物たちにとって、その「人間関係という危険」は、ほとんど乗り越えられないものとして描かれている。
フランゼンが繰り返し語る物語は、人間関係に理想を抱いた男が、その理想を現実によって少しずつ失っていく、という物語である。
彼の登場人物たちは、仲間や成功を求めて社会へ踏み出す。しかし最後には、苦味と失望、そして運が良ければ、人間というものの偽善について少しだけ賢くなる、という結末にたどり着く。
デビュー作『The Twenty-Seventh City』では、主人公マーティン・プロブストは、家庭にも仕事にも満足した幸福な男として登場する。しかし物語の終わりでは、彼は家族を失い、一人でセントルイスを離れて高速道路を走る。そのとき彼は、「自分は、実は好きでもなかった世界に生きていたことを、今になってようやく知った」と悟る。
第二作『Strong Motion』でも同じである。主人公ルイス・ホランドは、愛よりも憎しみによって孤独を深めていく。物語は一応希望を残して終わるが、彼は最後まで、「豚のような欲深さと愚かさと不正義が、日に日に勢力を広げていくアメリカ」に対する疎外感を消すことができない。
https://firstthings.com/david-foster-wallace-to-the-rescue/
自殺について語るのはやめよう。デイヴィッド・フォスター・ウォレスを「文学界のカート・コバーン」へと還元し、その自己破滅をロマン化するような小さな産業に加担するのはやめよう。ウォレスの作品には、自殺者や依存症者、そして「セラピー株式会社」の患者たちが数多く登場する。そのため、彼の死後には、作品全体を自伝として読み、依存症や自殺願望を抱える登場人物をすべて、後知恵による彼自身の肖像画として解釈したくなる誘惑があまりにも強い。
だが、昔ながらの保守的な批判を繰り返すのもやめよう。確かにウォレスは、批評家たちが嫌うことを好んだ作家だった。たとえばディケンズこそ小説の頂点だと考える人なら、ウォレスの散文に漂う重苦しい自己意識や、延々と続く「メタ」な遊びにうんざりするのも無理はない。
ジェイムズ・ウッドは、現代後期の口語表現を模倣したウォレスの自由間接話法を前にして、「ひどく醜く、二、三ページ以上読むのは苦痛だ」と評している。そしてさらに痛烈なのは、ウォレスの「腐敗した言語」は、結局のところアップダイクの過剰に装飾された文体の鏡像にすぎない、と論じている点だ(これはウォレス自身がアップダイクを主として倫理的な理由から批判していたことを考えると、なおさら痛烈である)。
ウッドによれば、アップダイクは「美学主義(作者が前面に出すぎる)」の典型であり、一方ウォレスは「反美学主義(登場人物だけがすべて)」の典型だ。しかし両者とも、結局は同じ種類の美学主義であり、その本質は「文体の懸命な誇示」にあるという。
要するに、デイヴィッド・フォスター・ウォレスとは、「理論」が「小説」を振り回してしまった結果なのである。
しかし、ウォレスを誤解する方法はほかにも数多くある。その典型が、彼のポストモダン的な遊戯性や自己言及性を、道徳性を欠いたシニシズム、あるいはニヒリズムそのものと混同することだ。ヒューバート・ドレイファスとショーン・ドランス・ケリーは、そのような読みを『All Things Shining』で展開している。
ウォレス初の伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』で、D・T・マックスは、ポストモダン的な聖人伝にも、保守派の切り捨てにも、ニヒリストという決めつけにも陥ることなく、見事にそのどれも回避している。彼は丹念な調査を通じて、ウォレスは決してニヒリストではなく、むしろ非常に複雑な種類のモラリストだったことを示している。
芸術的には決して保守的ではなかったものの、ウォレスは、現代後期における文学の使命とは、自分がしばしば誤解されてきた皮肉なニヒリズムそのものに対抗することだと確信するようになった。彼にとって小説家とは放火犯ではなく、消防士であるべきだった。
この伝記から浮かび上がるウォレス像は、ポストモダン文学の中から現れた奇妙な生き物――道徳的保守主義者――である。実際、マックスは後年のウォレスを「バーク的(Burkean)」な文化保守主義者だったとインタビューで語っている。(レーガンに投票したMFA〈創作修士課程〉の教授を、あなたは何人知っているだろうか。)
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ウォレスは、ドナルド・バーセルミやトマス・ピンチョンの正統な後継者だった。初期作品は、彼らのいわゆる「ポストモダン」的プロジェクトをさらに推し進めたものだった。(マックスによれば、「バーセルミを読んだとき、ウォレスは初めて文学の中で『カチッ』という手応えを感じた」という。)
その狙いは、物語を語る仕組みそのものを暴き、内部から解体するような文学を書くことだった。たとえば、夜のニュース番組が最後にカメラを引き、ニュースキャスターの向こう側にあるスタジオ全体を映し出して、「これは作られた舞台装置にすぎません」と種明かしをするようなものだ。そうした作品には、自己反省がプレッツェルのように幾重にもねじれ込んでいる。
そのため、最初の長編『The Broom of the System』は、アマースト大学時代の卒業論文をもとに書かれた作品であり、ウィトゲンシュタインの影響をこれ以上ないほど露骨に示した、理論色の濃い小説となっている。
続く短編集『Girl with Curious Hair』には、中編小説が収められている。これはアリゾナ大学の創作修士課程在学中に書かれたもので、東海岸の創作プログラムに所属する若い作家志望者たちを描いている。彼らはMFA制度そのものの舞台裏を暴きながら、ジョン・バースやバーセルミという父親世代の影響から逃れようとし、「父殺し」に夢中になっている。だいたい雰囲気は伝わるだろう。
「デイヴ」が本当の意味で「デイヴィッド・フォスター・ウォレス」になったのは、『Infinite Jest』という予想外の大成功によってだった。
全1100ページに及ぶこの非線形の巨大叙事詩には、およそ100ページもの脚注が付いているが、それらは単なる付録ではなく、本編を理解するために欠かせない。この小説は、近未来の北アメリカが「北米国家機構(Organization of North American Nations)」、略して O.N.A.N.(もちろんウォレスらしい言葉遊びである)へと再編された世界を舞台にしている。
そこでは、「車椅子暗殺団」というケベック独立派テロ組織のようなレジスタンスも活動しており、ウォレスは物語の中に政治的な筋書きを巧みに織り込んでいる。
しかし、マーガレット・アトウッドの『オリクスとクレイク』や『洪水の年』にも通じるように、この世界では国家そのものが巨大企業に圧倒されてしまっている。
「ワッパーの年」
この意味で、ウォレスはモダニズムの問題意識をさらに徹底させた作家だった。消費社会が人間に与える影響を、具体的な商品名まで使って執拗に描き出している。これは、「時代を超越した普遍性」を目指した古典文学ではむしろ禁じ手だったやり方である。
消費主義の影響は、この世界全体を覆う「気晴らし(distraction)」という生き方の一部でもある。
その象徴が、『Infinite Jest』という小説の中に登場する映画『Infinite Jest』だ。
この映画はあまりにも面白いため、一度見た人間はその娯楽から離れられなくなり、人間として普通に生活する意欲さえ失ってしまう。「エンターテインメント」に完全に飲み込まれてしまうのである。(だからこそ車椅子暗殺団は、この映画をテロ兵器として手に入れようとする。)
この映画を制作したのはジェームズ・インカンデンザ。その妻エイヴリルと、息子ハル、オリン、マリオから成る一家が、小説の三つの主要な舞台を結びつけている。
一つはツーソン周辺(ウォレス自身がMFA時代を過ごした土地)。
そして三つ目が、ボストン郊外にあるエンフィールド・テニス・アカデミーである。ここは、ウォレス自身が哲学博士課程に進学したハーバード大学とも重なる土地であり、その後リハビリ施設へ入所することになる人生とも響き合っている。
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『Infinite Jest』は、読みながら終始にやりとさせられるような小説である。
その巧妙さは、人によっては魅力的に映り、人によっては鼻につくかもしれない。(ちなみに合衆国最高裁判事だったアントニン・スカリアもこの小説の愛読者だったという。世の中わからないものである。)
現代の「わかっている」感覚、つまりアイロニカルで、何事にもウインクしながら距離を取るようなヒップスター文化は、この種の作品を好む傾向がある。
その意味では、『Infinite Jest』はトム・ウルフのような「文化人類学としての小説」とも共通する部分を持っている。
つまり、この作品はポストモダン社会の民族誌(エスノグラフィー)なのである。
時間も空間も商業主義によって組み替えられた社会を精密に描き出す一方で、パスカル的な意味において、人間を気晴らしや娯楽が支配し、本当に重要なものが押し流されてしまう危険も見抜いている。
マックスが正しく指摘しているように、『Infinite Jest』はインターネットが社会を支配する以前、1996年に出版された。しかし、その先見性は後になってはじめて明らかになった。
「文化が逸話と短い断片(サウンドバイト)へと崩壊していく中で、その変化を予見し、さらには読者をその変化へ備えさせた数少ない本の一つが『Infinite Jest』だった。」
「逆説的だが、ウェブの登場によって『Infinite Jest』は以前より読みやすい本になった。」
『Infinite Jest』は、一つの世代の感覚をあまりにも正確に言い当てたことで、多くの読者の心をつかんだ。
とりわけ私の世代――1990年代半ばに大学へ進学し、子ども時代にMTVが誕生し、大学時代にインターネットが急速に広がるのを目撃した世代――には強く響いた。
語り手は、自己意識の牢獄や、無限の可能性ゆえの倦怠感に閉じ込められている私たちに深く共感しているように思える。そして、その向こう側から、不器用ながらも別の生き方へ手招きしているようにも感じられる。
ウォレスは、私たちが囚われていることを描くだけでは終わらない。その外へ出る道も、ほのめかさずにはいられなかった。
薬物依存と絶望に満ちた『Infinite Jest』の世界でありながら、読者はなお、そこに「愛」のようなものを感じ取るのである。
この見方は私だけではない。
ウォレスの親友の一人だったジョナサン・フランゼンも、2011年に『ニューヨーカー』へ寄せた追悼エッセイ「Farther Away」で、ほぼ同じことを書いている。
フランゼンはまず、ウォレス作品において「愛」が驚くほど欠けていることを指摘する。
「私たちの多くにとって人生の意味の土台となっている親密で愛情ある関係は、ウォレスの小説世界ではほとんど存在しない。」
しかし、その一方で彼はこう続ける。
「にもかかわらず、ウォレス作品について奇妙なのは、熱心な読者ほど、読んでいるあいだ『自分は理解されている』『慰められている』『愛されている』と感じることだ。」
私は、このことこそ『Infinite Jest』がこれほど強く受け入れられた理由の一つだと思う。
読者がウォレスの率直さや脆さに触れて愛されていると感じるだけではない。
ウォレス自身もまた、依存症や欠点にまみれた登場人物たちを愛していたのではないだろうか。
そして、この点こそが、ウォレスとフランゼンを決定的に分ける違いなのだと私は考えている。
二人はしばしば同じ「ポストモダン作家」として並べて語られる。
極端な自己意識、メタフィクション、アイロニカルな距離感――そうした特徴は共通しているように見える。
フランゼンは最終的に、比較的まっすぐなリアリズムの語りへ落ち着いた。
私がそのことを最初に強く感じたのは、『Freedom』を読んだときだった。
あれは見事な小説ではある。しかし読者は登場人物たちに心から共感することが難しい。
なぜなら、フランゼン自身もまた、彼らをそれほど愛していないように思えるからだ。
それに対してウォレスは、ポストモダン的な形式主義者であり続け、さまざまな技巧や仕掛けを惜しみなく使った。
しかし、その技巧の奥から立ち上がってくるものはシニシズムではない。
むしろ、壊れてしまった人々の世界への深い理解と繊細な共感――ひょっとすると、それは「愛」と呼ぶべきものなのである。
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しかし、そのことは、伝統主義への回帰や、昔ながらの文体への逆戻りを意味してはいなかった。ポストモダニズムの「遊び」は障害ではなく入口であり、「メタ」的な自己言及性は障壁ではなく、新しい誠実さへ通じる通路だったのである。
それは現代の絶望から目を背け、砂に頭を突っ込むような態度ではない。むしろ、ポール・リクールのいう「第二の素朴さ(second naïveté)」に近いものだった。
もちろん、それは文体の後退を意味しなかった。だからこそマックスは、ウォレスの苦境をこう要約している。
「革新的な文体を用いて、保守的な小説の目的を果たすにはどうすればよいか。」
『ニューヨーク・タイムズ』の批評家A・O・スコットが指摘したように、ウォレスは両方を同時に望んでいた。つまり、「機知に富んだ文章を書くことで、機知ばかりがもてはやされる世界に対して誠実さの優位を主張する」という、いささか危うい戦略を採っていたのである。
しかしマックスは、ウォレスが「小説とは何のためにあるのか」という理解そのものにおいて経験した、一種の回心を丁寧に記録している。
「ウォレスは昔から曖昧さより確実さを、漸進主義より情熱を好んでいた。そして今や彼は、完全に『誠実さ』の使徒となった。」
彼は、かつての自分自身のような人間を決して許さなかった。また、自分が昔そうだったと感じる作家にも容赦しなかった。
作家スティーブ・ムーアが、自分の新作小説を「皮肉に満ちた90年代にぴったりの、シニカルな世界観を持つ作品」と紹介してウォレスへ送ったとき、ウォレスはこう返事を書いた。
「それは『燃え盛る家にぴったりの灯油入り消火器です』と言っているようなものだ。」
先ほども述べたように、ウォレスにとって小説家とは放火犯ではなく消防士であるべきだった。
そのため、彼の文章を特徴づける言語的な花火のような技巧と並行して、新しい責任感と真剣さが現れる。
これは決して矛盾ではない。
つまり、「ウォレスは小説の道徳的理想を掲げながらも、その文体だけは依然としてニヒリズムのままだった」という話ではない。
私たちは、「型破りな文体=非道徳的」という思い込みそのものを退けなければならない。
むしろウォレスの独特な文章は、その誠実さと矛盾しないどころか、それを実現するために意図的に選ばれたものだったのだと思う。
アップダイクの美文主義では、文体そのものが読者の注意を引きつける。
しかしウォレスが探していたのは、現代の私たちの頭の中で鳴り響いている、あのポストモダン的な「内なる声」に限りなく近い形式だった。
だからこそ彼は、その声を通して、私たちに真正面から、誠実に、そして道徳的なビジョンを語りかけることができたのである。
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だからこそ、ウォレスがフョードル・ドストエフスキーの人生と作品に、自分との共通点を見いだしていたことは驚くにあたらない。
ジョゼフ・フランクによる全五巻のドストエフスキー伝を『Voice Literary Supplement』で書評した際、ウォレスは次のように述べている。
「もっとも重要なのは、ドストエフスキーが死の淵を体験したことによって、もともとは虚栄心が強く流行を追う若い作家――確かに非常に才能はあったが、結局は自分の文学的栄光しか考えていなかった人物――から、
追記:おすすめの曲教えてくれてありがとう!!チャゲのソロもASKAのソロも聴いた。本当に凄い才能だな〜またふたり揃って歌ってほしいね。
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ずっと『SAY YES』ぐらいしか知らなかったし、それすらうろおぼえだったし、興味もなかったんだけど。
最近サブスクが解禁されたってんで何となく聞いてみたら、マジで良い曲ばっかりでびっくりした。
改めて聴いた『SAY YES』の歌詞に感動して泣きそうになった。
歌も超絶上手いし。
聴いて初めて気づいた、初期の昭和歌謡っぽいのは昔親がよく車で聴いてたからメロディだけは知ってた。
『ひとり咲き』ってチャゲアスの曲だったのか。
ひととおりきいてみて、自分は
『万里の河』、『MOON LIGHT BLUES』、『LOVE SONG』、『僕はこの瞳で嘘をつく』が、かなり好き。ここ3日ほどヘビロテしてる。
特に『僕はこの瞳で嘘をつく』の、転調するところっていうの?そこが最高にかっこいい!!
こんなにも騒がしい街並に たたずむ君は
泣きむしな女の子さ
ちょっぴり僕に 微笑みながら
凍えた躰 そっとすりよせて 君は口づけせがむんだ.
Oh My Little Girl 暖めてあげよう.
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
「ほとんど完成している。半分新しい曲で、半分は古い曲の英語バージョン」
7月 「9割以上が出来ていて秋に発売する。出なかったら逆に俺たちが困る」
1月 北米EMI Musicと3年契約を結ぶ。年内にニューアルバムを携えてのツアー発表
8月(SUMMER SONIC出演会見)「99.5%はできあがっている。年内には出す予定」
11月「今のこの時代に十数曲並ぶものを出して何の意味があるのだろう」
「出せと言われればすぐ出せますけど」
「ピンとこないんですよね。タイミングですよね」
「10曲以上はもうレコーディングも終わっているけれど、いらない曲がある。次に人前に出てくるまでには完成させます」
12月(Mステスーパーライブ出演時) 「来年8月にアルバムをリリースして、そこから第2の世界ツアーを廻る」
2月25日インスタに「X JAPAN Master Album Sequences 2.24.15」と印字されたCD画像を投稿
3月「今回は本当に出ると思う。今年の後半くらい。完成度は90%」
7月「ウェンブリーアリーナライブの前日である2016年3月11日にアルバムを発売する」「12曲程度、すべて新曲。「Jade」「I.V」「Born to Be Free」は入る」
8月「1990年頃に作った、いい曲過ぎて出したくなかった「L’arme」が収録されるかも」
2月3日 PATAが大腸憩室炎及び門脈血栓症の為入院したことにより、ウェンブリーアリーナのライブが延期。同時にアルバムも延期。
3月4日 延期していたウェンブリーアリーナでのライブが行われたが、その前日に発売されたのはX JAPANのドキュメンタリー映画「WE ARE X」のサウンドトラックだった。
その1週間後、花占いの結果、延期を発表。エイプリールフールにあえて言ったと発言。
「アルバムは全部で13曲入る。これ以上増やさない。今年中に出るのは絶対。間違いない」「出なかったら叩いてください」
「期間が色々あって延びたことによって、色んなサプライズが入ってきてます」
9月「今までのアルバムの中で最高傑作。このアルバムが世の中に出たらメンバーもファンも人生が変わると思う。Toshlの神がかっている声をすべて引き出せた。今回は一切妥協せずにレコーディングできた」
10月15日「アルバムの発売は、多分来年の春ですね」「完成はもうする」
「2人ほど素晴らしいアーティストがフィーチャリングで登場します」
1月3日
「鬱っぽくなった」
1.I Love You 言わずと知れたソロデビュー駄曲。サビの「~探してたー、うっふっふ」ってとこがキモい駄曲。
2.好き Say A Litlle Prayerに提供した駄曲をセルフカバー。引き続きキモいです!
3.涙色 酒井のり子(のりP)に提供した曲。ここまで来るとアイドルヲタのカラオケみたいです!
4.Birthday 誕生日にこんな曲をRYUICHIに隣りで歌われたらその日は眠れないかも、キモくて、っていうおぞましい駄曲です
5.Love Song アコースティックな優しい響きに乗せたメッセージが絶望的にサムイです。
6.BEAT 「波乗りに行ったときに出来た曲。波の音が、別れた彼女の声に聞こえて・・・」との事ですが、
何言ってんだおまえ、って感じです!!
7.蝶々 これも酒井法子への提供曲。「女言葉を僕が歌ったら、面白いかなって思って」との事ですが、
8.Love アルフィーの高見沢作曲。繰り返し歌われるRYUICHIの恋愛観に辟易させられる駄曲です。
9.Evolution アルバム中盤で、ちょっとしたアクセントになっている駄曲。
10.小さな星 セイアへの提供曲。RYUICHIが歌う事によって鳥肌が立つほどの駄曲になってます。
11.Glass ソロ2ndシングル曲。テレビでもよく歌っていたせいか、サビでは高音を張り上げるRYUICHIの顔が浮かんできて怖いです!
12.でも淋しい夜は・・・ まだ続くのかよこのアルバム、って駄曲です。
13.SE,TSU,NA このアルバムでは珍しくアップテンポのアレンジに乗せて歌われるメッセージが圧倒的にウンコです。
14.Love is… 「僕の、究極の理想の愛を歌ってます」との事ですが、そんなのどうでもいいと思える駄曲で幕を閉じます。
総評:全14駄曲という圧倒的なボリュームのソロデビュー作。主婦は狂気し、
電波女と青春男 Ground Control to Psychoelectric Girl
放課後のプレアデス Wish Upon the Pleiades
いつか天魔の黒ウサギ A Dark Rabbit Has Seven Lives
戦国乙女 Battle Girls: Time Paradox
れでぃ×ばと! Ladies versus Butlers!
裏切りは僕の名前を知っている The Betrayal Knows My Name
ぬらりひょんの孫 Nura: Rise of the Yokai Clan
伝説の勇者の伝説 The Legend of the Legendary Heroes
それでも町は廻っている And Yet the Town Moves
神のみぞ知るセカイ The World God Only Knows
お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! I Don't Like You at All, Big Brother!!
世界一初恋 The World's Greatest First Love
輪るピングドラム Penguindrum
ダンタリアンの書架 The Mystic Archives of Dantalian
境界線上のホライゾン Horizon in the Middle of Nowhere
未来日記 Future Diary
モーレツ宇宙海賊(パイレーツ) Bodacious Space Pirates
あの夏で待ってる Waiting in the Summer
男子高校生の日常 Daily Lives of High School Boys
パパのいうことを聞きなさい! Listen to Me, Girls. I Am Your Father!
あっちこっち Place to Place
黄昏乙女×アムネジア Dusk Maiden of Amnesia
人類は衰退しました Humanity Has Declined
恋と選挙とチョコレート Love, Election and Chocolate
はぐれ勇者の鬼畜美学(エステティカ) Aesthetica of a Rogue Hero
だから僕は、Hができない。 So, I Can't Play H!
新世界より From the New World
中二病でも恋がしたい! Love, Chunibyo & Other Delusions
好きっていいなよ Say I Love You
問題児たちが異世界から来るそうですよ? Problem Children Are Coming from Another World, Aren't They?
断裁分離のクライムエッジ The Severing Crime Edge
はたらく魔王さま! The Devil Is a Part-Timer!
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 My Youth Romantic Comedy Is Wrong, As I Expected
帰宅部活動記録 Chronicles of the Going Home Club
神さまのいない日曜日 Sunday Without God
私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! No Matter How I Look at It, It's You Guys' Fault I'm Not Popular!
神次元ゲイムネプテューヌ Hyperdimension Neptunia
勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。 I Couldn't Become a Hero, So I Reluctantly Decided to Get a Job.
世界でいちばん強くなりたい Wanna Be the Strongest in the World
機巧少女は傷つかない Unbreakable Machine-Doll
最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。 Recently, My Sister Is Unusual
とある飛空士への恋歌 The Pilot's Love Song
未確認で進行形 Engaged to the Unidentified
世界征服 謀略のズヴィズダー World Conquest Zvezda Plot
僕らはみんな河合荘 The Kawai Complex Guide to Manors and Hostel Behavior
聖刻の竜騎士(ドラグナー) Dragonar Academy
それでも世界は美しい The World Is Still Beautiful
彼女がフラグをおられたら If Her Flag Breaks
マンガ家さんとアシスタントさんと The Comic Artist and His Assistants
ご注文はうさぎですか? Is the Order a Rabbit?
魔法科高校の劣等生 The Irregular at Magic High School
龍ヶ嬢七々々の埋蔵金 Nanana's Buried Treasure
精霊使いの剣舞(ブレイドダンス) Bladedance of Elementalers
曇天に笑う Laughing Under the Clouds
失われた未来を求めて In Search of the Lost Future
オオカミ少女と黒王子 Wolf Girl and Black Prince
天体のメソッド Celestial Method
異能バトルは日常系のなかで When Supernatural Battles Became Commonplace
大図書館の羊飼い A Good Librarian Like a Good Shepherd
俺、ツインテールになります。 Gonna be the Twin-Tail!!
魔弾の王と戦姫(ヴァナディース) Lord Marksman and Vanadis
美男高校地球防衛部LOVE! Cute High Earth Defense Club Love!
「君がいるだけで」米米CLUB
「もう恋なんてしない」槇原敬之
「愛しさと せつなさと 心強さと」篠原涼子 with t.komuro
「Tomorrow never knows」Mr.Children
「LOVE LOVE LOVE」DREAMS COME TRUE
「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL
「YELLOW YELLOW HAPPY」ポケットビスケッツ
「HOWEVER」GLAY
「長い間」Kiroro
「Time goes by」Every Little Thing
「糸」中島みゆき
「Grateful Days」Dragon Ash
「A・RA・SHI」嵐
1. Bomb A Head! (オリジナル) (TVヴァージョン)
2. Bomb A Head! (インストゥルメンタル)
5. Bomb A Head! (EXTENDED MIX) (ピストン西沢MIX)
6. Bomb A Head! (m.c.A・T The@Special Primal Live Ver.) (ライブ収録)
7. Bomb A Head!V
11. Bomb A Head! (アカペラ) (ボーナストラック)
2. 愛のメモリー Bossa ver.
3. 愛のメモリー アルバム「OLD FASHION LOVE SONG」 【2000.11.29 Release】
4. 愛のメモリー アルバム「My Favorite Songs」 【2005.11.2 Release】
5. 愛のメモリー 2009 アルバム「Yes We Can!!」 【2009.5.27 Release】
6. 愛のメモリー 21 アルバム「OLD FASHION LOVE SONG」 【2000.11.29 Release】
7. 愛のメモリー アルバム「Memories of love」 【1994.11.2 Release】
14. 愛のメモリー Bossa ver.
1. Love Somebody (CINEMA Version IV) (初CD化)
2. Love Somebody (CINEMA Version III) (初CD化)
3. Love Somebody (CINEMA Version II)
4. Love Somebody (AKIRA’S PALM☆DRIVE REMIX)
5. Love Somebody (CINEMA Version)
6. Love Somebody (Acoustic Version)
7. Love Somebody (DJ Hasebe Remix)
8. Love Somebody (SECRET Version)
9. Love Somebody (ALBUM Version)
1.Get Wild (“FANKS CRY-MAX”Version)
2.Get Wild
3.Get Wild (“COLOSSEUM I”Version)
4.GET WILD '89
5.Get Wild (“RHYTHM RED TMN TOUR”Version)
6.Get Wild (techno overdub mix)
7.Get Wild (“tour TMN EXPO ARENA FINAL”Version)
8.GET WILD '89 (“TMN final live LAST GROOVE 5.18”Version)
10.GET WILD DECADE RUN (112 CLUB MIX)
04.そばにいるね a cappella ver.
06.そばにいるね Disco ver.
03.Making of「そばにいるね
01.Life Time Respect original mix
03.Life Time Respect English ver.
04.Life Time Respect a cappella ver.
05.Life Time Respect Tokyo ver.
06.Life Time Respect Disco ver.
07.Life Time Respect T.K remix
09.Life Time Respect Korean ver.
10.Life Time Respect Spanish ver.
11.Life Time Respect HΛL'S MIX
12.Life Time Respect instrumental
ポール・マッカートニー、ジョン・ボン・ジョヴィ、ショーン・ポール、シェリル・クロウ、ファーギー、レオナ・ルイス、ナターシャ・ベディングフィールドらが、地球温暖化への意識向上とこの問題に取り組むため12月に開かれる国連の会議を支援し、チャリティ・シングル「Love Song To The Earth」を制作した。
Billboard.comによると、曲は、ベディングフィールド、マッカートニー、トビー・ガッド、ジョン・シャンクスが共作、ガッドとシャンクスがプロデュースしたという。上記のアーティストのほか、ニコール・シャージンガー、コルビー・キャレイ、ジョン・レズニック、クルーウェラ、アンジェリーク・キジョー、Kelsea Ballerini、クリスティーナ・グリミー、ヴィクトリア・ジャスティス、クオリアンカ・キルヒャーらも参加している。
「Love Song To The Earth」は金曜日(9月4日)iTunesとApple Musicで先行リリースされた。Appleは曲の売り上げ全てを国際環境NGOのFriends Of The Earth(地球の友)と国連の基金UN Foundationへ寄付するという。
正直ショックですよ。
長渕ファンに、当時やーいやーい薬漬け!って馬鹿にしてたけど、正に20年越しのブーメラン。
本人は否定しているが、
今までの経緯を見ると恐らくクロなのではないかと思ってます。
当時「矢ガモ」というカモが話題になってました。
なので、僕らは「矢ガモネタ仕込んできたか!ウケルwww」なんて流してましたが
この鳥が「飛ぶ鳥→飛鳥」ASKA本人を指していたとは思いもよらなかったわけで。
「白い粉袋の秘密」で輝かれても、ぜんぜん嬉しくないんだよね。
僕の中学・高校時代はCHAGE&ASKAと共にあった。
たまーにCD引っ張り出して聴いてみると、甘酸っぱい当時の思い出が鮮やかに蘇る。
「作品」と「本人」は別モノって、心を痛めたボクも 割り切れるような 割り切れないような。
SAY YESに始まり、LOVE SONG、恋人はワイン色、WALK、PRIDE、太陽と埃の中で、YAH YAH YAH …
思い出は書ききれない。
旭茉莉(昆蟲白)、Happy New-Yearが言いたくて(南野陽子)、一直到底(Nipples)、赤い戦車(ヤプーズ)、南方蝶道(甜梅號)、
一個人的水道(甜梅號)、Air on the G string(Bach)、春夏秋(チャットモンチー)、激光中(羅文)、Merry Christmas Mr. Lawrence(坂本龍一)、
恋愛スピリッツ(チャットモンチー)、安眠藥(歐陽靖 陳奐仁)、甜蜜蜜(薛凱琪)、MAY(斉藤由貴)、ダンシング・ヒーロー (荻野目洋子)、
雙失情人節(Twins)、青山黛瑪(何韻詩)、汽水樽裡的咖啡(何韻詩)、情歌(側田)、when i listen to the field mice(my little airport)、
習慣失戀(容祖兒)、糖不甩(薛凱琪)、VALON-1(Salyu)、戀人未滿(S.H.E)、美空雲雀(何韻詩)
東風(Yellow Magic Orchestra)、Lucky(スーパーカー)、我有一段情(吳鶯音)、曙(ゲルニカ)、2EM12_KK_A09(ヱヴァ破)、
光榮之家(何韻詩)、北歐是我們的死亡終站(my little airport)、隆重登場(容祖兒)、電力組曲 C:電化の暮らし(ゲルニカ)、妮歌(何韻詩)、
Komm, Susser Tod/甘き死よ、来たれ(Arianne )、ホープ(testpattern)、給十年後的我(薛凱琪)、安靜了(S.H.E)、女朋友(歐陽靖 陳奐仁)、
体操(YMO)、You Only Live Twice(Nancy Sinatra)、小茉莉(楊丞琳)、Oh!(少女時代)、圓謊(容祖兒)、
管他什麼音樂(范曉萱&100%)、Blue Paradise(Martin Denny)、泡泡(魏如萱)、Sunny Road To Salina(Christophe)、Be True(容祖兒)、
優しいたそがれ(南野陽子)、最後的歌(楊千嬅)、Le premier chagrin d'amour(France Gall)、眼球綺譚(戸川純ユニット)、愛しのキッズ(小島麻由美)、
月世界旅行(アポジー&ペリジー)、韻律泳(何韻詩)、飛べない翼(Lily Chou Chou)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、ヒステリヤ(ヤプーズ)、
Green Grass Of Tunnel(Mum)、夢伴(梅艷芳)、舊約(何韻詩)、再見...露絲瑪莉(何韻詩)、AXIA~かなしいことり~(斉藤由貴)、
就算世界無童話(衛蘭)、점핑(Kara)、夢のスキマ(鷺巣詩郎)、空しき流れ(鷺巣詩郎)、閉塞の拡大(鷺巣詩郎)
那年夏天寧靜的海(王心凌)、痛愛(容祖兒)、落寞莉(昆蟲白)、憤怒の河(戸川純)、惚たる蛍(チャットモンチー)、
愛一個上一課(容祖兒)、最後一課(容祖兒)、時不與我(容祖兒)、Dear. Mom(少女時代)、男孩像你(薛凱琪)、
沙堡壘(容祖兒)、A Wishful Way(Hopscotch)、ONE(斉藤由貴)、拳銃(チャットモンチー)、脆弱(謝安琪)、
立つ鳥跡を濁さず(トップをねらえ2!!)、時の河を越えて(トップをねらえ!)、親知らず(チャットモンチー)、媽媽我考試考100分(selfkill)、搜神記(容祖兒)、
想想(何欣穗)、リフトの下で逢いましょう(南野陽子)、ギルガメッシュ(ヤプーズ)、Roller Coaster Rock(selfkill)、a love song(EGO-WRAPPIN')、
愛將(梅艷芳)、手のなるほうへ(チャットモンチー)、petsounds(the beach boys)、香格里拉(魏如萱)。
A Love Song - Ego-Wrappin' featuring Determinations
秋の夜長、増田談義のお供にこんな曲はいかがかな?
Love song いくつもの愛を唄う歌を覚えて
微笑んで 寄り添って抱きしめたあの日の君は今は何処で
何をしてて 誰を愛して たくさんの幸せに囲まれて・・・
オレの見たことない様な笑顔で過ごしてますか?
笑ってますか?
覚えてますか?(こぼれる涙)君が初めて見せた幸せの証
いつまでも離す事はないと誓い何度も君とキスをしたね・・・
Ah- 繰り返す毎日で 見えすぎで見えなくなるよ
笑い たまに泣く事だけで とても幸せ感じれたのに・・・
Love song いくつもの愛を唄う歌を覚えて
微笑んで 寄り添って抱きしめたあの日の君は今は何処で
何をしてて 誰を愛して たくさんの幸せに囲まれて・・・
オレの見たことない様な笑顔で過ごしてますか?
笑ってますか?
オレが遅れた待ち合わせ場所「ゴメンゴメン」不満げな君の顔
覚えてますか?(怒ってました)冷えて悴んだ手と手重ねながら
また久々に通りかかって 見慣れてた街並みも変わって
近く感じれた温もりさえ 今はすり抜ける人に遮られ・・・
現在(いま) 生まれくる思い出が 愛しさを運び近づける・・・
Love song いくつもの愛を唄う歌を覚えて
微笑んで 寄り添って抱きしめたあの日の君は今は何処で
何をしてて 誰を愛して たくさんの幸せに囲まれて・・・
オレの見たことない様な笑顔で過ごしてますか?
笑ってますか?
想いは未だ中途半端
常に不安・・・不満・・・「スマン・・・」ってな毎日で・・・
なんか今思えば お前に何してやった?って
振り返るのは お前の事ばっか・・・
手を離した時から すべて終わって
二人で歩いた街並みも変わって
オレだけ取り残された気になって
届かない想いは あの時間に舞って・・・
Love song いくつもの愛を唄う歌を覚えて
微笑んで 寄り添って抱きしめたあの日の君は今は何処で
何をしてて 誰を愛して たくさんの幸せに囲まれて・・・
オレの見たことない様な笑顔で過ごしてますか?
ありがとう 愛はもう二人の間には見えなくて
言えなくて過ぎてった時間を眺めては君は今は何処で
何をしてて 誰を愛して たくさんの幸せに囲まれて・・・
オレの見たことない様な笑顔で過ごしてますか?
笑ってますか?
Here's the thingWe started out friendsIt was cool, but it was all pretend Yeah, yeah, since you been goneYou're dedicated, you took the timeWasn't long 'til I called you mineYeah, yeah, since you been goneAnd all you'd ever hear me sayIs how I picture me with youThat's all you'd ever hear me say
But since you been goneI can breathe for the first timeI'm so movin' on, yeah yeahThanks to you, now I get what I wantSince you been gone
How can I put it, you put me onI even fell for that stupid love songYeah, yeah, since you been goneHow come I'd never hear you sayI just wanna be with youGuess you never felt that way
But since you been goneI can breathe for the first timeI'm so movin' on, yeah, yeahThanks to you, now I get, I get what I wantSince you been gone
You had your chance, you blew itOut of sight, out of mindShut your mouth, I just can't take itAgain and again and again and again Since you been gone (since you been gone) I can breathe for the first timeI'm so movin' on, yeah yeahThanks to you (thanks to you)Now I get, I get what I wantI can breathe for the first timeI'm so movin' on, yeah yeahThanks to you (thanks to you)Now I get (I get)You should know (you should know) that I getI get what I want
Since you been goneSince you been goneSince you been gone