はてなキーワード: 2010年とは
AIに投げた。間違いは知らん。
昔はネットコンテンツが今ほど溢れていなかったから、暇人は四六時中テレビ番組を観ていて、みんな似たり寄ったりなコンテンツを消費してたよね。
| 本文の記述 | 曲名 / 番組名 / キャラクター | 補足・詳細 |
|---|---|---|
| 玉葱型のCGが出てくるクラシックの映像 | 番組:『音楽ファンタジー・ゆめ』 | クラシックの名曲に合わせて玉ねぎ・しずく型のCGキャラ「ファ」などが動く音楽番組 |
| ペンギンと猫と鼠が出てくる着ぐるみ | 人形劇:『にこにこ、ぷん』 | 『おかあさんといっしょ』内(じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり) |
| みどふぁどな着ぐるみ | 人形劇:『ドレミファ・どーなっつ!』 | 『おかあさんといっしょ』内(みど、ふぁど、れっしー、そらお) |
| さぁなかよくあそぼう | 曲名:「ドレミファ・どーなっつ!」 | 『ドレミファ・どーなっつ!』OPテーマ歌詞 |
| 嬉しい事は二人分 | 曲名:「うれしいことはふたりぶん」 | 『ドレミファ・どーなっつ!』劇中歌(嬉しい事は二人分、悲しい事は半分こ) |
| あ〜あ大騒ぎ | 曲名:「おばけは大さわぎ」 | アニメ『おばけのホーリー』EDテーマ(歌:バケバケ合唱団) |
| 100%勇気もう頑張るしかないさ | 曲名:「勇気100%」 | アニメ『忍たま乱太郎』OPテーマ(歌:光GENJI) |
| やっと安心宇宙旅行 | アニメ:『YAT安心!宇宙旅行』 | NHK教育テレビのオリジナルSFアニメ |
| ハートは磨くっきゃない | 曲名:「ハートを磨くっきゃない」 | アニメ『飛べ!イサミ』OPテーマ(歌:TOKIO) |
| SOSほらほら呼んでいるわ | 曲名:「S・O・S」 | アニメ『アリスSOS』OPテーマ(歌:Favorite Blue / ピンク・レディーのカバー) |
| こっちを向いて好きだと言って | 曲名:「素敵な君」 | アニメ『あずきちゃん』OPテーマ(歌:RAZZ MA TAZZ) |
| 永遠という場所に行きたいだとか | 曲名:「永遠という場所」 | アニメ『コレクター・ユイ』第1期OPテーマ(歌:杏子) |
| しゅびるぱっぱらーでおいたん好き | 海外ドラマ:『フルハウス』 | OP曲「Everywhere You Look」(歌詞:Shoo-bee-doo-ba-ba-dao)/三女ミシェルが呼ぶ「ジェシーおいたん」 |
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| 本文の記述 | 曲名 / 作品名 | 補足・詳細 |
|---|---|---|
| 月に変わっておしおき | アニメ:『美少女戦士セーラームーン』 | 月野うさぎの決め台詞「月に代わっておしおきよ!」 |
| 時は今千年の呪縛は放たれた | 曲名:「鬼神童子ZENKI」 | アニメ『鬼神童子ZENKI』OPテーマ(歌:影山ヒロノブ) |
| 全力全快いい湯加減 | 曲名:「ウルトラリラックス」 | アニメ『こどものおもちゃ』OPテーマ(歌:篠原ともえ) |
| ポケットなモンスター | アニメ:『ポケットモンスター』 | 1997年放送開始の初代無印編 |
| お魚くわえたどら猫 | 曲名:「サザエさん」 | アニメ『サザエさん』OPテーマ(歌:宇野ゆう子) |
| 止まらない未来を目指してな異世界召喚 | 曲名:「ゆずれない願い」 | アニメ『魔法騎士レイアース』OPテーマ(歌:田村直美) |
| 百年ぶりの世紀末な名探偵 | 曲名:「TRUTH〜A Great Detective of Love〜」 | アニメ『名探偵コナン』OPテーマ(歌:TWO-MIX) |
| 高鳴る未来へ輝けるはずさの井戸でタイムスリップ | 曲名:「CHANGE THE WORLD」 | アニメ『犬夜叉』OPテーマ(歌:V6) |
| 俺の財宝が欲しけりゃくれてやるな海賊 | 曲名:「ウィーアー!」 | アニメ『ONE PIECE』OPテーマ(冒頭のゴールド・ロジャーの台詞) |
| 時間の波を飛び越えてなライダー | 特撮:『仮面ライダー電王』 | 主題歌「Climax Jump」(歌詞:時間の波をつかまえて) |
| ニキニキな戦隊 | 特撮:『獣拳戦隊ゲキレンジャー』 | 主人公ゲキレッド(漢堂ジャン)の口癖 |
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| 本文の記述 | 曲名 / 作品名 | 補足・詳細 |
|---|---|---|
| 心に冒険を夢を抱き締めたくて | 曲名:「空へ…」 | 『ロミオの青い空』OPテーマ(歌:笠原弘子) |
| 愛に迷い傷付き | 曲名:「迷える天使たち」 | NHK-BS2『ファーブル先生は名探偵』EDテーマ(歌:石川ひとみ) |
| 赤いキャンディ青いキャンディ知ってるかい | 曲名:「ふしぎなメルモ」 | アニメ『ふしぎなメルモ』OPテーマ(歌:出原千代子、ヤング・フレッシュ) |
| さらば地球よ | 曲名:「宇宙戦艦ヤマト」 | アニメ『宇宙戦艦ヤマト』OPテーマ(歌:ささきいさお) |
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みいちゃんには亡くなった実在のモデルさんが居たという事を、作者本人が公の場で言及していました。
モデルさん本人や遺族などに契約書なりで許可をとっての表現なのかの言及は、これだけ燃えてもまだ説明が成されていませんね。
1)週刊少年マガジン連載漫画で、雑誌写真に酷似した外見の人物を「不良のリーダー」として薬物・暴力・性犯罪的行為をさせる描写をしたケース(東京地裁2010年7月28日判決):
フィクション性が高いとして名誉毀損は否定された一方、惨めに描かれた描写が名誉感情を侵害し、肖像権侵害も認めて出版社に約55万円の賠償を命じました。作者がモチーフにしたことを認めており、特定可能だった点が重視されています。
2)似顔絵・カリカチュアのケースでは、主観的に特徴を捉えてデフォルメしたものは肖像権侵害になりにくいとする判決もありますが、全体の文脈で侮辱的・貶める内容だと他の権利侵害が認められる可能性があります。
3)モデル小説の判例でも、名前を変えても特定可能で虚構と現実が区別しにくければ、名誉・プライバシー侵害が認められた例があります。
亡くなった方の場合
極端に悪質・侮辱的・虚偽の「露悪的な描き方」(犯罪行為をさせる、極端に貶めるなど)で、遺族が強く反応すれば法律違反の可能性。
故人の描写が社会生活上の受忍限度を超えて遺族の感情を傷つけた場合、遺族に対する不法行為(民法709条)として損害賠償請求などが認められることがあります。
だびんち
佐藤紗希 →彼氏の乳首と薬指を斧で切り落として懲役3年。女割り適用で執行猶予ゲット→ 法廷でニコニコ笑顔でピースしながらランランスキップ♫
司法の女割りどうにかならんの?
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というポストがあって実際の所どうなんだろう、というのが気になったのでChatGPTに調べてもらった。
もう少し掘り下げると、
A. 犯罪をしても女性は検挙されにくい -> 今回は十分な比較ができない。
B. 検挙後、女性は起訴されにくい -> 生の統計ではかなり強くYES。20年間一貫して女性の起訴猶予率が高い。窃盗では同一罪名でも大差があります。
C. 起訴された後、女性は執行猶予になりやすい→ 可能性はあるが、日本では十分に統制された全国データが不足。
D. 実刑になった女性は刑期が短い→ 生の統計ではYES。ただし罪名・前科構成などの交絡が非常に大きい。
との事。
以下は、ChatGPTに回帰分析とかしてもらったクソ長ログなので読まなくて良い
調べてみると、かなり興味深い結果でした。
結論を先に言うと、日本の刑事司法には、結果として女性の方が軽い処分を受けているという統計的な男女差は、かなり明瞭に存在します。 特に強く出ているのは裁判官の「刑期」よりも、その前段階である検察官の起訴猶予です。
一方で、
「同じ犯罪を、同じ前科・被害・示談状況・役割で犯した男女を比較しても、女性だから軽くなる」
という意味での「女割り」が日本で因果的に証明されているかというと、そこまでは言えません。日本には、この問いに真正面から答えられる公開ミクロデータと多変量研究が驚くほど少ないからです。
1. まず、無調整の男女差はかなり大きい
最新の法務省「令和7年版犯罪白書」が集計している2024年の検察処分を見ると、
です。
つまり、犯罪の嫌疑があり検察まで送られた事件について、起訴せずに終了させる「起訴猶予」になる割合は、女性の方がかなり高い。
女性の起訴猶予率は平成16年(2004年)以降、一貫して男性を上回っている
と明記しています。
という主張なら、少なくとも起訴段階については間違いです。
犯罪全体を一緒にすると、
そこで法務省が男女別かつ同一罪名で示している窃盗を見ると、2023年は、
起訴猶予率 45.9% 60.5%
差は14.6ポイントです。
さらにこれも、
とされています。
したがって、単なる「女性は殺人が少なく男性は暴力犯罪が多い」という罪名構成の違いだけでは説明できない差が少なくとも存在します。
ただし、ここにもまだ大きな交絡があります。
同じ「窃盗」でも、
被害額
初犯か常習犯か
高齢者か
つまり、
「同じ罪名なのに女性の方が起訴猶予になりやすい」までは確定。
しかし、
「同じ事件内容なのに性別だけを理由に女性を優遇している」までは未確定。
というのが正確です。
同じ白書で覚醒剤取締法違反を見ると、2023年の起訴猶予率は、
です。
これは重要です。
という普遍的な女性優遇をしているなら、犯罪類型を問わず大きな差が出そうです。
実際には、
窃盗 → 大きな男女差
となっています。
の組み合わせで差が発生している可能性が高い。
これは「女割り説」を完全否定する結果ではありませんが、単純版の女割り説にはかなり都合が悪いデータです。
では検察を突破して、実際に刑務所に入った人だけを見るとどうでしょう。
ここにもはっきりした差があります。
1年以下:27.3%
1年超~2年以下:37.9%
で、合わせて65%超が2年以下。
男性は2年以下が6割未満です。
「1年以下」が高い
「2年以下」が高い
「5年以下」が低い
「5年超」も概して低い
という傾向です。
なので、
というわけでもありません。
を占めます。
初めて刑務所に入る者の割合が高く、4回、6回、10回以上などの多重入所者は少ない
傾向があります。
たとえば、
を比べて「男性の方が刑期が長い!」と言っても、それは当然です。
6. 年齢もかなり違う
これも見逃せません。
女性 22.7%
男性 13.3%
でした。
そして別の法務省統計では、高齢者は一般に起訴猶予率が高いことが確認されています。70歳以上では全体より起訴猶予率が約12ポイント高く、窃盗でも高齢者ほど起訴猶予になりやすい。
そこで、
という経路だけでも、男女差の一部は発生します。
実際に保護観察付き執行猶予になった人の、その後の取消・再処分率を見ると、2023年は、
男性 27.5%
女性 26.7%
で、ほぼ同じです。
男性 26.6%
です。
これは何を意味するか。
ただし逆に、
可能性もあるため、これだけで公平性を証明することもできません。
これが核心です。
統計学的に本当にやるなら、例えば被告人単位のデータを使って、
実刑 = 1
執行猶予 = 0
として、
年齢
罪名
前科前歴
同種前科
被害弁償
年
そして最後に、
Female = 1
の係数がなお有意なら、
「他の条件を統制しても女性であること自体が軽い処分と関連する」
と言える。
今回かなり広く文献を探しましたが、現在の日本全国の刑事裁判について、上記の主要因を十分統制して男女の量刑効果を推定した近年の大規模研究は、公開文献では確認できませんでした。
これは非常に大きな制約です。
昔から日本の女性犯罪者については「chivalry(騎士道仮説)」、つまり、
一方で、「女性らしさ」から大きく逸脱する犯罪をした女性には逆に厳罰化するevil woman effectも指摘されています。
日本の覚醒剤犯罪について1996年のJohnson研究が両方の効果を指摘し、Mullins & Grothoffの2010年研究が戦後~2004年の女性収監動向を再検討しています。
「女性なら何%刑が軽くなる」
米国量刑委員会(US Sentencing Commission)は、個票データを使った多変量分析を長年実施しています。
2017~2021年度の連邦事件を分析した2023年報告では、
でした。
さらに、
そして、
実刑になった人だけに限定しても、女性の収監期間は11.3%短い
という結果です。
犯罪・前歴その他の量刑関連要因を統制した後でも、女性は男性より短い刑
という関連が報告されています。
したがって国際的には、
「条件を調整しても女性被告人に一定の量刑上のアドバンテージが残る」
入れると決めた後の刑期
では差が縮小します。
日本で最も明瞭に見える男女差も、
より前の、
だからです。
ネットで言われる「女割り」には、実は少なくとも4種類の仮説が混ざっています。
今回は十分な比較ができない。
20年間一貫して女性の起訴猶予率が高い。窃盗では同一罪名でも大差があります。
→ 可能性はあるが、日本では十分に統制された全国データが不足。
犯罪内容・前科等を完全に揃えても女性が軽い ★★☆☆☆ 日本では研究不足
裁判官が「女性だから」という理由で意図的に割引している ★☆☆☆☆ 証明されていない
ここまで調べた後なら、前回より少し踏み込んだ言い方ができます。
私は、
「日本に司法上の男女差など存在しないから、『女割り』は完全な妄想」
とは言いません。
実際、
同一罪名の窃盗でもかなり差がある
ですから、
「日本の刑事司法に女性に有利な処分結果の男女差が存在するか?」
なら答えはかなり明確に、
Yesです。
しかし、
「その差は女性という属性そのものを裁判官・検察官が優遇しているためか?」
となると、
年齢、罪種、前科、犯行態様、示談、再犯リスクなどの男女差で、観察された差の相当部分が説明される可能性があります。
この問題を決着させる最良の方法は、SNSで男性事件と女性事件を1件ずつ拾って比較することではありません。
被害程度
計画性
被告人年齢
刑期
もしその状態でも、
などと出たなら、そこで初めて**「日本版 sentencing gender gap」について相当に強い証拠**になります。
逆に性別の係数が消えれば、
と分かります。
今回調べた限り、まさにこの最後の分析が日本では十分行われていない。そこが最大の空白です。
なので今回の問いへの最も正確な答えは、
「男女の量刑・処分結果の格差は統計上は明確に存在する。しかし、日本ではその格差のうち何割が“性別そのもの”によるものなのかを識別できる研究が不足している」
です。
これは「男女差はない」と言うよりも、「女だから割り引かれている」と断言するよりも、かなり面白い状況だと思います。
もしさらに進めるなら、次は**「傷害罪・殺人罪など、男女とも一定数いる同一犯罪について実際の裁判例を大量に集めて男女の執行猶予率・刑期を比較する」**ところまでやると、今回の佐藤事件に直接つながるかなり本格的な検証になります。
公的データから実際に回帰分析できそうですか?可能そうならやってみて
Worked for 2m 34s
できます。まず公開データだけで実際に1本、回帰を回してみました。ただし、これは「性別そのものの因果効果」を確定する最終モデルではなく、第一段階の分析です。
使ったのは、男女共同参画機構の「女性と男性に関する統計データベース」が公開している、法務省「検察統計年報」由来の1966~2024年・男女別の刑法犯の起訴人員/起訴猶予人員です。この表は
『みいちゃんと山田さん』は亜月ねね氏が「マガジンポケット」で2024年9月から連載する漫画で、2012年の歌舞伎町を舞台に、キャバクラで働く女子大生・山田さんと新人・みいちゃんを描く作品である((SmartFLASH「紛糾する『みいちゃんと山田さん』アニメ化問題」 Yahoo!ニュース))。既刊6巻で累計280万部を突破し「このマンガがすごい!2026」オトコ編4位に選出される一方、医学的な診断名が明示されないみいちゃんの言動とその残酷な描き方が、知的障害や発達障害のある人々の特徴として一般化されることへの批判が以前から寄せられてきた((KAI-YOU「『みいちゃんと山田さん』製作委員会、アニメ化への批判受け異例の声明」 KAI-YOU))。
2026年7月25日の2027年アニメ化発表を機に批判が噴出し、「社会問題をポップに描かないでほしい」という声や、発表日が津久井やまゆり園事件から10年の日と重なったことへの批判があった。7月27日に製作委員会が「懸念を真摯に受け止める」との声明を発表し、専門家の助言を得ながらレーティングや注意喚起を含め慎重に制作すると表明している。SNS上では、現実の人物をみいちゃんになぞらえる言動や、「みいちゃん」という呼び名が読み書きやコミュニケーションに困難を抱える女性への揶揄として使われているとの指摘もある。
創作物の「害」は一枚岩ではなく、議論を混乱させる最大の原因はこの未分解にある。少なくとも次の四つは区別すべきである。
第一に制作過程の害。実在モデルへの取材倫理、名誉毀損、プライバシー侵害など。これは通常の不法行為法で処理可能な、最も争いの少ない領域である。
第二に表象の害(representational harm)。特定の属性集団がステレオタイプ的・侮蔑的に描かれることで、その集団への偏見が強化されるという主張。個々の被害者を特定できず因果も拡散的なため、法的規制になじまず、主に批評と市場の圧力で調整されてきた。哲学者ミランダ・フリッカーの「解釈的不正義(hermeneutical injustice)」の枠組みは、フィクションが社会の解釈資源そのもの――つまり「ああいう人」を理解するためのテンプレート――を供給するという点で示唆的である。診断名のない曖昧な人物像ほど、視聴者が現実の誰かに当てはめる際の「自由度」が高く、テンプレートとして流通しやすいという逆説がここにある。
第三に受容の害(模倣・誘発)。メディア効果研究の百年は、大づかみに言えば「強力効果論→限定効果論→条件付き効果論」という振り子を描いてきた。今日の穏当な合意は「フィクションは行動を直接決定しないが、条件次第で態度・認知・一部の行動に測定可能な影響を与える」というものだ。ガーブナーの培養理論(長期視聴が世界観を歪める)はその古典であり、最も実証が固いのは自殺報道分野である。Netflix『13の理由』配信直後に米国の若年層自殺が統計的に有意に増加したとする研究(Bridge et al., 2019)は方法論的批判もあるが、WHOが報道・表現ガイドライン(手段の詳細描写を避ける等)を維持する根拠となっており、Netflixは後にシーズン1の自殺場面を削除した。逆に、援助希求を描くことが自殺を抑制する「パパゲーノ効果」も報告されており、「描くこと」自体ではなく「描き方」が効果の符号を変えるという知見は重要である。
第四に文脈・流通の害。作品内容が同一でも、届く場所と受け手が変われば意味が変わる。ゾーニング論の核心はここにある。
規制に対する防波堤の古典はJ.S.ミルの危害原理――他者への具体的危害がない限り介入すべきでない――だが、表象の害はまさに「拡散的で立証困難な危害」であるため、この原理は決定打にならず、線引き論争が延々と続く構造になっている。
歴史が示す教訓は、<>害の主張はしばしば過剰に立てられてきたということでもある。1950年代米国のワーサム『無垢への誘惑』は漫画と非行を結びつけ、業界の自主検閲機関コミックス・コード・オーソリティを生んだが、後年その実証的根拠はほぼ否定された。『時計じかけのオレンジ』は模倣犯報道を受けキューブリック自身が英国で上映を止め、『ジョーカー』(2019)は公開前に暴力誘発が懸念されたが実証的な事件増加は確認されなかった。一方で、ナボコフ『ロリータ』のように「加害者の語りを内側から描くこと自体が倫理的達成である」と評価が定着した例もある。つまり「不快な表象=有害」でも「懸念=杞憂」でもなく、事後検証で初めて評価が定まるケースが多い。
もう一つ、ヌスバウムやスザンヌ・キーンらの議論が示すように、フィクションは周縁化された生への共感を拡張する装置でもある。夜の世界や貧困を「描かない」ことは、それ自体が不可視化という別種の害になりうる。責任論は常にこの両面を天秤にかける必要がある。
国による差。米国は憲法修正第一条により国家規制が極めて困難で、調整はレーティング(MPA)、スポンサー撤退、出版社の自主判断、そして近年はセンシティビティ・リーダー(『アメリカン・ダート』論争が典型)といった市場・業界内メカニズムで行われる。ドイツはナチスの歴史を背景にヘイト表現や暴力描写の法規制(USK、旧BPjM指定)が強い。日本は法規制が緩やか(刑法のわいせつ規制、青少年条例の有害図書指定程度)で、代わりに出版社・放送局・製作委員会の自主規制が実質的な調整弁になっている。チャタレイ事件、2010年の東京都条例「非実在青少年」論争、『はだしのゲン』閲覧制限問題は、日本でも規制と自由の綱引きが繰り返されてきたことを示す。
媒体による差。これが本件の核心に近い。書籍・漫画アプリは「読者が選んで到達する」プル型で、事実上のゾーニングが働く。地上波アニメは(配信全盛の今でも)リーチが桁違いに広く、受動的接触が起き、スポンサーと放送倫理(BPO)が関与し、キャラクターがグッズ・切り抜き・ミームとして文脈から切断されて流通しやすい。同じ内容でも媒体転換はリスクプロファイルの転換であり、「漫画では許容されたのにアニメで炎上する」現象は原理的に説明がつく。映像化はさらに、声・動き・音楽がトーンを固定するため、原作の曖昧さ(読者ごとの解釈の余地)が失われやすい。
テーマによる差。自殺・薬物・性暴力は模倣・トリガーの実証研究が蓄積しており「描き方ガイドライン」が存在する領域。一方、障害の表象は模倣ではなくスティグマの問題であり、ガイドラインよりも当事者参加(いわゆるOwn Voices運動、監修者の起用)が主な処方箋となる。日本では『聲の形』が全日本ろうあ連盟の監修を得て広く受容された例、逆に類型的な描写が批判された例が併存する。批評でよく使われる「punching up / punching down」(強者を撃つか弱者を撃つか)という基準は、粗いが一定の説明力を持つ。
作者の位置。作者の意図は免罪符にならない(意図主義の誤謬)。だが同時に、受容のされ方の全責任を作者一人に帰すのも過剰である。実務的には責任は分散配置されている――作者は描写の質に、編集・出版社は掲載判断に、製作委員会・放送局は媒体転換とレーティングに、プラットフォームは推薦アルゴリズムに、そして受け手は流用(キャラ名を現実の揶揄語に転用する等)に、それぞれ第一義的責任を負う、という分担モデルが最も整合的である。
以上の枠組みで今回のケースを見ると、一見ひとつの「アニメ化反対」に見える批判は、性質の異なる少なくとも四つの論点の束であることがわかる。
第一に表象の害の水準。診断名を明示しないまま「それらしさ」を残酷な運命とセットで描く構造は、前述の「解釈テンプレート供給」リスクが最も高い型に当たる。しかも本件では、呼称が現実の揶揄語として既に流通しているとの指摘がある。表象の害は通常立証困難だが、ここでは受容段階の転用という観測可能な現象が先行しており、批判側の懸念が抽象論でない点が、多くの類似論争と異なる。ただしこの転用の責任主体は第一義的には受け手であり、作品にどこまで遡及させるかは規範的判断が分かれる。
第二に媒体転換の水準。批判の多くは「描くな」ではなく「地上波アニメという媒体に載せるな」に近く、これは内容規制ではなくゾーニング論である。プル型の漫画アプリからプッシュ型に近い放送への移行がリスク構造を変えるという上記の一般論が、そのまま当てはまる。
第三にコミュニケーションの水準。やまゆり園事件から10年の日に発表されたことへの反発は、作品内容とは独立した、告知運用の失敗という別カテゴリの問題である。
第四に対応の水準。専門家の助言、レーティング、注意喚起を掲げた製作委員会声明は、監修・レーティング・視聴文脈の管理という、海外で標準化されつつある「描き方・届け方」型の処方箋に沿っており、方向性としては本稿で見た知見と整合する。評価が定まるのは、声明ではなく実装――描写の具体的な設計と放送形態――が出てからである。
総じて本件は、「表現の自由 vs 規制」という二項では捉えきれず、害の類型・媒体・運用・受容のどの層の問題かを分解したとき初めて、争点と責任主体が特定できるという、創作物論争の一般構造を教科書的に示す事例だと言える。
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Fableくんさ、そんな風にされたらさ、もう僕いらないじゃん?つらいよ
1950年 6.6
1960年 6.7
1970年 6.7
1980年 6.5
1990年 5.9
2000年 5.2
2010年 4.7
2020年 4.2
2025年 3.9
https://ourworldindata.org/grapher/children-per-woman-un?tab=line&country=OWID_WRL~OWID_AFR
読みやすい文体だし、レンガレベルのページ数もないから、これなら1日1冊ペースで数ヶ月で全作完読できる
遅読の人の一週間に一冊ペースでも2年以内に全作読める。
平均寿命まで生きてれば、さらに数十冊上積みできてたと思うと、残念無念
ドラマ化については、放送局名(フジ・日テレ・テレ朝・TBS・NHK・テレ東・WOWOW・配信等)を記載し、複数の局で制作されている場合は併記。
タイトル通り、某ラジオ番組でテニプリがテーマに取り上げられたら、という妄想シナリオ。
***
みなさんこんばんは。FM●●をお聞きの皆さんはこんにちは、FM××をお聞きの皆さんはおはようございます。草野〇サムネです。
毎週この時間は草野〇サムネがお送りする〇ック大陸漫遊記の時間です。▲▲FMからJFN38局をネットしてお届けしてまいります。この番組では〇ック大陸という架空の大陸をあなたと旅しながら今まで旅先で仕入れた定番曲だけではなくひそかに心の中で燃え続けるイカしたロックナンバーをOAしていきます。ロックミュージックへの探求心をもって未体験のエリアへ、その先の彼方へ旅するような気持ちでお届けしてまいります。
ごきげんいかがでしょうか草野でございます。7月に入りじわじわと暑くなってまいりましたね。今年はしっかりめに梅雨があって、6月下旬くらいまでは「お、今年の夏涼しいんじゃね?」と淡い期待を抱いた人も多かったんじゃないかと思うんですけど、早くも打ち砕かれましたね。ところで最近そうめんとかうどんのつけツユで色んな種類のが売ってあるじゃないですか。スーパーだけじゃなくコンビニなんかにも。だからそうめんと旬の野菜茹でたやつで結構なごちそうになったりするので、色んな組み合わせにはまっている今日この頃です。
さて今週のテーマは「テニスの王子様で漫遊記」です。テニスの王子様、通称「テニプリ」といいますと、1999年より週刊少年ジャンプで連載が始まり、今年の8月に完結予定も、今なお話題の最前線にあるという大ヒット少年漫画であるわけですが、音楽面でも無視できない作品なんですね。キャラクターソング、いわゆる声優さんがキャラクターとして歌をうたうっていう企画があるんですが、テニプリではこれまでになんと関連CDが500タイトル以上、楽曲が900曲以上出てるんですね。CDの売上ランキングだと「アニメ」のジャンルになっちゃうので正直俺は聴く機会があんまりなかったんですが、今日はロック調のナンバーをセレクトして流していこうと思います。
草野〇サムネ〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。どうぞ最後までお付き合いください。
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漫遊前に〇ピッツの曲も聴いて頂きたいのですが、残念なことに〇ピッツにはテニスをもリーフにした楽曲はなく…。なので歌詞がちょっとだけテニプリのあの人っぽいかな?という曲をかけたいと思います。
東京都ふじりんごさん、同じく東京都33さん、神奈川県赤福さん、京都府む。さん、他リクエストたくさんいただきました。ありがとうございます。〇ピッツ2007年12枚目のアルバム「さざなみCD」から「トビウオ」聞いてもらいました。この曲にですね、「直接さわれるホンマモンのエクスタシー」って歌詞があるんですけど、テニプリに出てくる白石蔵之介くんというキャラクターの決め台詞が「ん~エクスタシー」なんです。しかも白石くんは大阪人だそうで、この曲も「ホンマモン」や「描いたれ」とか関西弁口調の部分があるので、偶然が二つ続いたという感じですね。
草野〇サムネがお送りします〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。このあとは2003年発売、不動峰中のあのキャラからいってみたいとおもいます。
(CM)
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草野〇サムネがお送りする〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。
まず聴いてもらったのは不動峰中2年伊武深司くんのファーストシングル、2003年発売「THE BEST OF RIVAL PLAYERS Ⅱ」シリーズより「 CAN SEE THE LIGHT」でした。伊武くんはクールでぼそぼそ喋るっていうキャラクターで、歌い方もかぼそい感じからサビで一気に盛り上がる曲なんですけど、聴いていただいたとおり、冒頭に〇ェッペリンの「天国への階段」が引用されてるんですね。ちなみに伊武くんの好きな音楽は「民謡・ロック」だそうです。まあ中学生の時期ってね、自分で好きな音楽を選んで聴き始める時期だと思うんですが、伊武くんの親御さんが〇ェッペリンのファンでその影響を受けてるってこともあるかもしれないですね。
***
次の曲は立海大附属中3年、コート上の詐欺(ペテン)師、仁王くんから「未完成」いってみたいと思います。仁王くんはこれと「Pupinaccho」っていう曲でかなり悩んだんだけど、楽曲の幅の広さを知ってもらおうということで「未完成」の方を選ばせていただきました。Bメロに(弾き語りながら)「雅治のイリュージョン、詐欺師のイリュージョン」って歌詞があるんだけど、「マッサムネの~イリュージョン~♪」とか真似してみたくなりますね。それやったらステージ上でなんか手品でも披露しなきゃいけなくなりそうだからやらないけどね。
仁王雅治、2010年発売のファーストアルバム「P」より「未完成」でした。
***
ここからプチコーナーなんですが、テニプリの曲の中でも特に方言を扱った曲を流していきたいと思います。題して「方言ロックで漫遊記」!
方言の歌詞っていうとやっぱ関西弁が多いイメージがあって、あと〇ピッツでもワンフレーズに俺の出身の九州弁を使った曲はいくつかあるんですが、テニプリはキャラクターの個性を活かした曲を出してるので、色んな方言の曲があるんですね。まずは大阪四天宝寺中三年の千歳千里くんで「恋だなう」。千歳くんは今は大阪だけど出身は熊本で、大阪に引っ越してからも方言を貫く肥後もっこすということですね。全体的にすごい爽やかで疾走感のあるメロディなんですけど、よく歌詞を聴くと全部語尾が方言になってるので、注意して聴いてみてください。
千歳千里、2010年セカンドシングル「恋だなう」聴いてもらいました。
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次は沖縄にいってみたいとおもいます。沖縄比嘉中3年、「殺し屋」こと木手永四郎くんの楽曲で「CHU-BA-FIGHTER」。「ちゅーばー」っていうとYou 〇uberみたいですけど、沖縄弁、島ことばで「強い」とか「勇気がある」って意味だそうです。共通語の歌詞の中に沖縄のことばが混じってると、日本語よりむしろ外国の言語に近い印象になるんですよ。特にBメロの(弾き語りながら)「ウッタ―ヤシニカシニカシニチューバー」って呪文みたいですごく聴いてて気持ちいいんですよね。2009年発売の木手くんのファーストアルバム「FAITH」に収録されてる曲なんですが、他の比嘉中メンバーも歌唱に参加していて、沖縄比嘉中のテーマソングのような楽曲となっております。
M5 : CHU−BA−FIGHTER / 木手永四郎
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(CM)
マ「草野〇サムネがお送りしています〇ック大陸漫遊記、今日は「テニスの王子様で漫遊記」です。後半いってまいりましょう。
続いてはまた沖縄になってしまうんですが、沖縄比嘉中3年の知念寛くんの曲いってみたいと思います。さっきの木手くんの曲は沖縄のテイストを入れた邦ロックって感じだったんすけど、こちらはもうコテコテの方言で。中学生くらいの若い人でここまで方言で喋る人って実際どれくらいいるんですかね。正直歌詞見てもあんま意味はわからないんだけど、めっちゃカッコいい、そんな曲です。
知念寛2012年発売のセカンドシングル、「 Hi-side」聴いて頂きました」
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最後の曲になるんですけども、えーテニプリも文化放送で「テニスの王子様オン・ザ・レイディオ」というラジオ番組をやっていて、なんと2003年からずっと放送してるんですね。〇ック大陸漫遊記も2018年からなので長く続いてる番組ではあるんですが、テニラジに、テニラジってのはさっきの番組の略称なんですが、ぜひあやかりましょうということで、ラジオのテーマソングの中から流したいと思います。最後はやっぱり主人公の曲いっときたいですよね。越前リョーマで、「Dreaming on the radio」。
M7 : Dreaming on the radio / 越前リョーマ
テニラジの2004年1月度テーマソング、そして越前リョーマのサードシングルでもある「Dreaming on the radio」でした。
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このコーナーではこれまで上陸した広大な〇ック大陸でちょっぴり前の曲なんだけど今こそラジオで聴いてみたい、そんな名曲を掘り起こしていこう。あなたの脳内ミュージックライブラリーに加えていただきたいそんなコーナーです。
今日掘り起こすのは氷帝学園中3年、跡部景吾くんで「氷の世界」という曲です。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、井上〇水さんの1973年発売のアルバム「氷の世界」表題曲のカバー曲ですね。跡部くんの必殺技「氷の世界」とタイトルが同じということで、2006年発売のセカンドアルバム「THE ULTIMATE HARD WORKER」の初回限定生産盤にのみ収録されております。テニプリはカバー曲も色々出していて、有名なやつだと国〇さゆりさんの「バレンタイン・キッス」がありますね。カバーするにしてもこの選曲はなかなか渋いと思ったんですが、ポップ調にアレンジされていて、聴いてみると意外に合ってるというか、癖になる味わいになっております。
草野〇サムネ〇ック大陸漫遊記、今日のちょっぴりタイムマシーンは跡部景吾2006年、セカンドアルバム「THE ULTIMATE HARD WORKER」から「氷の世界」でした。
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お送りしてまいりました草野〇サムネ〇ック大陸漫遊記、今日はテニスの王子様で漫遊記でした。いかがだったでしょうか?
アニメ縛りで特集っていうのはやったことがなかったので、というか出来る作品が限られるので、やってみて面白い試みでしたね。キャラクターソングといってもこんなに幅があるんだとか、やっぱり声優さんってすごいなとか、新たな発見が色々ありました。最後に流した跡部くんもカバーだけじゃなく良い曲がたくさんあったので、またいつかやってみたいですね。
さて来週の〇ック大陸ですが、ワンアーティスト特集「許斐剛で漫遊記」でいってみようと思います。テニプリの作者・許斐剛先生は「ハッピーメディアクリエイターときどき漫画家」という肩書で、漫画だけでなく楽曲製作やライブ活動も積極的に行ってる方なんですね。ただ、あくまで発表されているものはテニプリにまつわる楽曲ばかりで、ファンとのコミュニケーションツールとして音楽を用いているということで、我々ミュージシャンとはやはり曲作りのスタンスが違う、そういうところに着目して選曲していけたらなと思います。ちなみに許斐先生は1970年生まれなので、ちょっと年下ではありますが〇ピッツとほぼ同世代でもあります。ぜひ聞いてください。来週は「許斐剛で漫遊記」です。
そして番組ではメールやはがきをお待ちしています。あなたの日常で起こったふとした出来事、「草野さん!乙女ゲームで自分の名前を入れるのが恥ずかしくていつも変な名前にしてしまいます!」そんな音楽とは全く関係のないメッセージも大歓迎です。
〇ピッツ草野〇サムネの〇ック大陸漫遊記、来週も同じ時間、同じチャンネルで一緒に〇ック大陸を旅しましょう!それではまたお会いしますよ!お元気で!草野〇サムネでした。
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(セットリスト)
M5 : CHU−BA−FIGHTER / 木手永四郎
結論から言うと、「東京大学の女子学生向け家賃補助制度は、女子寮がなくなる際のバーター(代替措置)として導入された」という言説は誤りです。
東京大学が2016年11月に発表し、2017年度から開始した「女子学生向けの家賃補助制度(月額3万円、最長2年間)」の本来の目的は、「地方在住の女子学生の入学を促進し、大学全体の女子比率(当時約2割)を向上させること」です。
当時の東大の公式発表や報道では、以下の背景が説明されています。
地方在住の女子学生の保護者が、治安や経済的理由から「娘の東京での一人暮らし」を敬遠する傾向があること。
安全性の高いマンション等を確保しやすくすることで、地方の優秀な女子学生に出願を促すこと。
つまり、大学のダイバーシティ(多様性)推進と女子比率引き上げのための少子化・ジェンダー対策として新設されたものであり、何か(寮の廃止など)の補償として始まったものではありません。
「女子寮がなくなった」という点についても、時系列が一致しません。
東大にはかつて「白金寮」などの女子寮がありましたが、老朽化などの理由で2010年に閉寮・改修されています。2017年の家賃補助制度が始まるよりも6年近く前の出来事です。
家賃補助が導入された2017年当時も、そして現在も、東大には「駒場国際学生宿舎」や「目白台インターナショナル・ビレッジ」など、女子学生(および留学生)が入居できる男女共用の学生宿舎が複数存在しています。
したがって、「女子寮が完全になくなってしまったから、その代わりに家賃を補助することにした」という因果関係はありません。
当時、この制度が発表された際は「男子差別ではないか」「逆差別だ」とネット上で大きな物議を醸しました。
そうした批判を和らげるために、一部のネットユーザーや関係者の間で「これは特権ではなく、過去に女子寮という権利を失ったことに対する補償(バーター)のようなものだから騒ぐ必要はない」という、解釈や擁護のニュアンスが混ざった話が、いつの間にか「事実(ファクト)」のように語り継がれてしまったのが真相と見られます。
地方から優秀な女子学生を集めるための「大学側の生存戦略(多様性の確保)」としての政策であり、学内のドタバタによるバーターではない、というのが正確な背景です。
❌ 「女子寮がなくなる時に女子学生がバーターで手に入れた権利」
⭕ 「地方からの女子学生の受験・入学を増やすために、大学側が2017年度に新設した支援策」
ネット上では、有識者のように見えるアカウントの解説であっても、実際には事実確認(ファクトチェック)がなされていないケースが多々あります。今回の件に関しては、純粋に「女子比率を上げたい大学側の呼び水としての政策」というのが正確な事実です。
令和になって、開発案件のスケジュール要求が二段階くらい厳しくなった
一昔前なら500人月の案件なら1年半〜2年くらいもらえたが、今は半年でやれという状態
完全なウォーターフォールならまだしも仕様変更はボコボコ発生する
そうなるとレビューとか品質分析とかバグの横展開とかリリースプログラムのダブルチェックとかのプロセスが形骸化してしまい、同じような原因の本番障害が増え、毎月デスマーチ状態に
再発防止策考えてちゃんとやれとしか上は言ってこないが、だったらもっとスケジュール緩めてくれよ、おまえらがちゃんとマネジメントしろよと言いたい
みんなどうやって品質確保してるんだろうな
気になったから調べてみた。
鑑定品についてはノーカン。パッと見で状態が良いものと、未開封の値段をメルカリで確認。
元デュエリストなので遊戯王には詳しいけど、それ以外の付録カードはあまり知らないので遊戯王で確認。
2009年3号付録:ブラック・マジシャン(高橋和希書き下ろしイラスト)
美品:1800円程度、未開封品:1万円程度
2012年2号付録:マジマジ☆マジシャンギャル(高橋和希書き下ろしイラスト)
美品:3000円程度、未開封品:1万2000円程度
美品:300円程度、未開封品:2000円程度
美品:500円程度、未開封品:1500円程度
美品:1800円程度、未開封品:4000円程度
美品:500円程度、未開封品:1000円程度
面倒臭くなってきたからこの辺で。あとはほとんど価値ないよ。というか、ファイアウォールドラゴンって主人公の相棒カードなのに、未開封品でも悪い意味で値段が付かないってのは……。
なんとなくはわかっていたけど、価値が付くのはあくまでも記念品的なコレクション要素のあるカードだけだな。こういうカードは再録されないから価値が付く。
実践向けのカードは比較的早く再録されるから、基本的に価値が付かない。そのカードが環境で使い物にならなくなると、目も当てられないくらいゴミ扱いされる。
今週のジャンプのワンピのカードだけど、価値付くのか?って疑問の声が結構あるけど、記念品的なカードだから最終的には結構価値は付くと思うよ。
ただワンピースカードゲームって遊戯王みたいに代替わりして延々と続くコンテンツとは思えんから、カードに価値が付くのが先か、ワンピースカードゲームが終わるのが先かわからないけど。
基本的に単一のIPにフォーカスを当てたカードゲームって寿命が短いんだよ。ポケモンと遊戯王が例外なだけ。
シリーズを重ねるごとにキャラが増えるポケモンはカードゲームと相性が良いし、遊戯王はあくまでも作中に出てくるカードゲームの商品化だから、原作に関係なくカードを増やすことができるからな。
二人の作家が互いに語り合い、時には相手に向かって話し続けるだけの、派手な出来事のない状況に、いったいどこにドラマがあり、そして笑いがあるというのか。
その鮮烈な答えを知りたければ、『The End of the Tour』を観るといい。
この映画は、ローリング・ストーン誌のライター、デイヴィッド・リプスキーによる2010年の著書『Although of Course You End Up Becoming Yourself』を原作としている。
1996年の5日間にわたり、リプスキー(ジェシー・アイゼンバーグ)は、高く評価された小説家・エッセイストであるデイヴィッド・フォスター・ウォレス(ジェイソン・シーゲル。これまで見たことのない彼の姿だ)にインタビューを行った。
それはウォレスが大作『Infinite Jest』の宣伝ツアーを終える時期だった。
うつ病に苦しんでいたウォレスが2008年に首を吊って自死した後になって初めて、リプスキーはこの時の資料を記事としてまとめた。その記事はナショナル・マガジン賞を受賞し、後の著書の基盤となった。
それは私たちの考えをかき乱し、もしかすると彼という人物をより深く理解する助けにもなっている。
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映画の中では、何も起こらない。そして同時に、すべてが起こっている。
『The Spectacular Now』のジェームズ・ポンソルト監督は、劇作家ドナルド・マーグリーズによる流れるような脚本をもとに、本の精神を損なうことなく映画として成立させている。
これは伝記映画ではない。
物語の舞台は、バンダナを巻いたウォレスが成功の絶頂にあり、その状況と、自分なりの不器用で人間的な方法で向き合おうとしていた時期だ。
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アイゼンバーグ演じるリプスキーが、魅惑的な知性と隠された微笑みをたたえながら、雪に閉ざされたイリノイ州ブルーミントンにあるウォレスの独身者らしい住まいへ到着した瞬間から、そこには人を引き込む心理戦の舞台が整う。
リプスキーが追及すればするほど――彼の編集者(ロン・リビングストン)は、ウォレスがヘロインを使用しているという噂について詳しく聞きたがっている――ウォレスはますます警戒心を強めていく。
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そこで私たちは、リプスキーとウォレスが車、バス、飛行機で移動しながら、お互いの本質を探り、相手の核心に触れようとし、関係を築こうとする姿を見る。
ミネアポリスでは、二人はジャンクフードを食べながら、ポップカルチャーについて議論する。
その後、ウォレスの友人ジュリー(マミー・ガマー)と、大学時代の元恋人ベッツィ(ミッキー・サムナー)との夕食の席で、控えめな作家であるウォレスは、リプスキーが無神経に浮気めいた態度を取っていると非難する。
その言葉は鋭く突き刺さる。
キャリア最高の演技を見せるシーゲルは、ウォレスの内面にある葛藤を力強く表現している。
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これは芸術と人生についての、洞察に満ちた考察であり、その激しさと感情によって観客を強く打つ。
単なる会話の記録になり得たものが、驚くほど生々しい即時性を持つ動的な映画へと変わっている。
リプスキーはこう書いている。
「本は社会的な代替物である。あなたが、ある意味では一緒に時間を過ごしたいと思うような人々を読むのだ」
『The End of the Tour』は、決して完全には警戒を解こうとしない二人の異なる作家と、一緒に時間を過ごさせてくれる。
その瞬間を、私たちは目の前で見る。
二人の並外れた俳優によってさらに高められたこの作品は、観客に与えられる刺激的な贈り物なのだ。
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それは、彼の言葉が自由奔放な芸術性をもって成し遂げていることを凝縮した行為だ。
踊っている。
(※原文末尾の「dancing」は、ウォレスの文章のリズムや身体性、そして彼自身の不器用ながら自由な表現行為を象徴する比喩として使われています。)
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デイヴィッド・フォスター・ウォレスについての醜悪な事実に関する短い報告
ジュノ・ディアスの告発者たちは声を聞かれている。しかし文学界には、クローゼットの中にさらにひどい秘密が眠っている。
DEVON
※注意書き(TW):性的暴行、家庭内暴力、虐待に関する内容を含みます。
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しかし文学界には、クローゼットの中にさらにひどい秘密が隠されている。
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5月4日、ジュノ・ディアスは文学イベントや私生活における女性への暴行や嫌がらせについて、公に告発され始めた。
この件の基本的な情報については『Book Riot』の記事がまとめているが、Twitter上の「#JunotDiaz」というタグでは、ディアスとの遭遇について語る女性がさらに多く存在している。
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これらの告発は、ディアスが『ニューヨーカー』誌に発表した、自身の性的暴行被害経験についての非常に衝撃的で自己省察的なエッセイが公開された直後に起きた。
その文章の中でディアスは、自分自身が受けた虐待の過去、そしてそれを抑圧してきたことが、長年にわたって女性たちと尊重に基づく恋愛的・性的関係を築けなかった理由の一部になったのではないか、と示唆している。
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大部分において、ディアスの告発者たちは真剣に受け止められているように見える。
これは、過去に起きた他の虐待告発――その中にはデイヴィッド・フォスター・ウォレスに対するもののように、非常に裏付けの強いものも含まれる――に対して文学界の多くの人々が示した反応とは大きく異なる。
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ディアスが有色人種の男性であり、ウォレスが白人で裕福な学者家庭出身の男性だったという違いは、当然ながら関係している。
そしてこの点を強調するために、ウォレスを告発した人物の中でもっとも声高で、もっともよく知られている、素晴らしい作家であるメアリー・カーが再び声を上げた。
亡くなった元恋人ウォレスの行為を、私たちに思い出させるためである。
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―――
現在、公に性的暴行、レイプ、嫌がらせで告発されている人々の多くは白人男性である。
しかし実際にその行動の結果として処罰を受けている人々の大半は、有色人種の男性だ。
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「黒人男性や褐色人種男性は加害者であり、白人女性は被害者である」
というステレオタイプの物語をどれだけ覆すものであるかによって、その虐待者が自分の行為に対して完全な責任を負わされる可能性は低くなる。
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#MeTooの時代において、白人女性歌手メラニー・マルティネスはレイプで告発されても何の処罰も受けずに済み、白人男性のハラスメント加害者であるチャーリー・ローズやハーヴェイ・ワインスタインは、一時的に姿を消し、セラピーを受け、それから戻ってきて「自分が学んだこと」について語ることができる。
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一部の読者――その多くは白人だろう――は、今後ジュノ・ディアスの文章を読むことをやめるかもしれない。
しかし同じ人々が、デイヴィッド・フォスター・ウォレスの、過剰で混乱した女性嫌悪の物語を読み続けるだろう。
なぜならウォレスは白人男性であり、そして彼自身がそのすべてについてひどく苦悩しているように見えたからだ。
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#MeToo運動は、多くの人に「自分の声が届いた」「守られている」と感じさせるかもしれない。
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そこに影響している偏見と、私たちは積極的に戦わなければならない。
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そう、彼の告発者たち――その多くはラテン系女性である――の声は聞かれる必要がある。
しかし、私たちの確信や怒りの一部は、白人の加害者たちにも向けられなければならない。
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デイヴィッド・フォスター・ウォレスは、決して「良い人間」ではなかった。
これは長い間知られていたことだ。
それは、今終わらなければならない。
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―――
私は、かつてデイヴィッド・フォスター・ウォレスのファンだった。
私は『インフィニット・ジェスト』を愛していた。
『Girl with Curious Hair』の約半分の作品には、今でも深く心を動かされる。
そして彼の多くのインタビューには、今でも考えさせられ、引き込まれるものがあると思う。
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DFW(デイヴィッド・フォスター・ウォレス)は、『This Is Water』を引用する人々が描きたがるような、
ではなかった。
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私は2010年、特に陰鬱な冬の鬱状態の時期に、DFWの作品に入り込んだ。
彼の言葉は、私がいた暗い穴の中まで降りてきてくれた。
私はその後数年間、彼を崇拝した。
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彼がこれまで生み出したものはすべて読んだ。
インターネット初期の頃に存在した、彼についての古くてあまり知られていないインタビューやラジオ番組まで探し出した。
彼自身の作品を読み尽くした後は、間接的に彼について扱っている本まで読んだ。
メアリー・カーの『Lit』や、ジェフリー・ユージェニデスの『The Marriage Plot』などである。
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やがて、DFWへの愛情は、彼を偶像化していた自分自身を壊した。
彼の個人的な過去を読めば読むほど、彼が虐待的な人間であり、偽善者だったことが明らかになっていった。
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ここに挙げるのは、2011年から2012年頃に私が知った事柄の一部である。
多くの詳細は、ジョナサン・フランゼンのエッセイ「Farther Away」と、D・T・マックスによるウォレスの伝記『Every Love Story Is a Ghost Story』から得たものだ。
いくつかの情報は、Wallace-Lメーリングリストからも得ている。
もちろん、一部の決定的な詳細は、素晴らしいメアリー・カーの回想録からのものだ。
なお、カーの本はどれもDFWのノンフィクション作品よりはるかによく書かれている。
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以下の引用部分は、D・T・マックスの『Every Love Story Is a Ghost Story』からのものである。
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ウォレスは、ほぼすべてのノンフィクション・エッセイにおいて、何十もの事実を誤って伝えていた。
多くの事実は、他のジャーナリストの経験から完全に盗用されたものか、あるいは完全な創作だった。
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例えば『Consider the Lobster(ロブスターを考える)』に収録されたポルノ業界の展示会についてのエッセイで、ウォレスは、
外部にあるバルブによって、自由に膨らませたりしぼませたりできる人工乳房を持つ女性
について描写している。
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しかしこれは完全な作り話だった。
そのようなインプラントは、彼がその文章を書いた1990年代には存在していなかった。
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また、同じエッセイ内で一人称によって描かれる多くの出来事も、実際には別のジャーナリストからウォレスが聞いた話だった。
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エッセイ「Ticket to the Fair」に登場するバトントワリングの場面は完全な作り話だった。
また、その作品に登場する同行者の女性の存在や人物設定も、実際には存在しなかった。
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「Rise, Simba!」に書かれている多くの事実、人々、あだ名、交流についても、同様に作られたものだった。
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「Consider the Lobster」は反体制的なルポルタージュではなかった。
ウォレスは自分で文章を書き、それを『Gourmet』誌に売ったのである。
『Gourmet』からジャーナリストとして派遣されたわけではない。
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初期作品、
『The Broom of the System』
や『Girl with Curious Hair』の一部は、
トマス・ピンチョンやドン・デリーロから筋書きや文体的要素を借用していた。
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その盗用はあまりにも露骨だったため、ウォレスはキャリアを通じて盗作訴訟を心配していた。
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・詩人で回想録作家のメアリー・カーを、走行中の車から押し出した。
・自分が彼女に投げつけたテーブルの弁償をしようとした後、そのテーブルの破片を自分に渡すようカーに要求した。
・自分が担当していた創作文学の授業中に、学生へ暴力を振るった。
・創作クラスの学生たちと性的関係を持ち、さらに本の宣伝ツアー中には17歳の少女とも関係を持った。
・カーと彼女の5歳の息子をストーカーし、さらにその目的のために購入した銃でカーの夫を撃つと脅した。
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2012年頃にDFWについてこれらのことを知った後、私は彼の作品の多くを読み直した。
すると、以前覚えていたような天才性や繊細さが欠けているように感じた。
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(多くはWallace-Lメーリングリストの鋭い読者たちの助けを借りたものだ。)
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DFWは、共感できる女性キャラクターを書く能力がほとんどなかった。
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『インフィニット・ジェスト』の敵対的な女性人物、アヴリル・M・インカンデンザは、疎遠だった彼の母親を非常に刺激的な形で変形した存在だった。
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彼の短編「The Depressed Person」に登場する、共感性のない女性ナルシシスト的人物は、彼が性的関係を持ち、その後すぐに軽蔑するようになった同業作家エリザベス・ワーツェルをモデルにしていた。
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同じことは「Westward the Course of Empire Takes its Way」の女性主人公にも当てはまる。
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「美しすぎるために、この世界で普通に機能することができない女性」
というものだった。
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その最初の形は、『インフィニット・ジェスト』に登場する、ベールで顔を隠した危険なほど美しいジョエル・ヴァン・ダインとして現れた。
その後、『The Pale King』では、少し頭が軽い形に作り直されたメレディス・ランドとして再登場する。
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これらのキャラクターは、人を惹きつける圧倒的な美しさ以外には、際立った特徴をほとんど持たない。
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これらの女性たちは、物語の中でも、自分自身の人生においても主体性を持っていない。
どちらも、おそらくDFWの恋人、回復支援グループでのパートナー、そしてストーカー被害者でもあったメアリー・カーをもとにしている。
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本質的に言えば、
『Girl with Curious Hair』に収録されたレズビアンカップルについての短編を除けば、
彼の作品には主体性を持った女性キャラクターがほとんど存在しない。
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女性たちは『Brief Interviews』では単なる無垢な被害者であり、
『Broom of the System』、
『Infinite Jest』、
『Oblivion』、
『The Pale King』
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ノンフィクションにおいても、女性が中身のある声を持つことはほとんどない。
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彼が、機知に富み、はっきり物を言う女性の同行者と一緒にいる唯一のエッセイ、
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ウォレスについてこうしたことを知り、観察したことで、私の読書習慣は根本的に変わった。
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ウォレスが吐き出した、半分も編集されていない断片的な文章をすべて探し出し、貪欲に読み漁ることはやめた。
その代わりに私は、メアリー・カーのような女性作家たちへ目を向けた。
彼女たちは一般的に、ウォレスよりも簡潔で、自己認識があり、制御された文章を書いていた。
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また、カーやその他の虐待被害を経験した人々の経験にも慰めを見出した。
なぜなら、後になって分かったことだが、
2010年の冬に私があれほど惨めなほど落ち込んでいた理由の一つは、
私自身が身体的、感情的、性的虐待を伴う関係の中にいたからだった。
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私はそれに気づくまで、しばらく時間がかかった。
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そして彼は、人間の善性について哲学的に語ることに熱心な、非常に活発で好奇心旺盛な読書家だった。
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しかし、それらはウォレスの「技量(craft)」の証拠として扱われた。
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#MeTooは、私たちのほぼ全員に、自分が尊敬する人々の憎悪的で虐待的な行動と向き合うことを強いた。
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私は、私たちがその困難な矛盾を抱え、認める能力を持つことが重要だと思う。
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メアリー・カーは、読者にウォレスの作品を捨ててほしいとは思っていない。
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「悪を行う能力があることが証明されたすべての人間の人生や作品から、自分たちを切り離そうとすることは、生産的ではありません。
それは、関係によって自分を浄化しようとする終わりのない競争を生み出すだけです。
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一見すると善良だったり、複雑だったりする人々が、恐ろしい行為を犯すことがある。
もし被害者が本当に安全を感じられる社会を作るなら、私たちは何度でもその真実に向き合わなければなりません。
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私たちはそれを受け入れ、対処する方法を身につけなければなりません。
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その複雑さに耐えられないことこそが、人々を告発者を無視し、創作者を免責する方向へ向かわせるのです。
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自分たちが愛した本の中の優しく悲しげな男性が、実際にはストーカーであり、殺人を企てた可能性のある人物でもあった、
という事実を認めさせなかったのです。」
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私たちは、その矛盾を受け入れることができるようにならなければならない。
そして、それにどう向き合うかを学ばなければならない。
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なぜなら、その複雑さに耐えられないことこそが、人々を告発者を無視し、創作者を免責する方向へ押しやるからだ。
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一見すると善良で、あるいは複雑で理解しがたい人物が、恐ろしい行為をすることがある。
もし被害を受けた人々が本当に安心できる社会を望むなら、私たちはその事実に何度でも向き合わなければならない。
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私たちは、その事実を受け入れ、それと共存する方法を身につける必要がある。
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DFWの作品を愛していた人間として、私は本当に彼の作品を愛していた。
本当にそうだった。
私は、彼が複雑で、心を揺さぶるほど美しい魂を持った人物だと信じていた。
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しかし今、彼についての真実を知った私は、彼の作品の多くを以前ほど評価できないと感じている。
そして、彼がもうこの世にいないことに感謝している。
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もし彼がまだ生きていたなら、
苦悩に満ちた、疲れるほど長い文章を書き続けていたに違いない。
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私はそのことに疑いを持っていない。
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私はむしろ、メアリー・カーが今も健やかに活動し、真実が知られている世界に生きていることを嬉しく思う。
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それに、カーの本のほうが結局のところ優れている
ㅤ『Although of Course You End Up Becoming Yourself: A Road Trip with David Foster Wallace 』は、2010年にデヴィッド・リップスキーが著した回顧録で、作家デヴィッド・フォスター・ウォレスとの5日間のロードトリップについて書かれている。これは、ローリングストーン誌に掲載され、ナショナル・マガジン・アワードを受賞した記事に基づいている。 [ 1 ]
もちろん最終的には自分自身になるのですが
著者
ブロードウェイ・ブックス
発行 日
ページ
352
0-307-59243-X
先行 する
まさにアメリカ的
に続く
小説家であり、ローリングストーン誌の寄稿編集者でもあるリップスキーは、ウォレスが自分の作品が名声をもたらし、それが自分の人生を変えることになると悟った瞬間に、『インフィニット・ジェスト』の著者と過ごした時間を回想している。この本は、全米公共ラジオの年間最優秀書籍[ 2 ] 、ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー編集者のおすすめ[ 3 ]、そしてニューヨーク・タイムズのベストセラー[ 4 ]に選ばれた。
『ジ・エンド・オブ・ザ・ツアー』というタイトルの長編映画化作品が2015年7月に公開され、批評家から高い評価を受けた。[ 5 ] [ 6 ]
小説のタイトルは、小説の中でリップスキーがウォレスと交わした会話の一つから取られている。[ 7 ]
2009年にウォレスに関する記事で全米雑誌賞を受賞したリプスキーは、ウォレスが小説『インフィニット・ジェスト』の宣伝のための大規模な「ブックツアー」を終えようとしていた時期に、ウォレスに同行して全米を旅した際の記録と解説をここに提供している。この形式は、ウォレスが有名になりつつあった特定の時期に、飛行機や車で全米を旅する二人が一緒に過ごしたほぼすべての瞬間を捉えている。二人は文学、ポピュラー音楽や映画、鬱病、名声の魅力と落とし穴、犬の飼育、その他多くのトピックについて議論している。[ 8 ]
『Occourse You End Up Becoming Yourself』は批評家から好意的に受け止められた。タイム誌でレフ・グロスマンは、「彼らの素晴らしい会話の記録は、トム・ストッパードの二人芝居か、タイプライターで書かれた四人組のデュエットのようだ」と書いた。[ 9 ] アトランティック・マンスリー誌はこの作品を「広範囲にわたり、洞察力に富み、非常に面白く、奥深く、驚きに満ち、そして恐ろしく人間的」と評した。[ 10 ]ナショナル・パブリック・ラジオのマイケル・シャウブは、この本を「史上最も興味深いアメリカ人作家の一人のキャリアに対する、驚くほど悲しいが、同時に非常に面白い後書き」と評し、「胸を締め付けるほど感動的で、愛らしく、魅力的だ。最後には、二人の親友が人生や文学、そしてお互いの愛するものすべてについて語り合っているのを聴いているような気分になる」と述べた。[ 11 ] Newsweek は、「時に難解なウォレス作品に馴染みのない読者にとって、リップスキーは作家の思考プロセスへの対話的な入り口を提供してくれた。ウォレスについての本が初心者と熱狂的なファン両方に役立つとは考えにくいが、まさにそれが実現した」と評した。[ 12 ] Publishers Weekly は星付きレビューで、この本を「陽気な対話 …他に類を見ないほど才能豊かで、非常に悩める作家の率直で魅力的な一瞥」と評した。[ 13 ] Wall Street Journal は「素晴らしい」と評し、[ 14 ] Salonのローラ・ミラーは「爽快」と評した。[ 15 ] The Awlのエッセイでマリア・ブスティロスは、「この本がどれほど楽しいか言葉では言い表せない…これはロードムービーであり、ラブストーリーであり、競争でもある。文学的野心を持つ才能豊かで聡明な二人の若者が、互いを理解しようと奮闘する物語だ」と書いた。[ 16 ]「リップスキーに対する友情が急速に芽生えたことに刺激され」と評論家のリチャード・ブロディは『ニューヨーカー』誌に書いている。「ウォレスは、ほとんど治療的なほど率直に、自身のことを語り、まるで口頭で自伝を語っているかのようだ。リップスキーの本には、ウォレスの声が驚くほど存在感を放っているが、彼の考えや、状況に対する即座の感情的な反応、そして目の前の状況に対する彼自身の複雑な視点も同様に存在感を放っている。リップスキーへの彼の発言は、独創的であると同時に、静かに滑稽でもある。」[ 17 ]
この本はニューヨーク・タイムズのベストセラー、ニューヨーク・タイムズ編集者推薦図書、そしてナショナル・パブリック・ラジオの年間最優秀図書に選ばれた。[ 2 ]
2010年ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー編集者選定作品
ツアーの終わり
「勝者たち」。ニューヨーク・タイムズ。2009年5月1日。
「NPRが選ぶ2010年のベストブック」。NPR.org 。2010年。
「編集者のおすすめ、2010年6月6日」。ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー。
「ベストセラー、2010年4月26日」。ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー。
「ジ・エンド・オブ・ザ・ツアー(2015)」。Rotten Tomatoes。2019年9月20日のオリジナルからアーカイブ済み。2021年1月18日取得。
「ツアーの終わり」 . Metacritic . 2018年7月7日のオリジナルからアーカイブ済み。2021年1月18日取得。
リプスキー、デイヴィッド(2010)。『Although of Course You End up Becoming Yourself: A Road Trip with David Foster Wallace』。入手不可:Crown/ Archetype。ISBN 978-0-307-59244-6。
シャウブ、マイケル・シャウブ(2010年5月4日)。「デイヴィッド・フォスター・ウォレスとの長めのインタビュー」。NPR。
グロスマン、レフ(2010年4月16日)。「もちろん最終的には自分自身になる」。タイム。
カイザー、メナヘム(2010年4月22日)。「デイヴィッド・フォスター・ウォレスについて書くことの難しさ」。アトランティック。
シャウブ、マイケル(2010年5月7日)。「デイヴィッド・フォスター・ウォレスとの長めのインタビュー」。NPR 。 2010年5月7日取得。
ウォリス、セス・コルター(2010年4月22日)。「デイビッドとの夕食」。ニューズウィーク。
「結局は自分自身になるのだが」パブリッシャーズ・ウィークリー2010年4月4日
サム・サックス(2012年8月29日)「皮肉とその不満」ウォール・ストリート・ジャーナル。
ミラー、ローラ(2010年4月4日)。「デイヴィッド・フォスター・ウォレスとのロードトリップ」。Salon 。2010年5月7日閲覧。
ブスティロス、マリア(2010年3月22日)。「予約でいっぱい:『結局は自分自身になるのだが:デイヴィッド・フォスター・ウォレスとのロードトリップ』」。The Awl。
ブロディ、リチャード(2015年8月5日)。「デイヴィッド・フォスター・ウォレスは私たちとは違う」。ニューヨーカー。 2021年1月18日閲覧。
ニューヨーク・マガジン・ブッククラブと『Although of Course You End Up Becoming Yourself』
デヴィッド・リプスキーがブライアン・コッペルマンとのトーク番組「The Moment」で「Although of Course You End Up Becoming Yourself」と「The End of the Tour」について語る
デイヴィッド・リプスキーが「ザ・テイクアウェイ」でデイヴィッド・フォスター・ウォレスについて語る – 音声クリップ
リップスキーは、American Fiction Notes で『Although of Course You End Up Becoming Yourself』についてコメントしている。
ローリングストーン誌掲載、デヴィッド・フォスター・ウォレスの人物評(執筆:デヴィッド・リップスキー)
NPRが選ぶ2010年のベストブック『もちろん、最終的には自分自身になる』
リチャード・ブロディがニューヨーカー誌で「Although of Course You End Up Becoming Yourself」と「The End of the Tour」について語る
デヴィッド・リプスキーがNPRの番組「On The Media」で「Although of Course You End Up Becoming Yourself」と「The End of the Tour」について語る