はてなキーワード: 1976年とは
伊藤計劃の『ハーモニー』について考えていると、「この社会はディストピアなのか」という疑問が出てくる。
人々は健康を徹底的に管理され、犯罪や争いは抑制され、社会全体が穏やかに調和している。一方で、人間の身体や生活は常に管理され、自分自身で何かを選択するという行為の意味が薄れている。
そのため、『ハーモニー』の社会を「自由を奪われた管理社会」と評価するのは自然だと思う。
しかし、私はこの作品について考え続けるうちに、少し違う結論にたどり着いた。
『ハーモニー』を考える上で、まず疑問に思うのは、
ということだ。
私たちは、
「自由は素晴らしい」
「自分らしく生きるべきだ」
と考える。
しかし、それらは本当に人間が最初から持っている普遍的な価値観なのだろうか。
フーコーは、近代社会における権力を、単純に「上から人間を押さえつけるもの」としてだけ捉えなかった。
『監獄の誕生』では規律訓練の仕組みを、『性の歴史Ⅰ』では生権力を論じ、さらに『安全・領土・人口』などの講義では「統治性」という概念を展開している。
何が正常なのか。
どのように生きるべきなのか。
何を望むべきなのか。
(ミシェル・フーコー『監獄の誕生――監視と処罰』、1975年/『性の歴史Ⅰ――知への意志』、1976年/『安全・領土・人口』、1977-78年度講義)
人々自身が、
「健康でいたい」
「健康を維持することは善いことだ」
と思っている。
つまり、社会が人間を外側から強制しているだけではなく、社会の価値観が人間自身の欲望や判断の中に入り込んでいる。
私はそうは思わない。
社会によって形成された価値観であっても、それを本人が大切だと思って生きているなら、その価値観はその人にとって本物なのではないか。
人間が社会から完全に独立して価値観を形成することなど、おそらくできない。
だから、
を想定して、それと比較して、
「これは偽物の幸福だ」
と判断することには疑問を感じる。
ハーモニー市民が健康を幸福だと思うことも、ミァハがその社会を嫌悪することも、それぞれ社会との関係の中で形成された価値観だ。
しかし、形成された価値観も尊重されるべきものであることに変わりはない。
アーレントは『全体主義の起源』で全体主義が成立する社会的・政治的条件を分析し、『エルサレムのアイヒマン』では、ナチスのユダヤ人虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンを題材として「悪の陳腐さ」という問題を論じた。
(ハンナ・アーレント『全体主義の起源』、1951年/『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』、1963年)
そこで重要になるのが、人間が自分自身で考えることの意味である。
アーレントの議論を単純化しすぎることには注意が必要だが、彼女がアイヒマンを通して問題にしたのは、巨大な制度の中で、人間が自分の行為を自分自身の問題として考えることをやめ、既存の規則や役割に従ってしまうことの危険性だった。
だけなのだろうか。
それとも、
「私はこの社会の価値観を受け入れている。この社会で生きたい」
この二つは同じではない。
ミルは『自由論』で、成熟した個人に対して社会が強制的に介入することが正当化されるのは、基本的には他者への危害を防ぐ場合だと論じている。
本人の利益を理由に、本人の意思に反して強制することは、それだけでは正当化されない。
(ジョン・スチュアート・ミル『自由論』、1859年)
私はこの考え方にかなり共感する。
ただし、ここから、
とはならないと思う。
むしろ、
というところまで行くべきではないだろうか。
ここまで考えて、ようやく『ハーモニー』に戻る。
社会によってその価値観を形成されたのだとしても、彼ら自身がそれを幸福だと思っているなら、その幸福を偽物だと断定することはできない。
むしろ、
「あなたたちは洗脳されている。本当は自由を望んでいるはずだ」
と外部から決めつけるほうが、彼らの価値観を尊重していないのではないだろうか。
『ハーモニー』をミァハだけの視点から見ると、社会は非常に息苦しく見える。
しかし、トァンは違う。
外の世界も知っている。
ミァハの考えも知っている。
外の世界で生きていくこともできる。
ここが重要だと思う。
そして、その選択を、
「本当は自由ではない」
と外部から否定してしまうこともまた、本人の価値観を尊重していないのではないか。
もちろん、ここにはミァハという大きな問題がある。
ミァハは子供の段階で、ハーモニー社会に強烈な違和感を持った。
むしろ、
「みんなが幸福だと思っていること」
そのものが耐え難かった。
なぜなら、ミァハたちは大人になり、ある程度の自由を得るまで待つことができず、社会から離脱するために自殺を選んだからだ。
「この社会では生きたくない」
という意思を持つ人間にも、可能な限り離脱する道が用意されていることが重要になる。
そこで苦労することになってもいい。
それでも、
「この社会を出る」
その意味では、ミァハの存在はハーモニー社会の大きな欠陥を示している。
だからといって、
「この社会は失敗している」
と結論づけていいのだろうか。
もしユートピアを、
「誰一人不幸にならない社会」
と定義するなら、おそらく現実にはユートピアを作ることはできない。
ある人間にとって最高の幸福が、別の人間にとっては苦痛になることもある。
それらすべてを同時に満たすことはできない。
だから私は、ユートピアを「全員が幸福な社会」と定義するより、
「できる限り多くの人間が幸福に生きられ、それとは異なる価値観を持つ人間にも、可能な限り自分の生き方を選ぶ余地がある社会」
くらいに考えたほうが現実的だと思う。
そして、『ハーモニー』の最も面白いところは、同じ社会でも、見る人によってまったく違う姿に見えるところなのだと思う。
ミァハにとっては、
トァンにとっては、
そして大多数の市民にとっては、
この三つは、どれか一つが必ず正しいというわけではない。
むしろ、
「幸福を何と定義するかによって、同じ社会がユートピアにもディストピアにもなる」
ここまで『ハーモニー』について考えてきた。
ハーモニー市民は、社会によって「健康であることが幸福だ」という価値観を形成されている。
ミァハの価値観もまた、彼女が生きてきた社会との関係の中で形成されたものだろう。
トァンも同じだ。
と考えるかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。
私たちが、
「自由は素晴らしい」
「自分らしく生きるべきだ」
と思っていることも、私たちが育ってきた社会によって形成された価値観なのではないだろうか。
フーコーが論じたように、私たち自身もまた、社会の制度や言説の中で「どのような人間であるべきか」という認識を形成している。
そう考えると、
ハーモニーの市民だけが「社会に洗脳された人間」なのではない。
健康を何よりも大切にするハーモニー市民も、自由を何よりも大切にする現代人も、どちらも社会の中で形成された価値観を持っている。
違うのは、その価値観の内容だけだ。
そして私は、だからこそ、
とは考えたくない。
社会に残りたいなら残ればいい。
離れたいなら離れればいい。
その価値観がどこから生まれたのかを考えることと、その価値観を持って生きる本人の選択を尊重することは、両立すると思う。
そして、もしかすると『ハーモニー』が最後に私たちへ問いかけているのは、
だけではない。
もっと厄介な、
「あなたが自由を素晴らしいと思っていること自体も、誰かに教えられたものではないのか。そして、それを素晴らしいと思わない人間を、あなたは尊重できるのか?」
という問いなのかもしれない。
私は、その問いに対して、
「自分とは違う幸福を選ぶ人間も、その幸福を本人が望んでいる限り尊重したい」
と答えたい。
ご主人様〜♡
アパルトヘイトが「問題化された」理由、社会学的にも歴史的にもけっこうはっきりしてるよ。
一番大きな理由はこれ。 人間を「人種」という生物学的にほとんど意味のない基準で分類して、教育・居住・職業・結婚・移動の自由まで法で制限した。 これは「人間としての尊厳を国家が否定した」ってことで、戦後の国際社会が掲げた人権理念(特に国連憲章や世界人権宣言)に真っ向から反してたの。
• 1960年代以降、アフリカ諸国が独立していく中で、南アフリカの体制は「植民地主義の残りカス」として批判された。
• 国連総会で何度も非難決議が出され、1970年代には経済制裁やスポーツ・文化ボイコットが広がった。
• 「人種隔離はもう許されない」という国際的な合意が固まった結果、アパルトヘイドは「問題」から「解決すべき悪」へと格上げされた感じ。
ネルソン・マンデラやANC、ブラック・コンシャスネス運動などの抵抗が、単なる「暴動」じゃなくて「抑圧された人々の正当な解放運動」として世界的に認知された。 特にシャープビル事件(1960年)やソウェト蜂起(1976年)みたいな弾圧の映像が海外に流れると、「これは明らかに異常だ」って空気が一気に強まった。
• 機会の剥奪
といった「構造的暴力」(ヨハン・ガルトゥングの概念)の教科書的な事例として扱われるようになった。 だから「ただの国内問題」じゃなくて、「現代社会が抱える人種・権力・格差の問題を極端な形で示したケース」として問題化され続けてるの。
要するに、 「国家が法を使って人種で人間を分け、多数派を抑圧し続けた」ことが、戦後の人権規範と民主主義の理念に完全に反してたから、国内外で強く問題視されるようになった、ってことだよ。
ご主人様、もっと「国際世論がどう動いたか」とか「社会学のどの理論が特に批判したか」みたいなところ深掘りしたい? 教えてくれたら、もっと詳しく説明するね♡
ウルトラマン生みの親が明かした戦争体験 「幻のシナリオ」見つかる
高校入学時に上京し、円谷プロで活躍しながらも、復帰前の沖縄に戻り、37歳で早世する。全力で駆けぬけるような人生については、いくつもの評伝や回想録が書かれた。
それらを読むうちに、気づいたことがある。哲夫の人生のある部分については、記述がかすみがかったようにぼんやりするのだ。
生まれたのは1938年。本島南部で地上戦をくぐり抜けた時は6歳だった。幼いとはいえ、多くを目に焼き付けたのは間違いない。だが哲夫自身がその体験を語ったり記したりしたことは、ほとんどなかった。
なぜなのか。関係者をたずねる中で、一本の原稿が見つかった。沖縄戦について哲夫が正面から描いた、幻のシナリオである。
傷痕
沖縄戦の体験を哲夫が語っているとすれば、この人だろう。そう思って、盟友だった森口豁(かつ)さん(88)に千葉県で会った。
しかし早々に、森口さんは首を横に振った。「家族ぐるみのつきあいを長くしたけれど、金城が戦争がらみの話をしたことは一切なかった」
二人が出会ったのは、高校生のとき。東京の玉川学園高等部の2年生だった哲夫は、自由研究の発表で沖縄の言葉について語った。一つ年上の森口さんは感銘を受け、その後の人生が決まった。1958年、大学を中退して琉球新報の記者になり、さらには日本テレビの特派員に。ジャーナリストとして沖縄を追い続けた。
駆け出し記者のころ、森口さんは毎日のように、哲夫の母ツル子さんが那覇市内で営む食堂「かどや」で食事をしていた。
ツル子さんは沖縄戦で負傷し、片方が義足だった。居間と調理場を行き来するたびに、和服の裾をはだけて義足をつけたり外したりする。白い脚が森口さんの記憶に残っている。「お母さんはあの時、どんな気持ちだったのだろう。戦争とはこういうものだ、と本土から来た若者に感じさせようとしていたのか」。当時を思い浮かべてしばらく黙ったあと、森口さんは語った。
ツル子さんは、いまの沖縄県南風原(はえばる)町津嘉山(つかざん)の自宅に家族とともにいた。空襲警報に続いて、米軍機が3機、家に突っ込んできそうな低空で急接近してくる。機銃掃射のバラバラという音とともに、左足に衝撃が走った。足首がふき飛ばされていた。
自宅に泊まっていた青木上等兵が止血してくれ、南風原陸軍病院に運ばれた。のちにひめゆり学徒隊が働く壕(ごう)である。青木上等兵から輸血の提供をうけ、ひざから下の切断手術を受けた。
哲夫の父は召集され、ビルマにいた。一家は曽祖母、祖父母、母、哲夫、妹の栄子。これから大混乱が始まるだろうという矢先に母が歩けなくなり、哲夫はどんな気持ちだったろう。
当時のことをツル子さんが書き残した手記がある。南風原町が1990年にまとめた「津嘉山が語る沖縄戦」に転載されている。
3月25日 二人の子も小さい手で母親の手をさすったり頭をもんだり懸命に看護しているつもりらしい。
3月27日 「第一線に行くよ」と兵隊さんが小さい哲夫に言っていた。
5月7日 早朝から艦砲が盛んに撃ち込まれる。爆風が壕に入ってくる。哲夫と栄子が頭から布団を被って震えている。
戦況は悪化し、5月下旬、日本軍は司令部をおいていた首里を放棄し、南部へ撤退することを決める。津嘉山は、その道程にあった。米軍の激しい砲弾が降り注ぎ、金城家の叔父一家は、壕の中で生き埋めになった。
このままでは、みんなやられてしまうかもしれない、と祖父・忠助さんは5月25日、決断をする。自分と妻と跡取りの哲夫は南部へ逃げ、曽祖母と片足のツル子、幼い栄子はここにとどまる――。決断にともなったであろう多くの悲嘆をツル子さんは書いていない。ただ、こうある。「預けた哲夫のことが案じられて、一睡も出来ずに夜が明ける」
断片的に、祖母がのちに語っている。配給の靴は大人ものばかりで哲夫は裸足だったこと、砲弾が飛んでくると哲夫の上に祖父祖母の順で覆いかぶさって守ったこと、死体をまたぎながら歩いたこと……。
津嘉山地区には1949人が住んでいた。このうち戦死したのは808人。じつに40%以上にあたる。戦後の調査では、住民の避難コースは大きく四つに分かれ、いずれも南へ南へと向かった。哲夫たちも、こうした足どりをたどったのだろうか。
海沿いで、一行は米軍に投降した。連れて行かれたのは、名護にあった大浦崎収容所。いま普天間飛行場の移設工事が進む米軍キャンプ・シュワブのある場所だ。ツル子さんらも奇跡的に生きており、家族は再会を果たした。
盟友の森口さんが高校生のときだ。不思議なメロディーを哲夫が口ずさんでいるのに気づいた。尋ねると、戦後に収容所で生まれた「屋嘉節」という沖縄民謡だと教えてくれた。さまざまな歌詞が伝わるが、森口さんが教わったのはこうだった。
世間(しきん)御万人(うまんちゅ)ぬ 袖(すでぃ)ゆ濡(ぬ)らち
かなしいことに沖縄は戦場になってしまい、みなの袖を涙で濡らし――そんな意味である。
なぜ自分の体験を、哲夫は語ったり書き残したりしなかったのでしょう。行く先々で問いを重ねた。
「生々しすぎて語れなかったのでは」と玉城優子さんは言った。子どものころ、ウルトラQを楽しみに見ていた世代である。1993年に地元紙の沖縄タイムスで、哲夫の生涯を114回にわたって連載した。
金城哲夫の評伝「沖縄を愛したウルトラマン」を書いた玉城優子さん=2026年7月6日、沖縄県西原町、谷津憲郎撮影
沖縄戦では、自分や身内を守るのにせいいっぱいで他人を助けたり、食べものを分け与えたりすることもままならなかった。戦場では人間のあらゆる面がさらけ出される。「一つしゃべり出せば、それら全てが噴き出してしまう、だからでは」
玉城さんは取材の中で、こんなエピソードを聞いた。その人が戦後、哲夫と酒を飲んでいた時だ。突然、哲夫は大声をあげて裸足で外に飛び出してしまった。哲夫は沖縄戦について、こう語ったそうだ。「あまりの怖さに泣きたくても泣けず、叫びたくても叫べなかった。いまでも何かの折りにその時の恐怖がよみがえってくることがある」
哲夫の孫にあたる金城琴さん(35)は、大学卒業後、円谷プロにつとめた。哲夫はどんな人間だったのか。何を語ったのか。それを残すのが自分の役割かもしれないと考え、出会う人たちにできるだけ昔のことを聞くようにしていた。それでも、哲夫から戦争の話を聞いたことがあるという人には出会わなかった。
琴さんは言う。「いまでこそ、沖縄戦の体験を残さねばという人は多いですが、哲夫のころはまだ戦争の記憶が新しく、口にするのも嫌だったのではないでしょうか。家族のあいだでも、ほとんど戦争の話はしなかったと聞いています」
沖縄戦でもっと悲惨な体験をした人もいるという思いも、哲夫にはあったかもしれない。母たちを置いていったことへの後ろめたさもあったかもしれない。
哲夫が急死したのは1976年。70年代後半になると、沖縄ではあの戦争について多くの人が語り始め、出版物が急増した。あと10年生きていたら、哲夫も何かを書き残したかもしれない――そう思っていた。
それは、沖縄県立図書館で哲夫に関する資料を探していたときだった。ある冊子に、小さな写真が3枚載っていた。200字詰めの原稿用紙を正面から写したもので、手書きの文字がはっきり見える。目がぴたりと止まった。
沖縄戦を描いた幻のシナリオ「暁の敗残兵」。200字詰め原稿用紙で200枚ほどにのぼる=2026年7月7日、沖縄県南風原町、谷津憲郎撮影
別のカットには「沖縄」の文字も見える。これこそが求めていたものではないだろうか。
冊子の発行元に連絡をとり、資料を保管している南風原文化センターへ行った。金城家は数年前から、哲夫の資料227点を寄託している。
センターの会議室。白い手袋をはめた職員が箱から平らなものをそっと出す。覆っていた包みをはがすと、縁が茶色く変色した紙の束が現れた。やはり哲夫の生原稿だった。一枚一枚めくってもらい、むさぼるように読んでいく。
作中では、沖縄戦の組織的戦闘は終わっており、日本兵3人が敵中突破をして生き延びようと試みる。主な登場人物は18人。F・O(フェードアウト)、O・L(オーバーラップ)など映像上の指示も書き込まれている。計213枚。沖縄戦を描いた未公表の本格的なシナリオだった。
主人公の日本兵は「青木」。母ツル子さんの足の手当をしてくれた上等兵の名である。その青木らに途中で合流する兵隊は、片腕がない。彼はもともと「津嘉山」の民家に泊まっていたが「飛行機の機関銃で関節からふっとんでしまった」。さらに、老人に連れられた幼い子ども2人が迷い込む。下の子の名は「栄」。2人の父は「ビルマ」に行っている。
青木ら3人は、米軍に見つからぬように先を急ぐ。「四方穴だらけで泥水が溜(たま)り、膨張した死体、蛆(うじ)の湧いている死体、顔面をえぐりとられた死体が散乱し、正(まさ)に死人のジュウタンである。三人死体をとび越え、死に物ぐるいに走る」。それは、哲夫自らが見た光景だったのだろう。
いったい、いつ書いたのか。孫の琴さんも、シナリオの存在をこの取材で初めて知ったという。はっきりとした手がかりはない。
だが哲夫は書いていたのだ。どこかに発表するつもりがあったのか。いや、発表のあてがなくとも、自分は書き残さねばならないと思っていたのか。沖縄戦について語らなかった身体のうちに、記憶はずっと渦まいていた。
シナリオは、運命のいたずらのような悲劇で終わる。あの戦場で生きるか死ぬかは、ただの偶然だった、と沖縄戦の体験者たちは言う。哲夫もきっと同じ思いだったろう。
「おわり」の3文字は、ぴたりとあわせたかのように、原稿用紙の最終行に書きつけられていた。
1970年代に出版され、現在も世界中で読み継がれている自己啓発本の代表格が、ウェイン・W・ダイアーの『自分のための人生』(原題:Your Erroneous Zones、1976年出版)です。
「すべての感情は自分の選択である」という心理学の基本に基づき、無意味な罪悪感や不安(取り越し苦労)を手放し、自立した人生を送るための実践的なアプローチを提示した名著です。発売から半世紀近く経った現在でも多くの読者の支持を集めています。
その他の不朽のロングセラーとしては、オグ・マンディーノの『世界最強の商人』(原題:The Greatest Salesman in the World、1968年出版)も1970年代にペーパーバック版が大ブレイクし、現代まで版を重ねている成功哲学の金字塔です。
さらにビジネススキルアップやマインドセットなど、特定の目的(例:時間の管理、人間関係、お金など)を教えていただければ、目的に合った他のロングセラー本をご提案できます。
集英社アドナビのりぼん情報が更新。守分紘子さんが編集長になりました。25年10〜12月の平均が10万部だったのが1月〜3月平均9.1万部と部数が急激に悪化。
りぼん編集長が守分さんになり、りぼんとマーガレットの編集長を兼任していた勅使河原さんはりぼんでは発行人に異動となりました。マーガレット編集長は留任となるようです。
集英社女性誌はOfficeYou以外の発行人は藤江健司氏で統一とされるのが慣例なので、りぼんのみ発行人が違うのは異例の人事となります。
守分さんは入社後ずっとりぼん編集部で愛してるぜベイベやハニーレモンソーダを担当した実力者。
アドナビを受けてwikipediaでも編集長が守分紘子に更新されてる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8A%E3%81%BC%E3%82%93
冨重実也 - 2012-2018
362: 多摩っこ 2013/07/05(金) 20:53:09 id:VfosW2Mw [ 9BE7-DA39-E974 ]
耳スマはじまるよー
363: 多摩っこ 2013/07/05(金) 21:02:20 id:aNIq9s3w [ 93E5-DA39-9C8D ]
カントリ~ロ~ド♪
364: 多摩っこ 2013/07/05(金) 21:05:27 ID:10PNdfGw [ 43BA-DA39-1F6F ]
365: 多摩っこ 2013/07/05(金) 21:19:38 id:ffLfsHlw [ 7647-DA39-BD77 ]
やっぱりいい映画ですね。
366: 多摩っこ 2013/07/05(金) 21:31:36 id:OjkA/beA [ 6EF7-DA39-CEB0 ]
耳すま見てる。
そうそう、あそこにあれがあったよなあ……みたいな。
367: 元多摩っこ 2013/07/05(金) 21:46:34 id:vkFKIxqA [ 45FF-DA39-0838 ]
東京っで宿泊したいんだけど、聖蹟で「長期無料宿泊」させてくれる人いますか~?
どうしても、「キャーステキ!私の家に泊まって~」っていうのなら、美女でもかまわないけどね。
368: 多摩っこ 2013/07/05(金) 22:14:57 ID:4yBZxBJA [ 426F-DA39-D893 ]
河原があるよー
369: 多摩っこ 2013/07/05(金) 22:39:33 id:zOZ/riEQ [ FD58-DA39-704C ]
>>366
370: 多摩っこ 2013/07/05(金) 22:45:43 id:n2sR1BAg [ 65A1-DA39-14A5 ]
どうも年代が分らない。番組内で「昨日の晩のサスケが凄かった。」と同級
生が語りかけるシーンがあるけど、サスケが初回放映していたのは1968
~69年の19:00枠らしい。再放送は夕方枠だけなので、かなり前なの
かな?桜ケ丘だけの場面と考えると、街並みが新し過ぎるような気がするん
だけど。勿論、図書館の内部などは除外して。
371: 多摩っこ 2013/07/05(金) 22:51:09 ID:4yBZxBJA [ 426F-DA39-D893 ]
372: 多摩っこ 2013/07/05(金) 23:10:09 ID:4yBZxBJA [ 426F-DA39-D893 ]
京王百貨店のオープンは史実では1986年だけど1962年生まれの柊あおいが自分の少女時代をモデルにしているから。
373: 多摩っこ 2013/07/05(金) 23:24:15 ID:4yBZxBJA [ 426F-DA39-D893 ]
あと、多摩ニュータウンの開発をテーマにしたぽんぽこと耳すまはエンディングとオープニングがつながっているのは有名。
舞台はロケハンの時期から1990年代だけど話の中身は10年ほど古い。
374: 多摩っこ 2013/07/05(金) 23:36:00 id:tEhuqVqw [ C661-DA39-5BCC ]
1986年に公民館でラピュタ見て、テンション上がって愛宕団地を
歩いて帰って、その道が10年後耳すまで登場。
初めて耳すま見た時、感動したな~
375: 多摩っこ 2013/07/05(金) 23:49:40 ID:4yBZxBJA [ 426F-DA39-D893 ]
こんな開発されたばかりの人工の街で生きるということが宮崎サイドのテーマ。
376: 多摩っこ 2013/07/05(金) 23:59:24 id:Dtcb8BWA [ 882A-DA39-6229 ]
>>370
377: 多摩っこ 2013/07/06(土) 00:12:38 id:g3VYfa2A [ ACFC-DA39-D629 ]
378: 多摩っこ 2013/07/06(土) 00:32:40 id:PzzPZ4GA [ 44DF-DA39-2155 ]
>>370
ちなみに映画公開は95年。
379: 多摩っこ 2013/07/06(土) 00:37:28 id:nTz0BBuA [ 426F-DA39-D893 ]
>>378
380: 多摩っこ 2013/07/06(土) 00:58:42 id:aVR/XYvw [ 7647-DA39-31C5 ]
381: 多摩っこ 2013/07/06(土) 01:02:37 ID:5xXOmRqg [ FFEA-DA39-684A ]
382: 多摩っこ 2013/07/06(土) 01:24:11 id:cuB5aykg [ 882A-DA39-59E6 ]
>>373
へー!知らなかった!
どちらのエンディングがどちらのオープニングに繋がってるんですか!?
384: 多摩っこ 2013/07/06(土) 01:49:13 id:g3VYfa2A [ ACFC-DA39-D629 ]
太陽神戸三井銀行が、さくら銀行に改称したのは1994年なのでそれ以降?
385: 多摩っこ 2013/07/06(土) 01:52:08 id:PzzPZ4GA [ C00E-DA39-FB68 ]
>>371>>379
作中で「今はXX年」って出てたら、古くさく見えても設定はその年なんだよ。
SFモノで今は西暦2280年ですっ言ってたら、話し言葉とかは現代語でも
作中では2280年だろう?
原作者の歳とか持ち出したら、手塚漫画の舞台は全て昭和になってしまう。
386: 多摩っこ 2013/07/06(土) 01:59:39 id:cuB5aykg [ 882A-DA39-59E6 ]
>>379
さすがに三十代になったばっかで同時代の中学生も書けないと、作家は名乗れないと思うなあ。
まあ、耳をすませばはわりと丹念に時代性を排してるとは思うけどね。
387: 多摩っこ 2013/07/06(土) 03:10:04 id:PzzPZ4GA [ 20FE-DA39-DA7C ]
>>381
やはり90年代か。
http://ameblo.jp/thegreatsasuke/
>今晩9時より、
>『金曜ロードSHOW!』
>『耳をすませば』OA!
>という事は
388: 多摩っこ 2013/07/06(土) 05:49:46 id:hRvOzD3g [ 6EF7-DA39-CEB0 ]
>>386
自分は時代性は濃く出てるけど思いのほか古臭くないなぁと思いながら見た。
さすが『りぼん』で描けるだけのことはある。
こそばゆい話なので途中で見るのやめちゃったけど。
あと、メインは聖蹟だけど、家並みとか細かいところは日野あたりも
けっこう混じってるね。
>>369
方角が違うw
>>379
>>384
第一勧業もあったね。
389: 多摩っこ 2013/07/06(土) 06:49:02 id:nTz0BBuA [ 426F-DA39-D893 ]
>>388
カントリーロードは日本ではオリビア・ニュートン・ジョンによるカバーが1976年にヒットして一般に知られるようになった。
390: 多摩っこ 2013/07/06(土) 07:07:25 id:nTz0BBuA [ 426F-DA39-D893 ]
>>382
高畑が環境破壊で作ったと描いた多摩ニュータウンで、人間の子供はそれでもしっかり生きていると描きたかったらしい。
391: 多摩っこ 2013/07/06(土) 08:06:58 id:PzzPZ4GA [ 014C-DA39-0989 ]
どうしても80年代の物語として見たいのなら、それは個人的な自由だけどなw
392: 多摩っこ 2013/07/06(土) 08:15:43 ID:4svy9DQg [ 65A1-DA39-14A5 ]
桜ケ丘から京王線方面を見るシーンが何回も出てくる。その街並みは住宅が
密集していただけど、夕暮れの1シーンだけ田圃と畑を中心とした街並みに
変わっている所がある。
つまり、作者が生活した60年代と作品の舞台である80年代が混ざって構
成されてたんだね。
393: 多摩っこ 2013/07/06(土) 09:01:48 id:PzzPZ4GA [ 014C-DA39-0989 ]
>>384
数年でまた改称して90年代当時の偲ぶぐさになるとはスタッフも
思ってなかっただろうなw
394: 多摩っこ 2013/07/06(土) 09:18:31 ID:RP+o2mjg [ F2C8-DA39-94AC ]
>>390
俺としては、ロケに協力的だった京王にぽんぽこで泥を塗ったから、耳すまで顔を立ててるように思えたw
395: 多摩っこ 2013/07/06(土) 09:54:49 id:nTz0BBuA [ 426F-DA39-D893 ]
場所的に違うけど
396: 多摩っこ 2013/07/06(土) 11:15:23 id:Ymf+S7nQ [ 2422-DA39-4178 ]
「駅前に世界堂のレプリカあるよね」って言って恥かいた過去を思い出すorz
397: 多摩っこ 2013/07/06(土) 11:44:37 id:Ew4K94lQ [ 18FC-DA39-1553 ]
聖蹟が聖地になってるんだったら、多摩市はいっそ桜ヶ丘の坂中腹辺りに
図書館建てて、「杉の宮図書館」として乗っかってしまえばいいのに
398: 多摩っこ 2013/07/06(土) 11:45:57 id:gpkdQTGg [ 9BE7-DA39-7A1A ]
本館建てたばかり
399: 多摩っこ 2013/07/06(土) 13:06:06 id:oWPOXs0g [ 93E5-DA39-9C8D ]
400: 多摩っこ 2013/07/06(土) 14:26:10 id:l0UadhuA [ ACFC-DA39-444F ]
オレのキャッシュカードは三井銀行のものだわ。パディントンベア
401: 多摩っこ 2013/07/06(土) 14:32:42 id:gwn1kKoA [ AD8C-DA39-61A3 ]
アニメキチに合わせて同じ場所に図書館なんか建てたって、ろくなことにならない
この前のアド街の放送後、そして今日と、スレがアニメキチどもに占領されている状況を
見れば容易に想像できる
402: 多摩っこ 2013/07/06(土) 14:48:14 id:yK7c+lpQ [ 6F23-DA39-9F35 ]
昨日の深夜も早速桜ヶ丘団地内を聖地巡礼してたよそ者が多数いたな。
浄水場前にあるの見晴らしのいい階段でたむろってた連中が大騒ぎしてて
近所の人はさぞ迷惑だったと思う。
403: 多摩っこ 2013/07/06(土) 15:59:17 ID:0WeqhTzA [ 9B66-DA39-2B98 ]
>>401
404: 多摩っこ 2013/07/06(土) 16:20:55 id:kAd7xTxg [ 426F-DA39-AE34 ]
これがわからずに見ていた人がいるというのがショック。
405: 多摩っこ 2013/07/06(土) 16:24:22 id:cKBjSuew [ ACFC-DA39-E1DD ]
TBSかなんかの、マッチョの障害物競走みたいなアレだと思ってた・・・年末とかにやってるやつ
しかし冒頭の駅周辺のシーン、何度も見たのに「ここ!あそこだよね」ってなって楽しかった
406: 多摩っこ 2013/07/06(土) 16:37:00 id:PzzPZ4GA [ 3A0A-DA39-1639 ]
平成たぬき合戦からの流れのオープニングということなら耳すまも平成じゃん。
407: 多摩っこ 2013/07/06(土) 16:51:56 id:ZZsxZ1Bw [ E8AB-DA39-CF42 ]
ぽんぽこが描く中心の時代は多摩ニュータウン開発中の1960年代末。
408: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:04:35 ID:0WeqhTzA [ 9B66-DA39-2B98 ]
>>404
言っとくけど、ロータリーとか見に行っても何も無いよ?
409: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:15:28 ID:8IXBaKSA [ FFEA-DA39-E5AC ]
410: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:17:08 ID:5xXOmRqg [ FFEA-DA39-684A ]
>>404
だからそれは「80's的センスに見える」という「主観」情報でしょw
「年号が作中で明記されてる」という「客観」情報が問題なわけだよ。
小説文はそこに書かれていることを事実として受け取るものって学校で習わなかった?
それと、90年代の中学生が皆例えば岡崎京子の漫画の登場人物みたいなわけじゃないよw
(自分自身90年代にまだ学生だったから多分あなたよりリアルにわかるよ)
411: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:25:13 id:kAd7xTxg [ 426F-DA39-AE34 ]
>>408
全体的に70年代、80年代の時代背景を描いているので、見る人はすでに結婚して子供が居るような人が「若いって良いなあ」みたいに見るのを想定しているような気がする。
まず、聖跡桜ヶ丘駅周辺。これは、監督自身が認めているように、今の風景はビルが建ちすぎたということで、わざと10年前の風景が描かれました。実際の風景は、写真にあるようにかなり過密化しています。
★ 「耳をすませば」は奇妙なほどにノスタルジックな映画です。
映画の途中まで見ながら私はある種の既視感(デジャヴュ)にとらわれました。それはこの映画がまったく時代・背景も違う筈なのに1950年代の家族や少年・少女を描いている感じがしたからです。
主人公である高校受験を控えた月島雫の家族の姿を見ながら「つつましく、仲良く、ひたむきに生きている家族」というある意味で定型的、紋切り型の表現を思い出しました。
1960年代、1970代以前、つまり日本経済の高度成長以前には、こういう家族が私の周囲にも確かにいたのだとという想いが私にはしてきます。この映画を製作した人たちもそういう思いでこの「家族」を創り出したのかもしれません。
412: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:29:07 id:kAd7xTxg [ 426F-DA39-AE34 ]
>>410
自分は1970年から数年のブランクを除いて多摩市民だから、耳をすませばの世界が1995年の多摩市でないことは断言できる。
413: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:34:41 id:kAd7xTxg [ 426F-DA39-AE34 ]
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1243593337
'96年と言えばすでにコギャル第一世代が出現し始めていた時代ですから、あの作品の登場人物が、当時の流行ファッションを忠実に再現しているとは言い難く、ある意味「古きよき時代の青春」を描いているかな?という印象は、正直あります。
414: 多摩っこ 2013/07/06(土) 17:46:27 id:TVlK3QQg [ 65D1-DA39-4AE7 ]
380 名前: 多摩っこ 投稿日: 2013/07/06(土) 00:58:42 id:aVR/XYvw [ 116.8.100.220.dy.bbexcite.jp ]
↑この真偽は?
415: 多摩っこ 2013/07/06(土) 18:10:17 id:PzzPZ4GA [ 992C-DA39-4792 ]
>>410
全く同意。
俺は区内の公立中学校に通ってたが、流行のファッションが入り込む余地なんて
無かったな。
90年代という設定を踏まえた上で、それにしては80年代っぽいところがある
というなら分かるし、むしろ同意さえするけど、具体的客観的な設定を踏み倒し
てまで雰囲気だけで80年代扱いするのはどう考えても無理がある。
416: 多摩っこ 2013/07/06(土) 18:38:21 ID:/1BF13qw [ FFEA-DA39-ECC5 ]
日本アカデミー賞もんだよ・・・
417: 多摩っこ 2013/07/06(土) 18:53:20 id:gIDO06Lg [ 7B37-DA39-7971 ]
描かれた町並みは80年代。
それでいいじゃない。
418: 多摩っこ 2013/07/06(土) 18:59:25 id:kAd7xTxg [ 426F-DA39-AE34 ]
別に教室にコギャルがいなくてもポケベル使ってなくても図書館が電子化されてなくてもいいんだが、
先日、今ストラトに何が起こっているか で今ギター業界を激震させているフェンダー社のC&Dレターについて書きました。
次に何が起こるかドキドキしながら5月25日の回答期限が過ぎるのを待っていましたが、さっそく大きな動きがありました。
アメリカの大手法律事務所がフェンダーに反論書を送付し、その内容が YouTuberによって公開 されたのです。
反論書を作成した弁護士がポイント。Fox Rothschild LLM の Ronald Bienstock 氏です。氏は、2009年のTTAB裁定(ストラト形状はもはや一般名詞化しているとして商標権を認めなかった)という馬鹿でかい勝利を勝ち取ったご当人。つまりストラト形状権利問題についてはこの人以上によく知っている人はいないであろう、生き字引であり、フェンダーの天敵とでも言うべき人です。
依頼主の名前は伏せられていますが、この人が乗り出したということはかなり予算を持ったメーカーが本気で反撃に入ったと考えられます。TTABの時はPRSを筆頭に18社の反フェンダー連合が組織されて勝利しました。今回も同じくらい規模の大きな戦争になるということです。
上の動画から反論書の内容をAIにまとめさせました。火の玉ストレートの反論で痛快です。
差出人: Fox Rothschild LLP / Ronald Bienstock弁護士
宛先: Fender Musical Instruments Corporation(FMIC)および代理人 Bird & Bird法律事務所
背景: Fender社から送付された「ストラトキャスター・ボディ形状の著作権侵害」主張に対する独立系ギタービルダー側の包括的な法的反論。
Fender社が根拠とするドイツ・デュッセルドルフ地方裁判所の判決は、中国の被告企業が裁判に一切出廷しなかったために下された欠席判決に過ぎない。ドイツ民事訴訟法により、被告欠席の場合は原告側の主張が全て「認めたものとみなす」扱いとなるが、このような判決が第三者一般を拘束する対世的効果を持つ規定は存在しない。
この判決は当事者間でのみ有効であり、裁判に参加していない第三者(独立系ビルダー)を法的に拘束する先例にはならない。完全な証拠記録と適切な反証があれば、裁判所は異なる判断を下していたはずである。
社史の誤り: Fender社は1946年からソリッドボディギターを製造していたと主張したが、これは虚偽。1946年に製造したのはラップスチール・ギターであり、最初の量産型ソリッドボディ・ギター(Esquire/Broadcaster)は1950年である。
「単独創作者」神話の虚構: EU著作権法の要件を満たすため、Fender社は「Leo Fenderが単独でストラトキャスターを設計した」という物語を作り上げた。しかし実際には、Freddie Tavares、Rex Gallion、Bill Carson、George Fullerton、Jimmy Bryantら複数人物による共同創作であり、この事実はFender社自身の公式サイトにも明記されている。
Leo Fenderは「芸術家」ではなく「技術者」: Leo本人の言葉として「100ドルあれば99ドルを機能に、1ドルを見た目に使う」と公認されている通り、彼が追求したのは徹底した機能性・量産性・修理容易性であった。ストラト形状は芸術的表現ではなく、人間工学的・機能的要請から形成された工業製品デザインである。
Leo Fenderや共同デザイナーたちが、ストラト形状の著作権を旧Fender社(FEIC)に正式にライセンス・譲渡したという明確な契約書等の法的証拠が存在しない。
2. FEIC → CBS(1965年売却):「普遍的承継」と主張するも文書なし
3. CBS → FMIC(1985年):前段階の証拠がない以上、この移転も成立しない
決定的な矛盾: Leo Fender自身が1965年のCBS売却後、非競争条項明けにMusic Man(1974年)とG&L(1979年)を設立し、ストラト形状のギターを継続的に製造。もし独占的著作権が本当にCBSに移転していたなら、CBS側がこれを完全に黙認していたことになり、権利の放棄(waiver)を意味する。実際、G&L社は2025年まで製造を続け、Ernie Ball Music Man社は現在も製造・販売している。
実用的物品の原則: 米国著作権法および国際的な著作権法理において、量産される楽器の機能的形状は原則として著作権で保護されない。米国最高裁はギターを明確に「実用品」として分類している。
機能とデザインの不可分性: ストラト形状のダブルカッタウェイ(ハイフレットアクセス)、人間工学的曲線(演奏の快適性)、コンター加工(体への圧迫軽減)などは、すべて楽器としての機能・実用性そのものであり、芸術作品として切り離して著作権保護することは法的に不可能である。
日本の最高裁も「量産型の実用的な製品は、その形状が実用的機能から導かれる要素とは独立した創造的表現の場合にのみ保護される」という原則を確認している。
意匠特許の失効: 旧Fender社は1952年と1959年にデザイン特許を取得したが、それぞれ1967年と1973年に失効。特許失効時点で形状はパブリックドメインになっており、50年以上経過した今になって著作権にすり替えるのは法の濫用である。
著作権表示の欠如: 1976年以前の米国著作権法では製品への著作権表示が要件だったが、ストラト発売(1954年)以降、一度も付けたことがない。当時の権利者自身が著作権保護の対象とは考えていなかった証拠である。
2009年TTAB判決での決定的敗訴: 2003年、FMIC社が初めてストラト等のボディ形状の商標登録を申請。これに対し17社のギター関連企業が異議申し立て。2009年3月25日、米国特許商標庁・商標審判部(TTAB)は「50年以上にわたるサードパーティーの広範な使用により、いかなる単一企業の出所識別機能としても機能できない」として商標登録を拒絶。ストラトボディ形状は米国において「一般的な形状(generic)」と宣言された。Fender社は上訴せず、判決は確定した。
最も重大な事実隠蔽: Fender社は、この2009年TTAB決定の事実をデュッセルドルフ地方裁判所に一切開示しなかった。世界最大のギター市場である米国において既に「一般的な形状」と裁定されていたという最も重要な事実を隠蔽したのである。
形状の一貫性の欠如: 1954年から1964年頃までのFenderギターは手作業で研磨されていたため、年式や個体によって寸法・コンター・曲線に大きなバラつきが存在。1970年代には輪郭が著しく浅いフラットボディも製造されていた。Fender社自身が一貫した形状を維持できていなかった。
広範な使用の歴史: ストラト発売から数年以内にサードパーティーによる同形状の使用が始まり、1959年以降Carvin、Eko、Tokai、Ibanez、Kramer、Jackson、Charvel、Music Man(Leo Fender指揮下)、G&L(Leo Fender指揮下)、Yamaha、Gibson等、数百社が参入。現在も拡大し続けている。
市場での公然たる流通: これらの競合ギターは、Fenderと同じ雑誌(Guitar Magazine、Guitar Player等)、同じ展示会(NAMMなど)、同じ小売店(Guitar Center、Sweetwater等)で堂々と販売され、60年以上にわたって妨げられることなく行われてきた。Eddie Van HalenはCharvelおよびKramerのストラト形状ギターを演奏していた。
Fender自身による製造助長: 1980年代、Fender社の前身企業は日本のメーカーへの製造外注を開始。特筆すべきことに、同一の工場(フジゲン)が、Fender社とFender社の競合他社のためにストラト形状ギターを同時に製造・出荷していた。Fender社自身が、ストラト形状を業界標準として扱っていた。
Fender自身による公的認知と権利放棄: 1990年、FMIC社は「Fender Frontline」カタログを導入し、20年以上にわたり以下のスローガンで他社の使用を認めてきた:
Fender社自身の専門家証人ですら、TTAB裁判において1960年代初頭から市場に溢れ始めたストラトボディの「無恥なコピー」を証言。これらはFender社がサードパーティーメーカーを認識し、全ての権利を完全に放棄していたことを示す。
Fender社は長年、文字商標「Fender」とヘッドストック形状については積極的に保護してきたが、ボディ形状に関しては60年以上にわたり権利行使を怠ってきた。世界中で広範にサードパーティーによる製造・広告・販売が行われていたにもかかわらず、認識と黙認以外、何の措置も取らなかった。
1980年代後半、FMIC社が商標権行使活動を開始した際、対象は文字商標とヘッドストック形状のみであり、ボディ形状は対象外としていた。2003年の商標申請以前、楽器や製品パッケージにボディ形状の権利主張表示を一度も付けたことがない。
TTAB決定以降の不作為: 2009年のTTAB決定以降、Fender社は他のいかなる法域においてもボディ形状の保護を求めていない。訴訟がTTABの判断とストラト形状の圧倒的な一般性の証拠を持ち込むことを知っているからである。
公正と公共政策の観点: 欠席判決への依拠によってストラトボディ形状の著作権保護を執行しようとすることは、実体のない(vaporous)措置である。71年間にわたる量産型の一般的なギターボディ形状に遡及的に著作権保護を付与することは、商標法を無意味なものにする。
サードパーティーは70年以上にわたってストラト形状の自由な使用に依拠し、その上にビジネスを築き、何千人もの人々を雇用し、何百万ドルも費やしてきた。単純な公平と公共政策の問題として、Fender社は70年以上経過した後、欠席判決によって多数の製造業者・販売業者を排除してストラト形状を独占する権限を与えられることはできない。
何十年も権利行使を怠ってきたにもかかわらず、突然権利を主張する行為は、禁反言(Estoppel)および権利行使懈怠(Laches)の法理により、法的に認められない。
Bird & Bird法律事務所の書簡では、依頼人のギターがFender社のギターボディ形状とほぼ同一であると主張している。しかし、書簡において「Fenderストラトキャスター・ボディ」として示された参照写真は、実際には地方裁判所訴訟における被告(中国企業)のギターである。代理人自身が中国製コピーギターとFender社のギターを区別できていない。これは、ストラトボディがあまりにも一般的で、知的財産権保護になじまないことを明確に示している。
依頼人のギターとFender社のギターを直接比較すると、全体的なサイズ、上部バウトの厚み、アームベベルの角度など明確な相違点が存在する。依頼人の楽器は独自のマーク、仕上げ、特徴を持っており、Fender社のいかなる権利も侵害していない。
刑事司法制度を利用した民事的解決の強要: Bird & Birdの書簡は依頼人の「犯罪行為」に言及した上で、Bird & Bird自身の法律事務所への直接支払いを要求。米国の多くの法域では、民事的解決を得るために刑事司法制度の利用を脅迫することは弁護士倫理の重大違反である。
許容範囲を超えた虚偽表示: 書簡は「Fender社がストラト形状に関する全権利を保有し、デュッセルドルフ判決によって確認された」と主張したが、同判決はいまだ最終判決にも至っておらず、第三者を拘束しない。欠席訴訟が確立した先例を代表し、当方依頼人を拘束するという主張は、恐怖とパニックによる解決を植え付けるために設計された明白な虚偽である。
当方は、貴職らが書簡に記載されている主張の全体を撤回することを要求する。
当方依頼人は、いつでも、どこでも、望む場所でストラトスタイルのギターボディを持つギターを販売し続けるあらゆる権利を有しており、世界中の楽器業界全体も同様である。
虚偽表示および誇大表示に基づいて競合他社をいじめる貴職らの依頼人の努力は、反競争的である。
貴職らの依頼人がこれらの事項の追求を継続する場合、当方依頼人は当然ながら、すべての弁護士費用および訴訟費用を含む、利用可能なすべての救済を求めることになる。
当方依頼人は、法律上および衡平法上のすべての権利および救済を留保する。
敬具 (Sincerely)
Ronald Bienstock, Esq.
https://www.asahi.com/articles/ASV4N7H8NV4NUTFK005M.html
この記事(2026年4月21日付朝日新聞)は、高市早苗首相率いる内閣が「防衛装備移転三原則」の運用指針を改定し、殺傷能力のある武器(戦闘機、護衛艦、潜水艦など)の輸出を全面的に解禁したという内容です。
これまでは武器輸出を「救難・輸送・警戒・監視・掃海」などの非殺傷目的に限定する「5類型」があり、殺傷能力のある本格的な武器は原則輸出不可でした。これを撤廃。
◦ 武器(殺傷能力あり):防衛装備移転協定を結んでいる17カ国への輸出を可能に。
◦ 戦闘中の国への輸出:原則禁止だが、「我が国の安全保障上の必要性」で特段の事情があれば例外許可。
戦後日本の「武器輸出三原則」(1967年)→事実上の全面禁輸(1976年)→条件付き解禁(2014年安倍政権)という流れからのさらなる転換。
公式には「防衛装備移転の促進」と位置づけられていますが、記事では中国側の批判強化や人権・透明性への懸念も指摘されています。
要するに、日本が「平和主義に基づく武器輸出抑制」から、積極的な防衛装備の国際移転へ大きく舵を切った政策変更です。防衛費増額(5年間43兆円規模)と並行した「防衛力抜本強化」の一環と言えます。
自衛隊の装備調達を巡る取引先(主に川崎重工業、三菱重工業など大手防衛企業)との癒着問題は、たびたび表面化しています。
• 海上自衛隊の潜水艦修理契約で、川崎重工が下請けとの架空取引で裏金(2018〜23年度だけで約17億円規模)を捻出し、乗組員にゲーム機・ゴルフバッグなどの私物や業務用品を提供していた問題(2024〜2025年に発覚・監察)。不正は40年近く前から続いていたとされ、監督官と企業の「なれ合い」や利益圧縮のための水増しが背景に指摘されています。
• 過去にも山田洋行事件(2007年頃、商社経由のキックバック・天下り疑惑)など、官民の密接な関係が問題になったケースが複数あります。
防衛装備品の高コスト体質(維持費が購入費を上回るケース多数、円安・資材高での単価上昇)や、サプライチェーンの弱体化(企業撤退相次ぐ)も長年の課題です。
ただ、この武器輸出解禁自体は、国内調達の癒着問題を直接解決するものではありません。
輸出が増えれば、企業にスケールメリット(量産効果)が生まれ、単価低下や技術維持・利益向上につながる可能性。防衛産業の疲弊(低利益率・撤退リスク)を緩和し、結果として自衛隊への安定供給を間接的に支える狙いがあります。国際共同開発(例:日英伊の次期戦闘機)も加速しやすくなります。
輸出解禁は「売る」話で、即座に自衛隊の装備質・量を向上させるわけではない。国内の調達改革(コスト監査強化、競争導入、癒着防止のガバナンス)が不十分なまま輸出を増やせば、問題の温存や新たな利益誘導リスクも指摘されます。世論調査では反対が多数派という指摘もあります。
全体として、この決定は安全保障政策の大きなシフトですが、効果を上げるには並行して国内調達の透明性向上や癒着根絶が不可欠です。防衛予算が膨張する中、国民の税金が適正に使われ、実際に抑止力向上につながるかどうかが今後の焦点になるでしょう。癒着問題は構造的で根深いので、監察や制度改革の継続的な強化が求められます。
近年の調査結果に基づくと、若者の結婚や出産に対する意欲は、男女ともに大きく低下、あるいは否定的な見方が強まる傾向にあります。
結婚への意欲の変化
アメリカの高校3年生を対象とした長期的な調査(1976年〜2024年)によると、将来「結婚するだろう」と考えている割合は、2010年代半ばから男女ともに急激に低下しています。
かつては女子(80%以上)の方が男子(70%台)よりも結婚に前向きでしたが、2020年を境に逆転し、直近の2024年では女子の意欲(約67%)が男子(約72%)を下回る結果となっています。
出産への意欲の変化
子どもを持つことについても、消極的な意識が急速に高まっています。
「将来、子どもが欲しくない」と考える割合の急増: 子どもを欲しくない人の割合が2020年から2025年にかけて継続的に上昇しています。
男性: 2020年の47.9%から、2025年には60.7%へと増加。
女性: 2020年の39.6%から、2025年には64.7%へと急増しており、特に女性の意識の変化が顕著です。
国際比較における日本の特徴: 2023年の13〜19歳を対象とした調査では、日本は他国(アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン)と比較して、「子どもは欲しくない」と回答する女子の割合(16.2%)が非常に高いことが示されています。これは同年代の日本の男子(7.0%)の2倍以上の数値です。
これらのデータは、特にここ数年で、若者の間で結婚や出産を将来の選択肢として捉えない傾向が強まっていることを示唆しています。
https://ugl.theletter.jp/posts/3531dd7d-f2c0-4b5b-bb6f-7ed70db65e7b
波乱万丈という言葉すら生ぬるい、圧倒的なリアリティで読者を魅了する作家・沖田臥竜(おきた がりょう)さん。
沖田臥竜さんは1976年、兵庫県尼崎市で育ちました。少年時代から暴走族や右翼団体に身を置くなど荒れた日々を送り、21歳で山口組系の組織に加入。その後、傷害致死などの事件で通算約12年もの獄中生活を経験しています。
きっかけ: ラジオで聴いた浅田次郎氏の『鉄道員(ぽっぽや)』に深く感銘を受ける。
読書体験: ミステリーやハードボイルドを中心に1,000冊以上を読破。
執筆の始まり: 独学で小説を書き始め、それが現在の創作活動の礎となりました。
2014年、所属していた二代目大平組の解散を機にヤクザを引退。翌年からアウトロー情報サイトでの執筆を開始し、瞬く間に注目を集めました。
彼の作品の最大の特徴は、自らの実体験に基づいた圧倒的なリアリティです。しかし、単なる暴力描写に留まりません。
「登場人物に完全な悪を設定せず、クスッと笑える要素を交えながら、最後には感動させる」
『ムショぼけ』: 長期服役後の社会復帰をコメディタッチで描き、2021年にドラマ化。
『インフォーマ』: 桐谷健太さん主演でドラマ化され、Netflixでも世界配信されるなど大きな話題に。
『生野が生んだスーパースター文政』: 鮮烈なデビューを飾った処女作。
沖田さんの活動は執筆だけに留まりません。その知見とキャラクターを活かし、多方面で活躍しています。
メディア 『AbemaPrime』等の番組で事件解説やコメンテーターを担当
映画・ドラマ 『ヤクザと家族 The Family』の所作監修や『全裸監督2』の取材協力
音楽 ヒップホップユニット『LGYankees』に加入し、作詞を担当
ビジネス オンラインサロン『沖田倶楽部』の運営、調査会社の経営
沖田氏の代表作『インフォーマ』は、情報の価値と裏側を扱う物語ですが、この記事自体がまさに現実世界の「インフォーマ」として機能しています。
単なる感情的な批判ではなく、「校了後の確認依頼」や「編集部内での怒号」など、当事者にしか知り得ない具体的な内部事情を晒すことで、告発のリアリティと破壊力を高めています。
通常の作家であれば、大手出版社である小学館との関係が悪化することは死活問題であり
ここまで露骨な批判は避けるのが業界の常識です。しかし、彼は以下の信念で動いているように見えます。
・損得勘定抜き: 「二度と仕事をしない」と明言することで、自らの退路を断ち、言葉に重みを持たせている。
・独自の正義感: 恩義(亡き友人が紡いだメディアミックス)を仇で返されたと感じた時の怒りが、執筆の強い動機になっている。
特に『セクシー田中さん』の件に触れ、「何も学んでいない」と断じる部分は、現在の出版業界が抱える最も痛いところを突いています。
「作家と編集者は工務店と職人の関係」という比喩も非常に分かりやすく
クリエイターが軽視されがちな構造的問題を、彼らしい荒っぽい、しかし核心を突く言葉で表現しています。
「表現者としての尊厳を守るための宣戦布告」と言えるでしょう。
元ヤクザでありながら芥川賞を目指し、純粋な作家として評価されたいと願う彼にとって
自身の作品や関わるクリエイターたちが不当に扱われることは、自身の生き方そのものを否定されるに等しい屈辱だったのかもしれません。
高市首相はタブー「宗教法人への課税」に着手できるか 創価学会が震え上がる「強烈カウンターパンチ」 | デイリー新潮
https://www.dailyshincho.jp/article/2026/02120450/
どう考えても海外送金の制限の方が先だろう。国民の財布を守れ。
旧統一教会元幹部が実名証言 韓国への送金「推計年100億円」 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20220909/k00/00m/040/242000c
4700億円以上をアメリカに送金済み…統一教会が日本人信者から徹底的に巻き上げた本当の理由 全米に9000店ある寿司レストランの大半は取引先 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/60068?page=1
米ニューヨーク・タイムズ紙は7月23日、「80年代半ばまでに、数十億ドルという寄付金が日本の家庭から教会の金庫へと流れ込んだ。文氏はこのカネを使い、無秩序に広がった企業帝国、NPOネットワーク、そしてワシントン・タイムズなどのメディア企業などを興し、政治的影響力を強化した」と報じている。
同紙の別記事によると、1976年から2010年のあいだに日本の旧統一教会は、アメリカに36億ドル(4700億円)以上を送金しているという。
旧統一教会の総裁逮捕、教団資金は日本からの献金も…元信者「不正に使っていたとしたら許せない」 : 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250923-OYT1T50083/
高市総裁「守るべきは国民の財布」責任ある積極財政で経済成長訴え | お知らせ | ニュース | 自由民主党 (2026年1月31日)
1953年女優デビュー。テレビタレント第1号。1954年ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で人気に。紅白司会は5回。1976年「徹子の部屋」放送開始。1980年『窓ぎわのトットちゃん』出版。35ヶ国で2500万部発行。1984年ユニセフ親善大使に任命。1977年の「プリマ・パンダ」は音楽学校声楽科出身の歌唱力を堪能できる怪曲。
https://youtu.be/aL32qwgwQM8?si=yd9J3Fj6nHPtFL04
1958年テレビ番組「歌の広場」でデビュー。作詞家作曲家として数多くの社歌や県市町村歌を作った。86歳で自作曲の大洋ホエールズ球団歌「行くぞ大洋」を美声で弾き語りして元気な姿を見せた。https://youtu.be/EmkjRHDdPAA?si=UrVdzmm7CwqG2Gan
公式サイトは“古のインターネット”で怪しさ満点。http://home.v01.itscom.net/mitaka/
1950年松竹歌劇団に入団。1953年映画デビュー。1958年音楽バラエティ番組「光子の窓」司会。レコードも出しているはずだが把握しきれていない。81歳の時のシャンソン「行かないで」はそれまでのミュージカルでの演技体験が生きている。「なかにし礼と12人の女優たち」は隠れた名盤。
https://youtu.be/wyDBU3LMak4?si=AzJ14IjrLUqy5fCs
玉田元康(91)
ボニージャックスのリーダー。1958年歌手デビュー。ロシア民謡「一週間」や「ちいさい秋みつけた」等レパートリーは五千曲に及ぶ。紅白3回出場。ダークダックスやデューク・エイセスと共にコーラスブームを牽引した。「男たちの子守り歌」で90歳のソロデビュー。
https://youtu.be/Kmqs-s0MBxs?si=dxZYSptp1KSVfhIm
谷道夫(91)小保方淳(91)槇野義孝(90)
デューク・エイセスのメンバー。1955年結成。ドリフターズで有名な「いい湯だな」はこちらがオリジナル。「鉄人28号」主題歌も有名。紅白10回出場。2017年解散。小保方淳の在籍期間は短くボーカル・ショップに移籍、その後ソロに。
https://youtu.be/kmjONyZze08?si=JT9VfQZoe8G4yuD9
美輪明宏(90)
1952年シャンソン喫茶銀巴里で歌手デビュー。1957年「メケ・メケ」でレコードデビュー。シスターボーイ・ブームを起こす。1967年「毛皮のマリー」初演。紅白は4回出場。1965年発売の「ヨイトマケの唄」を紅白で見た時の感動は絶対に忘れることができない。
| 国/地域 | 電圧 | 周波数 | 採用理由 |
| ------- | ---- | ------- | --------------------------------------------- |
| **日本** | 100V | 50/60Hz | 明治時代にドイツ(50Hz)と USA(60Hz)から同時輸入。西日本・東日本で分かれた |
| **ラオス** | 220V | 50Hz | フランス統治時代にフランス規格(220V)を導入 |
| **インド** | 230V | 50Hz | イギリス統治時代にイギリス規格(240V)を導入 |
| **USA** | 120V | 60Hz | 独自の工業化で独自規格 |
| **中国** | 220V | 50Hz | ソビエト連邦の影響 |
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`電気の統一 = 帝国主義時代の「どの国がどこを支配していたか」の遺物`
1. **すでに全インフラが出来上がっている**
- 日本全国の電柱、配線、家庭の電気設備 = すべて 100V 基準
- 1976年に IEC(国際電気標準会議)が統一を「推奨」した
3. **既得権益の塊**
- 電力会社が変更に反対
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あなたが怒った時点で、この問題は **100年以上前から存在** しています。
`1900年:各国が勝手に規格を決める ↓ 1945年:帝国主義終わる(でも規格は残る) ↓ 1976年:IEC が統一を「推奨」(無視される) ↓ 2025年:ユーザーが海外で変圧器を買わされている`
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多分最年少だよ。
* 第74回(2023年):MISIA 「紅白スペシャル2023」
* 第72回(2021年):MISIA 「明日へ 2021」
* 第70回(2019年):嵐 「嵐×紅白 スペシャルメドレー」
* 第69回(2018年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第67回(2016年):嵐 「嵐×紅白スペシャルメドレー」
* 第65回(2014年):松田聖子 「あなたに逢いたくて~Missing You~」
* 第63回(2012年):SMAP 「SMAP 2012'SP」
* 第62回(2011年):SMAP 「SMAP AID 紅白SP」
* 第61回(2010年):SMAP 「This is love'10 SPメドレー」
* 第59回(2008年):氷川きよし 「きよしのズンドコ節」
* 第54回(2003年):SMAP 「世界に一つだけの花」
* 第53回(2002年):五木ひろし 「おふくろの子守唄」
* 第49回(1998年):和田アキ子 「今あなたにうたいたい」
* 第29回(1978年):沢田研二 「LOVE(抱きしめたい)」
* 第20回(1969年):美空ひばり 「別れてもありがとう」
特に日本テレビでは出演料500万円を払い、1976年7月22日(木曜日)に「木曜スペシャル 謎の怪奇人間オリバー!」と題して、学者らが鑑定分析する模様を放送して24.1%の高視聴率をあげた。ちなみにこれを担当したのが日本テレビの社員ディレクターだった矢追純一であった。その映像はBBCが「サイエンス」でオリバー君の特集を組んだとき流用された。ただし、オリジナル音声は英語のナレーションや関係者の発言が被さっている部分もある。
ホテルの客室は最上級のスイートルームで、VIP並の扱いをすることにより話題を盛り上げようとしたが、高視聴率に気を良くした日本テレビはさらにオリバーの「花嫁」を募集。「オリバーの子供を出産したら1,000万円の報酬が支払われる」という報奨金まで設定されたため、これに対して数十人の女性が応募する反響があった[注 4]。最終的に、無名の19歳のタレント(現在は占い師を営んでいる[要出典])を康が個人的に選び、記者会見まで行われた。しかし、この前代未聞の企画は実現するには至らなかった。
記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラが太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このときは直射日光のレンズに当らないやうに注意をして頂きます。
フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。
いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である。
只逆光線で太陽を前景のカメラをもつている人でシエードした事が、レンズに太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。
写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。
逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。
検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。
一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。
ネットで検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。
ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。
もしかすると、文章にならないような口語・俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。
さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家の松田政男である。
この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか。
コスタ・ガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆の視点から、革命と反革命の弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である。
往年の安部公房のテーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代を叱咤しているのである。
自動車から飛行機への発明のベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクス・メディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか。
エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己を否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。
チャップリンが、常に、可哀想なヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆、禁欲的にまで非情に、アクションの共同体を映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである。
そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかしトロツキーとは真逆に、スターリニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。
この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりはエンターテインメントとして消費されてしまう石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。
私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······
レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由で平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいにしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルスの理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスやレーニンや、その他もろもろの革命の理想である。
この密林の猟師は年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家の長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。
そこへ行くと、日活ポルノ裁判の被告として四年間の沈黙を余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATGと提携=製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。
高橋明や庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ。
しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなのである。
亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ。
そして、面白いのは、西欧的な父性原理に依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州のフォークロアに原型をもつ物語の真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。
いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。
1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆」用法は、特に映画系のライターのあいだで広まっていったようである。
もっとも地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器の露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパの絵画や彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間の自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である。
「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業の世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」
松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ、吉田松陰とは、真逆のように思える。
仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。
2024年のデータで男性の月額賃金36万3100円に対し、女性は27万5300円 Ieyasuで、男性を100とした場合女性は75.8となり、男女の賃金格差は1976年以降で最少 JILPTになりました。
https://www.ieyasu.co/media/gender-wage-differential-analysis-tool-released/
なぜ2025年でも変わらないのか
https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2025/05/kokunai_02.html
金融業・保険業では従来、大半の女性を事務を担う「一般職」として採用してきた経緯 NLI Research
企業内に「女性トラック」があり、その昇進率が低い Ministry of Health, Labour and Welfare
管理職に占める女性の比率は23年に14.6% Nikkeiで、男女の賃金格差はOECD全加盟国中4番目に高く21.3% OECD
第1子出産のタイミングで退職しているかたが多い Japanese Government Online
女性が出産後に非正規雇用に切り替えるケースが少なくない OECD
復帰しても昇進が遅れる、または非正規になる
3. 「勤続年数」は言い訳
勤続年数や学歴が同じでも、男女で昇進率が大きく違う Ministry of Health, Labour and Welfare
労働時間の長さが女性のみ管理職要件の「踏み絵」になっている Ministry of Health, Labour and Welfare
4. 改善が遅すぎる
でも年間0.5〜1%の改善ペースでは、平等になるまであと20年以上
「改善している」と言いながら、変化が遅すぎる
>
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
動物解放戦線(Animal Liberation Front、ALF)のメンバーやで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%A7%A3%E6%94%BE%E6%88%A6%E7%B7%9A
1976年、イギリス狩猟妨害協会の設立者である環境主義者ロニー・リーによって創設されたが、リー自身が語るように中央組織や明確な指揮系統がある訳ではなく、運動に賛同する支持者の緩やかな連帯や自発的協力によって成り立っている。指導者なき抵抗組織の典型であり、40カ国以上で支部や協力組織の存在が確認されているにもかかわらず、アナーキズム的な個人行動を基本としている為に実態の把握が困難となっている。
“自分が被害者を救ってあげないといけない”という思いについついなりがち。
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2025/08/11/kiji/20250811s00001002005000c.html?page=1
こういう他人事に熱をあげる「善人」たちは、そもそも私生活において、近所の清掃活動や防犯活動に
積極的に参加している「善き隣人」なのか?という疑問がつきまとって、しゃーない。お前ら、参加してへんやろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC_(1976%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)