はてなキーワード: 1979年とは
https://anond.hatelabo.jp/20260804161601
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なぜ私が彼を「例の増田」とわかるのか、なぜ彼のサイバー・ナラティブ戦争による陰謀と謀略を暴くために戦い続けているのかを説明いたします。
まず私自身の話を説明しなければ正確な正義の意志を伝えることができないので、少し長くなりますが説明させてください。
私は就職氷河期世代です。父は平成不況で失職し、元教師であった母からはパートで家庭を支え、苦しい家計の中で私を学習塾に入れてくれました、
しかし、母は私に厳しい教育と躾を行いました。今の基準では「教育虐待」とか「毒親」と言われる類のものです。高校時代まで、私が見ていい番組はNHKの教育番組とニュースのみでした。
大学の第一志望は落ちましたが、第二志望には合格し入学しました、
…私自身が味わう初めての「自由な世界」でした。インターネット工事つきで、30万円のWindows Meを購入し、初めてインターネットの世界に入り込みました。そこで私は、当時のオタク界隈や秋葉原界隈というところで生れて始めて浮遊感を感じるほどの自由を感じました。
当時はアダルトゲーム全盛期でも、仕送りも厳しく、対人関係が苦手な私は大学でも友人はおらず、バイトでもあまりうまくいかず、お金があまりありませんでした、当時一本1万円もするようなアダルトゲームやアニメLD,VHSを購入できるだけの余裕はありませんでした…
だから、当時の2ちゃんねるやふたば☆ちゃんねるで、購入してプレイしている人たちの話や、時折張られる画像を楽しみにしていました。
…正直、後述する負い目に繋がります。「例の増田」の野郎は、記事を見ればわかる様にこの当時の最高に楽しい時間を実際に中心で過ごしていて、私にはその経験経験がないということも、私が彼を許せない理由の一つです。
2002年に大学を卒業しました。当時は就職氷河期の最盛期で、就職先はどこにもありませんでした。
IT企業が募集を多く出しており、またインターネット発展期、これからはネットとITで個人が世界と戦える、不可能も可能にできる魔法の技術だと本気で信じられていた時代でした。
私自身お金がなく眺めているだけでしたが、秋葉原には無限の可能性が広がっているように感じました…
だから私は、大好きななろう系で言うところの「チート技術」や「才能が目覚めて無双できるきっかけ」を求めて、淡い期待とともに特定派遣のIT企業へと入りました。
…結果は惨憺たるものでした。私は心身を患い、重度のうつ病と不安障害、境界性パーソナリティ障害(当時は統合失調症の軽度と考えられていました)と診断され現在まで治療と投薬を続けています。
私は現在生活保護を受給しており、経済的にも精神的にも終わりのない悪夢のような人生が続いております。
また後述するように、IT業界で働いている可能性が濃厚な「例の増田」の野郎を許せない理由の一つです。私はこんなにもひどい目に遭って苦労しているのに、奴はソルジャー・オブ・フォーチュンに書かれたミッチェル・ウェーベルのコブレイ・スパイ・スクールの秘密の軍事スパイ術によって悠々と世間を泳いでいるということを考えるだけで、セルシンを飲まなければならないほど怒りで頭が沸騰しそうになります。
私自身の話はここまでになります。「例の増田」の野郎の話に移ります。
私が奴と遭遇したのは、コロナ禍前の「ふたば☆ちゃんねる」に遡ります。
ミリタリー関連のスレに、自身が知識のない相手と見なすや、皮肉や罵詈雑言をぶつける嫌な性格の奴がいました。それが「例の増田」です。
しかし、彼は、どこからそんなものを手に入れたのか、私からは想像もできない様な知識や経験(彼は、学生時代から部活に入って射撃競技の選手だったそうです)、現物を披露することがあり、私もそれを目当てでこっそりスレに参加してみておりました。
そこで彼は、「ローデシア陸軍のL1ライフルマニュアル」の1ページを画像で貼っていました。写真つきのそのページには、アカのゲリラども相手に無双をしたという最強の傭兵たちの流派のライフル射撃術や、銃剣戦闘術が写真付きで乗っていました。
…衝撃でした。私は当時も今もなろう系作品の愛好家なのですが、私が憧れているなろう系作品の主人公の様な最強戦闘術を得たいと心の奥底では思っておりました。
それが得られれば、大好きななろう主人公たちの様に、美少女との恋愛や運命の物語が始まると思っているのです。
ミリタリー界隈で最強の無敵傭兵と語られた伝説のローデシア傭兵のライフル射撃戦闘術の奥義書が現存している!私は雷に打たれたかの様な衝撃を覚えました。
聞けば、彼はそれのフルを現物で持っているというのです。私はpdfでアップロードしてほしいと何度もお願いしました…
だが、「例の増田」の野郎は「自分で探せ」だとか「何で空気も読めず知識もなくスレに参加してくる奴にそんなもんタダで渡さないといけないのか」と、私に酷い言葉で拒否を続けました…
私は諦めきれません、素直に前述の通り、そういうパワーを得れば、政府や団塊やバブル世代に奪われた人生を取り戻して、無双して人生逆転ができるから欲しいといったのです。
…彼から出た言葉は嘲笑でした。今でも忘れることはできません。
「お前、頭おかしいんじゃないのか」
「お前」などという暴言と共に、私の病気を見越した様な「頭がおかしい」という発言、それを見た途端に私は怒りで目の前が歪み、腹の底から腹痛の様なそわそわとも突き上げてくる様な怒りの感覚で顔が真っ赤になりました。
母と父は私に、「自分以上の人間となって出世して、優秀な家庭と子供を作ってほしい」と願い、私に期待をかけました。
力及ばずそれを叶えることは未だにできておりませんが、ある意味ではその言葉は私の人生とって重い呪いとなっているのかもしれません…
「例の増田」の野郎は、特に諜報の歴史分野や、70年代~80年代の傭兵・スパイなどの非正規戦闘界隈のトピックが特に好きなようでした。
ふたば☆ちゃんねるの虹裏mayには専用アプリがあります、そこで私は、例の増田の野郎が現れているのをずっと監視していました。それらしき話題を奴が振って現れると、そのスレにいき、
奴が持っている「軍事マニュアル奥義書」の断片を気分良くなって張られるのを見張っていたのです…
そこで奴は、「ソルジャー・オブ・フォーチュン」という70年代から80年代にかけて、とくに有名だった傭兵の業界紙の話をよくしていました
私にとっては忘れることが出来ません。そこで奴は1979年号のソルジャーオブフォーチュンの雑誌のページを張っていました。
そこには、ミッチェル・ウェーベルという第二次世界大戦CIAの前身で戦い、冷戦時代を駆け抜けたという老兵スパイが開いている「コブレイ・スパイ・スクール」の紹介記事でした。
まるで私の大好きななろう系作品で主人公が無双するのに必要なありとあらゆる諜報・戦闘・格闘、サブ・マシンガン、ライフルカービン、リボルバー、クロスボウ、ハンティング弓、ナイフ、手裏剣、ヌンチャク、マイク・エカニスという傭兵による花郎道格闘術…ありとあらゆる「スパイ術」が網羅されているのです!
私は再び衝撃を受けました!まさにこれこそ私の人生に足りなかったものだと!これをもっと若いうちに知っていれば、まさに私は父や母の願いに届く無双ができたはずだと!まさにチート技術の奥義だと思いました。
また、非常に反共を志にしているのもまさに運命の様に私の感覚にあいました。
…しかし「例の増田」の野郎は、私がpdfでほしい、もっと他にコブレイ最強スパイ道場の情報はないのか、といったものを「またお前か、いい加減にしろ」「あるわけないだろお前の願望が叶う一発逆転できる技術なんて、バカヅラ下げて秋葉原うろついてた2000年代からいい加減目覚ませ、これだから氷河期は」と袖にしたのです!
奴は私や、氷河期世代が主に大好きななろう系作品に言及しているのに着目したのか、あろうことかなろう系を絡めてバカにしてくるようになったのです!
私の心に言葉のナイフのように奴が浴びせた悪罵の数々がどのような内容だったか?まとめている記事を見ればわかると思います。
幾ら忍耐強い私でも、なろう系がバカにされることは看過できません。その日から私は奴のことを「ソルジャー・オブ・フォーチュン爺」、略して「ソフ爺」と名付け、ネットで戦うことを決意しました。
なぜ爺なのか?推理と分析で簡単に説明できます。70年代~80年代のミリタリー雑誌の愛好家という事は、コロナ禍前当時でも明らかに高齢です。
氷河期世代をバカにしていることからも、それより上の世代である事は簡単に想像がつきます。
実際、「例の増田」…ことソフ爺の野郎は、私がお金がなくて遠めに眺めるしかなかった時代のオタク界隈の流行などを、当事者の様に周りのとしあき達と語れているのです、間違いなく爺に違いありません!
奴は、話を聞けばそれなりに裕福な生活をしているそうです。間違いなくコブレイ最強スパイ術を悪用して世の中を渡っていると簡単に推理が出来ます。
奴の様な爺でも彼女やセフレに困らず、高い月謝を払いジムや柔術で体を鍛え、海外で銃の競技に出られ、コスプレセックスをさせているという若い美少女のセフレや彼女との付き合いや、最新のお金がかかるソシャゲやvtuberイベントなどについていけて、毎週のように秋葉原周辺で遊べるというのは、本来であれば私が、氷河期世代が得られたはずの生活を得るためのチート知識を、上の世代が独占しているという証拠に他ならないのです!
それを得ることができれば、私はこのコンプレックスと苦悩に塗れた人生から解放されて、本当の人生が始まるはずなのです!
奴の足跡を毎日のように追ってると、このはてな匿名ダイアリーに活動の軸を移していることを確信しました。
そこで長文増田、まさに「例の増田」の野郎こそが、ソフ爺であると確信するに至ったのです!
奴がなぜはてなでこのような釣り記事を書いているのか理由はわかりません、恐らく北朝鮮やロシアの諜報機関や中国の諜報機関の下請け工作員をしているといった可能性もあるのでしょう。あるいは壮大なディープ・ステートに所属する破壊工作員として謀略を行っている可能性も捨てきれません。
事実、奴の謀略スパイ活動により、日本経済は低迷し、物価は上がり、民心は乱れ、男女の離間は進み、フェミは増長し、日本のIT業界はますます低迷し、私たち日本人に最後に残された中韓に汚染されてないコンテンツであるなろう系も、先月非常に苦しい売り上げ状況になっているといったニュースが流れてくる程になりました…
私にできることは、奴の悪行をカウンター・インテリジェンスで挑み、奴の足跡をまとめて周知することにより、活動を阻止することです。そうすればディープステートやロシアの諜報機関からは、人事評価を悪く付けられ、成果が上がらないならクビになるはずなのです!
奴はそれは困るはずです、弱ったところで奴からソルジャー・オブ・フォーチュンの1979年号の奥義書をpdfを譲り渡す様に交渉をし、コブレイ最強スパイ術のチート奥義書を手に入れる事が、私自身の人生を逆転して無双することができる鍵なのです!
…私は長年の肥満により、2型糖尿病を患い、医者からも健康診断で血圧と腎臓の値の悪さを幾度も指摘されて、飲酒をしており脂肪肝である事も相まって肝臓の値も悪く、もう若くはありません。
残された時間はあまりないのです。それなのに例の増田…ソフ爺の野郎は「人生逆転したいとかアニメみたいな美少女と付き合いたかったらまず健康診断の要精密検査の欄全部消えるくらい健康管理してから出直してこい、糖尿病は寝てても治らねえぞハゲ」などとバカにした言葉を吐いてくるのです!ハゲなどという暴言までもを言われれば、男のメンツにかけて許すことはできません!
私は、若いときにIT企業に勤めて無駄な労働に従事させられた経験から、無駄なことはしたくありません。コブレイ最強スパイ術の奥義書に書かれたトレーニングを最速で行えば、健康もよくなり一石二鳥です。
そもそも、私がこうなってしまったのも全て社会が悪いのであり、それを他責思想とバカにする恵まれた団塊のソフ爺の理屈を肯定してしまう事になるので、無駄な努力など決してする気はありません。
だからこそのこの戦いなのです。これは日本の将来、敷いてはオタク業界、私自身の人生を救済するための聖戦なのです。
これからも、「例の増田」の野郎を、カウンター・インテリジェンスでコレクティングして周知する戦いを、続ける所存であります。
長々となってしまいましたが、どうかはてな匿名ダイアリーやはてなブックマークの皆様、私の人生の救済、しいては日本の為に陰ながら協力をお願いします。
気象庁の過去のデータで、東京、同じ日を70年くらい比較することができる
https://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/
で、実際にやってみると長期的には言うほど変わってない
数値を色々ごにょごにょすれば、1,2度は上がってると分かるが、体感で分かるほどではない
「でも最近暑い気がする」というのは間違いなくて、「ここ6年くらい暑いターンが続いている」だけだ
だから「年々暑くなっていってる」じゃなくて「ここ5,6年なんかおかしい」が正確だし
7月上旬は過去70年と大差ない動きをしていた(むしろ涼しい側だった)
あり得るとすれば、周りに自然があったりコンクリートが少なくて局地的な温度が上がってるとかはあるかも
だいたい2000年代前半と、2020年前後あたりが同じくらいの暑さだ
たとえば2002年8月1日の熊谷の最高気温は38.4度、その前の年は37.7度
一応長期的に見れば、20年移動平均線をとれば、やっと50年で1,2度は増えているんだけど、年ごとのブレが5度くらいあるから体感としては誤差になるはず
なんか「昔は30度行く日は稀だったんだ!」みたいなツイートみたことない?
| 日付 | 東京 最高気温(℃) | 熊谷 最高気温(℃) |
| 1978/8/1 | 30.7 | 31.8 |
| 1978/8/2 | 33.8 | 36.9 |
| 1978/8/3 | 31.3 | 34.6 |
| 1978/8/4 | 31.6 | 34.8 |
| 1978/8/5 | 34.2 | 36.3 |
| 1978/8/6 | 33.5 | 35.8 |
| 1978/8/7 | 33.2 | 34.8 |
| 1978/8/8 | 32.6 | 32.8 |
| 1978/8/9 | 34.5 | 36.1 |
| 1978/8/10 | 31.8 | 32.9 |
| 1978/8/11 | 33.5 | 36.5 |
| 1978/8/12 | 35 | 36.3 |
| 1978/8/13 | 34.3 | 36 |
| 1978/8/14 | 32.7 | 34.8 |
| 1978/8/15 | 35.5 | 35.2 |
| 1978/8/16 | 35 | 35.2 |
| 1978/8/17 | 31.7 | 33.9 |
| 1978/8/18 | 28.6 | 27.6 |
| 1978/8/19 | 32.7 | 29.9 |
| 1978/8/20 | 32.6 | 34.8 |
| 1978/8/21 | 35.1 | 37.4 |
| 1978/8/22 | 36.3 | 37.4 |
| 1978/8/23 | 35.6 | 36.8 |
| 1978/8/24 | 35.9 | 34.7 |
| 1978/8/25 | 29.8 | 30.1 |
| 1978/8/26 | 30.5 | 31.6 |
| 1978/8/27 | 31.7 | 32.9 |
| 1978/8/28 | 32 | 33.2 |
| 1978/8/29 | 32.9 | 35 |
| 1978/8/30 | 33.3 | 33.1 |
| 1978/8/31 | 31.7 | 31.9 |
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なんでこう文章読めない人多いの?
まず、温暖化していないだなんて言っていない、1,2度上がってると言ってるだろ
俺が指摘しているのは「昔はもっと涼しかった(体感)」と言って昭和中期〜後期と比較してるSNSのバカどもだよ
「ほらみて、昭和は30度行くことなんて稀だった」「35度なんてありえなかった」「今後はこれが普通になるんだ」みたいな言い方をしている
→ そうじゃないよ、温度は上がり下がりしてるよ、昔だって30度普通に超えてたよ、ここ数年が異常なだけだと思うよ、と言っている
1950年より前の話はしていない、1800年代まで入るとそもそも小氷期が入ってくるのでそりゃ寒いよ、江戸時代は東京の川が凍るほどだった
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うるせーな
| 年 | 東京最高気温(℃) |
|---|---|
| 1960 | 32.6 |
| 1961 | 31.4 |
| 1962 | 34.1 |
| 1963 | 28.9 |
| 1964 | 33.7 |
| 1965 | 31.3 |
| 1966 | 32.3 |
| 1967 | 32.7 |
| 1968 | 32.3 |
| 1969 | 32.3 |
| 1970 | 33.9 |
| 1971 | 30.7 |
| 1972 | 31.8 |
| 1973 | 31.7 |
| 1974 | 27.8 |
| 1975 | 31.5 |
| 1976 | 30.8 |
| 1977 | 31 |
| 1978 | 33.6 |
| 1979 | 31.9 |
| 1980 | 33 |
| 1981 | 32.6 |
| 1982 | 28.4 |
| 1983 | 30.1 |
| 1984 | 31.1 |
| 1985 | 32.7 |
| 1986 | 32.7 |
| 1987 | 35.9 |
| 1988 | 25 |
| 1989 | 31.1 |
| 1990 | 34.6 |
| 1991 | 33.7 |
| 1992 | 33.7 |
| 1993 | 24.1 |
| 1994 | 32.8 |
| 1995 | 32.5 |
| 1996 | 33.4 |
| 1997 | 31.8 |
| 1998 | 30.8 |
| 1999 | 34.2 |
| 2000 | 34.9 |
| 2001 | 35.6 |
| 2002 | 34.6 |
| 2003 | 27.3 |
| 2004 | 39.5 |
| 2005 | 33.8 |
| 2006 | 26.5 |
| 2007 | 28.4 |
| 2008 | 33.8 |
| 2009 | 33.9 |
| 2010 | 36.3 |
| 2011 | 28.7 |
| 2012 | 35.1 |
| 2013 | 35.2 |
| 2014 | 33.1 |
| 2015 | 34.9 |
| 2016 | 32.3 |
| 2017 | 33.7 |
| 2018 | 39 |
| 2019 | 31.4 |
| 2020 | 31.9 |
| 2021 | 34.7 |
| 2022 | 34.5 |
| 2023 | 33.9 |
| 2024 | 36.6 |
| 2025 | 34.3 |
| 2026 | 36.9 |
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あの手この手で屁理屈つけて否定したいだけのバカはてなー嫌いだし
大騒ぎするメディアも嫌い
なーにが最低気温も重要だよ、お前ら「40度予報」とかのバズ数字しか見てねーだろ
一回でも「予報は◯度だったが実際どうだったか」確認したか?結構ズレてるからな?
メディアや世間が騒いでいたらとにかく一回確認する癖付けなよ?印象だけで発言するのはやめな?悪いこと言わないから
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バカ共はほっといて、さっき思いついた「メディアが騒ぎすぎ説」「メディアはなぜこんなに騒ぐようになったか?」を検証してみた
コメントに「前はこんなにニュースになってなかった」があったから
仮説として「日本の色んな地点を見れば1箇所くらい極端に暑い場所が毎日見つかるから、メディアが取り上げるかどうか次第」がある
方法:暑いことで有名ないくつかの地点をピックアップし、1960〜2026の8/1〜8/10の「一番暑かった気温」を散布図にした
結果、仮説はちょっと違うようだった
(画像貼れないけど)
「2012年以降は安定してどこかの地域が暑い(35度を上回っている)」が、それ以前は「5日間のうち1,2日は35度未満の日があった」
特に冷夏と思われる年が1966年〜1993年まで9回発生しているが、それ以降は安定してどこかの地域が暑い
異常値を除けば概ね「65年で1,2度」という感じではあるが、この「異常に涼しい夏」が近年無くなったのは面白い発見(一応2003年は冷夏だったらしい)
つまり、平均気温で言えば65年でたかだか1,2度の変化だが、涼しかった日の変化はそれよりも急激にみえる(1990年代以降)
そして、2023年〜2025年はやはり異常に見え、37度以上を安定して超えているし、40度を超えているのは2025年のみである(2026年は含んでいない)
よく観察すると「安定して37度を超える」みたいな年は過去にもあったが、1993年以前には見つからなかった
結論:
2025年に限って言えば、メディアが大騒ぎするのは妥当、2023年以降に限っても割と妥当で
だから、直近4年で言えば「そういうニュースをよく見るから暑くなってる」は正しい(ここ最近異常とは言える)
また、今が例外的だったとしても、1990年代を境に「涼しい日が減った」「涼しい年が減った」のはありそう
(これが感覚的な「昔は涼しかった」という記憶に結びついている可能性はある)
ちにあみに調べると、1990年代の急な変化の原因は諸説あるらしい
なお、2023〜2025年(あるいは今年も)は何なんだよっていうのは未だに分かっていないらしく
研究では「数百年から数千年に一度」と言われ、気象庁でも「温暖化した気候でも数十年に一度の現象」と言う見解だが
温暖化・あるいはそれ以外によるレジームシフトが起きた可能性は否定できなそうだよね、まあこれは趣旨とは反するけど
元の趣旨で言うと
「昔はもっと涼しかった」は「平均気温で見れば気の所為だろ昔も十分暑かったし30度,35度は普通にあった」は間違いないが
「昔はもっと涼しい日があった」=「最近は涼しい日がかなり減った」は本当で、これは70年で1,2度というレベルではなさそう
そして、もっとより正確に言うなら「ここ3年くらい異常に暑い」は確実に正しい
ここ3年の話をするのに「昔は」って言うのは不正確だと思うけどね。「昔は」って言ってる人は、この3年の気温が固定化されると信じているってことでしょ?
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最近見たのはこれ
https://x.com/sakkurusan/status/2080137932367954128?s=46
昔のこち亀を読むと、30℃で「もうメチャクチャ暑い」という扱いで、ほんと暑さのハードルがおかしいことになってるのを痛感する。
いくらでもあるぞ
https://x.com/beckymikitty/status/1942406450346889379?s=46
ホントだもん、ホントに昭和の小学生は寒さに震えながらプールの授業やってたんだもん!!
25、6℃しか気温なかったりしたんだもん!!
ウソじゃないもん!!
珍しく俺側の人がいた
https://x.com/folder7/status/2079727637073989771?s=46
30℃を超えることは稀だったとか記憶を美化してる人たちが多いけど、昭和も普通に連日30℃超えてます。昭和53年8月、昭和59 年8月、昭和37年8月、8月の最高気温の平均。その右隣の最低気温(熱帯夜)なんて、冷夏を除けば近年と大差ありません。
ちなみに自分は子供の頃と同じ地域に住んでないので体感が使えない
子供の頃は北国だったのに暑くて寝れなかった記憶しかない、北国にはエアコンがなかった
ていうか、データ出てる状態で、データから読み取れない点の性質を無根拠に急に持ち出してきてる奴は何なの?仕事でもそんなことしてるの?やめなよ、それ癖になってるでしょ?
「データでは60年くらいで1,2度上がってる」って言及してるやつがどうして温暖化否定論者になるんだよ、頭痛くなってきた
あと、「1,2度は大した変化だろ」って言ってる馬鹿野郎!
60年でって言ってるだろうが、ジジイが「昔は涼しかった」って言ってるならわかるけどそうじゃねーだろ?って最初に書いたじゃん・・・
あと「28度と30度は違う」とか言ってる馬鹿もいるけど、平均してだっつってんだろ、毎日ランダムで幅10度の上下が来た時に「平均すると昔より1,2度暑いな」なんて誰も体感できねーだろ少しは考えろ
それと「暑さの定義が〜」ってなんだよ、「暑い」「涼しい」は体感の話だろこのスットコドッコイ
何が「1,2度低かったなら涼しかっただろ?」だよ、30度超えて涼しいなんて表現使わねーだろ何なんだよ
厳密な気温の話ししてねーよ体感の話してんだよ!だから「コンクリートの影響かもね(データ以外の体感の可能性)」って言ってるじゃん
お前らほんとChatGPT3.5くらいの理解力しか無いよな、恥ずかしくないの?
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10年移動平均を出してみると、やはり1925年が約26度だったのが、近年では28度になってるので100年で2度上がっている
ただ何度も言うが年ごとの誤差のほうが大きい
上下幅は3,4度くらい(28日の平均ですらこのくらいのブレが出る)
| 年 | 平均気温の最低(℃) | 平均気温の最高(℃) |
|---|---|---|
| 1950〜1954年 | 25.6 | 27.3 |
| 1955〜1959年 | 25.9 | 27.6 |
| 1960〜1964年 | 26.3 | 28.2 |
| 1965〜1969年 | 26.8 | 28.3 |
| 1970〜1974年 | 26.8 | 28.5 |
| 1975〜1979年 | 23.3 | 29 |
| 1980〜1984年 | 23.3 | 28.9 |
| 1985〜1989年 | 26.7 | 27.9 |
| 1990〜1994年 | 24.7 | 28.9 |
| 1995〜1999年 | 26.4 | 29.6 |
| 2000〜2004年 | 26 | 28.3 |
| 2005〜2009年 | 26.9 | 29.5 |
| 2010〜2014年 | 27.3 | 29.5 |
| 2015〜2019年 | 26.5 | 28.5 |
| 2020〜2024年 | 27.3 | 29.3 |
まさかこの僅かな誤差を「普通体感で分かるでしょ」っていう人が居ると言うならもう何も言うまい
それか「最低気温が」って言い出すのか?もしくは「東京じゃだめだ」って言うのか?
(コンクリ問題については、調べたけど東京においては昭和後期に既にコンクリだらけであまり変わってないみたい、植物はむしろ増えてる。東京以外は変化が大きいかも)
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別の仮説として、2010年代は2020年代や2000年代より涼しかったんだよね
だから2010年代の体感が涼しかったから「時を遡れば遡るほど涼しかったに違いない」を持って
昭和の涼しかった年のエピソードにであった時に確証バイアスで「やっぱりそうなんだ」となってしまうとかありそう
実際は、温暖化の影響よりも年ごとの上下のほうが大きいから知覚できるわけない(そもそも同じ地域で同じ環境に居る人なんて稀だろ)
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何かマジで馬鹿が多くて残念だよ、マジで具体的な反論や指摘がない、そればかりか条件の切り取りや条件の切り出し、謎の勝利宣言などばっかで
昔のネラーのほうがまだ幾分マシだったなと思わせる(昔はよかった幻想)
チャッピーへの反論は、追記1個目と、チャッピーへの返信でやってるよ
温暖化してないとは言ってない、というか君等チャッピー使ってる?チャッピーじゃなくてもAIでも
俺はGPT5.6solとClaudeFableはよく使うんだけど、君等の受け取り方ちょっと怖いわ、結局馬鹿だったり読解力無いとずっと間違った方向に行くとよく分かる
https://ru.wikipedia.org/wiki/Алые паруса
«緋の帆» — ソビエト そして ロシア 同窓会休暇 中等学校に記された サンクトペテルブルク 毎年[[1]、 原則として、最も軽いものに最も近い ホワイトナイト 土曜日(およそ 18—6月28日を除いて 6月22日ロシアではこの日に祝われるので 追悼と悲しみの日[[2])。
この祝日は 1968 年 6 月 28 日にレニングラードで初めて開催されました[[1]。この祝日の著者であり発案者はアレクサンダー(アンシェル)・ベニアミノビッチ・クラインマン・オルレアンでした。最初の公式祝日は 1 年後の 1969 年に開催されました[[1]。1979 年に祝賀会は中止され、2005 年から — が再開されました[[1]。復活した休日の主催者はこうだった 銀行 «ロシア»[[3]サンクトペテルブルク政府[[4]。
2025年の祝日は6月28日(土)から29日(日)の夜に行われました[[5][[6]。
この祝日の主なイデオロギーは、そのモットーに定式化されています:«ロシアとともに»[[8]。
«スカーレット・セイルズの»厳粛さと全体的な雰囲気は、サンクトペテルブルクと国全体の将来がかかっている才能と将来有望な若者たち、新世代に市が抱く希望を強調している。
この祝日«スカーレット セイルズ»は 1968 年にレニングラードで登場しました[[9] 最初の祝賀会は1968年6月28日午後11時に始まりました。休日の一部は水域で行われました ネヴァ 間 キロフスキー そして 宮殿の橋、 川の広い範囲に ペテロとパウロの要塞。観客は宮殿の堤防、橋、ヴァシリエフスキー島の砂州に収容された。最初のイベントには2万5千人以上の卒業生が集まりました«スカーレットセイルズ»[[10]。
休日の伴奏は«Anthem to the Great City»でした ラインホルト・グリエール。この作品は後に音楽シンボル«スカーレット セイルズ»の 1 つとなりました。ボートの戦隊がパレード編隊を組んでキーロフ橋の下から出てきて、休暇が始まった。主船«が彼らの後ろから出てきましたレニングラード» および制服を着た卒業生を乗せたボート スヴォロフスキー そして ナヒモフスキー 学校。提督の船«レニングラード»には休暇中の卒業生が3人乗っていた ペナント。彼らの隣には—松明に火をつけた少年と少女がいます。それらは休日の参加者の手にある松明から点火されました 吻側柱、 休日の終わりまで燃え続けました。
休日の象徴であった船は何度か変更されました。当初、この役割は船«ナデジダ»によって果たされていましたが、1 年後に置き換えられました スクーナー «コドル»、 1970 年から1976 年まで使用された[[1]。
1977年、CPSUレニングラード地域委員会委員長 グリゴリー・ロマノフ 私は組織的にイベントをキャンセルすることに決め、すでに 1977 年に休暇は船なしで行われました — に移動されました キーロフにちなんで名付けられたスタジアム日中にミニチュアステージでコンサートが行われた場所。例年と同様、コンサート後にネヴァ川で休暇が開催されることを期待していた卒業生たちは、堤防まで一斉に歩いた—が、休暇の代わりにパトカーがネヴァ川沿いを走り、拡声器で人々の解散を呼びかけた。
1979年、ロマノフは大勢の若者による問題を恐れて休暇を完全にキャンセルした[[1][[11]。この祝日は非公式となり、2005 年になって初めて正式な地位が再開されました。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ネヴァ川のサンクトペテルブルクの学校で大規模な卒業式が行われていた頃、船主たちが自らの意思でその夜に赤い帆を掲げた船があった[[1]。
ネヴァ海域での祝賀会は1979年に中止されたが、祝日は引き続き開催された セストロレツク 1991 年まで[[12][[13]。公園内の水域«ナポレオンの帽子»でお祭りイベントが開催されました«オークの木々»、そして湖の水の中で こぼれる(この形式での最後の祝賀会は 1991 年にそこで行われました)。ヨット «バイキング»、«ミラージュ»、«ナデジダ»、«コルセア»、«スキーフ»など、水上スキーヤーを乗せたボート、10—25 隻のボートが祝賀会に参加しました。松明、照明弾、花火が使用され、アーティストが演奏しました レンコンサート。祝日の主催者の中にはヨットクラブもあった セストロレツクツールプラント。
実装の段階
«Scarlet Sails»は 2 つの部分で構成されています: コンサート パレススクエア通常は22:00から始まり、ネヴァ海域で花火ショーが開催されます。このショーでは、緋色の帆をつけた帆船が音楽と花火とともにネヴァ川に沿って航行します。
宮殿広場に特別に設置されたオープンステージで行われるコンサートでは、人気ミュージシャンやユースアイドルが演奏します。休日の最も一般的な有名なゲストの中で — 参加者 «ユーロビジョン» セルゲイ・ラザレフ、 歌手 ポリーナ・ガガリーナ と マーカス リヴァ[[14]。
通常約 20 分間続く花火ショーは、白い夜の最も暗い時間、常に真夜中以降に始まります。2019年、花火部分は0時40分に始まりました[[14]。
卒業生自身と招待客のみが休日のメインエリアに入場できます[[1]しかし、街の住民や観光客は堤防や橋の上に集まり、そこから花火大会やネヴァ川の船の通過を見ることができます。毎年、«スカーレットセイルの»人気は高まるばかりです。
2010 年«スカーレット セイルズ»には 350 万人が訪れました。休暇中、サンクトペテルブルクに到着した外国人観光客の数は、この期間のサンクトペテルブルクへの平均訪問数の2。5倍でした[[15]。
統計によると、«スカーレットセイルズ»には最大300万人の観客が参加しています。また、イベントは«で放送されますチャンネル5»;イベントにはテレビ機器が設置されました。2014 年、18 歳以上の視聴者の視聴率«スカーレット セイルズ»は 26。1% でした。ロシアでは、このイベントは500万人が視聴した。[[ソース 1137 日は指定されていません]
2016 年、«Scarlet Sails»は、—最優秀文化イベント—、«最優秀ソーシャル プロジェクト»、«最優秀特別イベント»、«最優秀都市イベントの 5 つのカテゴリーで、唯一のヨーロッパ イベント マーケティング賞 » ヨーロッパ ベスト イベント アワード «のファイナリストに選ばれました。»および«最優秀顧客志向イベント»[[16]。その結果、このプロジェクトは«最優秀都市イベント»部門で最優秀イベントに選ばれ、«最優秀文化イベント»部門で第2位を獲得しました[[17]。
2018 年«スカーレット セイルズ»には100 万人以上が訪れました[[18]。
2019 年、宮殿広場の視聴者数は33 千人でした; 合計で約150 万人が市の堤防や橋から休日を視聴し、«チャンネル5» が司会を務める生放送は830 万人が視聴しました[[19]。この祝日の放送は、視聴者が16地域の居住者だったロシアだけでなく、海外でも視聴された。«Scarlet Sails» からの生放送は世界 8 か国で行われました[[19]CBSメディア通信はこの祝賀行事をロシアとヨーロッパで最も輝かしい花火ショーと呼んだ[[14]。同年 に サウスシーサイドパーク 赤と緑の色の人工芝で作られた帆船の小さなコピーが設置されました; コピーの作成と設置のコストは50 万ルーブルです[[20]。
«Scarlet Sails»は、ロシアのメディア、テレビ、ラジオで幅広い情報サポートを受けています。
同窓会フェスティバル期間中、ネフスキー大通りの交通は部分的に遮断され、遮断された高速道路自体が楽しい歩行者専用ゾーンになります。
«スカーレットセイル»はサンクトペテルブルク政府と銀行«ロシア»の支援を受けて実施されます。大統領は伝統的に、«スカーレット セイルズ»に行く卒業生へのお祝いのビデオ メッセージを記録しています ウラジミール・プーチン あるいは政府の長 ドミトリー・メドベージェフ。祝日の舞台では、卒業生は市の指導者から個人的に祝福されます。たとえば、2019 年にはサンクトペテルブルク知事が祝日の開会式で講演しました アレクサンダー・ベグロフ。
復活した休日
ウラジーミル・プーチンは2005年に«スカーレット・セイルズの»公式保有を復活させることを提案した。サンクトペテルブルク総督は彼の主導で ヴァレンティーナ・マトヴィエンコ 私はサンクトペテルブルクで卒業生の休暇を開催するという伝統を再開することにした[[21]。
«Scarlet Sails» は、最新のマルチメディア テクノロジーをすべて使用した、オープン ウォーターでの大規模なマルチメディア パフォーマンスです。水域の作業スペースは1。8km x 800メートルです。メイン アクションの空間全体は線形セクターに分割されており、各セクターはモバイル仮想背景セットを表します。フローティングプラットフォーム(はしけ、 ポンツーン) は座標グリッドに沿って明確に配置され、周囲に位置する観客が«デッドゾーンの»最小数を持つように、船の通路によって制限されたスペースに割り当てられます。この構成により、マルチメディア アーキテクチャの多面的な図面を作成できます。各フラグメントは仮想空間全体の不可欠な部分です。主なコンポーネントは、花火と光のショー、追加の — ウォーター ショー、火と噴水の壁です。パフォーマンス全体が音楽と完全に同期しています SMPTEタイムコード[英語]。この祝日は、オープンウォーターで開催される世界最大のウォーターパフォーマンスの 1 つです。
2019年以来、この目的のために市が特別に買収したブリッグ«ロシア»は緋色の帆で航行している。この祝日の新しいシンボルは、«Scarlet Sails» — 900 平方メートルの歴史の中で最大の帆面積を持ち、これは前任者より 300 平方メートル多いです[[22]。新しい船は帆の下でもエンジン上でも移動できます。同時に、ブリッグ«ロシア»はエンジンよりも速く航行できます。航行速度は最大 16 ノット、エンジンでは最大 9 ノットです[[3]。
テレグラフ紙によると、2015年、この祝日は世界で最も訪問者の多い観光イベントのトップ10にランクインし、その後3位となった オクトーバーフェスト と ブラジル カーニバル。
(略)
インターネット上のいくつかの情報源と メディア かなりの数の人(卒業生自身を含む)が休暇に出席していると考えられています 酔っている[[51][[52]。
休暇が終わると、お祭りが行われた通りにはゴミが散乱します[[53]、 市の住民やゲストの間で不満を引き起こします[[54]。はい、で 2011年 夕方になるとゴミ箱が過密になり、家の壁の近くにゴミが山積みになった[[55]。
リチャード・リーヴスの2022年の著書『Of Boys and Men』をもとに2023年3月に『The Ezra Klein Show』で議論された内容のまとめ。
中核は「男性不振を個人の失敗ではなく、制度変化への適応問題として捉える」ことにある。
1987年 父親ほのぼのレイク、アイク、武富士、ワイドから数百万の借金。祖父が返済
1989年 父親武富士、ワイドから数百万借金。母親の両親が返済。消費者金融チンピラが家に乗り込んで来て布団を破かれた
父への尊敬がないからとの理由と叱責。朝5時まで母親、長男を正座させ祖父と父親は4リッターほどの焼酎を飲み干す
1995年 父親、アコム、武富士から数十万の借金。長男学資保険を解約し支払い
2000年 正月帰省時、出前の寿司のお金が支払えず地元の寿司屋から催促。2ヶ月分割
2001年 祖母が死去。葬式が貧相だと親戚一同から怒られる。通夜、葬式時のお礼なし食事なし
先日、今ストラトに何が起こっているか で今ギター業界を激震させているフェンダー社のC&Dレターについて書きました。
次に何が起こるかドキドキしながら5月25日の回答期限が過ぎるのを待っていましたが、さっそく大きな動きがありました。
アメリカの大手法律事務所がフェンダーに反論書を送付し、その内容が YouTuberによって公開 されたのです。
反論書を作成した弁護士がポイント。Fox Rothschild LLM の Ronald Bienstock 氏です。氏は、2009年のTTAB裁定(ストラト形状はもはや一般名詞化しているとして商標権を認めなかった)という馬鹿でかい勝利を勝ち取ったご当人。つまりストラト形状権利問題についてはこの人以上によく知っている人はいないであろう、生き字引であり、フェンダーの天敵とでも言うべき人です。
依頼主の名前は伏せられていますが、この人が乗り出したということはかなり予算を持ったメーカーが本気で反撃に入ったと考えられます。TTABの時はPRSを筆頭に18社の反フェンダー連合が組織されて勝利しました。今回も同じくらい規模の大きな戦争になるということです。
上の動画から反論書の内容をAIにまとめさせました。火の玉ストレートの反論で痛快です。
差出人: Fox Rothschild LLP / Ronald Bienstock弁護士
宛先: Fender Musical Instruments Corporation(FMIC)および代理人 Bird & Bird法律事務所
背景: Fender社から送付された「ストラトキャスター・ボディ形状の著作権侵害」主張に対する独立系ギタービルダー側の包括的な法的反論。
Fender社が根拠とするドイツ・デュッセルドルフ地方裁判所の判決は、中国の被告企業が裁判に一切出廷しなかったために下された欠席判決に過ぎない。ドイツ民事訴訟法により、被告欠席の場合は原告側の主張が全て「認めたものとみなす」扱いとなるが、このような判決が第三者一般を拘束する対世的効果を持つ規定は存在しない。
この判決は当事者間でのみ有効であり、裁判に参加していない第三者(独立系ビルダー)を法的に拘束する先例にはならない。完全な証拠記録と適切な反証があれば、裁判所は異なる判断を下していたはずである。
社史の誤り: Fender社は1946年からソリッドボディギターを製造していたと主張したが、これは虚偽。1946年に製造したのはラップスチール・ギターであり、最初の量産型ソリッドボディ・ギター(Esquire/Broadcaster)は1950年である。
「単独創作者」神話の虚構: EU著作権法の要件を満たすため、Fender社は「Leo Fenderが単独でストラトキャスターを設計した」という物語を作り上げた。しかし実際には、Freddie Tavares、Rex Gallion、Bill Carson、George Fullerton、Jimmy Bryantら複数人物による共同創作であり、この事実はFender社自身の公式サイトにも明記されている。
Leo Fenderは「芸術家」ではなく「技術者」: Leo本人の言葉として「100ドルあれば99ドルを機能に、1ドルを見た目に使う」と公認されている通り、彼が追求したのは徹底した機能性・量産性・修理容易性であった。ストラト形状は芸術的表現ではなく、人間工学的・機能的要請から形成された工業製品デザインである。
Leo Fenderや共同デザイナーたちが、ストラト形状の著作権を旧Fender社(FEIC)に正式にライセンス・譲渡したという明確な契約書等の法的証拠が存在しない。
2. FEIC → CBS(1965年売却):「普遍的承継」と主張するも文書なし
3. CBS → FMIC(1985年):前段階の証拠がない以上、この移転も成立しない
決定的な矛盾: Leo Fender自身が1965年のCBS売却後、非競争条項明けにMusic Man(1974年)とG&L(1979年)を設立し、ストラト形状のギターを継続的に製造。もし独占的著作権が本当にCBSに移転していたなら、CBS側がこれを完全に黙認していたことになり、権利の放棄(waiver)を意味する。実際、G&L社は2025年まで製造を続け、Ernie Ball Music Man社は現在も製造・販売している。
実用的物品の原則: 米国著作権法および国際的な著作権法理において、量産される楽器の機能的形状は原則として著作権で保護されない。米国最高裁はギターを明確に「実用品」として分類している。
機能とデザインの不可分性: ストラト形状のダブルカッタウェイ(ハイフレットアクセス)、人間工学的曲線(演奏の快適性)、コンター加工(体への圧迫軽減)などは、すべて楽器としての機能・実用性そのものであり、芸術作品として切り離して著作権保護することは法的に不可能である。
日本の最高裁も「量産型の実用的な製品は、その形状が実用的機能から導かれる要素とは独立した創造的表現の場合にのみ保護される」という原則を確認している。
意匠特許の失効: 旧Fender社は1952年と1959年にデザイン特許を取得したが、それぞれ1967年と1973年に失効。特許失効時点で形状はパブリックドメインになっており、50年以上経過した今になって著作権にすり替えるのは法の濫用である。
著作権表示の欠如: 1976年以前の米国著作権法では製品への著作権表示が要件だったが、ストラト発売(1954年)以降、一度も付けたことがない。当時の権利者自身が著作権保護の対象とは考えていなかった証拠である。
2009年TTAB判決での決定的敗訴: 2003年、FMIC社が初めてストラト等のボディ形状の商標登録を申請。これに対し17社のギター関連企業が異議申し立て。2009年3月25日、米国特許商標庁・商標審判部(TTAB)は「50年以上にわたるサードパーティーの広範な使用により、いかなる単一企業の出所識別機能としても機能できない」として商標登録を拒絶。ストラトボディ形状は米国において「一般的な形状(generic)」と宣言された。Fender社は上訴せず、判決は確定した。
最も重大な事実隠蔽: Fender社は、この2009年TTAB決定の事実をデュッセルドルフ地方裁判所に一切開示しなかった。世界最大のギター市場である米国において既に「一般的な形状」と裁定されていたという最も重要な事実を隠蔽したのである。
形状の一貫性の欠如: 1954年から1964年頃までのFenderギターは手作業で研磨されていたため、年式や個体によって寸法・コンター・曲線に大きなバラつきが存在。1970年代には輪郭が著しく浅いフラットボディも製造されていた。Fender社自身が一貫した形状を維持できていなかった。
広範な使用の歴史: ストラト発売から数年以内にサードパーティーによる同形状の使用が始まり、1959年以降Carvin、Eko、Tokai、Ibanez、Kramer、Jackson、Charvel、Music Man(Leo Fender指揮下)、G&L(Leo Fender指揮下)、Yamaha、Gibson等、数百社が参入。現在も拡大し続けている。
市場での公然たる流通: これらの競合ギターは、Fenderと同じ雑誌(Guitar Magazine、Guitar Player等)、同じ展示会(NAMMなど)、同じ小売店(Guitar Center、Sweetwater等)で堂々と販売され、60年以上にわたって妨げられることなく行われてきた。Eddie Van HalenはCharvelおよびKramerのストラト形状ギターを演奏していた。
Fender自身による製造助長: 1980年代、Fender社の前身企業は日本のメーカーへの製造外注を開始。特筆すべきことに、同一の工場(フジゲン)が、Fender社とFender社の競合他社のためにストラト形状ギターを同時に製造・出荷していた。Fender社自身が、ストラト形状を業界標準として扱っていた。
Fender自身による公的認知と権利放棄: 1990年、FMIC社は「Fender Frontline」カタログを導入し、20年以上にわたり以下のスローガンで他社の使用を認めてきた:
Fender社自身の専門家証人ですら、TTAB裁判において1960年代初頭から市場に溢れ始めたストラトボディの「無恥なコピー」を証言。これらはFender社がサードパーティーメーカーを認識し、全ての権利を完全に放棄していたことを示す。
Fender社は長年、文字商標「Fender」とヘッドストック形状については積極的に保護してきたが、ボディ形状に関しては60年以上にわたり権利行使を怠ってきた。世界中で広範にサードパーティーによる製造・広告・販売が行われていたにもかかわらず、認識と黙認以外、何の措置も取らなかった。
1980年代後半、FMIC社が商標権行使活動を開始した際、対象は文字商標とヘッドストック形状のみであり、ボディ形状は対象外としていた。2003年の商標申請以前、楽器や製品パッケージにボディ形状の権利主張表示を一度も付けたことがない。
TTAB決定以降の不作為: 2009年のTTAB決定以降、Fender社は他のいかなる法域においてもボディ形状の保護を求めていない。訴訟がTTABの判断とストラト形状の圧倒的な一般性の証拠を持ち込むことを知っているからである。
公正と公共政策の観点: 欠席判決への依拠によってストラトボディ形状の著作権保護を執行しようとすることは、実体のない(vaporous)措置である。71年間にわたる量産型の一般的なギターボディ形状に遡及的に著作権保護を付与することは、商標法を無意味なものにする。
サードパーティーは70年以上にわたってストラト形状の自由な使用に依拠し、その上にビジネスを築き、何千人もの人々を雇用し、何百万ドルも費やしてきた。単純な公平と公共政策の問題として、Fender社は70年以上経過した後、欠席判決によって多数の製造業者・販売業者を排除してストラト形状を独占する権限を与えられることはできない。
何十年も権利行使を怠ってきたにもかかわらず、突然権利を主張する行為は、禁反言(Estoppel)および権利行使懈怠(Laches)の法理により、法的に認められない。
Bird & Bird法律事務所の書簡では、依頼人のギターがFender社のギターボディ形状とほぼ同一であると主張している。しかし、書簡において「Fenderストラトキャスター・ボディ」として示された参照写真は、実際には地方裁判所訴訟における被告(中国企業)のギターである。代理人自身が中国製コピーギターとFender社のギターを区別できていない。これは、ストラトボディがあまりにも一般的で、知的財産権保護になじまないことを明確に示している。
依頼人のギターとFender社のギターを直接比較すると、全体的なサイズ、上部バウトの厚み、アームベベルの角度など明確な相違点が存在する。依頼人の楽器は独自のマーク、仕上げ、特徴を持っており、Fender社のいかなる権利も侵害していない。
刑事司法制度を利用した民事的解決の強要: Bird & Birdの書簡は依頼人の「犯罪行為」に言及した上で、Bird & Bird自身の法律事務所への直接支払いを要求。米国の多くの法域では、民事的解決を得るために刑事司法制度の利用を脅迫することは弁護士倫理の重大違反である。
許容範囲を超えた虚偽表示: 書簡は「Fender社がストラト形状に関する全権利を保有し、デュッセルドルフ判決によって確認された」と主張したが、同判決はいまだ最終判決にも至っておらず、第三者を拘束しない。欠席訴訟が確立した先例を代表し、当方依頼人を拘束するという主張は、恐怖とパニックによる解決を植え付けるために設計された明白な虚偽である。
当方は、貴職らが書簡に記載されている主張の全体を撤回することを要求する。
当方依頼人は、いつでも、どこでも、望む場所でストラトスタイルのギターボディを持つギターを販売し続けるあらゆる権利を有しており、世界中の楽器業界全体も同様である。
虚偽表示および誇大表示に基づいて競合他社をいじめる貴職らの依頼人の努力は、反競争的である。
貴職らの依頼人がこれらの事項の追求を継続する場合、当方依頼人は当然ながら、すべての弁護士費用および訴訟費用を含む、利用可能なすべての救済を求めることになる。
当方依頼人は、法律上および衡平法上のすべての権利および救済を留保する。
敬具 (Sincerely)
Ronald Bienstock, Esq.
巨人監督の阿部慎之助容疑者(47)が25日、暴行の疑いで警視庁に現行犯逮捕されたことが分かった。東京・渋谷区の自宅で18歳の娘に暴行を加えたとして、午後7時10分ごろ、児童相談所から110番通報があり、駆けつけた警察官が逮捕した。
関係者によると阿部容疑者は渋谷区内の自宅で18歳の長女と15歳の次女のけんかを止めようとして、仲裁に入った。しかし、娘に言い返されたことで「かっとなった」などと供述している。仲裁した際に叩かれた形になった長女が児童相談所に通報した。
長女にけがはなく、けんかをしたことや通報してしまったことに反省しているという。呼気検査の結果、アルコール反応が検出された。
プロ野球は交流戦の開幕を翌日に控えていた。巨人は本拠地東京ドームにソフトバンクを迎えて戦う予定。監督の逮捕を受けて、26日の試合は橋上秀樹コーチ(60)が監督代行として指揮を執る。ナインにも通達済みだという。
巨人軍の国松徹球団社長は「暴力は許されないことで極めて深刻に受け止めています。交流戦前夜に重大な不祥事を起こし、すべてのプロ野球関係者とファンの皆様に謝罪します。阿部慎之助監督については進退を含め処分を検討します。明日以降は橋上秀樹・オフェンスチーフコーチに監督代行を務めてもらいます」とコメントした。
阿部容疑者は26日午前0時すぎ、調べを受けた渋谷署から釈放された。
◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。17年に通算2000安打。19年現役引退。通算2282試合、2132安打、406本塁打、1285打点、打率2割8分4厘。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。20年から巨人2軍監督。22年から1軍コーチを務め、24年に1軍監督就任。00年シドニー五輪、08年北京五輪、09、13年WBCで日本代表。180センチ、88キロ。右投げ左打ち。
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202605260000020.html
定義: 個人の魅力・能力・選好に基づく「選ばれなさ」であり、特定属性への敵意や制度的排除を伴わないもの。不快ではあっても、差別とは質的に異なる。
この段階のポイント: 本人にとっては深刻な苦痛でありうるが、「属性を理由とした不当な扱い」ではないため、差別の文脈で扱うと議論が混乱する原因になる。「つらさ」と「差別」は別の軸である。
定義: 特定の属性に対する否定的なステレオタイプが社会に流通し、その属性を持つ個人が日常的に偏見にさらされる状態。法的権利は侵害されていないが、尊厳の毀損や心理的負荷が継続的に発生する。
この段階のポイント: 個々の言動は「悪意がない」「冗談」「褒めている」と弁明可能なものが多いが、当事者にとっては累積的に尊厳を削る。可視化されにくいため「大げさ」「被害妄想」と退けられやすい。
定義: 特定の集団・コミュニティにおいて、ある属性を持つ人々への攻撃・蔑視・性的対象化が文化として定着し、組織的・反復的に行われる段階。個人の偏見を超え、集団の規範として加害が正当化される。
この段階のポイント: ②との決定的な違いは、加害が集団の文化・規範として機能している点にある。「ノリ」「ネタ」「ジョーク」として正当化され、批判する側が「空気を読めない」「過剰反応」と攻撃される。脱人間化(dehumanization)の言語が定着すると、より深刻な段階への心理的障壁が下がる。
定義: 法律・制度・政策によって特定の属性を持つ人々が権利を制限され、または不利な立場に置かれる状態。国家権力が差別を正当化・執行する。
この段階のポイント: ②③が「社会の中の差別」であるのに対し、④は「国家による差別」である。法が差別を禁止するのではなく、法そのものが差別を構成する。被害者は法に訴えることができない(法自体が敵であるため)。制度的差別は撤廃後も長期にわたって構造的不平等として残存する。
定義: 特定の属性(人種・性別・性的指向・宗教・民族など)に対する憎悪を動機として、個人または小集団が行う身体的暴力・殺人・テロ行為。法制度は(少なくとも建前上は)これを禁止しているが、実効的に防止できていない、または暗黙に容認されている。
この段階のポイント: ③との違いは、言語的・心理的暴力から身体的暴力・殺人へと移行している点にある。ただし③の脱人間化言語が⑤への「許可」として機能するという連続性がある。加害者は個人でも、その動機は社会に流通する憎悪イデオロギーに根ざしている。国家は禁止しているが、捜査・処罰の不十分さが暗黙の容認として機能することがある。
定義: 国家またはそれに準ずる権力が、特定の属性を持つ集団を組織的に排除・追放・絶滅しようとする行為。④(法制度的差別)と⑤(暴力)が国家権力によって統合され、産業的規模で遂行される。
「エリートパニック」(elite panic)とは、災害や危機が発生した際に、権力を持つエリート層(政府、行政、企業の上層部など) が「一般の人々がパニックを起こすに違いない」と過剰に恐れ、それ自体がパニック状態に陥ってしまう現象を指します。定義と特徴エリート層は、社会秩序の崩壊や大衆の暴走を極度に懸念します。
その結果、情報隠蔽、遅延、強権的な統制、過剰な「命令・統制」(command and control)重視の対応を取ってしまう。
皮肉なことに、一般市民は災害時に意外と冷静で、互いに助け合う「災害ユートピア」のような協力行動を示すことが多い一方、エリート側のこの過剰反応こそが、被害を拡大させたり、信頼を失わせたりする大きな要因になると指摘されています。
この概念は、米国の災害社会学者キャスリーン・ティアニーや、リー・クラーク、カロン・チェスらによって議論され、レベッカ・ソルニットの著書『災害ユートピア』(原題: A Paradise Built in Hell)で広く紹介されました。同書では、歴史的な災害事例を通じて、普通の人々が連帯する姿と、エリート側の恐怖心による誤った対応を対比的に描いています。なぜ起こるのか?エリート層は、自分たちの権力や正当性が、社会の混乱によって脅かされることを恐れます。具体的には:社会的混乱への恐怖
これが「パニック神話」(災害時に大衆が必ずパニックになるという誤った思い込み)を生み、情報開示をためらわせるのです。結果として、エリート自身がパニックに陥り、状況を悪化させるという自己成就予言のような状態になります。
en.wikipedia.org
具体例スリーマイル島原子力事故(1979年):住民がパニックを起こすのを恐れた当局が、原子炉の危険性を十分に伝えず、避難指示が遅れた。
ハリケーン・カトリーナ(2005年):被災地での軍事的・強権的な対応が優先され、救援が遅れた。
東日本大震災・福島原発事故:SPEEDI(放射能拡散予測情報)の公開が遅れ、住民の避難に混乱が生じた事例が、エリートパニックの典型として挙げられます。
その他、1906年のサンフランシスコ地震での「略奪者」への射殺命令など、歴史的に繰り返されてきたパターンです。
災害社会学の研究では、実際の災害現場で「大衆のパニック」はほとんど確認されておらず、むしろエリート側の対応が問題の核心だとされています。最近の文脈での使用日本では、災害時だけでなく、危機的な社会状況(例: 供給不足、感染症、パンデミックなど)で「情報統制」や「不安を煽るな」という姿勢が、エリートパニックの表れとして批判的に使われることがあります。一般市民は情報を与えられれば冷静に対応できるのに、隠すことでかえって不信や混乱を招く、という指摘です。要するに、エリートパニックは「権力者こそがパニックを起こしやすく、それが社会全体に悪影響を及ぼす」という逆説的な洞察です。危機時には、透明性の高い情報共有と、市民の自発的な協力力を信じることが重要、という教訓を含んでいます。この概念を知ると、ニュースや行政の対応を少し違う視点で見られるようになるかもしれません。関連する本として、ソルニットの『災害ユートピア』をおすすめします。
「戦場のリアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ「機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています。戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者の意識は。〝最初のガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。
――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります。時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています。
本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品が商品になってしまい、作家の立場からは何も言えなくなったのです。
ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だから、ガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります。
ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。
昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者の名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います。
――ガンダムで描かれた戦争の描写には、どんな思いを込めましたか?
ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴な行為だからやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。
ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。
独裁者をどう止められるのか
――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオンの正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます。
僕の立場としては、良かったなと思っています。視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います。
むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときにギレン・ザビ(ジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。
作中ではザビ家内の権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制は崩壊しましたが、現実はそう簡単にはいっていないでしょう?
暴力によらない、政治的な手段で独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダムの真骨頂なのです。
――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦の枢軸国のイメージが重なります。設定の意図は?
明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。
増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民」である、地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています。
そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者の誕生が現実になってしまいました。
ロシアやアメリカの現状や、中南米、アフリカ、中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。
独裁者のような人間が大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています。
――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。
80年前を振り返った時に、ナチスのヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家のハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます。独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。
日本の場合、真珠湾攻撃で開戦したときに著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています。
――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会や在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞が軍部と一体化してしまったという負の歴史があります。
軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉づかいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉づかいは、戦後もずーっと残っているのです。
軍事技術者だった父
――富野さんは終戦時3歳。父親は軍事技術者だったそうですね。
化学の技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾の気球を作る仕事もやらされていたようです。
父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。
働いていた神奈川県小田原市の工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議でしょうがないんだけど、その時代の日本を考えると、父が特別に軽率だったとは思えないですね。
――戦争そのものへの忌避感は持ちながらも、兵器やアニメの戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います。私自身もそうです。この矛盾について考えていました。
民衆の支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。
ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビの戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般の国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています。平和なら、ね。
――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争の被害を題材にした作品の描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えています。ガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。
ガンダムでは戦場のリアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います。
作り手である僕自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事だからって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。
今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアルな戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。
――戦争を知る世代がいなくなったとき、映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。
架空の戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。
エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたとき、リアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸やミサイルをかわすといった、シューティングゲームやアクション映画のような作品になっているでしょ?
「ニュータイプとは何か」今も
――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念を提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります。
ニュータイプは、ガンダムの物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています。
新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)。
世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。
https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html
私は1979年生まれの氷河期世代だ。卒業当時は就職できず、アルバイトなんだか個人請負なんだかよくわからない仕事をしていた。今の状況については言及しない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2680094
このブコメで、
同世代だけど竹中自民で身分制作ったのとか年越し派遣村誰がやってたのかとかピンポイントで忘れる能力凄いやん。とはいえ日共はずっと弱者救済してたんだし労働党に改名できたら存在感出せてたのに勿体無い事したね
というブコメがあったので、当時派遣法を支持した身としてのいち意見を述べたい。
「ピンポイントで忘れる」と言うが、こういうこと言う人は当時の凄惨な就職難についてはピンポイントで忘れてしまったのだろうか。
当時の新卒の正社員就職率はだいたい55%だった。今は92%らしいね。全く時代が違う。
当時の私たち学生はみんな圧迫面接やハラスメントに耐え、死に物狂いで活動して、それでも2人に1人は正社員の椅子に座れなかった。
職にあぶれた膨大な人をどうすべきか?というのがまさに喫緊の政治課題だった。そこで出て来たのが派遣法の改正。雇用の調整弁としてまったく企業に都合のいい存在だけれど、そうでもしなければ雇用が生み出せないという極限状態だった。
2008年のリーマンショックの時にはその調整しやすさのせいで派遣切りが発生して、大きな問題となった。年越し派遣村もちょうどこの年のことだ。派遣制度の脆弱性がそのまんま出て来た問題だったが、これをもって「派遣法は失敗だった」というのはその時の結果論でしょう。
派遣法が存在しなければ派遣切りは発生しなかったが、実家で親のすねをかじるNEET(これも当時出て来た言葉だ)やナマポ受給者(あえて当時流行していた言葉を使っています)が増えることになり、そちらの方がより大きな社会問題になりはしなかったでしょうか。
共産党は当時、派遣法に反対していた党で、同一賃金同一労働、派遣業者のピンハネ率の上限設定、製造業派遣の禁止なんかを言ってたと思う。
現在の価値観では全く正しいことだと思うけど、当時にこれらが適用されていたら何の就職難の助けにもならない法律になったろう。
もちろん就職難がある程度解消されても、派遣労働者の権利保護が放置され続けたことは大きな問題だと思うけれど、あの時代の派遣法自体を「悪」だとは当事者の自分は全く捉えていません。
中東情勢(第4次中東戦争、イラン革命)で原油価格が急騰。ナフサ(エチレンの原料)価格も高騰し、石油化学産業は大打撃を受けました。日本は石油のほぼ全量を輸入に頼っていたため、工業用石油・電力の20%削減などの緊急対策が取られ、経済全体が不況に陥りました。<grok:render card_id="47caa4" card_type="citation_card" type="render_inline_citation"><argument name="citation_id">16</argument></grok:render><grok:render card_id="537a7f" card_type="citation_card" type="render_inline_citation"><argument name="citation_id">20</argument></grok:render>
ショック直後は「不況カルテル」(生産数量制限)で対応しましたが、根本解決には至らず、**1980年代初頭に政府主導の「産構法(構造不況産業臨時措置法)」による大規模設備廃棄・合理化**が行われました。
- エチレン生産能力を大胆に削減(当時の水準まで大幅ダウン)。
- 複数のプラントで統廃合や停止が実施され、業界全体の構造調整が進みました。
これにより、1980年代後半~バブル期には一時的に能力が回復しましたが、根本的な過剰設備問題は残りました。<grok:render card_id="16f9fa" card_type="citation_card" type="render_inline_citation"><argument name="citation_id">4</argument></grok:render><grok:render card_id="94a3c1" card_type="citation_card" type="render_inline_citation"><argument name="citation_id">12</argument></grok:render>
これは第2次ショック直後の時期で、原油価格の変動が続きましたが、再編のピークはすでにオイルショック直後の1980年代初頭。戦争自体が直接「プラント停止の引き金」になったわけではなく、**長期的なコスト高と国際競争力低下**が再編を加速させた形です。
### 今回(2026年時点の水島停止・大阪集約など)との違い
つまり、**「エチレンプラントの停止・統廃合」という現象自体は過去にも起きていましたが、今回はオイルショックのような“急性危機”ではなく、慢性化した構造問題が表面化した形**です。1980年代の再編と同じく、国内12基→8基体制への大幅削減は、業界にとってはかなり大きな転換点になっています。
ご質問のX投稿(@petchemcarbonさん)で指摘されているように、今回の動きはまさに「中国過剰+国内需要減」がトリガーですね。過去のオイルショック時は「原油高」で苦しみましたが、根本原因が違うので、今回の再編はより長期的な業界縮小・高付加価値化へのシフトと言えそうです。
https://anond.hatelabo.jp/20260311152326
マスターが聞いてきた。
何にしようかと少し考えているとマスターがどちらへともなく
「"ギムレットには早すぎる"の間違った意味の方の"坊や"つながりでラム酒のラ・マニーはいかがですか?」
と勧めてきた。
"坊や"つながり?
「機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルが"坊やだからさ"という有名なセリフを言ったときに酒場で飲んでいたのがラ・マニーなんです。アニメでは描かれていませんがThe Originという漫画ではグラスに注いでいるボトルがラ・マニーだとはっきりわかります。(注:機動戦士ガンダム The Origin コミックス第5巻)
ラ・マニーはフランス領マルティニーク島で作られています。フランス系ラムは若いブランデーとも通じるような植物香が感じられるものが多いです。
今、当店にあるのはラ・マニーの中でもスタンダードなアンブレというボトルですがそのシーンのようにロックで飲むのにちょうどいいボトルです。ちょっと前までオールドボトルも開いていたのですが残念ながら売り切れてしまいました」
それがいいかなと思ってると
「ところで、さっき言ってた少し前まであったオールドボトルのラ・マニーはどういうボトルだったんですか?」
「90年代流通のナナキューヴィンテージでした(注:1979年蒸留)」
1979年といえばファーストガンダムの放送開始年じゃないか。飲んでみたかったよ……
"愛嬌のある顔"の客がこちらを向いてグラスを持ち上げ芝居がかった言い方で言ってきた。
「私はまた友人が増えたようだ」
私はシャリア・ブルですか。私も"愛嬌のある顔"の客に向かってグラスを持ち上げ微笑んだ。
「ボルドーの左岸があったら良かったですね」と言おうともしたけど飲むつもりも無いのに店に対する嫌味に受け取られかねないのでやめておいた。
最近のイラン情勢で、一部の人たちが「高市早苗首相が日イラン関係を壊さなければ、日本のタンカーは通れたはずだ」と言う話をしているが無理があるだろ。
「高市を擁護しているわけではない」と前置きしておくが、この点については批判するならちゃんと批判してほしい。こんな嘘をつかなくても高市がカスであることはいくらでも説明できるだろう。
最初に攻撃したのはアメリカ側だが、その後に周辺国の民間施設やタンカーを攻撃しているのはイラン革命防衛隊なので、アメリカを応援している限りにおいてもはや「親日なら通れた」というレベルの話ではなくなっている。アメリカと手を切れと言い切れる人以外どうすれば問題を回避できたのか言ってみてほしい。
他の国と状況は同じだ。
そもそも安倍政権時代もイラン核開発に対して日本は制裁を課しており、安倍元首相のイラン訪問時も状況は変わらなかった。むしろ訪問中に日本のタンカーが攻撃されて関係が悪化した。問題の根本は米・イランの大国同士の衝突であり、日本がどうこうで解決できる話ではない。
日イラン関係の歴史的な基盤は戦後から良好だった。特に1953年の「日章丸事件」では出光興産のおかげでイラン側は強い親日イメージを持つようになった。1979年のイスラム革命後も石油輸入などでつながりを維持したし、安倍晋三の父である安倍晋太郎外相が1983年にイラン・イラク戦争の仲介で両国を訪問した歴史もある。
安倍晋三首相時代も、米国との同盟関係を維持しつつイランとの友好を保つ「架け橋外交」を積極的に展開した。
2019年6月:現職首相として41年ぶりにテヘラン訪問してロウハニ大統領とハメネイ最高指導者に会談してトランプ政権下の米イラン緊張(核合意離脱・制裁強化)の緩和と対話仲介を行なった。安倍首相は「武力衝突の回避」「イランに建設的役割を」と要請して、ハメネイ師は核兵器反対を再確認しロウハニ大統領は「米国との戦争は望まない」と応じたりとイランは明らかに日本に一目置いてくれていた。
それでも成果は限定的だった。イラン側は米国非難を強め、日本は米国からの制裁免除で石油輸入を試みたが、2020年までにほぼ停止した。訪問中の2019年6月13日、日本企業運航のタンカー2隻はホルムズ付近で革命防衛隊によって攻撃された。つまり安倍晋三でも「仲介失敗」「日本企業が被害を受けた」という状態になって結局問題を解決できなかったのだ。
「親日だからタンカーが安全」という優遇は安倍晋三時代にはすでに機能していなかった。日本の問題というよりイランが核開発をやめようとしないことと、それを絶対に許さないアメリカの問題の方がはるかに大きく、アメリカのポチをせざるを得ない以上日本は誰が首相をやっても回避できない。
それ以降の日イラン関係でも同じだ。日本とイランという2国の間では安倍退陣後も伝統的な友好基盤は維持されている。それでも米同盟優先とイラン保守派政権の強硬化で経済・安全保障面は慎重になっている。
菅政権(2020~2021年):ロウハニ大統領から安倍氏の功績を称えるメッセージがあり、関係継続の期待があった。
岸田政権(2021年~):イラン大統領選で保守派のライースィー勝利後、岸田氏が最初に祝意を表明。2021年8月に茂木外相がライースィー政権発足直後に訪問(主要先進国で初)。2022年9月国連総会で岸田・ライースィー首脳会談も行われた。2023年にはイラン外相来日などハイレベル交流は続いた。それでも投資協定や文化・医療協力は模索段階にとどまった。
結局のところ、イラン核活動の拡大(2022年以降協議中断)で日本は「核兵器開発は許されない」「地域安定を損なう行動をやめよ」と繰り返し要請。石油輸入はほぼゼロの状態が続いていだというのが現状だった。
2026年現在のイラン危機対応についてだが、現在ホルムズ海峡事実上封鎖、タンカー攻撃が続き、日本関連船舶42~45隻が影響を受けいる。
高市首相の対応は、この件では台湾の件での反省を踏まえて前例を踏襲している。何もしてないとも言えるが大きく外れなことはしていない。
イランの核開発を非難しつつ「民間施設攻撃・封鎖は批判すべき」「早期沈静化へ外交努力」と表明。日米首脳会談で米側の要請対応を検討中だが、「存立危機事態」認定もしていない。自衛隊派遣についても慎重姿勢であり、あくまでもエネルギー備蓄放出と邦人安全確保を優先している。
ここまで踏まえた上で、どうやったら高市が上手くやっていれば解決できたと主張できるのかぜひ教えてほしい。間違った前提に基づいた議論がやりたいならサナエトークンみたいにどうでもいい話でやってほしい
髙杉》軍縮のもたらした影響の一つに、軍隊内での指導者の威信が低下したことが挙げられます。具体的に言うと、先ほど申し上げたように軍縮後のフォローが十分ではなかったため、クビを切られる立場の軍人たちに「自分たちは利用された。宇垣らは我々を踏み台にして政界に進出しようとしたのだ」という疑念が生まれた。そしてそれはある程度その通りでした。結果として軍上層部への信頼や統制力が弱まり、青年将校たちが言うことを聞かなくなっていった面もあったのかな、と。
筒井》青年将校運動に関し、三島由紀夫が面白いことを言っています。五・一五事件から二・二六事件あたりまで、青年将校が上官たちから危険視されつつある意味でちやほやされた局面があるんですが、なぜそうなったかというと「軍隊という特殊な一社会集団において、その集団のモラリティー(士道)を体現するものと目されたからである」と(末松太平『完本 私の昭和史』所収「利用とあこがれ」/中央公論新社)。軍隊の中には階級制度も立身出世主義もいろいろあるが、結局本質的特徴としてはモラリティーしかないんだというわけです。軍隊に限らず、組織が大きくなるほど上層部では自己疎外が起きて、立脚すべきモラリティーが喪失してしまう。そうなったとき、それを持っている人に対して「利用とあこがれ」の両局面が生じるのだと三島は指摘します。
つまり、上層部の陸軍大学校出のエリート軍人から見れば、青年将校は愚直で単純で、それゆえうまく利用してやろうと思っているんだけど、自分たちが失ってしまった本来の軍人らしさを彼らのみが持っているから、憧れも感じている。髙杉さんが今言ったことは、この三島の指摘と関係しているように感じます。
髙杉》青年将校の動きを上層部が強く統制・弾圧できなかったのは「彼らがやっているのはけしからんことではあるが、本来あるべき軍人的な純真さを持っているのは彼らのほうだ」という後ろめたさがあったからだ、と。たしかに鋭い指摘です。
筒井》軍人というのはどういう内面を持った人々なのかという洞察が、戦後日本では十分なされていません。戦後、軍隊は存在しないみたいなことになったせいか、アルフレッド・ド・ヴィニーの『軍隊の服従と偉大』(岩波文庫)のような本がない。これは困ったことで、現在のように安全保障が重要になってきた時代であればこそ、軍人をよく理解しなければいけないのですが、石川明人さんの著作のような例外を除き、今参考になる深い本がほとんどない。
私自身は高校生の頃かに、末松の『私の昭和史』を読んで衝撃を受けました。これが非常に人間的な内容でね。末松は軍人をテーマにした徳冨蘆花の小説『寄生木(やどりぎ)』を愛読していたらしく、「バルザックを思わせる」(三島)文学者のような文章を書くんですよ。末松の本で、青年将校とは意外にヒューマンな人たちなのだな、と理解しました。
髙杉》青年将校が書いたものはわりと文学的な文章が多いですよね。あまり軍人らしくないと言いますか。
筒井》西田は陸軍士官学校で、詩人となる三好達治と同級生でしたし、二・二六事件の中心人物となった村中孝次は厨川白村(くりやがわはくそん)やクラシック音楽を好んでいた。大岸はアメリカの思想家エマーソンを愛読していたそうです。大正の教養主義が強い時代に育った軍人たちはみんなそういった感じで、それが昭和になってからの二・二六事件など、さまざまな事件に反映されていると思います。
(『中央公論』3月号では、クーデターとして「甘い」理由や、事件を機に政党政治が衰退したとは単純に言えない理由、事件後も大衆の「社会的平準化」の希求が続いたことなどを詳しく論じている。)
◆筒井清忠〔つついきよただ〕
1948年大分県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。専門は日本近現代史、歴史社会学。京都大学教授、帝京大学文学部長などを歴任。『西條八十』(読売文学賞、山本七平賞特別賞)、『昭和期の陸軍』など著書多数。
1979年愛知県生まれ。海上自衛隊生徒を経て國學院大學大学院法学研究科博士課程後期修了。博士(法学)。宮内庁書陵部編修課(非常勤)、日本銀行金融研究所(個別事務委嘱)などを経て現職。著書に『昭和陸軍と政治』『帝国陸軍』などがある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28016164825dfbb8306bf249db4b558e309f362c?page=2
【そもそも解説】なぜ米国とイスラエルがイラン攻撃 7つのポイント
2026年2月28日 17時00分(2026年3月1日 1時00分更新)
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米国とイスラエルが中東の地域大国イランへの軍事攻撃に踏み切った。なぜ今だったのか、今後起きうる事態はどのようなものか。押さえておきたいポイントをQ&A形式でお届けします。
①なぜ攻撃したのか?
②イランはどんな国
③なぜ仲が悪いのか?
⑥イランの反撃は?
⑦今後のシナリオ
緊張が高まったきっかけは、イラン当局が昨年末から全国に広がった政府への抗議デモを弾圧したことだ。今年に入り、「米国とイスラエルに訓練された工作員による破壊工作が広がっている」と主張して、武力を使って抑えつけた。イランの公式発表でも死者は民間人を含む3117人にのぼり、海外に拠点を置くイランの人権団体などはさらに多くの死者が確認されたとしている。
写真・図版
トランプ米大統領はデモを支持し、「助けはもう来る」などと発信して、米国が軍事介入する可能性を示唆した。1月中旬に抗議デモが鎮圧された後も、トランプ氏は「イランへ大艦隊が向かっている」と圧力をかけ続け、懸案となってきた核開発問題などを話し合う席にイランをつかせた。
米国とイランは2月に入って3回の高官協議を開いたが、トランプ氏は話し合いでは米国が望む条件をイランにのませることは難しいと判断した可能性がある。米国の支援を受けるイスラエルは、以前から敵対するイランが核兵器を保有することを警戒している。昨年6月にはイランの核開発施設や軍事施設などを狙って先制攻撃し、「12日間戦争」に発展した。
②イランはどんな国?
国土は日本の4.4倍で、人口は約8900万人。石油輸出国機構(OPEC)の資料によると、イランの原油埋蔵量はベネズエラ、サウジアラビアに次ぐが、米国をはじめとする西側諸国の経済制裁で石油の輸出が制限され、経済的な苦境が続いている。日本が輸入する原油の大半は、イラン沿岸のホルムズ海峡を通る。一帯が不安定になって輸入に差し支えが出れば、日本経済にとって大きな打撃になるとみられている。
イランはイスラム教シーア派を国教とし、イスラム法学者が統治する政教一致の体制をとる。最高指導者が権力の頂点に位置づけられ、国政の重要事項についての最終的な判断を担う。行政府の長である大統領は内政・外交の実務を取り仕切るが、最高指導者の意向に反した政策はできない。現在の最高指導者ハメネイ師は、1989年に初代のホメイニ師が死去した後に就任した。
殺害されたハメネイ師はどんな人物? 大統領より絶対的な最高権力者
写真・図版
2026年1月3日、イランの首都テヘランで開かれた集会で演説する最高指導者のハメネイ師。最高指導者事務所提供=ロイター
1979年のイスラム革命にさかのぼる。米国は冷戦期、ソ連を中東に南下させないためにイランのパーレビ王朝を支援していた。パーレビ国王は西欧化を進めたが、抑圧的な体制への抗議運動が広がり、国王はエジプトに亡命した。王制と米国を批判してきたホメイニ師が亡命先から帰国して革命体制を樹立し、米国を「大悪魔」と呼んで反米路線にかじを切った。
79年後半には、米国がパーレビ氏を受け入れたことに怒ったイランの学生らが、テヘランの米国大使館になだれ込んで外交官らを人質にとる「米大使館占拠事件」が起きた。450日間近く占拠が続いた事件が、米国がイランを敵視する「原点」と言われている。
イランの核開発活動は2002年に反体制派によって暴露された。イランは核開発を平和目的だと主張したが、国連は制裁を決議し、米国も独自の制裁を発動してイランに圧力をかけた。
15年には米英仏ロ中独との間で、核開発を制限する見返りに制裁を緩和する「イラン核合意」が結ばれた。しかし、トランプ政権(第1次)は18年に一方的に合意から離脱し、イランは核開発を加速させた。25年1月に発足した第2次トランプ政権もイランに対する「最大の圧力」を復活させ、核保有を阻止する方針を示した。
トランプ氏が言う「大艦隊」の中核は、原子力空母を中心とする空母打撃群と呼ばれる部隊だ。すでにエイブラハム・リンカーン空母打撃群がアラビア海北部、ジェラルド・R・フォード空母打撃群も地中海東部に配置されている。空母は1隻で約70機の航空機を運用でき、大規模な航空作戦を展開できる洋上の飛行場だ。このうち約40機を占める最新鋭のF35ステルス戦闘機や、FA18戦闘攻撃機は敵地を空爆する能力がある。空母を護衛する複数の駆逐艦や潜水艦は射程1600キロ以上の巡航ミサイル「トマホーク」で敵地を攻撃できる。
写真・図版
米軍は駆逐艦などの戦闘艦をイランに面したペルシャ湾の周辺、アラビア半島を挟んだ紅海、地中海東部の海域にも展開させている。米メディアなどによると、F22や、F15といった戦闘機や空中給油機といった空軍機も中東の米軍拠点に追加配備され、防空拠点の構築も進められていた。
写真・図版
昨年6月の「12日間戦争」では、米国は本土からB2ステルス爆撃機をイランに飛ばし、地中貫通弾「バンカーバスター」GBU57を投下して地下に建設された核施設を破壊した。
⑥イランの反撃は?
イランには米軍やイスラエル軍と渡り合える航空戦力はないが、その差を補うためにミサイルとドローンを集中的に整備してきた。イスラエル政府によれば、「12日間戦争」でイランからは550発以上の弾道ミサイル、1千機以上のドローンが発射された。米軍の空爆を受けたイランは、カタールにある米軍基地もミサイルで攻撃した。
イランは「米国からの攻撃があれば、即座に反撃に出る」と公言し、中東地域の米軍基地も目標となりうるとしていた。その言葉通り、イランは今回、米国とイスラエルの攻撃を受けた直後にバーレーンの米海軍第5艦隊司令部、カタールとアラブ首長国連邦(UAE)の米軍基地、イスラエルの軍施設を攻撃したと明らかにした。このほかにもクウェートやヨルダンもミサイルを迎撃しており、戦闘は地域全体に広がっている。
イランは中東各地の武装組織を支援し、「抵抗の枢軸」と呼ばれる反米・反イスラエルのネットワークを作り上げ、勢力拡大をはかってきた。こうした武装組織の動きも注目される。
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⑦今後のシナリオは?
トランプ氏が攻撃で実現したい目的によって、軍事作戦の規模や標的が決まってくるとみられる。イランの核開発能力をそぐのが目的であれば、核開発の施設や、核兵器を保有した場合に搭載できる弾道ミサイルの関連施設を狙う可能性がある。
より深刻なのは、イランの現在の指導部の排除を狙うケースだろう。トランプ氏は1月、南米ベネズエラを攻撃し、マドゥロ大統領を連行する作戦を実施しただけに、その可能性は否定できない。イランのイスラム体制が揺らぐ事態となれば、中東の地域秩序の一大転機になるだろう。
最高指導者ハメネイ師死亡、イランの今後は? 知っておきたい要点
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こ
みんなこっそり?ってなってるはず
Chat GPTに聞いてみた
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■ ハメネイ
→ アリー・ハーメネイー
■ ホメイニ
→ ルーホッラー・ホメイニー
1979年のイラン革命を主導し、イスラム共和国を作った人物。
■ オナニー
これは日本語の俗語で「自慰(じい)」という意味で、上の2人とはまったく無関係です。
という整理になります。
イラン最高指導者アリ・ハメネイの死は、単なる一人の独裁者の終わりではなく、長年抑圧されてきたイラン国民にとって「天罰」のような象徴的事件となった。
2026年2月28日、米国とイスラエルの共同軍事作戦により、ハメネイはテヘランの自邸・執務室を標的とした空爆で死亡。国営メディアが確認した通り、彼の娘、義理の息子、孫、さらには義理の娘までもが同時に命を落としたという。親族ごと抹消されたこの惨状は、イスラム共和国体制の腐敗と残虐性を如実に表している。ハメネイは1989年以来、37年にわたり最高指導者として君臨し、反米・反イスラエルを国是とし、核開発と地域代理戦争を推し進めてきた男だ。
国内では女性の権利を踏みにじり、反体制デモを血で鎮圧し、経済を破綻寸前に追い込んだ。こうした「独裁の象徴」が、家族もろとも天から下された鉄槌で消滅した今、イラン国内および国外のイラン人コミュニティでは、抑えきれない興奮と希望が広がっている。特に目立つのは、王政復古を求める声の高まりだ。パフラヴィー朝最後の皇太子であるレザ・パフラヴィーは、亡命先から即座に声明を発表。「イスラム共和国は事実上終わりを迎えた」「イラン国民よ、今こそ立ち上がれ」と呼びかけ、軍・警察・治安部隊に対して「人民を守る誓いを果たせ」と促した。ロサンゼルスなど海外のイラン人コミュニティでは、ハメネイ死去のニュースに歓喜の声が上がり、パフラヴィー家の旗や肖像が掲げられる場面が相次いでいる。なぜ今、王政復古の機運がこれほどまでに高まっているのか。その核心は、1979年のイスラム革命以前にあった「白色革命(White Revolution)」時代の黄金期への回帰願望にある。モハンマド・レザ・シャー(パフラヴィー2世)が1960年代から70年代にかけて推進した白色革命は、土地改革、女性参政権の拡大、工業化、教育の普及、近代インフラの整備を一気に進めた。イランは中東で最も急速に近代化した国の一つとなり、経済成長率は年平均10%を超え、テヘランは国際都市として繁栄した。女性はミニスカートを履き、大学に進学し、欧米並みの生活を享受していた時代だ。対照的に、イスラム共和国体制下の45年間は、強制ヒジャブ、言論統制、経済制裁による貧困、若者の絶望が続いた。多くのイラン人は「あの時代に戻りたい」と公然と語るようになり、ハメネイの死はまさにその「呪縛からの解放」の契機となったのだ。
さらに注目すべきは、米国の役割だ。ドナルド・トランプ大統領は攻撃直後、Truth Socialで「ハメネイは歴史上最も邪悪な人物の一人だった。彼の死はイラン国民が国を取り戻す最大のチャンスだ」と宣言。作戦を「人道的介入(humanitarian intervention)」と位置づけ、体制転換を公然と促した。パフラヴィー皇太子もこれを歓迎し、トランプ政権を「イラン人民の味方」と称賛している。ここで特に強調したいのは、平和を愛するドナルド・トランプ大統領の今回の行動が、真の平和への貢献として歴史に刻まれる点である。トランプは「平和を通じて力(peace through strength)」を掲げ、過去にもアブラハム合意を主導し、中東の敵対国同士の正常化を次々と実現させてきた。今回のイランに対する決定的な一撃は、長期にわたり地域を脅かしてきたテロ支援国家の頭目を排除し、核の脅威を根絶する方向へ導いた。まさに、戦争を避けるための強硬な平和外交の極みであり、トランプの「アメリカ・ファースト」がもたらした中東の安定への最大の寄与と言えよう。米国にとってイランは長年の「悪の枢軸」であり、かつてのシャー政権は信頼できる同盟国だった。パフラヴィー朝は親米・親欧路線を貫き、石油利権を安定供給し、中東のバランス役を果たした。現在の体制が崩壊すれば、米国は再び「良き傀儡」として機能する親米政権の樹立を望んでいる。レザ・パフラヴィーはその最適な候補だ。彼は繰り返し「私は王位を求めるのではなく、民主的移行を主導する暫定指導者になりたい」と強調し、国民投票による将来像の決定を約束している。この「良き傀儡」としてのイランは、かつての満洲国が極東において果たした役割に似ている。満洲国は日本主導の下で成立し、ソ連の脅威に対する防波堤となり、経済開発を通じて東アジアの安定に寄与したと再評価される動きが一部で進んでいる。満洲国は、共産主義の拡大を防ぎ、地域の平和の礎として機能したという歴史的視点が、今日改めて注目されているのだ。同様に、新たなイラン政権がアメリカの同盟国として機能すれば、イランは中東平和の安定装置となり、テロ支援の終焉、核拡散の阻止、石油ルートの安全確保を通じて、地域全体の平和に大きく貢献するだろう。もちろん、課題は山積みだ。革命防衛隊(IRGC)はなお強硬に抵抗を続け、後継者選定を急いでいる。報復攻撃の応酬で中東は戦火に包まれつつある。しかし、ハメネイの「親族ごと」の死は、単なる軍事的事件を超え、象徴的な「神罰」としてイラン人の心に刻まれた。王政復古の機運は、もはや抑えきれない潮流となりつつある。イランは再び、白色革命の輝きを取り戻せるのか。それとも新たな混沌に飲み込まれるのか。歴史の岐路に立っているのは間違いない。トランプの平和への貢献が、この転換点を中東の永続的な安定へと導くことを強く期待したい。
テヘランで生まれた同世代の友人たちと話すと、いつも同じところに行き着く。
「俺たちの人生には、王様はいなかった。でも“王様の時代”は、ずっとテーブルの上に置かれている」——パーレビ王朝ってのは、そういう存在だ。
1979年の革命を、自分の目で見たイラン人は、もうだいぶ年配だ。
今のイランの平均年齢は30代前半、人口の大半は革命後に生まれている。革命を「体験した」世代は、もはや社会の少数派になりつつある。
つまり、今日のイラン人にとってパーレビ王朝は、「生々しい記憶」じゃなくて「語り継がれた物語」と「SNSに流れてくる古い写真」の世界なんだ。
王朝の時代を経験した親や祖父母の話を聞くと、まず出てくるのは「近代化」のイメージだ。
識字率が上がり、道路や鉄道が整備され、テヘランは中東有数の大都会になっていく。
洋楽が流れ、ミニスカートの写真がアルバムの中に残り、酒もクラブも普通にあった——多くの家族の記憶では、あの頃は「世界とつながっていた時代」だ。
でも、同じ口からこうも出てくる。
「サヴァクの名前を口にするな」「政治の話は家の外でするな」、そして友人や親戚が突然いなくなる話。
パーレビの時代は、「未来がある」という興奮と、「いつ踏み潰されるかわからない」という恐怖が同居した時代だった、という証言は本当に多い。
そのアンビバレントな記憶が、いまの若い世代にそのままコピーされているわけじゃない。
「昔は仕事があった」「昔は世界から孤立してなかった」「昔はこんなに貧しくなかった」。
こういう言い方で、パーレビ期は「今の地獄」を照らすためのライトみたいに使われている。
イラン国内とディアスポラの議論を長く追っていると、面白い癖が一つ見えてくる。
パーレビを持ち上げる声の多くは、「王制が最高だった」というより、「今よりはマシだった」という相対評価で語る。
これは、社会学の論文でも「現在への絶望と過去への理想化がセットで動く“ノスタルジー装置”」として分析されている。
彼らはサヴァクも革命前の不平等も、身体で覚えていない世代だ。
だから、王政の暗部は教科書と政権のプロパガンダで聞いただけ。
一方で、パーレビ期の写真や動画には、「髪を出して笑っている女性」「酒場」「西洋ブランド」があふれている。
このギャップが、「俺たちが知らない、もう一つのイラン」を想像させる。
友人の一人はこう言った。
「パーレビを恋しがっているんじゃない。俺たちの国が“普通の国”だった時代を恋しがってるだけだ」
この一文が、今のイラン人にとって旧王朝がどういう存在かをよく物語っていると思う。
長年ロサンゼルスやロンドンのイラン人コミュニティをウォッチしていると、亡命皇太子レザー・パーレビの扱い方の微妙さがよくわかる。
国際機関や欧米メディアとのネットワークも長く、英語もフランス語も堪能で、「外向けのブランド」としては完璧に設計されている。
でも、内向きの話になると、空気は一気に変わる。
王党派の集会では「プリンス・レザー」と持ち上げられる一方で、左派や世俗共和派からは「西側が好む記号」「イランの現実から何十年も離れた亡命貴族」とバッサリ切られる。
SNS上での支持の多くは、ディアスポラと匿名アカウントに偏っていて、「オンラインの人気」と「国内での本当の影響力」のギャップを指摘する研究も出てきている。
要するに、レザー・パーレビは「実働部隊」ではなく、「象徴」として機能している。
彼の名前が街で叫ばれるとき、それは必ずしも「王政を返せ」という直球の要求じゃない。
むしろ「この体制には未来がない」「別の選択肢があるはずだ」という、否定形の叫びが先にあって、そのスクリーンとして王家の名が投影されている。
ここにトランプが登場すると、話は一気にアメリカ政治のロジックに引き寄せられる。
彼にとってイランは、「悪役の坊主政権」「人質事件」「核」「イスラエル」「石油」、このあたりのキーワードで構成された舞台装置だ。
そこに「追放されたプリンス」「自由を求める若者たち」というストーリーを足せば、テレビ的には最高のコンテンツになる。
すでにトランプの側近がレザー・パーレビと極秘に会い、「体制崩壊後の移行シナリオ」を擦り合わせているという報道も出ている。
トランプ本人も、彼を評価しつつ「国内支持がどこまであるかは疑問だ」と含みを持たせている。
この距離感は非常にトランプ的で、「全力で担ぐ」ほどの覚悟は見せないが、「使えるカードとしてポケットには入れておく」というスタンスだ。
アメリカ大統領としてのトランプは、 ideology より「絵になるか」「勝ち筋があるか」を優先する。
もしイラン政権が本格的に崩れ、街頭でレザー・パーレビの名前が自然発生的に盛り上がる局面が来れば、彼は迷わず「自由を求めるイラン人とそのリーダー」として全力で担ぎ出すだろう。
逆に、国内世論調査や情報機関の分析で「王政カードは重すぎる」と出れば、「イラン人自身が決めるべきだ」と一歩引いた位置から、別の世俗派・軍部エリートに乗り換える可能性もある。
つまり、トランプにとってのレザー・パーレビは、「固定された盟友」ではなく、「コストの安いオプション株」だ。
支援表明や会談の写真を出すだけで、イラン政権を刺激し、西側メディアに“わかりやすい対立軸”を提供できる。
それでいて、本当にイランの将来を彼に委ねる気があるかどうかは、また別の話だ。
事情通として長くこの問題を追っていると、結局いつも同じところに戻る。
パーレビ王朝は、いまのイラン人にとって「選択肢」というより「鏡」なんだ。
その鏡の前で、イラン社会は自分にこう問いかけているように見える。
「俺たちは、どの失敗から目をそらし、どの失敗を認めるのか?」
トランプがどれだけ王子の肩を持ち上げても、最終的に決めるのは、革命を“知らない世代”が多数派になったイラン社会だ。
明日の通貨レート、就職口、ネットの検閲、街頭での暴力——その全てに対して、「あの時代よりマシか?」と、パーレビの亡霊をものさしにしている。
国際社会で広く問題視され、制裁や外交摩擦の原因になってきた行為を事実ベースで整理する。
1979年、イラン革命直後にテヘランの米大使館が占拠され、52人の外交官らが444日間拘束された。
国際法(外交関係に関するウィーン条約)違反であり、現在も米国との対立の原点とされる。
アメリカやイスラエルはこれを「テロ支援」と位置付け、長年経済制裁を科している。
イラン側は「抵抗勢力への正当な支援」と主張している。評価は立場で分かれるが、武器供与や資金援助の証拠は多く報告されている。
イスラエルの敵対勢力に武器・資金を供与してきたことは、地域緊張の主要因の一つ。
2020年代以降、シリアを舞台にイスラエルとイランの「影の戦争」も続いている。
イランは核開発を進めてきた。
2015年、包括的共同行動計画(JCPOA)で制限を受け入れたが、2018年に米国が離脱後、濃縮活動を再拡大。
IAEA(国際原子力機関)は複数回、未申告活動の疑いを報告している。
ウクライナ侵攻に関連し、イラン製ドローン(例:シャヘド型)をロシアへ供与したとされる。
国際政治は善悪よりも、権力・安全保障・イデオロギーの相互作用で動く。
イランの行動は、革命体制の生存戦略、対米抑止、地域覇権バランスの文脈で理解する必要がある。