はてなキーワード: 志向とは
日本で「働き方改革」が叫ばれてから数年が経った。法改正や企業の取り組み、テレワークの普及など、外側から見れば確かに変化は起きている。しかし、通勤ラッシュが完全になくなったわけでもないし、残業ゼロが当たり前になったわけでもない。では、私たちは本当に「働き方」を変えられたのだろうか。制度の改定だけで人の暮らしや価値観まで変わるのか、それとも見せかけの改善に過ぎないのか。今回は現場の実感と統計の狭間にある「実態」を掘り下げ、読者の皆さんと議論したい。
まず、制度面の変化を整理する。法的には時間外労働の上限規制、有給取得の義務化、同一労働同一賃金の導入などが進んだ。これらは確かに企業の運用に影響を与え、労働時間の管理や休暇取得の仕組みを整えるきっかけになった。一方で、運用の差は大きい。大企業やIT系スタートアップでは比較的スムーズに制度を取り入れ、柔軟な勤務形態を導入した例が多い。だが中小企業やサービス業、製造現場では「人手不足」「業務の属人化」「顧客対応の都合」などで制度が形骸化しているケースも少なくない。
次に、意識の変化について考える。テレワークの普及は通勤時間を削り、育児や介護と仕事の両立を可能にした面がある。だが同時に「常時接続」「成果の見える化プレッシャー」「家庭と職場の境界の曖昧化」といった新たなストレスも生んだ。働く側の価値観も多様化している。若い世代は「時間」より「裁量」や「やりがい」を重視する傾向があるが、安定志向や年功序列を重んじる価値観も根強い。制度だけでは価値観は一朝一夕に変わらない。
さらに、経済的な側面を無視できない。企業がコスト削減や生産性向上を求める中で、短時間労働や副業解禁が進む一方、非正規雇用の拡大や賃金停滞が問題として残る。働き方の柔軟化が「雇用の流動化」を促すなら、それは良い面も悪い面も併せ持つ。柔軟な働き方ができる人は恩恵を受けるが、保護が薄い立場の人は不安定さにさらされる。
これらは制度と文化のズレを示している。制度は外形を変えるが、職場文化や評価基準、リーダーシップのあり方が変わらなければ、実効性は限定的だ。では、どうすれば「本当に」働き方を変えられるのか。私なりの提案を三つ挙げる。
成果だけでなく、協働や知識共有、後進育成といったプロセスも評価に組み込む。可視化できない貢献を評価する仕組みが必要だ。
管理職が「時間で管理する」発想から脱却し、目標設定と支援に注力すること。権限委譲が進めば現場の裁量が増え、柔軟な働き方が実現しやすくなる。
非正規やフリーランスが増える流れに対して、最低限の生活保障や再教育支援を整備する。働き方の多様化は支援制度とセットで考えるべきだ。
最後に、個人的な観察を一つ。「働き方改革」は終わりではなく始まりだ。制度が整備される段階は通過点であり、次に問われるのは「どう生きるか」「何を大切にするか」という価値観の再定義だ。働く時間を減らすことが目的化してしまうと、仕事の意味や社会的なつながりが希薄になる危険もある。逆に、働くことの意味を問い直すことで、より豊かな生活設計が可能になるはずだ。
ここまで読んでくれた方へ。あなたの職場や生活で起きた変化、成功例、失敗例、上司や同僚とのやり取り、評価制度の実態、テレワークのメリット・デメリット、あるいは「こんな制度があればいいのに」というアイデアをぜひ教えてほしい。具体的なエピソードほど議論が深まる。率直な体験談や反論、補足、辛辣な意見も歓迎する。
問いかけ
議論を深めるために、できれば**職種・業界・年齢層(例:IT 30代)**を添えてコメントしてほしい。匿名でも構わない。多様な視点を集めて、現場の「リアル」を可視化したい。
それらには共通の特徴があるように思われるので、皆のために共有しておく。
AI小説が見分けられるというところに疑念を持つ向きもあるだろうから、先にそこを説明しておく。
自分は小説家になろうやその関連18禁サイトの小説をよく読む。
基本的に素人小説なのだが、その中でどうも同じ感じのする文体が増えてきたなーと感じるようになった。
そんな時タグを見ると、一部の作品に「AI直接利用」のタグが付けられていることを発見した。
これは最近なろうが制定したルールで、本文の一部にAI生成テキストを含む場合、付けることが義務付けられているタグらしい。
そのことを認知した途端、みるみる、AI生成文章のAI臭い場所がわかるようになり始めた。
そこでしばらく、タグを見ずに作品を読み、AIかどうか判断してからタグを確認する試みを続けてみた。
結果は、自分がAIではないと決めつけた作品で、AI直接利用だったものはひとつもなかった。
AIだと決めつけた作品で、AI直接利用のタグが付いた作品は半々くらいだった。
だがこのタグ、義務付けられてはいるものの、実際にはAI使用を証明することはできないため、まあまあ誤魔化してる奴がいる――と言われている。
自分はこのAIかどうか当てる試みは真に思った通りに判定して、10本あたり2本程度しかAIと決めつけていないので、広めにAI判定しているわけではない……とは思う。
ということで、自分が発見したAI文体の特徴について紹介していく。
先に言っておきたいのが、自分は以下の特徴をもって(判定基準として)AIだ、と判断しているわけではない。
AIイラストとかを想像してもわかると思うが、まず全体から滲み出すAIだ、と感じる直観があって、そのあとで以下の要素を追認して答え合わせしている感じになる。
なので、以下がAI臭さの根幹をなす特徴であるのかは正直なところわからない。
一番直観的に、自分がAIらしいと思う感覚をどうにか言語化したのがこれ。
ただ別に、人間だってそういう文章は書くし、このように言語化できる小説が全部AIと感じるかというと……うーん。
以下に挙げていく他の要素との重ね合わせも大きいかもしれない。
ただ、なんというか、AIの場合はそこに妙な自信満々さみたいなものがプラスされている。
主人公の自己肯定感というよりも、自分の言動の内容、特に今読者に対して説明している内容についての「絶対にこれが正解してますよ!」感がすごい。
AI以前の主人公最強系はなんかやってみたら上手く行きましたという感じが多く、技術とかを自信満々に紹介してその通りうまくいきますという流れはあまりない感覚である。
人間の書く文章より、わずかに体言止めが増えている印象がある。
統計とか設計とか物流とかみたいな、妙に小難しいモチーフを突っ込んでくる。
それについてはまあ作者が設定してるんだと思うが、AIはこれに対してノリノリで、物凄くそのモチーフを擦りたがる。
AIでなくとも、異世界転生に何か作者の得意な分野に結びつけて(料理とか薬とか農業とか)その一点突破で人気を出すなろう小説は全然珍しくはない。
けれどAIがそれをやると、なんか決めゼリフみたいに頻繁にそのモチーフを表す言葉が出てくる(これが〇〇屋のやり方だ、みたいな。どうでもいいけどこの〇〇屋って表現AI小説にやたら出てくる気がする)。
また、このモチーフを擦る癖は話全体のテーマだけに留まらない。
たとえば小道具として出てきた筆記具だったり、何か特徴的なキャラクターの性格を表す言葉やらをもうとにかく何度も色々な文脈に結びつけては登場させる。
あっさりした文体でありながら何かくどい読み味になるのはこのせいだと思っている。
上記のモチーフのところでも書いたが何かやたら小難しい技術的な内容をテーマに据えてくることが多い。
この技術を説明したり、実際に用いたりする場面の内容が、すごく細かく具体的・実践的に描写される印象がある。
素人の文章だとこのあたりは適当になりがちなので、これはAIの良さと言った方がいいかもしれない。
ただ、今までに挙げた全部の特徴(シンプル、断言調、モチーフ志向)と合わせると、小説というよりコンサルのペーパーだったり技術ブログを読んでいるような感覚が生まれることもある。
もちろん「普通の小説」でも強調するところにカギカッコは使うが、その「頻度」がかなり「高い」。また、「カギカッコで囲う範囲が妙に長かったりする傾向」もある。
↑再現してみるとこんな感じ。
あわせて、丸カッコによる補足説明もすごく多い。
幻想殺し(イマジンブレイカー)みたいなのはラノベでもあるけど、そうじゃなくて、技術的に言いすぎたところを訂正するような感じだったり、モチーフに沿うような言い換えを入れたりとやらなくてもいいような補足説明をする。
シュレディンガーの実験(思考実験)では、波動関数(シュレディンガー方程式)を…… みたいな感じ。
これが人物のセリフの中に入ることもしばしばあるので、さすがに違和感が出てくる。喋ってる時にカッコで補足説明できる人間なんていないので。
AIの書くストーリーは意外と緻密に組み上げられていて、一見は粗がないように見える。
ただ、AIはサリーアン問題を突破できていないのではないかな、と感じる場面が非常に多い。
サリーアン問題というのは子どもの発達段階を測定するための検査で、サリーとアンという二人の登場人物にそれぞれ違った情報を与えて、アンしか知らない情報を含む質問をサリーに投げかけた時、サリーが何と答えるか、という課題である。
発達に応じて、子どもはサリーの頭の中とアンの頭の中を分けて考えることができるようになり、サリーの情報だけをもとにサリーの言動が推測できるようになる。自閉症傾向があると、これに正解できないとも言われる。
現代のAIはサリーアン問題に正解できるとも言われているらしいが、何本ものAI小説を読んだ所感として、複雑な場面や長い文脈を挟んだ場面では、このサリーアン問題に引っかかっていることが多い、と感じる。
つまり一部の登場人物しか知らないはずの情報を他の人が知っているかどうかがすごく曖昧になり、知っているかのように動いたり、喋ったり、考えたりする場面が発生する(視点変更を挟む場合は特に)。
これはさすがに欠陥ともいえる特徴なので、AI利用者はなるべく意識して気付けるようにし、手修正を加えたほうがいいと思う。
AIを利用して小説を書き、投稿すること自体は特に問題ないと思っている。
だけどAIを利用することでくどさだったり、サリーアン問題みたいな欠陥が出てくることに関しては、生成者がちゃんとハンドリングして修正することが重要になる。
AIが書くにせよ人間が書くにせよ、せっかくの物語のクオリティが単純に下がってしまうのは避けたいところだろう。
お互いのいいところを発揮して手を取り合っていければいいんじゃないだろうか。
まず前提として、 **「岸田首相は外交上手、高市首相は外交下手」という評価自体が、現時点ではかなり評価者の立場に左右されます** 。高市政権はまだ外交実績を評価するには期間が短く、岸田政権は2021~24年の約3年間の実績があります。したがって、両者を同じ条件で比較するのは難しいです。
そのうえで、なぜそういう印象が生まれるのかを考えると、私は主に**「外交スタイル」と「日本の外交環境への適合性」の違い**だと思います。
### 1. 岸田外交は「既存の国際秩序を束ねる」ことに非常に向いていた
岸田外交の最大の特徴は、何かを一人で相手国から勝ち取るというより、
> **日本を中心として、米国・欧州・韓国・豪州・インドなどを同じ方向にまとめる**
ことだったと思います。
日本はG7議長国として広島サミットを開催し、ウクライナ支援、対露制裁、法の支配などについてG7の結束を確認しました。また、G7以外の国々も招待し、「グローバル・サウス」との関係を重視しました。([外務省][1])
さらに岸田首相自身がキーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談しています。これはG7議長国としての日本の立場を直接示す象徴的な行動でした。([外務省][2])
そして2023年8月には、日米韓首脳会談がキャンプ・デービッドで開催されました。
というより、
ことにあります。
これは実は、日本のような中規模国家にかなり合理的な外交です。
---
岸田外交は、
> 米国
> ↓
> G7
> ↓
> 日米韓
> ↓
> 日米豪印
> ↓
というように、**多国間の枠組みを積み重ねるタイプ**でした。
したがって成果が非常に「見えやすい」。
たとえば、
など、具体的な外交イベントが大量にあります。外務省自身も、岸田政権期に欧州との安全保障・防衛協力が深化したことを記録しています。([外務省][3])
これは「外交上手」というイメージを形成するうえでかなり大きいです。
---
# 3. 一方、高市外交は「対外的な立場を明確にする」タイプ
高市首相の外交姿勢は、少なくとも現在までを見る限り、岸田とは少し性格が違います。
をかなり明確に打ち出しています。
例えば2026年2月の施政方針演説では、「日米同盟は日本の外交・安全保障政策の基軸」と明記し、日米韓、日米フィリピン、日米豪、日米豪印などの安全保障協力を深める方針を示しています。([内閣府][4])
ですから、
という評価は正確ではありません。
---
# 4. では、なぜ「高市は外交下手」という印象が生まれるのか
ここが面白いところです。
私は、かなり大きいのが**「中国との距離の取り方」**だと思います。
> 中国を警戒する
> +
という二つを同時にやらなければなりません。
岸田政権も中国に対してはかなり厳しい姿勢を取りました。しかし、外交的な言葉遣いとしては、
> 「対話の扉は開いておく」
というメッセージを非常に重視していました。
例えば高市首相自身、2026年1月の記者会見で、日中間には「戦略的互恵関係」を包括的に推進し、「建設的かつ安定的な関係」を構築する方針は一貫していると述べています。([内閣府][5])
しかし、**高市氏の場合、国内政治上の発言や安全保障に関する発言が非常に注目されるため、「中国に対して強硬」というイメージが先行しやすい。**
---
> 「この人は何をしてくるか分からない」
という印象は、必ずしも悪いとは限りません。
しかし同時に、
岸田氏は政治家としては非常に慎重で、発言も比較的抑制的でした。
一方、高市氏は国内政治において明確な思想・政策的立場を持つ政治家として認識されています。
つまり、
とは限らないわけです。
---
実は、**外交において「強硬な政治家」が必ずしも不利とは限りません。**
相手国が、
例えば、
ということが明確なら、相手国も
> 「では別のところで譲歩しよう」
これは外交学でいう、いわゆる**コミットメント問題**に近い。
したがって高市氏の「強い政治家」というイメージが、必ずしも外交上の弱点とは限りません。
むしろ今後、
> **その「強さ」を実際の交渉成果に変換できるか**
---
が同時に進みました。
つまり、
外務省自身も2023年を「歴史の転換期」と位置づけ、FOIPやG7、同志国連携の強化を日本外交の中心課題としていました。([外務省][6])
したがって、
のではなく、
> **「国際環境が日本に多国間連携を必要とさせ、その状況に岸田外交が比較的うまく適応した」**
という側面がかなりあります。
---
# 8. 逆に高市首相は「外交上手かどうか」をまだ判定できない
これはかなり重要です。
2026年8月現在、高市政権はまだ成立からそれほど時間が経っていません。
実際、高市首相は2025年末時点で、トランプ大統領との間に「いつでも電話ができる信頼関係」を構築したと説明し、李在明大統領との間でも日韓関係を安定的に発展させることで合意したとしています。([内閣府][7])
したがって、
と結論づけるにはまだ早い。
むしろ現時点では、
> **岸田=多国間協調・調整型外交の実績がすでに蓄積している**
> **高市=同盟・抑止・安全保障を前面に出す外交で、まだ成果の評価途中**
という違いと考えたほうがよいと思います。
---
として理解すると、かなり怪しい。
むしろ、
>
> **②どの国と連携するか**
>
>
>
の違いとして考えるほうが適切です。
そして岸田氏の最大の強みは、個人的な「交渉の天才」というより、**日本の外交的立ち位置を「米国+G7+日米韓+グローバルサウス」というネットワークの中に組み込んでいく調整能力**だった、と私は考えます。
一方、高市氏については、今後本当に評価すべきなのは**「強い発言をする政治家」から「相手から具体的な譲歩・協力を引き出せる政治家」へ移行できるか**でしょう。
ここが成功すれば、「外交下手」という現在の評価はかなり変わる可能性があります。
逆に、強硬な立場を明確にするだけで、**中国・韓国・米国などから具体的な譲歩を引き出せない**のであれば、「外交上手ではない」という評価には実質的な根拠が出てきます。
つまり、**「外交上手」という評価を検証するなら、首脳会談の写真や外国首脳との親密さではなく、「相手国が何をするようになったか」を見るべき**です。これは岸田・高市を比較する場合にもかなり有効な基準だと思います。
[1]: https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/23_hakusho/honbun/b1/s2.html?utm_source=chatgpt.com "(ODA)ODA白書,参考資料集,年次報告 | 外務省"
[2]: https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2023/html/tokushu1_01.html?utm_source=chatgpt.com "外交青書 2023 | 1 冒頭 | 外務省"
[3]: https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2023/html/chapter2_05_01.html?utm_source=chatgpt.com "外交青書 2023 | 1 概観 | 外務省"
[4]: https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0220shiseihoshin.html?pubDate=20260324&utm_source=chatgpt.com "令和8年2月20日 第221回国会における高市内閣総理大臣施政方針演説 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ"
[5]: https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2026/0119kaiken.html?utm_source=chatgpt.com "令和8年1月19日 高市内閣総理大臣記者会見 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ"
[6]: https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2023/html/chapter1_00_02.html?utm_source=chatgpt.com "外交青書 2023 | 2 日本外交の展望 | 外務省"
[7]: https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2025/1217kaiken.html?utm_source=chatgpt.com "令和7年12月17日 高市内閣総理大臣記者会見 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ"
一応言っておくと、この世代のレースクイーンが完全にオワコンなわけではないです。
女優の菜々緒(37)は大学時代にレースクイーン・オブ・ザ・イヤー'09-'10を受賞している。
https://beauty.oricon.co.jp/news/74395/full/
ルパンレンジャーvs.パトレンジャーのパトレン3号役の奥山かずさ(32)もレースクイーンをやってたことがある。
https://ameblo.jp/gza154rza/entry-12152385872.html
雪野るな・西井綾音・緑川希星・今村知可などレースクイーンとコスプレイヤーを両立させている人はいる。
フラッペ女子とは?
🍓 フラッペ女子
ざっくり言うと、
「自分は普通〜やや恵まれた女性だと思っていて、恋愛・結婚ではそれなり以上の男性を求めるが、本人の市場価値とのギャップがある」
という、かなり男性側からの皮肉・揶揄として使われる言葉です。
「フラッペ」は、スタバなどで期間限定のフラペチーノを飲んで写真を撮ってSNSに上げていそうな女性、というイメージから作られた言葉だそうです。元々は「フラペチーノ女子」と呼んでいたものを「フラッペ」にした、と発案者自身が説明しています。
発案者周辺で語られている典型像には、
などがあります。
ただし、これは社会学的な正式分類ではなく、完全にネット上のミームです。
⸻
こっちは対照的です。
「食パンをくわえて『遅刻遅刻〜!』と走っている少女」という、少女漫画のベタなヒロイン像が元ネタです。もともと2016年にも「食パン女子」という言葉がこの意味で使われていました。
派手な消費や恋愛市場での自己演出より、普通に学校・会社・生活をして、身近な人と恋愛して結婚するタイプ
つまり、
食パン女子 →「普通に学校・職場で出会った人と恋愛して、そのまま結婚」
という対比です。
最近のネット上ではさらに、「昔ならフラッペ女子が結婚相手として選んでいたような男性が、職場などで普通の女性と恋愛して結婚するようになったため、フラッペ女子の“行き場”がなくなった」というストーリーまでセットで語られています。
かなり簡単に図にすると
ちなみに「食パン女子」は元々は単なる少女漫画的な「遅刻して食パンをくわえて走る女子」だったのに、最近になって「フラッペ女子」と対になる婚活・恋愛用語として別の意味が付け加わった、というのがポイントです。
そもそも現在のネット上の「フラッペ女子/食パン女子」は、正式な分類ではなく、かなりミーム的な女性像です。「フラッペ」はスタバのフラペチーノを頻繁に飲むイメージ、「食パン」は刺激は少ないけれど毎日食べる=結婚生活向き、という説明がされています。
一言でいうと、
「普通に可愛くて、普通に働いて、普通に遊ぶ。でも結婚相手にはそこそこ条件を求める」
タイプ。
たとえば、
という感じ。
実際、最近のXでは「フラッペと食パン女子の境界線」として、容姿は平均以上、普通の大学卒、普通の会社員、実家もそこそこ、でも派手すぎないという人物像が例として出されています。
🍓 フラッペ女子
「せっかく女として生まれたんだから、もっといい男と結婚したい」
↓
「できれば年収高くて優しい人がいい。でも普通に好きになった人なら条件が多少悪くてもいい」
↓
「職場とか友達の紹介とか、身近なところで好きになった人と結婚する」
という感じです。
ただ、面白いのは中間女子は「フラッペ」と「食パン」の両方の要素を持っていること。
たとえば、
「スタバも好きだし旅行も好き。でも夫は普通の会社員でいい。共働きして子供を育てればいいじゃん」
みたいな女性。
これは「フラッペ女子」の消費・美容・ちょっとした上昇志向と、「食パン女子」の現実的な結婚観・生活能力を両方持っています。
そして最近のネット上では、むしろこのタイプがかなり強い、という話が出ています。
たとえば「30歳で年収450万円くらいの事務職」という女性を、まさに「フラッペと食パンの境界」と表現する投稿もあります。
そして「フラッペ女子」との決定的な違い
個人的には「自分をどれくらい特別だと思っているか」が一番大きいと思います。
同じ、
でも、
と思っているとフラッペ寄り。
「年収500万くらいあって優しくて、一緒にいて楽しい人ならいいな」
なら中間。
「今付き合ってる彼氏が年収400万だけど、一緒に暮らせればいい」
なら食パン寄り。
つまりスペックではなく「結婚相手に対する期待値」が境界線なんですよね。
ちなみにこの分類、かなり男性側の視点で作られているので、女性側から見ると「いや、普通の女性を勝手に階層化してない?」というツッコミも当然できます。実際X上でも「フラッペ女子って普通に上位層では?」という反論があります。
書かなくては先に進めないような気がするし、書くことで晴れる気持ちもあると考えている。
高校入学時青チャートを何周もするぞと息巻いていたのとは対照的に大学受験へ身が入らなかったのは明らかで、結局Youtuberが広告塔をやっているような塾に入り、勧められたテキストを数冊、それも一周終わらせただけに留まってしまった。その癖して都会志向だったものだから、後悔したころには既におおかたの大学には落ちてしまっていた。中学生のころから漠然と思い浮かべていた大学生活は粉々に消し飛び、無駄に肥大化した自尊心では到底認められない大学への進学を決めたとき、親からは受験費用の無駄を指摘され、同級生から気を遣われているのを感じた。置かれた場所で咲きますと口では言ったものの、どうにかして脱出できないかという考えが頭から離れなかった。
大学編入試験の存在を知ったとき、浪人する勇気がない自分にはぴったりの選択肢だと思った。今の大学に通い続けながら、新しい可能性を開くことができる。手始めに英語でも勉強しよう、どうせ就活でも使えるんだ、と思って単語帳を買った。曲がりなりにも大学受験直後だったし、数か月で結果が出た。大学院にも入れる点数だなんて浮かれた。しかし、成果を出せるのが始めたその瞬間だけで、その後失速していくのは自分の悪い癖だ。合格体験記にあったスケジュールからどんどんずれていった。勉強しなくてはと思いながらも全く動くことができない。焦りだけが積み重なり、大学から一人暮らす家へと帰るとベッドで泣いてそのまま寝てしまうような日も多くなった。
これは発達障害だと決めつけて精神科へかかったこともあった。離婚して私の元を離れていった父の遺伝があると、幼い私を連れて母は大学病院へ向かったではないか。あの時は薬で精神をコントロールされる感覚に恐怖を覚え薬を拒絶したが、今なら役に立つかもしれない。受験費用を稼ぐためだけに始めたアルバイトから費用を捻出した。結局、「こんなところにもう来るもんじゃないよ」なんて言われて、怠惰を証明しただけだった。IQが全部基準値以上だからなんだ。何度も叱られて覚えた「遅れてすみません」みたいなこと言わなければ薬もらえたのか。母へ届いた医療費通知のせいで、IQを測定してみたかったんだよなんて嘘をつく必要が生じただけだった。
落ちた原因を挙げるなら単純に怠惰だったのだろうと思う。受験を決めてから一年半、目標としていた半分程度しか勉強を進めることができなかった。過去問も一、二週間前に焦って触った程度だ。落ちるのは目に見えていた。半分以上は解けたと自分を慰めたが、これは大学受験の時も同じだ。結局基準値に届かないような成果しか上げられないなら、最初から取り組む意味はない。まだ一校受験が控えてはいるが、完全に心が折れてしまった。既に二校落ちているのに、レベルを上げて受かるはずもない。二週間、全く勉強ができていない。今も手を伸ばせば届く距離にテキストがあるのに。受験費用を払ったものの、どうせ落ちる試験に向かうための移動費やらが無駄に見えて仕方ない。恐らく向かうことはできないのだと思う。自分で決めることなのに、確信をもって書くことさえできない。
結局残ったのは、過去私自身がこうはなりたくないと嘲った、魂を込めて取り組んだことも、恋人も友人もおらず、大学の成績もパッとしない、親の仕送りで暮らす自堕落な私立大学生である。こんなことなら、友人をもっと作ればよかった。もっとサークルにでも入っておくんだった。しかし、今更新入生の顔はできない。今の大学を肯定する記事を探すのに躍起になる自分がつくづく嫌になる。置かれた場所で咲けばよかったのだ。
自分を変える必要がある。ズルズルと引きずるのは悪い癖だ。小学生のころから音楽をやってみたかった。才能が無いことへの恐れを勉強の義務感を言い訳にして逃げてきた自分に対して、これを区切りとして決別し新しく踏み出さなくてはならない。
https://note.com/kenshimizu_/n/nee31efbc70d7
上記がとても良い文章で心に染みたので、自分に置き換えてみる。オマージュ
私は小さい頃、気楽に生きよう、他人に対してもそのように振る舞おうと意識していた。
心の傷やさみしさを抱えていたわけではないが、今にして思えば、傷ついたりさみしい思いをしたりしないようにするための予防線だったと思う。
小さい頃から意識していたからなのか、40代の今では意識して振る舞わなくても、自然とそのような性格であると思う。
社会に出た私は、専門知識を活かし、会社・顧客のために働いてきた。実績を重ね、責任あるポジションに就き、会社も成長させていくことができた。
社内の人間は、大企業や勢いのあるベンチャーに行けるようなタイプばかりではなく、時には自分勝手さや無責任さ、上昇志向の乏しさが目立つこともあった。
その中で、気楽に振る舞う戦略は、非常にうまく機能したと思う。
もし彼ら・彼女らと真剣に向き合い、ぶつかっていたら、おそらくうまくいかなかったはずだ。
40代半ばを迎え、状況は一変した。
専門知識を活かして働くスタイルは、近年のAIの急激な進化によって、一瞬にして時代遅れになってしまった。
幸いAIの活用自体は楽しく、仕事での利用もうまくいっている。
しかし、かつてのように朝から元気に出社し、長時間一心不乱にものづくりに向き合うような、あの熱狂的なエネルギーはなくなっているように思う。
変わりに趣味を増やそうとしていろいろなことに挑戦してみたが、チャレンジングな趣味は長続きはしなかった。
穏やかな趣味は、人生を豊かにしていると感じているが、ゴールに向かってチャレンジするような趣味がないことは少し寂しいような気もする。
人間、死んだら終わり、何もない。という事実を、強く繰り返し意識するようになった。
祖父祖母との死別、知人数名が配偶者と死別したことや、TVやネットで見る他者の不幸なニュースなどを見るたびにその思いは確信に変わっていった。
また、自身が長年連れ添った妻と離婚した。妻とは本当に仲の良い夫婦だったが、お互い仕方のないある出来事が原因となった。
妻との別れに悲しみがなかったと言えば嘘になる。しかし人生を揺るがすほどの衝撃はないことに、自分でも驚いている。
この先数年・数十年立つと、2人とも死んでいなくなり、結局何もなくなる。と考えている。
死んだら終わりだという実感が深まるにつれ、他者との関係性も変わった。
以前は他人の行動を変えようと思ったりしたこともあった。しかし今は、どうせ死んだら終わりなのだから、他人の行動を変える意味などないと考えている。
一方で、すべてが無意味に感じるようになったわけではなく、友人や身内と出かけたり、食事をしたりする時間はとても楽しい。
元の記事の方は、おそらく私より7,8歳先輩です。
同じ年になる頃には、またいろいろ変わっているかもしれませんが、豊かなこころもちを意識して(意識するようなものなのか?)生きていけるとよいなと思いました。
あと余談ですが、人が多いところで、「100年後には、ここにいる全員いない」などと考えると不思議な気持ちになるので、ぜひこれを読んだ人にもぜひ試してみてほしい。
歴史的文脈を、対話で挙げられた主な主張ごとに、事実に基づいて整理します。現代の国際関係や政治的評価ではなく、歴史的事実と主要な歴史学的見解を中心に。
### 1. 「ウクライナは存在しない」「レーニンが発明した」という主張について
ウクライナの地における国家的・民族的形成は、レーニンよりはるかに古いものです。
要するに、ウクライナの国家・民族的意識はレーニン以前から存在し、レーニン時代のウクライナSSRは、既存の動きをソ連体制に組み込んだ結果です。
### 2. 「ウクライナ人とロシア人は一つの民族」という主張について
東スラヴ諸族がキエフ・ルーシを共有していたのは事実ですが、その後の歴史で分岐が進みました。
プーチン氏の2021年論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的統一について」は、この「一つの民族」観を強調し、現代ウクライナの独立を「外部の陰謀」やソ連の行政決定の結果と位置づけます。しかし、多くの歴史家はこれを選択的な歴史解釈と批判します。言語、文学、歴史意識、政治的自己認識の差は、近代以降明確に存在してきました。ウクライナ人の大多数は、自分たちをロシア人とは別の民族・国家として認識しています。
### 3. 「非ナチ化」という主張について
ロシア側は侵攻開始時から「非ナチ化」を目標の一つに挙げ、ウクライナにネオナチ勢力がはびこっていると主張しました。
「非ナチ化」は、実際にはウクライナの主権や国民意識の否定を正当化する言葉として機能した、というのが西側や多くの独立した分析の見方です。ロシア側にも極右・ネオナチ的な部隊が存在することが指摘されています。
ウクライナにはロシア語を日常的に使う人口が相当数います(特に東部・南部)。2014年以降の言語法でウクライナ語を国家語として強化する動きがあり、公共の場での使用が優先されました。
### 5. 「NATOと戦っている」という主張について
ウクライナはNATO加盟国ではなく、2022年時点でも正式な加盟プロセスは進行していませんでした。
### まとめ
対話で皮肉られているように、ロシア側の公式説明は相互に矛盾する点が多いです
(「ウクライナ人は存在しない」のに「非ナチ化が必要」、「ロシア人しかいない」のに「ロシア語話者を守る」など)。
歴史的には、ウクライナは独自の国家形成の試みと国民意識の発展を長く持っており、ソ連時代の行政的な共和国化を経て1991年に独立を回復しました。
これらの主張は、侵攻を正当化するためのイデオロギー的な枠組みとして機能しましたが、歴史学的には選択的で、しばしば誇張・省略を伴うと評価されています。
木兎みずや@mzy-mimizuku
さっきコンビニで、茹でたピーナッツの真空パックが売ってて思い出したんだが、学生時代の学祭準備室で、茹でたピーナッツ食べたことある? 旨いよね? みたいな話で田舎者同士盛り上がってたら突然「地方を馬鹿にしてる」とかキレた東京出身の女がいて訳が分からなかった。ああいうの、一周回って東京人の東京コンプなんだよなあ。
木古おうみ @kipplemaker
今所属してる文芸部で一時的に流行ってた汚い言葉に対して、「文芸をやってる人間なのに」とやめろとは言わないけど一部で言葉狩りみたいなことが起こってて、逆に文芸なのに自由なんじゃなく過剰に反応するんだなと不思議に思った
木古おうみ @kipplemaker
知り合いにもいたなぁ……特に社会に役立つ善行もしないのに障“がい”者って書けみたいなら言葉狩りは好きで、でも自分は「ゲイの友だちほしいー」みたいなこと言っちゃう、自分が人権に一過言持ってると思いたいだけの視野が狭いひと……
2018-06-03 21:42:2
木古おうみ @kipplemaker
臭い善人ムーブの話、大学の同級生が「ガイジ」にキレた直後「将来言ってる奴らの子が障害児になればいい」と言っててボロ出るの音速すぎだろと笑ったのを思い出す
「何もせず親の金で遊びに行った資料館で"目覚めた"とかほざく暇があるなら駅前で赤い羽募金でもやれ」と言って相互ブロックになったよ
えいえいこ@eieieiko
意図的なのか知りませんが、思い出したという記憶に穴が空きすぎでは?
東京育ちの私と幼なじみでもあるあなたは、あのとき「茹でたピーナッツの味が海馬に仕込まれているかどうかが田舎者のリトマス試験紙」と言って、地方出身者を笑いものにしていました。
でも、私が注意した理由はそこではありません。(1/2)
私が看過できなかったのは、飲酒禁止の学祭準備室に深夜だからとビールを持ち込み、さらには重度のピーナッツアレルギーを申告している委員がいたにもかかわらず、柿ピーをおつまみに配ったことです。「食べなきゃいいじゃん」で済むことではないのに……。(2/2)
長谷川*𝒁𝒐𝒐 𝒊𝒔 𝒕𝒉𝒆 𝒑𝒆𝒂𝒄𝒆. @hase2_animal
@kipplemaker リア垢相互ブロックだから友達に教えてもらって知ったんだけど、これ私のことだよね?
お前らが「ガイジポイント略してガイポ」とかいう言葉をサークルで流行らせてたから私がブチ切れた件だね。
当時の私、重度知的障害児の妹の世話でヤングケアラー気味になってる20歳そこらのガキだったから余裕なく
長谷川*𝒁𝒐𝒐 𝒊𝒔 𝒕𝒉𝒆 𝒑𝒆𝒂𝒄𝒆. @hase2_animal
@kipplemaker て露悪的な表出の仕方になっちゃってたけど、「ガイポ」とかいう言葉面白がって流行らせてた自分らのこと何も反省せずにそれを非難する私のこと「臭い善人」呼ばわりするのは、創作者のクセに想像力無さすぎてドン引きするわ。
長谷川*𝒁𝒐𝒐 𝒊𝒔 𝒕𝒉𝒆 𝒑𝒆𝒂𝒄𝒆. @hase2_animal
あと、募金とか寄付とかは自分の収入の範囲でわりとやってる方かも!なんで資料館の展示に心動かされるのと募金が二者択一なの?どっちもすればいいじゃん。
私は口だけで終わらせるんじゃなくて、今もそこの資料館で働いてるよ。無料だから是非とも遊びに来てね!
長谷川*𝒁𝒐𝒐 𝒊𝒔 𝒕𝒉𝒆 𝒑𝒆𝒂𝒄𝒆. @hase2_animal
@kipplemaker いつまでもくっせえ冷笑ムーブ厨二病オタクしてんのなんも変わってなくて笑った。クソダサいよ。性根腐っててびっくりする。
返信先@eieieiko
それは誤解がある。ビールはノンアルコールビールだったはずだし、私には重度のアレルギーの申告のことは知らされていなかった。
撤回してください。
木古おうみ @kipplemaker
@hase2_animal 気づくの遅れてごめん
貴女の家庭のことは知らなかったのでそこは謝るね。だけど、反論に露悪的な言葉を選ぶのは差別心が透けた臭い善人ムーブととられて当然でしょう。自身の境遇を盾にしていいなら、こちらも貴女の家より厳しい状況で介護も経験したし、障害児支援ボランティアもやってたよ
木古おうみ @kipplemaker
@hase2_animal 学生時代、自分含め両親の関係に悩むひとの前で堂々と「ATMに徹する夫が欲しい」と言ったり、自分の想像力の至らない対象には無関心なことにすら気づかない、帰りの会の女子小学生のようなことを善だと思ってる、狭量な世界観を持ってると感じたから縁を切った
木古おうみ @kipplemaker
@hase2_animal お互いの思うところは変わらないだろうし、そちらも和解や謝罪を求めてのリプではないだろうから、こちらから伝えることはもうないよ
返信先: @mzy-mimizuku
知らなかったなら、指摘された時にすぐ柿ピーを回収して「ごめん」と言えばそれで終わったでしょう。だけどあなたはあの時こう言いましたね。「何でマジョリティがマイノリティに気ぃ使って合わせなきゃいけないの。柿ピーくらい食わせろよ」
この発言を問題視して私は学祭実行委員長を通じてハラスメント対策室に相談し、所定の手続きを経てあなたは実行委員会から除名されました。あの出来事の客観的事実は以上です。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal 私の不適切な発言の前に、あなたの「ガイポ」という差別的な発言があったことに対する反省は1mmも無いのですね。
境遇を比べるのは不毛だと思うので、あなたの不幸マウントに乗るつもりはありませんが、今の今まで私の境遇も知らなかったあなたが「貴女の家より厳しい環境」と断じる根拠はなんですか。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal 私は自身の不適切な発言の背景にあった状況を説明したまでです。あなたが「ガイポ」を面白がって流行らせていたことと、介護や障害児支援ボランティアを経験していたこととの関係はなんですか。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal あなたは本当は、私の「善人ムーブ」の裏に透けている差別心それ自体を糾弾したかったわけではないでしょう。そうなのだとしたら、あなた自身のド直球差別発言の方を先に反省するべきです。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal 私が資料館を訪れ、展示に感銘を受けた旨をTwitterに綴っていただけで、あなたは私のことを「偽善者」と散々馬鹿にしてこき下ろしてきましたよね。だから私の方からブロックしたのです。この件に関してどこに私の差別心が透けていたのでしょうか。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal あなたは人が"善くあること"を志向したいと示す姿勢自体が気に食わないだけでしょう。
また、「ATMに徹する夫が欲しい」と言ったことはありません。自分の育った歪んだ家庭を理想だと思い込んでいて、「「妻へのスキンシップは要らない。育児には手を出さず、ただ家庭を経済的に支えてくれる夫が理想」
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal と言っていたら、先輩から「それってATM扱いじゃん」と言われてしまった」と言っていただけです。なお、今はそのような家庭を理想的だとは思っていません。
そうやって事実関係の一部を歪めて私の立場を悪くしようと画策することにも悪意を感じます。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal 「帰りの会の女子小学生のようなことを善だと思っている」とはどういったことでしょう。小さな善でもひとつひとつ重ねていくしかないと思いますが、それすらも否定するのですか。
長谷川 @J5Zf1WdSia93530
@kipplemaker @hase2_animal 他人を「狭量な世界観」と非難する前に、私の境遇に気づかず、「ガイポ」という言葉を流行らせていたあなたの狭量な世界観の方をまず反省したらどうですか。
・だからかどうか、そのM2のことを抜きにしても全体的に天井は低く感じる
・屋上のすぐ下の階は食堂街だが、店のラインナップもそれぞれの売価設定も高級志向で昭和の特別感を彷彿とさせる
・・なんと一部のフロアは午後6時半で階すべてにわたって閉店する!!!
めがしてぃーオーサカのけっして端っこではなく内陸部()にある街中それもちょっと数駅地下鉄に乗ればミナミのもっと賑わう街に移動できるくらいに建て込んでる立地というのにそんな営業形態だったのに驚いた
あと地下二階フロアから少し歩いたら繋がるハイハイ横丁?とかいう呑み屋街がその百貨店上本町店と相対的にわりと凄かった…
うろおぼえで書いてるのでところどころ間違ってたらゴメンやで
2022/11 **ChatGPT(GPT-3.5)**公開。生成AIブーム開始
2023/3 GPT-4。精度・推論・コーディング性能が大幅向上
2023/12 Gemini 1.0。Googleが本格参戦
2024/6 Claude 3.5 Sonnet。特にコーディングで高評価
2024/9 OpenAI o1。Thinking / Reasoningモデル時代へ
2024/12 Gemini 2.0。エージェント志向を強化
2025/3〜4 Gemini 2.5 / OpenAI o3。推論モデルが急速に進化
2025/5 Claude 4。長時間コーディング・Agentを強化
2025末〜2026 各社ともAgent・ツール利用・長時間タスク中心の競争へ
そろそろ4年になりますが
いいかげん騙されてるって気づこうね
1990年代のTVドラマ『聖者の行進』を持ち出して、昔はもっと過激な放送されていたと主張する意見を見て驚いた。
さすがに本気で言ってるんじゃないよね…?分かった上で、敢えてすっとぼけて論点ずらしをしているんだよね…?
みい山が批判されているのはけして、「過激だから」ではないよ。作品自体が障害があるとみなされる女性を侮辱して嘲笑する事を目的としており、直球の差別でヘイトだからだよ。
ここでは「過激」という言葉は出ておらず、専ら偏見やスティグマの強化を問題視している。他の批判も大体似たようなものだ。
『聖者の行進』にも、確かに問題点はあるよ。知的障害者を「聖者」として神聖化するのは人間扱いしていないという意味で差別なのではないかという批判もあった。
黒人差別問題における『アンクル・トムの小屋』や『グリーンブック』でも、差別される側を過度に神聖化しているとして批判されたりしたし、そういう問題は確かにあるだろう。
また、『聖者の行進』脚本家の野島伸司には、確かに過激な性暴力描写で視聴率を稼ごうという意図はあったかもしれない。でも「過激な表現で注目を集めようとする」のは、けして差別やヘイトと同一視できるものではないよ。
90年代はもっと過激だったとか言われているのを見たが、表現が過激なのと差別やヘイトは別物だ。以前は知的障害者を嘲笑って楽しむような表現は専らアングラな場で行われており、今のように表舞台に出てくる訳ではなかった(そういう意味で、匿名掲示板というアングラな存在を表に引っ張り出してきたひろゆきの存在が許せない訳だが)。
「マイノリティを神聖化している」も、「過激な表現で注目を集めようとする」も、目的があくまで反差別にある事を前提とした、より深い議論の段階だよ。みい山のように作品そのものとして差別やヘイトを志向しているものとは根本的に違うと思う。
俺はお気持ちを垂れ流したいだけです。反論は受け付けません。チェリーピッキングかもしれないのも辞さないです。
なんかCMって一昔前のほうが長く(年単位のスパンで)印象に残るものが多い気がする。ついでにアニメ(人形劇含む。ようは実写の人間が出てない)CMが多い。
三時のおやつは文明堂、いっぱいきけていっぱいしゃべれる、HB101!、自動車保険を見直そう損保24で見直そう!、タケモトピアノ、モテモテリソシア。
どれも今まで耳に残ってる節回しだし、後者二つを除けばアニメだよ。
今はザキヤマの顔ドアップとか、クーリュッシュの微妙な顔したジャニタレがひたすらバリバリ言ってるCMとか「気持ち悪く思われてもいいから一瞬でも記憶に残ってもらおう」という志向でやってる気がする。
インプラントならアルバ歯科、とか、既存の曲をパロっただけでも印象は弱いので同類だ。
dorawiiより
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ロシアの大学に、男子入学者受け入れを厳しくするよう非公式に指示が出た可能性
>https://x.com/MoscowTimes_ru/status/2082052784992497988
ロシアの高等教育では、ウクライナ侵攻以降、以下のような政策・圧力が強まっており、男子入学者を「厳しく」する(または相対的に不利にする)効果が出ている可能性が高いです:予算枠(budget places)の再配分と削減:政府は人文・社会系(法学、経済学、管理など、女子志向が高い分野)の予算枠を削減し、工学・IT・軍事関連(男子志向が高いSTEM分野)を優先。2026年入学では有料枠も全国で約4.7万削減(13%減)され、特に非専門大学の人文系が対象。
theins.press
SVO(特別軍事作戦)参加者・子女向けクォータ:予算枠の少なくとも10%を戦争参加者やその子女(主に男子やその家族)に優先確保。2025年だけで上位大学だけで約3,000人がこれで入学し、一般競争では通らない低スコアでも合格しやすい。
男子学生への軍事募集圧力:大学に学生(特に男子)の契約兵募集ノルマ(例: 2%程度)が非公式・内部で課されているとの報道多数。成績不良者は退学圧力がかかり、退学→徴兵の流れも。大学は軍事訓練センターを通じて国防省と連携したキャンペーンを実施。
これにより、一般男子(特に徴兵年齢層)は大学進学が相対的に難しくなり、女子の方が入りやすい状況が生まれやすいです。女子の高等教育進学率は伝統的に高く(2024年時点で女子:男子比約1.07)、政策がこれを加速させる形です。
これは公式政策ではなく、軍事動員や人材再配分(工学重視)の副次的効果として大学側が自主的に(または暗黙の了解で)対応している可能性が高いです。過去にも類似の非公式圧力(思想調査、募集協力など)が報告されています。
40代のおっさんが、たみふる「付き合ってあげてもいいかな」(以降「付きかな」)を読んだらめちゃくちゃ刺さったので考えたことを書きます。ティーンの頃に村上春樹を読んでたからか何でも春樹に結びつけてしまうのはしょーもないと思いつつ。
喪失と再生の物語が好きなんですよ。特に村上春樹の「鼠」四部作(「ダンス・ダンス・ダンス」を忘れないこと)。自分はあれを、「僕」が80年代の即物的な空気の中で自分の存在を預ける場所を見失い、いろいろあって「ユミヨシさん」という女性と出会い、世界とのつながりを回復する物語だと読んでいます。
でも「風の歌を聴け」は間の2作で描かれるほどそんなに喪失感は深くなくて、左手の小指がない彼女や、バーに集まる人々との他愛もない会話、「僕」が育った海沿いの町の眩しい夏の風景、それを俯瞰して繰り出されるラジオDJのアツいメッセージ等、愛すべき日常がしっかりと、四部作の最初に提示されてるんです。
「ピンボール」「羊」を通じての喪失と漂流の果てに「僕」を待っているのは、刹那的で大した意味もない仕事(文化的雪かき)ばかりの世界ですが、そこには「ユミヨシさん」という手放すべきでないと感じた人がいる。愛すべき日常は確かにあったけれど、放浪と漂流の果てにその価値に気づき、自分を繋ぎ止め直す、ただしその形は変わってしまっている。ユミヨシさんもまた去ってしまうかもしれないという諦念を抱きつつ、それでも生きていく。「鼠」四部作はそんなふうに、以前から好きだったものを、形は違ってももう一段上のステージで愛せるようになるような、螺旋構造を持った物語だと思います。
春樹の話ばかり長々としました。「付きかな」も似たような螺旋構造を持っていて、大学に入ったばかりの冴子とみわが付き合い始め、別れ、それぞれ別の相手と新しい恋をして別れ、お互いの存在のかけがえのなさを認め合う、という物語です。内容が気になる方にはぜひ冴みわの喪失と再生を追体験してほしいので、ディテールについてはここでは多くは語りません。
一方で、この2つの物語は、終着点で手にした宝物が以前と同じかどうか、という違いがあります。
「鼠」四部作は、「僕」の視点で描かれるため、「僕」が関わる他者の内面が描かれることが極めて稀です。起きた出来事を見たままに受け入れるばかりのクールな「僕」は、他者とのすれ違いや別れもあるがままに受け入れます。
「付きかな」は、冴子とみわを中心に、それぞれのキャラクターが周囲とどう関わっていくか、その葛藤が丁寧に描かれます。実際「付きかな」の作中では、自分の振る舞いで相手を傷つけたことについて後悔し、相手に謝るといったシーンも何度も登場します。衝動的に悪態をついてしまってそれを正当化することも隠さず描く一方で、真摯に相手に向き合う限りは人は変われるという人間の善性への信頼も感じる筆致です。
こうした語り方の違いに着目すると、「付きかな」はW主人公で二人の内面の変化をじっくりと描くことを重視したからこそ、再構築という結末を選び取れた。他方で、「鼠」四部作はどの登場人物も「僕」の目線で通り過ぎる情景の一部として描かれたので、望むと望まざるとにかかわらず、「僕」の手をいつか離れていきます。
このように、語り方/作劇上のテクニカルな選択が、物語の構造上の帰結を導いている側面があると言えましょう。
さて、この「語りの選択が物語の構造を決める」という視点で、「付きかな」にあるもう一つの選択の話をします。
たみふる先生は「女性同士で恋愛していることに変に気を遣ったりしない、“特別じゃない”在り方を描いてみたい」という風にナタリーのインタビュー ( https://natalie.mu/comic/pp/iikana )で語っていますが、同性愛はともすればチェーホフの銃になりうる題材です。しかし、たみふる先生はその銃を手に取る選択をしなかった。まあチェーホフの銃がそこまで重要な作劇哲学かと言われると諸説ありますが、それでも「あえて」選ばなかった。
それがゆえに、「付きかな」は冴子とみわが出会い、別れ、変わって戻ってくる螺旋構造が可能になったわけです。もしその銃を構えるとしたら、銃口を向ける相手は周囲の人間、ひいては社会になるわけで、その銃を使った闘いを描くならば彼女たちが選び取った宝物の輝きが相対的に鈍ってしまいます。
こうした主人公の成長を伴う螺旋の物語構造は、「星の王子さま」にも見られる古典的なもので、多くの読者の心を掴んできたわけです。同じエッセンスを感じるものは「∀ガンダム」とかでしょうか。あれも言ってみれば、月世界から送り込まれたロランが地球の暮らしと出会い、戦いを経て自らの居場所を選び取る話です。
「あくまで恋愛ものの1つとして読んでもらいたい」という作者発言の通り、「付きかな」は物語として普遍的な強さを手に入れています。
同性同士の恋愛を特別なものと扱わない姿勢は、構成の上ではキャラクターの配置として現れてきます。軽音でツルむ、誰からもたくさん愛されたいけど束縛もされたくないリカちゃん、恋愛は誰もがしないといけないものなのか、その理由は何なのかと問ううっしー、作中何度も彼女が変わるみっくん等、冴子とみわの関係もフラットに「友達の恋バナ」として消費する舞台装置が示されます。この輪の中では、異性愛も同性愛も数ある恋愛の一つだというわけです。序盤では特にリカちゃんやうっしーの存在が示されることによって、パートナーが異性/同性かという軸だけを問題にしているのではない、と表明しています。
一方で、その「普通のものとして描きたい」という選択は、作劇意図の点ではあまり政治性を見いだすものではないと捉えていますが、その結果生まれる「読み」の幅では、批判を呼ぶことにもつながっているようです。現実社会は作中の軽音部よりずっとずっと不寛容なので、現実のレズビアンが直面する摩擦が正面に出てきていない、という批判は成立する余地があると思います。
オープンでフラットに接してくれる軽音部の仲間たち、という場がファンタジーではないか、という向きもありますが、これこそが「付きかな」がフィクションとして備えている"嘘"で、女性同士の恋愛を「“特別じゃない”在り方を描いてみたい」とする意図を実現するために必要だっただけではなく、一貫して冴子とみわの関係に焦点を当て続けることを可能にしています。ある種SF的な、「同性カップルが今より少しフラットに受け入れられている世界」の思考実験とも言えます。
先に示したナタリーのインタビューを読む限り、作劇意図としては、同性同士の恋愛や、打算的な恋愛と言った後ろ指を指されがちなことを肯定的に描きたい、という素朴な志向と、心情や関係性の変化をオーバーにならずに演出する、職人めいた関心の側にあるように受け取れます。記事中では「同性が好きなのも間違いじゃないと思うよ」という風にも語っていますが、政治的主張というよりは、人間個人の欲望の肯定といった色彩です。一方で、作り手にどんな意図があろうと、生み出されたフィクションが政治性を帯びてしまうのは、仕方のないことでもあります。
かと言って、同性愛を題材にしたからといって、現実の当事者に寄り添った作劇をしなければいけないわけでもなく、本作においては摩擦を物語をドライブさせる主題には選ばなかった、ぐらいの話であろうと思います。冴子の過去など異性愛者との間に生じる摩擦、また、みわと志帆パイセンとのエピソードなど、世間の目が行く手を阻む例といったものが、まったく描かれていないわけでもありません。「名前の無い関係性」としてのみわと冴子~たみふる『付き合ってあげてもいいかな』で触れられているように、作中には同性愛者が受けるマイクロアグレッションが度々描かれます。冴子とみわ、それぞれの親が持つ違和感も、受け入れはするが完全に解決はしないものとして残ります。
まあ、「要はバランスおじさん」みたいになってしまいますが、異性愛者中心の社会規範とのコンフリクトが描かれていないわけでもないですし、その量や深さが物足りないという見方はあるでしょう。しかし、「付きかな」はマイノリティ性から生まれるあれこれを物語の原動力としていません。むしろそれらをフィクションの"嘘"として背景化したうえで描かれる、冴子とみわが二人の居場所を見つけるまでの過程がとても愛おしく感じられるのです。
とにかく9月から地上波ドラマもやるそうだし、普通に芯のある物語なのでもっとたくさんの人が楽しんでくれたらいいな。
漫画としてはとにかくカメラワークが秀逸で、関係がいい感じのときの手持ちカメラみたいな距離感から、別れ話のときの長短のショットを織り交ぜて緊迫感を出す演出とかがすごくいいのでぜひ読んでくれ。
岐阜県のとある都市、国道沿い店舗。店員は快活、しっかり消費をサポートしてくれる。
でも、あれじゃあ日高屋には勝たんよ。
うまいよ、普通に。メニュー表には関東のタンメンとの違いも丁寧に書いてある。
それもよい、わざわざ外車できている人がいたのも頷ける。
でも、日高屋には勝てんのよ。
いくつか言いたいことがある。
価格なりってのが重要で、高くても美味しいのは当たり前だから評価はあんまりしない。飛び抜けてうまくても、そりゃうまくて当たり前、うまくないならないで別の価値が出ていればオーケー。
量、目的にあった居心地なんかも加点要素。居心地は広さ、接客、スピード、などもはいる。
チャーハンのあの感じがよい。冷凍食品のチャーハンと比べて遜色ない。
値段含めたバランスは少しあれかなという感じ。
食べながら一気に書いたが、日高屋には勝たんよ。