はてなキーワード: 11とは
生成AIについて語るとき、現在もっとも無難で、もっとも常識的な原則の一つはこうだ。
この原則には強い説得力がある。AIはまだ間違える。もっともらしい嘘もつく。コードならバグを入れるし、文章なら事実を捏造するし、法務や医療のような高リスク領域では、誤りのコストも大きい。
だから現在、「AIに作らせたものを確認もせずに使う」という行為は、かなり明確に「怠惰」や「無責任」と結びついている。
AIが十分に強くなった未来について考えるとき、議論はしばしば極端に飛ぶ。「人間の自律性は失われるのか」「AIに人格を認めるべきか」「人間は人生の主体でなくなるのか」といった大きな哲学的問題である。
もちろんそれらは重要だ。だが、その前にもっと地に足のついた、そしておそらく実際に先に起こる変化がある。
それは、
この変化は、ある日突然「もう人間は確認しなくてよい」という新しい倫理が宣言される形では起きないだろう。
むしろ、ひとつひとつは完全に合理的な小さな変更の積み重ねとして起こる。
まず、AI出力を人間が確認することの価値を非常に単純化してみよう。
あるAI出力について、
とする。
すると、人間レビューの価値は、おおざっぱには「AIに誤りが残る確率」「人間がその誤りを発見できる確率」「誤りが起きたときの損失」の積から、人間レビューのコストを差し引いたものとして考えられる。
AIはまだ十分に間違えるし、人間がその誤りを見つけられることも多い。それなら、確認するのは合理的である。
まず、AIに重大な誤りが残っている確率 p は減少する。AI自体が正確になるからだ。
次に、もっと重要なこととして、人間がその誤りをレビューで発見できる確率 h も低下する可能性がある。
AIの間違いが、「人間が見ればすぐ分かる初歩的な誤り」から、「高度な専門知識が必要で、人間でも数時間調べないと判断できない誤り」に移っていくからだ。
さらにAIが大量の成果物を高速に生成するようになると、人間レビューの相対的なコスト C は上昇する。少なくとも、生成物1単位あたりに割ける人間のレビュー資源は相対的に希少になる。
ことがありうる。
この変化は、おそらく次のような段階を踏む。
AIが「ここが危険」「ここが変更の中心」「ここはセキュリティ上重要」と示し、人間はそこだけ読む。
しかしすでに、何を確認すべきかという判断そのものをAIに委譲している。
人間が見るのは、
だけになる。
ここでは人間の役割は、内容の検証というより「最終承認」に近づく。
すべてを見るのではなく、一部だけ監査する。
これは製造業、会計監査、品質管理などではすでに普通の考え方である。
通常ケースはすべて自動処理される。
AIの検証系が「異常」「低信頼」「新規性が高い」と判断した場合だけ、人間に上がる。
代わりに、
ここまで来ると、「そのコードを担当者本人が読んだか」は重要な問いではなくなる。
最終的には、一般ユーザー自身にシステム監査の義務すらなくなる。
しかし、Stage 1 から Stage 2、Stage 2 から Stage 3、という隣接する変化を一つずつ見ると、どれもかなり常識的な改善に見える。
ここが重要だ。
倫理は、思想の革命によってではなく、局所的な最適化の積み重ねによって変わる可能性が高い。
最初はこうだ。
次に、
Review / Approve
となる。
さらに、
14 checks passed. Low risk.
Approve
になる。
その次は、
Automatically approved.
になる。
最後には、
Completed.
だけになる。
この「Review から Undo へ」という変化は、かなり象徴的である。
事前に理解して承認することから、問題が起きたときだけ介入できればよいという、可逆性ベースの倫理へ移行しているからだ。
ここで少し慎重になる必要がある。
ソフトウェアでは、「生成されたコード量」「本番に投入される変更量」「実際に価値を生む変更量」は、それぞれ別物だからだ。
成熟したプロダクトに機能を100倍追加しても、価値が100倍になるわけではない。
むしろ、変更量が増えるほど追加の変更が生む限界的な価値は小さくなる、と考える方が自然だ。
しかしその後は、
ため、追加変更の価値は下がる。
一方で、変更量が増えるほど事故リスクは高まる。複雑なシステムでは、変更同士の相互作用が増えるため、追加の変更がもたらすリスクまで加速的に大きくなる場合がある。
「では本番変更を100倍にしよう」
とはならない。
おそらく大きいのは、大量に作って、大量に捨てることである。
たとえば、ある性能問題について、
とAIに指示する。
20個作る。
ベンチマークする。
19個捨てる。
1個だけ採用する。
この場合、コード生成量は20倍になっているが、本番システムの複雑性はほとんど増えていない。
同じことは、
にも当てはまる。
つまり将来のソフトウェア開発は、「大量生成 → 大量検証 → ごく少数だけ採用」という流れに近づく可能性がある。
さらに重要なのは、AIが安くなったとき、余った計算資源をすべて機能追加に使う必要はないということだ。
一つの変更に対して、
ただし、そのverification laborを人間ではなくAIが担う。
「コードが多すぎて仕方なく読むのを諦めた」
ではなくなる。
むしろ、
という問いになる。
大量のAI生成物が存在すること自体は、必ずしも危険ではない。
サンドボックスの中で100万個のパッチを作っても、ユーザーには何も起こらない。
逆に、一つのエージェントに大きすぎる権限を与えれば、たった一つの操作でも甚大な事故が起こる。
より、
方が重要になるだろう。
典型的には、
といった仕組みである。
将来の優れたAI開発環境は、「Generate aggressively, verify aggressively, deploy conservatively」という構造になる可能性が高い。
この議論で最も重要なのは、AIが完璧になる必要はないということだ。
必要なのは、AIとAI verifierを組み合わせた方が、AIと人間レビューを組み合わせるより重大エラー率が低くなることである。
たとえば、
| pipeline | 重大エラー率 |
|---|---|
| AI alone | 1.0% |
| AI + human review | 0.7% |
| AI + independent AI reviewer | 0.2% |
| AI + multiple verifiers + automated tests | 0.03% |
という状況なら、
むしろ、人間をレビュー工程に入れることの方が低品質かもしれない。
現在:
未来:
となりうる。
「確認しないこと」が、怠惰ではなくresponsible conductになる。
ただし、この転換はきれいには起こらない。
ある時期には、
という状態が起きる。
すると、
AIが作る
→ 人間が3秒見てApproveを押す
という運用が大量に発生する。
現在ならこれは「rubber stamping」と批判される。
しかしその後、
というデータが積み上がれば、
「ちゃんと読むべきだった」
したがって、rubber stamp の増加は、確認義務の崩壊を示す先行指標かもしれない。
しかし事故が起きたとき、社会が何を問うかを見ると規範が分かる。
現在なら、
と問われる。
次の段階では、
になる。
さらに進むと、
なぜこの種類の変更が、このassurance tierで十分だと分類されていたのか?
になる。
ここでは責任の単位が、「個人」から「パイプライン」、さらに「制度としての assurance system」へと移っている。
この転換が起きたとき、
ことは、それ自体では過失ではなくなる。
人間による逐一確認が消えても、安全性への要求が消えるわけではない。
むしろ、人間による逐一レビューは「Certification + Monitoring + Reversibility」という三つの仕組みに置き換わっていくだろう。
つまり、
AIについても同じことが起こりうる。
といった大きな問いに飛びがちだ。
しかし社会の倫理は、多くの場合、もっと退屈なところから変わる。
「本人が確認したか」ではなく、「正しいassurance pipelineを通ったか」が問題になる。
そしていつの間にか、
という、2020年代にはほとんど自明に見えた原則が、自明ではなくなっている。
思想が先に変わるのではない。
著者:河野裕(代表作 『いなくなれ、群青』『サクラダリセット』)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07WBY4PM1 (アフィリエイト無し)
いきなりだが、『HUNTER×HUNTER』や『ワールドトリガー』が好きな人はこれ以降の文章を読む必要はあまりない。何も考えず買って読んでみてほしい。この作品には能力バトル、戦略ゲームといった要素が多分に含まれていて、その水準は先述の2作とも勝るとも劣らない。漫画ではなく小説である点や、話のテーマだったり軸だったりはもちろん大きく異なるが、読んでいるときに得られる快感は近しいと思う。個人的な話なのであまり参考にはならないと思うが、自身が友人に勧めた際もこれを理由に勧めたし、実際ハマってくれた。
そして能力バトルにはそこまで興味がないという人は、良ければ以降の文章を読んでこの作品を知ってほしい。
高校二年の香屋歩のところに手紙が届く。「あなたは架見崎の住民になる権利を得ました」。封筒には、二年前に亡くなった親友が最後に残したのと同じマークが押してある。指定されたマンションに行くと、そこでは8月をループする街を舞台に、能力者が戦争を繰り広げていた。この街ではプレイヤーを倒すとポイントが得られる。ポイントを使って能力を取得・強化し、戦争を繰り返す。
あらすじ自体は非常にシンプルだが、冒頭でも書いたようにこの作品の強みはこのシンプルな設定を使って描かれる能力バトルがとにかく高水準なこと。主人公とヒロインを筆頭に登場する人物がとにかく賢い、あるいは単純にとにかく強い。
ただ、この作品の魅力はそこだけにとどまらない。なんなら最大の魅力は能力バトルじゃないところにあると言ってもいい。ここからが本題で、能力バトルの文脈でのみおすすめされやすい本作だが、そこに興味がない人でもぜひ読んでほしいと思ってこの記事を書いている。以下、この作品のネタバレを少し(読書体験に影響はほぼない程度だと思う)含んでいる。
この作品の主人公、香屋歩は全く強くない。というかそもそも戦えない。腕っぷしが弱いのは当然として、戦闘用の能力も一切持たない。まあ計画の立案やチームメンバーへの指示出し等はもちろんするが、香屋歩は戦うことそのものを誰よりも嫌っている。香屋歩はとにかく「死」というものを恐れている、しかも想像を絶するほどに。だから自分が直接戦闘するなんてありえないし、戦闘用の能力なんて取得しない。自分の「死」を、あるいは周りの人の「死」を遠ざけることだけに執着して、それでも戦場の一番深いところに進んでいく。
そんな香屋歩の戦い方は本当におかしい。作中で、あるキャラクターは香屋歩をこう評する。
「オレがどれだけ勝っても、それだって歩の予定通りなんだろう。みんながオセロで争っている中で、あいつだけは色なんか関係なく、ただすべてのマスを石で埋めるゲームをプレイしている。盤上じゃない。前提のルールで戦うのが、香屋歩だ」
これ以上ない要約だと思う。毎回「そんなのアリか?」というところを突いてくるし、それに納得させられてしまう。他の登場人物が、あるいは読者が見ているゴールとは全く異なるゴールを常に持っていて、しかもそれが何よりも美しいゴールだったりする。
自分は香屋歩に強く魅入られているため、この作品を読む原動力の8割は香屋歩の考えていることが気になって仕方ないという気持ちだ。この作品の特異性を1つ挙げろと言われれば、間違いなく香屋歩というキャラクターが答えになるだろう。
この作品の最大のテーマは「人はなぜ生きるのか」だ。字面だけだと安っぽく感じてしまうけど、話が進むにつれ登場人物はこのテーマと真剣に向き合っていくことになる。特に主人公の香屋歩は死を強く恐れるその性格から、誰よりも真剣にこのテーマに挑戦することになる。そして面白いことに、この作品は答えを出してしまう。もちろん全員が全員これを読んで自分自身の生きる意味につなげることはできないと思うけれど、少なくとも十分な説得力をもって1つの答えがこの作品では提示される。
一つ注意点としては、答えが出るのはセール対象の巻よりも後の話で、4巻まででその答えを見ることはできない。ただ、4巻まででも登場人物がこのテーマに向き合う姿勢は見ることができる。単純なテーマだからこそ、それに真剣に挑む姿は何よりも魅力的である。
そんなわけで、短いけれどこの作品の能力バトル以外の魅力について書いてみた。一応言っておくと、能力バトルのシーンが多いことは事実なので、それを完全に苦手としている人は向いてないと思う。能力バトルへの興味はぼちぼちくらいの人でも楽しめるような作品だと、そう言いたい。
もうひとつ、できれば3巻まで読んでほしい。もちろん1巻の時点である程度の面白さはあるし、2巻からは明確にエンジンがかかりだす。ただ、この作品を読み続けるかどうかを決定づける衝撃が3巻にはある。
ちなみにこの作品はまだ完結していない。今は全10巻刊行されているし、8月28日には11巻が出る。ただ、10巻で1つの区切りを迎えており、公式的にも11巻は第2部と銘打たれている(作者はこの表現にやや否定的だが)。なので作品はキリのいいところまで読みたいという人も、10巻まで読めば満足できると思うので安心してほしい。
改めて、今「さよならの言い方なんて知らない。」はKindleで4巻まで99円セール中。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07WBY4PM1
箴言には女性の人物像として「避けるべき女性」や「愚かな女」がかなり辛辣に描かれる箇所があります。
「争い好きで怒りっぽい女」と暮らすより、荒野に住むほうがよい、とまで言います(箴言21:19。21:9、25:24も同様)。
箴言5章・7章では、甘い言葉で相手を引き込み、姦淫へ誘う女性が警告の象徴として登場します(箴言5:3–5、7:21–27)。
「愚かな女は騒がしく、浅はかで、何も知らない」と描写されます(箴言9:13)。
「恥をもたらす妻は夫の骨の腐れ」とあります(箴言12:4)。ただし対照的に、「有能な妻は夫の冠」とされています。
「美しいが分別のない女」は、「豚の鼻にある金の輪」のようだという強烈なたとえがあります(箴言11:22)。
箴言31:3では王に対して、「あなたの力を女たちに与えるな」と戒めています。これは、欲望によって判断力や使命を失うことへの警告です。
ただし、箴言31:10–31では「有能な妻」を、知恵・勤勉・慈愛・判断力・神への畏れを持つ人物として非常に高く評価しています。
箴言の基準では、争い好き・不誠実・誘惑的・無分別・自制がない人を避けよということです。そしてそれが「愚かさ」の特徴です。
さらに面白いのは、箴言で「女」がしばしば単なる実在の女性ではなく、「知恵」と「愚かさ」という二つの生き方の擬人化として登場する点です。箴言9章をこの視点で読むと、かなり意味が深くなります。
過去3年間(概ね2023年〜2025年)のAI関連民間投資額の推計値と、同期間の累積名目GDPに対する投資比率(概算)のトップ20
1位 アメリカ: 約4,000億ドル(GDP比 約0.46%)
10位 シンガポール: 約50億ドル(GDP比 約0.32%)
12位 アラブ首長国連邦(UAE): 約35億ドル(GDP比 約0.22%)
13位 サウジアラビア: 約30億ドル(GDP比 約0.09%)
15位 スウェーデン: 約20億ドル(GDP比 約0.11%)
そらもう11億よ
映画選が流行っているのでやる。2000万円溶かした先は映画制作。無限にお金が燃えて楽しいよ!
「これを見てない奴とは映画の話をしたくない」とかは特になくて、
そもそも映画をたくさん見た結果みんな同じリストに辿り着くなら、その方がちょっと怖い。
自分の場合、好きなものを見続けたらこんなことになってしまったという感覚。
だからみんな好き放題見まくって、どうしてそれを好きなのか書き殴ってほしい。
『嵐をよぶジャングル』に始まり、『オトナ帝国』『戦国大合戦』で最高潮を迎えた原恵一・水島努コンビの集大成。
映画の世界に入り込んだ人たちが、現実の世界を少しずつ忘れていく。
この設定がまず抜群にいい。子ども向け映画と油断して訪れた引率の大人たちの心をガッツリ掴む。
『オトナ』と『戦国』で原恵一が培った「劇しん」の文法を正しく踏襲している。
それが本当に現実を侵食して、映画の中の住人になることを受け入れてしまったらどうなるのか。
そんな話をクレヨンしんちゃんでやっている。しかも西部劇である。
子供のころは単純に怖かったが、今見るとかなり寂しい映画だと思う。ラストの展開は今でも夢に見る。
ウェス・アンダーソンの画面は「人形箱みたい」とよく言われる。
まあ実際そうなんだけど、自分がこの映画が好きなのは箱の中身がひたすら「喪失」だからだと思う。
ウェスの映画を「美しい」と語る人は多いけれど、実際画面が美しいだけのアートシネマなんて山ほどある。
というか、彼の前作の『ムーンライズ・キングダム』だって、すでにべらぼうに美しい映画だ。
(おそらく小津に影響を受けた)左右対称性は『ムーンライズ』ですでに確立されていたし、制作予算増加に伴うセットの豪華さを除けば、実のところ『グランド・ブダペスト・ホテル』って、「美しさ」の観点からはそれほど進歩の見られない映画なんですよ。
じゃあなぜ、『グランド・ブダペスト・ホテル』の全てが、これほどまでに美しく見えるのか?
それは「すでに失われてしまった(=喪失した)美しさ」だから。それまでのウェスは「美しい」映像を撮るスキルを確立していたけど、その美しさの背景にある意味、普遍的な意味を伴う作家性に至っていなかった。
しかし、ナチスの影が迫る時代、やがて失われゆく運命にある「美しい」ホテルの風景をありありと描くことで、彼は自分の描く美しさに意味を持たせることができた。ホテルも、ヨーロッパも、そこで生きていた人々も、最初から「もう存在しないもの」として語られている。
全てをコントロール、制御しようとする映画監督が、コントロールできない「時間の流れ」について映画を作ったことで、作家として大成した。この点にこそ美しさがあるのだと思う。
主人公が犯人と間違われる。逃げる。女に会う。また逃げる。ほとんどそれだけで2時間以上持たせる。
「サスペンスの帝王」ヒッチコックの醍醐味だけで作ったみたいな映画。
もちろんこの作品やヒッチコックについてはいくらでも難しいことを言えるんだろうけど、『北北西に進路を取れ』を見るたびに、映画は人が破茶滅茶に動いていれば面白いという身も蓋もないことを思う。
ずっとハラハラする。クリフハンガーしかない。主人公に危機が迫る。次はどうなるんだろう。え、そんなふうに乗り越えちゃうんですか?
何もない平原で飛行機に追いかけられるシーンなんて、状況だけならかなり馬鹿馬鹿しい。
しかも物語の中であんまり意味のないシーンだったりもする。でも死ぬほど面白い。
映画の教科書に載っているような映画も、普通に娯楽として面白くっていいんだよなと思わせてくれる。
小津の映画はどれも似たり寄ったりなところがある。
娘を嫁に出した父親が一人になることが多い。ホームドラマ。だいたいそれだけの話である。
けれど同じテーマを描けば描くほど磨かれていく味みたいなところがあって、今もフォロワーを産み続ける画面作りの「小津スタイル」だとか、今だに誰も真似できないカットの繋ぎ方とか、小津を映画史の特異点たらしめる要素は、年を経るほどに洗練されていったと思う。
だから、自分は小津の遺作『秋刀魚の味』を推す。『東京物語』や『晩春』、『浮草』も全部名作だけど、やっぱり小津の「味」は「秋刀魚の味」だと思うんだよなぁ。
ストーリーは、妻を亡くした父親が、年頃の娘の結婚をめぐって揺れる話。娘を嫁に出すべきだとわかっていながら、手放す寂しさを抱える父親の姿を静かに描く。何度も何度も小津が描いてきたテーマ。きっとこの社会でたくさんの人々が経験してきた、あまりにもありふれたテーマ。
小津の映画では人が死んだり、結婚したり、家族が離れたりする。でも大事件として撮らない。人間が生きていれば当然起きることとして、淡々と通り過ぎていく。だから逆に怖い。人生の大半はたぶんこういう「どうしようもないけど受け入れるしかないこと」でできている。
映画史初期の作品を見る面白さは、まだ「映画とはこういうもの」という正解が固まりきっていないところにあると思う。
極端なところだとメリエスの『月世界旅行』(1902年)なんかがまさにそう。
映画が現実を記録するものなのか、舞台を撮るものなのか、手品を見せるものなのか、物語を語るものなのか、まだ誰もよくわかっていない。だから今の映画から見ると信じられないくらい自由なことをやっている。「そもそも映画って何ができるの?」という、アーティストたちによる試行錯誤と実験の黄金時代があった。
『カリガリ博士』はその延長線上にあり、試行錯誤という意味では末期にあった映画だと思う。
1910年代に始まったロサンゼルス・ハリウッドの映画産業は、1920年代にスタジオ・システムの確立を経て完成に向かう。それは同時に「映画とはこういうもの」という文法が世界中に広がることを意味していた。
なので、『カリガリ博士』が撮られた1920年は、『月世界旅行』の頃より映画の文法はずっと出来上がっている。それでも、当時のヨーロッパ・ドイツの映画には、まだ自由があった。試行錯誤があった。今のように「映画ならこういう画面を作る」という常識が完全に定着する前だったから
ロベルト・ヴィーネは、街を普通の街に見せようとしない。建物は斜めに歪み、道はありえない角度で伸び、窓も壁もまともな形をしていない。光と影ですら、照明を当てて作るのではなくセットに直接描いてしまう。現実をどう上手く再現するかではなく、人間の不安や狂気をそのまま空間に投影し、レンズ越しに新しい現実を創出しようとしていた。
いま映画を作れば、当然のようにカメラの位置があり、レンズがあり、カット割りがあり、照明がある。足りなければCGIもVFXで思いのままだ。これは映画産業、主にハリウッドが百年以上かけて蓄積してきた財産だ。でも、蓄積があるということは同時に「普通はこうする」という正解も大量にあるということだ。試行錯誤の時代は遠く、映画制作は「正解」を求める作業になってしまった。
『カリガリ博士』は、実験の時代のラストを飾る傑作だ。画面を歪ませてもいいし、影を描いてもいいし、芝居と絵画と舞台美術を全部一緒にしてもいい。映画史に残ったから実験的なのではなく、まだ映画そのものが巨大な実験だった時代の作品なのである。100年前の映画なのに、見ているとむしろ今の映画より自由に感じる。AI?CGI?今は何でもできるはずなのに、肝心の人間はこんなにも不自由だ。
古い社会派映画を見ると、ときどき「社会が進歩した」というより、「問題の名前だけが後からついたのではないか」と思うことがある。「過労死」という言葉が使われ始めるのはそれから20年ほど後で、社会問題として広く認識されるのはさらに先の話だ。しかし、この映画ではすでに会社員が精神安定剤を飲みまくり、覚醒剤を打ちながら働き続け、ついには吐血する。会社のために身体を壊す。それを周囲も本人も、異常なこととして止められない。
日本が高度経済成長に入り、「会社のために働く」という生き方が社会全体を覆っていく、そのかなり早い段階で、増村保造はもうその末路まで撮ってしまっている。
舞台は製菓会社である。ワールド、ジャイアンツ、アポロという三社が、キャラメルを売るために広告で殴り合う。街で見つけた少女をスターに仕立て上げ、テレビに出し、雑誌に載せ、ポスターを貼り、キャンペーンを打ち、とにかく人々の注意を奪う。企業が人間を商品にする。メディアがその商品を増幅する。消費者は作られたスターを欲しがる。
1958年の話である。え、マジ?推し活の話とかではなく?広告とテレビと芸能人の関係をSNSとインフルエンサーに置き換えれば、そのまま現在でも成立しそうな完成度。
監督・増村保造が描く人間たちは、とにかく速い。喋る。歩く。働く。裏切る。食う。薬を飲む。また働く。立ち止まって人生について考える暇などない。なぜ働いているのかすら、そのうちどうでもよくなっていく。そして最後には、企業を動かしているつもりだった人間の方が、企業に動かされる「玩具」になっている。
北野武の監督一作目。完成度でいえば『HANA-BI』や『ソナチネ』なのかもしれない。
ここにはまだ「北野映画」というものが存在しない。だから、人が延々と歩く、突然殴る、妙な間が空く、暴力のあとに何のカタルシスもない、といった後の北野映画の文法が、完成されたスタイルではなく、映画を撮りながら偶然発見されていくように見える。人が歩く。殴る。また歩く。撃つ。暴力は格好いいのに、同時にひどく痛そうで、何かを解決することもない。ただ暴力を振るった分だけ、人間が一人ずつ壊れていく。
北野武が映画制作を通じて自分の「声」を見つけたあとの作品、つまり『HANA-BI』や『ソナチネ』の暴力には詩情がある。でもこの映画はただ乾いていて、冷たい。その荒削りさが、かえって北野武の本質を眩しく照らしている。やがて「世界のキタノ」となる男が小さくデビューした大傑作。
いわゆる「黒人映画」と呼ばれるジャンルで、最も重要な役割を果たしてきたのはスパイク・リー。ただし人種差別を扱った映画、という説明だけだとこの映画の「嫌らしさ」を取りこぼす。
スパイク・リーが描いているのは、もっと生活に近い、手触りを持った何か。暑い。うるさい。隣人が気に食わない。店員の態度がむかつく。昔から積もっていた不満がある。そういう小さな苛立ちが、真夏のブルックリンで少しずつ発酵していく。
この映画には「正しい人」がいない。黒人も白人も韓国人も、それぞれに被害者で、それぞれに加害者になりうる。差別は悪い、と一本の線を引いて終わらせるのではなく、人間が実際にどうやって他人を嫌いになり、どうやって集団同士の敵意が育っていくのかを、ほとんど街の生態系として見せていく。
そして暴力が爆発する。
タイトルに反して、スパイク・リーは観客に「正しい答え」を与えてくれない。暴力は間違っているのか。怒ること自体が間違っているのか。秩序を守ることは誰のための秩序なのか。エンドロール直前には、非暴力を説いたキング牧師と、自己防衛のための暴力を肯定したマルコムXの言葉が並ぶ。タイトルは『Do the Right Thing(正しきことを為せ)』なのに、最後まで何が“Right Thing(正しきこと)”なのかは教えてくれない。
スパイク・リー本人が指摘している通り、政治的な映画は、答えを提示することにときどき熱心になりすぎる。でも社会の問題なんて、本当はそんなに綺麗に整理できない。正しいことをしようとしている人間同士が、それでも衝突する。その割り切れなさを、そのまま映画にしている。
とにかく暑い。
一本の映画として選ぶのは、少し反則な気もするが、個人的には外すことのできない一本。
何しろこの映画の作り手は、それ以前のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の映画20本を見ていることを前提にしている。単体では成立しない。キャプテン・アメリカがあのハンマーを持つことも、ポータルの向こうからヒーローたちが戻ってくることも、アイアンマンが指を鳴らし「私がアイアンマンだ」と述べることも、その瞬間だけ切り取れば大した意味はない。十年以上かけて観客が積み重ねてきた記憶があって、初めて爆発する。
もちろんシリーズ映画は昔からある。『007』も『スター・ウォーズ』も『ゴジラ』もある。でも、別々の主人公を持つ20本以上の大作映画を同じ世界に配置し、それぞれの物語を10年以上走らせた末に、一本の映画のクライマックスへ収束させるという試みは、映画史上例がなかった。しかも実験映画でも特殊な企画でもなく、世界最大級の商業映画としてそれをやった。
映画一本ではなく、10年間の映画体験そのものを素材にして作った映画なのだと思う。観客が20本以上の映画を見ていることに賭けて、ハリウッド史上例を見ない予算を投下した。
そして賭けに勝った。
誰が何と言おうと、キャプテン・アメリカがムジョルニアを持った瞬間、映画館で「うおおお」とならない観客はいなかったはずだ。映画を何本見ようが、アートシネマに詳しくなろうが、映画史を勉強しようが、こういう瞬間に素直に興奮できるのも、映画の楽しみではないだろうか?
あの規模で、あの年月をかけて、観客の記憶そのものをクライマックスに変換した。それだけで十分偉大だ。
社交ダンスを始めることが、恥ずかしい。
いま見ると、この「恥ずかしい」がすごく面白い。役所広司演じる主人公は、仕事をして、結婚して、家を買って、父親として生きている。社会人としては何も間違っていない。それでもどこか満たされない男が、家族にも言えず、ダンス講師への淡い下心、憧れに押され、こっそりダンスを始める。
別に会社を辞めるわけでも、家族を捨てるわけでもない。ただ踊る。でも本人にとっては大事件である。
90年代の日本映画を考える上でもかなり重要な一本だと思う。国内では大ヒットして実際に社交ダンスブームを起こし、そのまま海外でも受け入れられ、ついにはハリウッドでリメイクされた。
侍でもヤクザでも怪獣でもアニメでもない。東京近郊を電車で通勤する、ごく普通の中年サラリーマンの話が、そのまま世界に通じた。
日本的な生活の細部を捨てなくても普遍的な映画は作れる。そのことを商業映画として証明した作品でもある。大人が何かを好きになる話としても、日本映画としても、やっぱり特別な一本だ。
宮崎駿で一本選ぶなら、たぶんこれになる。
当時はこれが宮崎駿の「最後の作品」だと思われていた(というか本人が言ってた)。もちろん最後ではなかった。でも、そういう「最後」という前提で作られた映画だからこそ、これまで彼が作品の中で抱えてきた矛盾を、初めて真正面から自分自身に向けたように見える。
宮崎駿はずっと、飛行機や機械や技術を愛してきた。一方で、作品では常に戦争を嫌い、兵器を憎む左翼作家としての一面を強く押し出してきた。その二つは本来かなり矛盾しているはずだ。
そして『風立ちぬ』の堀越二郎も、美しい飛行機を作りたい。ただそれだけの人間だ。でも、その美しい飛行機は戦争に使われる。普通ならどこかで「だから兵器を作ることは間違っている」と言うか、「技術者に罪はない」と逃がすか、そのどちらかに着地しそうなものだ。
しかし『風立ちぬ』は着地しない。美しいものを作りたいという欲望は、善でも悪でもなく、ただそこにある。そして、その欲望が現実の中で何を生むのかという責任からも逃げられない。宮崎駿自身、そこに答えを出せていないように見える。それでもその矛盾をありのままに曝け出した。だからこの映画は面白い。兵器開発も、創作も、神聖なものとして扱わない。美しいものを作る
1. イントレランス — 四つの時代を大胆に交差させる、映画の編集技法が一気に未来へ跳んだような超大作。
2. カリガリ博士 — 歪んだ美術そのものが登場人物の狂気を語る、悪夢のように美しい作品。
3. 吸血鬼ノスフェラトゥ — 怪物の影と死の気配だけで、今なお背筋を冷たくする無声ホラー。
4. 戦艦ポチョムキン — カットの連鎖が観客の感情を動かす、モンタージュの威力を体感できる一本。
5. キートンの大列車追跡 — 無表情のまま危険へ突っ込むキートンの身体能力と発想力に圧倒される。
6. サンライズ — 素朴な愛の物語を、流麗なカメラと光の魔法で壮大な映画詩にしている。
7. メトロポリス — 巨大都市の造形が圧巻で、後世のSF映画が何度も参照した原点のような作品。
8. カメラを持った男 — 撮影も編集も遊び尽くしながら、「映画には何ができるか」を祝福している。
9. M — 犯人捜しの緊張感と社会全体の狂騒を、音の演出で不気味に浮かび上がらせる。
10. 街の灯 — 笑わせ続けた末に訪れるラストの表情が、映画史上屈指の切なさを残す。
11. 或る夜の出来事 — 軽妙な会話と反発し合う男女の距離感が楽しい、ロマンティックコメディの模範。
12. 大いなる幻影 — 戦争や国境よりも人間同士のつながりを見つめる、静かで深い反戦映画。
13. 白雪姫 — キャラクターが動き、歌い、恐怖や喜びを伝えること自体が驚きに満ちている。
14. オズの魔法使 — 色彩豊かな冒険の果てに「帰る場所」の意味を教えてくれる永遠のファンタジー。
15. ゲームの規則 — 優雅な社交界の裏で欲望と残酷さが交錯する、笑うほど苦い群像劇。
16. 駅馬車 — 限られた空間で人物を描き分け、荒野に出れば一気に疾走する西部劇の教科書。
17. 市民ケーン — 革新的な映像表現の奥から、富を得ても埋まらない孤独が浮かび上がる。
18. カサブランカ — 恋愛、友情、政治的決断が美しい台詞とともに溶け合う、大人のためのメロドラマ。
19. 無防備都市 — 戦争直後の街と人々の痛みを、生々しい緊迫感で画面に刻みつけている。
20. 我等の生涯の最良の年 — 戦争が終わっても終わらない苦しみを、帰還兵の日常から丁寧に描く。
21. 素晴らしき哉、人生! — 人生の暗闇を正面から描くからこそ、最後の温かさが胸に深く染みる。
22. 自転車泥棒 — 一台の自転車をめぐる親子の一日が、社会の非情さまで映し出してしまう。
23. 赤い靴 — 芸術への情熱が人を輝かせ、同時に破滅させるさまを鮮烈な色彩で描く。
24. 晩春 — 親子の別れを大げさに語らず、沈黙や物の配置だけで切なさを伝える小津映画の傑作。
25. 第三の男 — 傾いた画面、濃い影、軽快なツィターの音が、戦後都市の不穏さを際立たせる。
26. サンセット大通り — 夢を売るハリウッドが抱える老いと執着を、毒気たっぷりに解剖してみせる。
27. 羅生門 — 同じ出来事が語り手によって変貌し、「真実とは何か」を観客に突きつける。
28. 雨に唄えば — 映画産業の転換期を題材にしながら、歌と踊りの純粋な喜びで満たしてくれる。
29. ゴジラ — 怪獣映画の迫力と核の恐怖が結びつき、娯楽では片づけられない重さを持つ。
30. 七人の侍 — 個性的な人物、周到な準備、豪雨の決戦まで、集団活劇の面白さがすべて詰まっている。
31. 裏窓 — 窓の外を見るだけの設定から、好奇心と罪悪感が絡む極上のサスペンスを生み出す。
32. 夜と霧 — 過去の映像と現在の風景を並べ、記憶する責任を静かに、しかし容赦なく問う。
33. 大地のうた — 貧しい暮らしの中にある喜びや喪失を、子どもの眼差しで瑞々しく描いている。
34. 捜索者 — 雄大な西部の風景の中に、執念や偏見を抱えた男の危うさが刻まれている。
35. 第七の封印 — 死神とのチェスという強烈な寓話を通して、生きる意味と沈黙する神を問い続ける。
36. めまい — 愛する人を理想の姿へ作り替えようとする欲望が、陶酔的な映像の中で狂気に変わる。
37. お熱いのがお好き — 畳みかける笑いと性別をめぐる軽やかな混乱が、古びるどころか今なお鮮やか。
38. 大人は判ってくれない — 行き場を失った少年の孤独が、自由な映像と忘れ難いラストに凝縮されている。
39. サイコ — 観客の予想と視線を巧みに裏切り、編集と音楽だけでも恐怖を成立させてしまう。
40. 勝手にしやがれ — 物語の作法を軽々と飛び越え、若さと映画への愛をむき出しにしたような作品。
41. 情事 — 人の失踪よりも、残された者たちの空虚さを追い続ける大胆な現代劇。
42. 5時から7時までのクレオ — 死への不安を抱えた女性が街を歩く二時間を、瑞々しい時間感覚で捉える。
43. アラビアのロレンス — 砂漠の圧倒的な美しさと、英雄として消費される男の複雑さが共存している。
44. 8 1/2 — 創作できない苦しみすら、夢と記憶が乱舞する華麗な映画へ変えてしまう。
45. マタイによる福音書 — 豪華な装飾を排し、荒々しくも切実な映像でキリストの言葉を響かせる。
46. 博士の異常な愛情 — 核戦争の恐怖を徹底的な笑いへ変換し、人類の愚かさを痛烈に暴く。
47. アルジェの戦い — 記録映像のような臨場感で、植民地支配と抵抗運動の暴力を多面的に描く。
48. アンドレイ・ルブリョフ — 混乱する時代に芸術を作る意味を、重厚な映像と長い沈黙の中で問いかける。
49. 仮面/ペルソナ — 二人の女性の顔と人格が溶け合い、映画そのものまで崩れていくような心理劇。
50. 黒人女 — 植民地主義の支配が日常生活と心を侵食する様子を、鋭く簡潔に描いている。
51. プレイタイム — 画面の隅々で小さな笑いが同時発生し、近代都市全体が巨大な喜劇装置になる。
52. 2001年宇宙の旅 — 人類の進化を台詞ではなく映像と音楽で語る、映画館で体験したい宇宙的作品。
53. 時計じかけのオレンジ — 暴力を魅力的に見せる映像美が、観客自身の倫理感まで揺さぶってくる。
54. アギーレ/神の怒り — 密林と川に閉じ込められた一行が、征服欲と狂気にのみ込まれていく。
55. ゴッドファーザー — 家族を守るという名目が権力と暴力へ変わっていく過程を、荘厳に描いた悲劇。
56. トゥキ・ブゥキ — 若者の逃走願望を、鮮烈な音と断片的な編集でエネルギッシュに表現している。
57. ミツバチのささやき — 怪物映画に魅了された少女の想像力を通して、独裁下の沈黙と傷を映し出す。
58. ゴッドファーザー PART II — 父の成功と息子の孤立を交差させ、一族の栄光が崩壊へ反転していく。
59. ジャンヌ・ディエルマン — 家事の反復を見つめ続けることで、日常に隠された抑圧と亀裂を可視化する。
60. ジョーズ — 姿の見えない恐怖を最大限に利用し、人物劇と娯楽性まで両立させた怪物映画。
61. タクシードライバー — 孤独な男の歪んだ視線を通して、夜の都会に渦巻く嫌悪と妄想を描く。
62. アニー・ホール — 恋愛の幸福と終わりを、知的な冗談と自由な語り口で軽やかに振り返る。
63. スター・ウォーズ — 神話的な物語と連続活劇の興奮を宇宙へ持ち込み、純粋な冒険心を呼び覚ます。
64. エイリアン — 冷たい宇宙船の内部で、未知の生物と身体への恐怖が息苦しいほど高まっていく。
65. ストーカー — 願いがかなうという場所への旅が、信仰や欲望をめぐる静かな精神の迷宮になる。
66. 地獄の黙示録 — 戦争の狂気を追う旅が、次第に人間の心の最深部へ降りていく悪夢へ変わる。
67. シャイニング — 整然としたホテルの空間と反復される映像が、説明できない恐怖を増幅させる。
68. レイジング・ブル — リング上の暴力よりも、自分と周囲を壊し続ける男の弱さが痛烈に迫る。
69. ブレードランナー — 雨とネオンに包まれた未来都市で、人間らしさとは何かを哀切に問いかける。
70. サン・ソレイユ — 旅の映像と思索が自由につながり、記憶そのものを眺めているような映画体験。
71. SHOAH ショア — 過去の惨事を再現せず、生存者や加害者の証言と現在の風景から記憶を立ち上げる。
72. 来て見て — 少年の表情が急速に老いていくさまを通して、戦争の地獄を逃げ場なく体験させる。
73. ブルーベルベット — 平穏な郊外の表面をめくると、欲望と暴力の異様な世界が広がっている。
74. AKIRA — 都市の崩壊と少年たちの暴走を、圧倒的な作画密度とスピードで描き切る。
75. ドゥ・ザ・ライト・シング — 真夏の暑さと日常の摩擦が積み重なり、人種間の緊張が爆発へ向かう。
76. クローズ・アップ — 現実の事件を本人たちが演じ直し、真実と演技の境界を優しく揺さぶる。
77. グッドフェローズ — ギャング生活の快楽を猛烈な速度で見せながら、その先の崩壊まで容赦なく描く。
78. さらば、わが愛/覇王別姫 — 京劇役者たちの愛憎と中国現代史が絡み合う、壮麗で痛ましい一代記。
79. ピアノ・レッスン — 言葉を発しない女性の欲望と意志が、音楽や身体の動きを通して激しく伝わる。
80. サタンタンゴ — 泥と雨と停滞する時間を見つめ続け、共同体の絶望を巨大な映像世界に変える。
81. パルプ・フィクション — 時系列を組み替え、犯罪者たちの会話さえ刺激的な娯楽にしてしまう。
82. トイ・ストーリー — CGアニメーションの革新性以上に、友情と嫉妬を描く物語の確かさが心に残る。
83. もののけ姫 — 自然と人間の対立を善悪に分けず、それぞれの生存を懸けた闘いとして描く。
84. ブレア・ウィッチ・プロジェクト — 見えないものを想像させる怖さと、記録映像風の生々しさが抜群に効いている。
85. マトリックス — 哲学的な問い、革新的な映像、華麗なアクションが奇跡的なバランスで融合している。
86. 美しき仕事 — 鍛えられた肉体と厳格な規律の裏にある欲望を、詩的な映像で浮かび上がらせる。
87. アモーレス・ペロス — 一つの事故から複数の人生が交錯し、愛と暴力の切り離せなさを突きつける。
88. 花様年華 — 触れそうで触れない二人の感情を、反復される音楽と色彩が美しく閉じ込めている。
89. 殺人の追憶 — 連続殺人捜査の重さに黒いユーモアを混ぜ、未解決であることの不気味さを残す。
90. トロピカル・マラディ — 恋愛映画から神話的な密林の物語へ変貌し、欲望と自然の境界を溶かしていく。
91. パンズ・ラビリンス — 少女の幻想世界とファシズムの残酷な現実が、互いを映す鏡のように重なる。
92. 4ヶ月、3週と2日 — 長回しの緊張感によって、抑圧的な社会で女性が背負う恐怖を体感させる。
93. インセプション — 複雑な夢の構造を娯楽的な強盗劇に仕立て、最後には個人的な喪失へ着地する。
94. 別離 — 誰も完全には間違っていない状況を積み重ね、善意と責任が絡み合う苦さを描く。
95. アクト・オブ・キリング — 加害者自身による虐殺の再演が、記憶と自己正当化の恐ろしさを暴き出す。
96. ムーンライト — 一人の少年の成長を三つの時代で描き、言葉にできない孤独と愛情を繊細にすくい取る。
97. ゲット・アウト — 日常的な違和感を恐怖へ変え、人種差別の構造を鋭い笑いとともに暴露する。
98. パラサイト 半地下の家族 — 喜劇から惨劇へ滑らかに変化し、住宅の高低差まで格差の象徴として機能する。
99. 燃ゆる女の肖像 — 見ることと見られることの関係を丁寧に描き、失われた恋を記憶の中に焼き付ける。
100. エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス — 無限の世界を駆け巡る大騒動が、最後には家族を理解するための切実な物語になる。
d:id:white_cake です。こんにちは。
実は去年の8月に「小説書いたら楽しかったというだけの話」という文章をここに載せました。
https://anond.hatelabo.jp/20250817164759
あの時さらっと他人であるかのようなブコメを残したんですけど、実は自分で書いていたんですよ。これ打ち明けるのものすごく恥ずかしいなあ!
あの文章に対するブコメで、「書いたやつをなろうかカクヨムに載せてくれ」と言ってくれた方、ありがとう。それ以外にも反応をくださった方、みなさまありがとうございました。
ずいぶん間は空いてしまいましたが、カクヨムで公開することに決めたので、ここでお知らせしておきます
届いてくれるといいなあ。
■光と風と水と食べ物
https://kakuyomu.jp/works/2912051606545698190
大学生の綾瀬香名は夏休み、住み込みの実験バイトに参加することとなる。
大手製薬会社の所有する孤島で行われるその仕事には、高額報酬につられた人間たちが集まっていた。
被験者は「教師」と「生徒」の二つの役割に分けられ、ペアとなって実験最終日の「テスト」合格を目指すこととなる。
「教師」となった香名はリゾートホテルのような豪華な施設で快適に過ごすが、ペアを組む「生徒」は過酷な状況を強いられていることに気づく。
通信制限によって島の外には連絡がとれない。
「生徒」には怯えがあり、「教師」たちの言動も徐々に歪みを見せ始める。
不穏な空気が高まる中で迎えた最終日、「テスト」で香名は非人道的な選択をつきつけられる。
極限状況で香名が選ぶ答えは?
というような感じで公開を始めました
とりあえず公開開始から4日間は一日三回、12時、18時、20時に三話ずつ公開していく予定です。
現時点で21話が公開済です。明日まではこのペースで公開を続け、5日目からは毎日20時に一話ずつ公開に切り替える予定です。
既に最後まで書き終えてあるので決してエタることはないというのがこの小説のウリですので、よろしければごらんください。
昨年は一本で終わりましたが、今年に入ってから8万字くらいのやつを一本と、11万字くらいのやつを一本書きました。年内にあと一本か二本書けたらいいなあ、と思っています。
書いた小説はだいたい夫に読んでもらっていて、それなりに好評ではありました。嬉しい。読んでくれてありがとう。
友人にも読んでもらいました。こちらもたいへん嬉しく、ありがたかったです。今後の人生、彼女に幸運がありますように。
とはいえ今後もこのペースで書き続けるなら、周囲の人間にずっと読んでもらうのって、ものすごく気が引けますよね。数ヶ月に一回、大体10万字くらいの小説を書いて読ませようとしてくる奴がいたら、大抵の人は「こいつ、すげー厄介」と思うであろうことは、私にも予想がつくのです。
じゃあ誰にも読ませず一人で楽しめ。
と言われればまあそうですよねとは思うんですが、どうもそれがさみしくて。
私には書くことはコミュニケーションであるという感覚がどこかにありまして、やっぱりそうなると読まれないで終わる小説を書くのはしんどいと、そう思ってしまうのです。
だって、読みやすさとかも考えて書いているわけですよ一応。何かを説明したりするシーンも当然あります。だけど誰にも読まれないで終わる作品だったらそういう要素は全部いらないという話になりますし、これはむちゃくちゃに虚しいわけです。やっぱり誰かには読んで欲しい。だけど夫に頼りすぎるのもきっと良くないし……。
有料の感想サービスを利用することなどもちらっと考えたのですが、やめました。向こうもビジネスでやってる以上、お金を貰ったぶん優しい感想をくれそうなので。それは対等なコミュニケーションとはちょっと違う気がします。
そう、このあたりで地獄が始まってしまったのです。夫と感想サービス以外の読者を欲するという地獄が。
誰にも読んでもらえなかったら、読んでもらっても不評だったら、それはきっとしんどいと、自分でもわかっているというのに。でも望んでしまった。
小説を書くのは本当に楽しいです。こんなに楽しくて夢中になれることはなかなか他に思いつきません。頭の中でパチパチと物語が弾けるこの感じ。バラバラだったものがすーっと繋がって自分でも気づいていなかった物が見えてくる瞬間の興奮。これは癖になるし、やめられない。
そう、やめられないのです。だから今も書いています。一本書いて満足して終わることはできませんでした。だからきっとこれからも、小説を書いてしまうのでしょう。
そして書けたものを私は、図々しくも面白いと思っているのです。自分にとって面白いと思えるものが書きたくて、それができるようになるまでこれまでずいぶん時間を費やしてきました。そうして最近、やっとそれができるようになってきたのです。
……あ、どうだろう。昨年書き終えた直後は「すげー面白いのができた!」と思ったけれど、一年経ったら粗が見えてきました。粗、あるなあ。
だけどこの作品、依然として私にとっては面白くはあるんです。粗はあるけど面白いし、好き。そういうものが書けてよかったとは、思っています。
問題はこの「私にとって面白いもの」が「他人にとっても面白いもの」であるかどうかはわからないところですよね。そして結局、これは誰かに読んでもらわなければ、永久にわからないままです。
わからないままにしてきっと面白いと信じ続ける。それもそれで賢い気がします。自己満足とか欺瞞って、実はすごく大事なことだと思ってますんで私。
だけど私は、世の中にはきっと自分と感性が近い、同じものを同じように面白いと思ってくれる人がどこかにいるんじゃないかと、つい思ってしまったのです。
ああどうか私の味わったあの楽しさが、誰かに届きますように。私の感性が世界でたった一人のものではなく、共感してくれる人が見つかりますように。
ああどうか、ああどうか。
今思うとだいぶ終わっている30代半ばのおじさんだった。
それがある時、「これはまずい!」と一念発起して、はてブで話題になっている映画を、映画館まで観に行くことにした。
これが思いのほかよかった。
別に映画オタクというほどでもないし、監督論とか撮影技法とかはよくわからない。
それでも「あの映画よかったよね」くらいなら少しは語れるようになった。
そのきっかけを作ってくれたのは、かなりの部分、はてブだった。お前らだった。
なのでお前らへの感謝も込めて、「はてブがなかったらたぶん観てなかった映画」の中から、
自分の世界の見え方を、ちょこっと変えてくれた作品を年代順に挙げてみる。
でもなんとなく行かずにいて、上映終了間際になってようやく観た。
そして、ぶっ飛ばされた。
まず、宇宙の感じがすごい。
「宇宙を描いた映画」というより、本当に自分まで宇宙空間へ放り出されたような感覚があった。
終盤になると、
「えっ、あと上映時間そんなに残ってないよね?」
というものが山ほど残っていて、頭の中が「あわわわわ……」となる。
そこからの、あれ。
映画館を出た時の、「すげーのを観させられた……」
という感覚は今でも鮮烈に覚えている。
その後、リバイバル上映されるたびに何度もIMAXへ行ってる。
それから年月が経って、自分の娘はマーフと同じくらいの年齢になり、
その時に鑑賞し直した時、まったく違う映画になってた。
……だったと思う。
とにかくみんなが何かすごい勢いで語っていた。
正直、何をそんなに興奮しているのかよくわからなかったが、「そこまで言うなら」と映画館へ行った。
で、ぶっ飛ばされた。
「なんじゃこれは!」が延々と続く。
車が走る。
爆発する。
人が飛ぶ。
いったい俺は何を見せられているんだ。
そして面白い。
映画を観たあと感想を書こうとしても、「すごかった」以外の言葉がなかなか出てこない。
こんなに言語化しにくいのに、こんなに面白い映画があるんだな、というのが自分には新鮮だった。
でも、はてブが猛烈に盛り上がっていたので観に行った。
で、どうだったか。
またしてもぶっ飛ばされた。
なんだこの情報量は。
なんだこのテンポは。
観終わってから、当然のようにはてブを漁って、みんなの感想とか撮影秘話とかを読みまくった。
そこで、台詞量が多くて尺に収まらない可能性があったので、役者にかなり速く喋ってもらった、みたいな話を知る。
「そうだったの!?」と思った。
早口なのはわかっていたけど、それを「映画の都合で急いで喋っている」と感じさせず、「この世界の官僚はこういう喋り方をするんだ」と受け入れさせている。
なお、2回目以降見ると、みんなが早口すぎて違和感しかない作品でもある。
この映画でぶっ飛ばされたのは、作品そのものもそうなんだけど、「みんなで映画を観る」という体験だった。
とにかく客席が盛り上がった。一体感がすごかった。
有名な話だけど、この映画は前半と後半で見え方がガラッと変わる。
前半、そのおっさんは明らかにイライラしていて、「チッ」と舌打ちまでしていた。
そして後半。
どんどん劇場の笑い声が大きくなっていく。
そして最後。
映画もすごいが、それを同じ空間で見ている観客も含めて映画館なんだな、と妙に感動した。
話が話なので、当然はてブでも盛り上がっていた。
政治的な中身についてここで詳しく書くつもりはない。
ただ、作品としての情報量と制作手法にはかなりぶっ飛ばされた。
こういう人たちが、自分の言葉で長時間話している映像を、自分はこの作品以外でほとんど見たことがなかった。
賛成とか反対とか、その前に、
「この人はこういう世界の見え方をしているんだ」
ネットで誰かの要約や批判を読むことと、本人が喋っているところを見ることは、全然違う。
そのことを強く感じた映画だった。
これもはてブで盛り上がっていた。
当時、「セカイ系への新しい答え」みたいなことも言われていた気がする。
まあいい。
映画館へ行った。
ぶっ飛ばされた。
東京の背景。
雨。
水。
光。
めちゃくちゃ綺麗だった。
「あれをもう一回、大きなスクリーンで見たい」
映画館へ二度観に行った。
みんな、想像してくれ。40手前のおっさんが新海誠の画集を嬉々として買う姿を。
コロナ禍。
映画館も大変な時期で、過去作品のリバイバル上映がいろいろ行われていた。
そこで『風の谷のナウシカ』がやっている。
これはリスクを冒してでも観に行った方がいいのではと、しれっと観に行った。
もちろん何度かテレビで観ている。
話も知っている。
なのに、だ。
めっちゃぶっ飛ばされた。
音。
風。
世界の広さ。
そしてエンドロールを見ながら改めて思った。
違う意味でも、ぶっ飛ばされた。
2010年代後半くらいから、ネットに限らず「自己責任」という言葉をやたら見るようになった気がする。
困っている。
でも本人にも原因があるでしょ?
だから仕方ない。
そういう考え方。
自分の中にも、かなりあったと思う。
この映画では、役所広司演じる、刑務所を満期出所した元ヤクザが社会に戻ろうとする。
見ながら何度も、「いや、それはこの人が悪いんじゃない?」と思う。
怖いし。
短気だし。
社会性ないし。
でも観ていくと、その「本人が悪い」で終わらせていたものの外側に、いろんなものが見えてくる。
自分がかなり狭いところから世界を見ていたことに気づかされた。
でも、自分の価値観をぶっ飛ばす映画という意味では、この作品はかなり上位にいる。
ある中学校の「2年6組」に密着して、クラス全員を追ったドキュメンタリー。
今考えても、すごい作品だと思う。
だって、SNS全盛の時代に、中学生たちが顔も名前も出して映画に登場するんだぜ?
最初は当然、知らない子ばかり。
でも観ているうちに、
みたいな妙な感覚になってくる。
そして当然だけど、14歳は14歳なりに、めちゃくちゃいろんなことを考えている。
友達のこと。
クラスのこと。
勉強のこと。
部活のこと。
恋愛のこと。
将来のこと。
そして、自分自身のこと。
それを見ていると、懐かしいとか、恥ずかしいとか、切ないとか、頑張れとか、いろんな感情が一気に出てきて、最後には自分の中がぐちゃぐちゃになる。
毎年春になると近所の劇場でリバイバル上映してくれるので、毎年観に行きたくなる。
75歳以上の人間が、自ら死を選べる制度「PLAN 75」が導入された日本。
安楽死を扱った作品ということで、はてブでもいろんな意見が出ていた記憶がある。
でもこの映画の怖さは、未来感が全然なく、現在と地続きにしか見えないところ。
役所の待合室でPLAN 75のプロモーション映像が流れている。
映像の中では、演者の高齢者が「本当に選んで良かった」なんて語ってる。
テレビのニュースでは、PLAN 75 による経済効果がポジティブに語られている。
そして、映画では、少しずつ社会的弱者になっていく高齢者が描かれる。
自分はそれまで、「老後」というものをかなり遠くから見ていたんだと思う。
2回も観に行った。
それと、まだ今ほど有名になる前の河合優実が出てる。
名前も知らない、初見の女の子の演技に、涙させられたのも良い思い出。
自分もその影響をかなり受けた。
『アバター』シリーズは3作ともIMAX 3Dで観ているけど、一番好きなのは2作目の『ウェイ・オブ・ウォーター』。
とにかく水が綺麗。
海の中を泳いでいる映像を、本当にずーっと見ていたくなる。
ストーリーがどうとか、その前に、
「この世界にもう少しいさせてくれ!」と思った。
ちなみに、初代の『アバター』を昔、普通の3D上映で観たんだけど、
当時の感想は「3Dはすごいけど、話は普通だし、長いな」だった。
その後、『2』の公開に合わせて、初代がIMAX 3Dでリバイバル上映されたので観に行ったんだよ。
そしたら、全然違った。
めちゃくちゃ面白い。
そして、長くも感じない。
映画館に金を払う意味って、作品を見るだけじゃなく、こういうことなんだなと理解した。
これも、はてブで話題になっていなければ絶対に観ていなかった。
原作未読。
藤本タツキもよく知らない。
そしておっさん一人、ぶっ飛ばされて帰ってきた。
翌週。
娘を連れて、もう一度観に行った。
今度は親子二人でぶっ飛ばされて帰ってきた。
帰り道、小3の娘に感想を尋ねた時、明らかに言語化できないもどかしい顔をしてた。
「ドラえもんがすごい」みたいなことをみんな書いている。
そんなにか?
と思って娘と二人で観に行った。
で、どうだったか。
ぶっ飛ばされまくった。
何これ。
絵の中に入る、というアイデアから始まって、そこから出てくる世界も小道具も、そしてストーリー展開も。
とにかく創造性に満ち溢れている。
そして、またぶっ飛ばされた。
まず音。
爆音。
身体に来る。
はてブで誰かが、「これすごいぞ」と言っている。
その横で誰かが長文を書いている。
なんだなんだ、と思って映画館へ行く。
そして、ぶっ飛ばされる。
「あー、そういう見方もあるのか」と思う。
たぶん、それを10年ちょい繰り返してきた。
映画を観るようになって一番よかったのは、映画に詳しくなったことではない。
自分以外の人間が、どういうふうに世界を見ているのかを、少し想像できるようになったことだと思う。
ありがとな、はてブ。
ありがとな、お前ら!
※タイトルでは10本と書こうと思っていたが、絞れなかったので14本になった。増田だし許して。
| 順位 | 都道府県 | 出生数 | 出生率 人口千対 |
合計特殊出生率 | 婚姻率 人口千対 |
| 1 | 東京都 | 84,207人 | 6.3 | 0.96 | 5.7 |
| 2 | 大阪府 | 53,351人 | 6.3 | 1.14 | 4.7 |
| 3 | 神奈川県 | 51,423人 | 5.8 | 1.08 | 4.4 |
| 4 | 愛知県 | 45,514人 | 6.4 | 1.22 | 4.5 |
| 5 | 埼玉県 | 39,956人 | 5.6 | 1.09 | 4.0 |
| 6 | 千葉県 | 33,763人 | 5.6 | 1.09 | 4.0 |
| 7 | 福岡県 | 32,280人 | 6.5 | 1.22 | 4.2 |
| 8 | 兵庫県 | 30,535人 | 5.9 | 1.23 | 3.8 |
| 9 | 北海道 | 22,658人 | 4.5 | 1.01 | 3.5 |
| 10 | 静岡県 | 17,439人 | 5.1 | 1.19 | 3.6 |
| 11 | 広島県 | 15,765人 | 5.9 | 1.29 | 3.8 |
| 12 | 茨城県 | 13,976人 | 5.1 | 1.16 | 3.5 |
| 13 | 京都府 | 12,938人 | 5.3 | 1.05 | 3.7 |
| 14 | 沖縄県 | 11,753人 | 8.2 | 1.54 | 4.4 |
| 15 | 宮城県 | 11,242人 | 5.1 | 1.00 | 3.7 |
| 16 | 岡山県 | 10,926人 | 6.1 | 1.27 | 3.8 |
| 17 | 長野県 | 10,513人 | 5.4 | 1.30 | 3.5 |
| 18 | 熊本県 | 10,337人 | 6.2 | 1.39 | 3.6 |
| 19 | 新潟県 | 9,941人 | 4.8 | 1.14 | 3.1 |
| 20 | 岐阜県 | 9,831人 | 5.3 | 1.27 | 3.4 |
| 21 | 群馬県 | 9,334人 | 5.2 | 1.20 | 3.4 |
| 22 | 栃木県 | 9,262人 | 5.1 | 1.15 | 3.6 |
| 23 | 鹿児島県 | 8,939人 | 5.9 | 1.38 | 3.3 |
| 24 | 三重県 | 8,896人 | 5.4 | 1.24 | 3.7 |
| 25 | 滋賀県 | 8,795人 | 6.5 | 1.32 | 3.9 |
| 26 | 福島県 | 8,216人 | 4.8 | 1.15 | 3.2 |
| 27 | 長崎県 | 7,000人 | 5.7 | 1.39 | 3.3 |
| 28 | 山口県 | 6,777人 | 5.4 | 1.36 | 3.3 |
| 29 | 奈良県 | 6,697人 | 5.3 | 1.19 | 3.0 |
| 30 | 愛媛県 | 6,557人 | 5.2 | 1.28 | 3.3 |
| 31 | 石川県 | 6,078人 | 5.6 | 1.23 | 3.5 |
| 32 | 宮崎県 | 6,000人 | 5.9 | 1.43 | 3.4 |
| 33 | 大分県 | 5,957人 | 5.6 | 1.37 | 3.4 |
| 34 | 青森県 | 5,099人 | 4.4 | 1.14 | 2.9 |
| 35 | 富山県 | 5,078人 | 5.2 | 1.29 | 3.4 |
| 36 | 香川県 | 5,059人 | 5.6 | 1.36 | 3.7 |
| 37 | 岩手県 | 4,896人 | 4.3 | 1.09 | 2.9 |
| 38 | 佐賀県 | 4,824人 | 6.2 | 1.41 | 3.4 |
| 39 | 山形県 | 4,699人 | 4.7 | 1.17 | 2.9 |
| 40 | 和歌山県 | 4,457人 | 5.1 | 1.24 | 3.4 |
| 41 | 福井県 | 4,383人 | 6.1 | 1.46 | 3.6 |
| 42 | 山梨県 | 4,153人 | 5.4 | 1.26 | 3.6 |
| 43 | 島根県 | 3,622人 | 5.7 | 1.43 | 3.1 |
| 44 | 徳島県 | 3,547人 | 5.2 | 1.32 | 3.4 |
| 45 | 秋田県 | 3,282人 | 3.7 | 1.04 | 2.5 |
| 46 | 高知県 | 3,108人 | 4.8 | 1.25 | 3.2 |
| 47 | 鳥取県 | 3,092人 | 5.9 | 1.43 | 3.3 |
| ― | 全国 | 686,173人 | 5.7 | 1.15 | 4.0 |
1位 ひつじのショーン https://assets.parks.hatelabo.jp/vite/assets/avatar_photo_12-B0poKn0X.png
2位 鹿 https://assets.parks.hatelabo.jp/vite/assets/avatar_photo_4-Dt5zSTno.png
3位 ラム肉 https://assets.parks.hatelabo.jp/vite/assets/avatar_photo_14-Kw7K7jBM.png
人気アクセサリー
1位 無印良品
2位 花
3位 首輪
人気背景食
1位 水色
2位 白
3位 深緑
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もし11億あれば、もう少し「はてならしい」ものを作れたのではないか。
リリース直後は「何だこれは」と言われて、数年後に「あれ、はてなが先にやっていたよね」と言われるようなものを。
「はてならしくない」話ではある。
あらすじ: 引退した大女優が取材を受け、自らの半生と、生涯追い続けた男性について語り始める。
観るべき理由: 現実、映画の役柄、記憶が境目なくつながる編集が見事。複雑そうに見えて、中心にあるのは一途で分かりやすい恋の物語。
視聴: dアニメストア for Prime Video、Amazon・Apple TVでレンタル。
あらすじ: 寂れた漁港で暮らす少年が、音楽を聴くと踊り出す人魚の少女ルーと出会う。
観るべき理由: 独特な絵の動きと音楽の高揚感が抜群。人魚伝説の設定も作中ですべて説明されるため、気軽に入れる。
あらすじ: 楽器経験のない不良高校生三人が、思いつきでバンドを結成する。
観るべき理由: 極端に間の長い会話と素朴な絵が、次第に異様な熱気へ変わる。約70分と短く、アニメに詳しくない人にも見やすい。
あらすじ: 漫画を描くことが得意な藤野と、不登校ながら圧倒的な画力を持つ京本。二人は一緒に漫画を作り始める。
観るべき理由: 約58分で、創作する喜び、嫉妬、友情、喪失までを描き切る。原作漫画を読んでいなくても完全に理解できる。
視聴: Prime Videoほか。
あらすじ: 転校してきた少女シオンは、実は試験運用中のAIだった。彼女は孤独な同級生を幸せにしようと歌い始める。
観るべき理由: AI映画でありながら、明るい学園ミュージカルとして楽しめる。後半の仕掛けも温かく、見終わった気分がよい。
視聴: U-NEXT、dアニメストア for Prime Video、Amazonでレンタル。
あらすじ: 世界一のジャズ奏者を目指す青年・大が、ピアニストと初心者ドラマーを誘い、三人でバンドを組む。
観るべき理由: 原作を知らなくても、バンド結成からライブへの挑戦まで一本の青春映画として完結。演奏シーンの熱量が圧倒的。
視聴: Netflix、U-NEXT、Amazon・Apple TVなどでレンタル。
あらすじ: 学校へ行けなくなった少女こころの部屋で鏡が光り、七人の中学生が集められた不思議な城へ通じる。
観るべき理由: 世界のルールや登場人物の事情が丁寧に説明される。終盤、それまでの細かな描写が一本につながる構成も見事。
視聴: Prime Video、Hulu、U-NEXT、FODなど。
あらすじ: 経営難の蒸留所を継いだ若い女性社長が、失われた幻のウイスキーの復活に挑む。
観るべき理由: ウイスキーの知識がなくても、家業、仕事、家族の再生を描くお仕事映画として楽しめる。大人向けの日常アニメとして貴重。
視聴: Netflix、Hulu、U-NEXT、FODなど。
あらすじ: 映画プロデューサーのポンポさんから、新作映画の監督を突然任された青年ジーンが、作品完成にすべてを懸ける。
観るべき理由: 映画制作の知識がなくても分かりやすく、編集や演出の面白さまで体感できる。創作に関わる人には特に刺さる。
視聴: Prime Video、Hulu、U-NEXTなど。
あらすじ: 少女アマンダの想像から生まれた少年ラジャーが、想像上の友達を狙う謎の男から逃げる冒険に出る。
観るべき理由: 子ども向けの幻想冒険に見えて、忘れられることや喪失を丁寧に描く。スタジオポノック作品の予備知識も不要。
視聴: Netflix。
あらすじ: 明国の武装集団に追われる少年・仔太郎が、過去を抱えて刀を封じた浪人・名無しを護衛として雇う。
観るべき理由: 歴史設定を詳しく知らなくても、少年と浪人の逃避行として一直線に楽しめる。終盤の剣戟は日本アニメ屈指の完成度。
あらすじ: 人前で話すのが苦手な俳句少年と、容姿への悩みをマスクで隠す人気配信者の少女が出会う。
観るべき理由: 鮮やかな色彩と音楽で描く、爽やかなひと夏の青春映画。恋愛要素も重すぎず、見やすい。
視聴: Netflix。
あらすじ: 明るく振る舞う少女ムゲは、猫に変身できる仮面を使い、好きな少年のそばへ通っていた。
観るべき理由: 猫になるという分かりやすいファンタジーを通して、家族や自分の居場所を描く。若者向けだが大人にも通じる。
視聴: Netflix。
あらすじ: 取り壊し予定の団地へ忍び込んだ小学生たちが、団地ごと大海原を漂流することになる。
観るべき理由: 団地そのものが思い出を背負うという発想が面白い。サバイバル冒険と幼なじみ同士の別れを一本で描き切る。
視聴: Netflix。
あらすじ: 水没していく街で、家を上へ上へと建て増しながら暮らす老人が、海中へ落としたパイプを拾いに潜る。
観るべき理由: 約12分、ほぼ台詞なしで人生と家族の記憶を表現する短編。アニメーション表現そのものを味わえる。
視聴: U-NEXT。
あらすじ: 幕末の東北。育ての母を殺した疑いをかけられた少年・次郎が、出生の秘密と海賊の財宝を巡る旅へ出る。
観るべき理由: 幕末、日本、アメリカを横断する大スケールの冒険活劇。古い作品だが、人物関係と目的が明快で入りやすい。
あらすじ: 山育ちの猟師の少女・浜路が江戸へ移り、人と犬の血を引く「伏」を狩る仕事に関わっていく。
観るべき理由: 『南総里見八犬伝』を知らなくても問題なく、少女と異形の青年の出会いを描く和風ファンタジーとして独立している。
あらすじ: アイドルになると決めた高校生・東ゆうが、東西南北の高校から美少女を一人ずつ集め、グループ結成を目指す。
観るべき理由: アイドル業界の知識は不要。夢を追う少女の計算高さや危うさまで描くため、単純な成功物語では終わらない。
視聴: Prime Video、Hulu、U-NEXTなど。
あらすじ: 人間の言葉を話し、原付に乗る37歳の化け猫あんずが、寺に置き去りにされた少女かりんの面倒を見ることになる。
観るべき理由: 実写映像を下敷きにした自然な動きと、ゆるい日常から異界へ踏み込む展開が独特。子ども向けに収まらない不思議な味がある。
視聴: Prime Videoなど。
あらすじ: 高校生の真琴が、時間をさかのぼる「タイムリープ」の力を偶然手に入れ、日常の失敗をやり直し始める。
観るべき理由: 原作小説や過去の映像作品を知らなくても、独立した青春SFとして完全に楽しめる。時間を戻す楽しさが、やがて切なさへ変わる。
「これ観てない奴とは正直、映画の話をしたくない」という特大釣り針に見事引っ掛かったんだけど、
まぁぶっちゃけそうは思わないし、別に映画なんて娯楽なんだから「語らなきゃ」いいんすよ。ね。会話する分には別に。
「映画史上最高の一本」とか言われるやつ。
実際、今観ても「これ'41年にやってんの?」とはなる。
ただ、構図とか編集とか、後世の映画が散々パクっているので今の人間に見せても普通の映画くらいにしか思わないだろ。
これを観てないと映画を語れないらしいが、
そもそもこの映画を今観てその視点で感動出来る奴は、多分本当に映画を観たことがない。
若い頃に観ると「すげえ映画を観た」感がスゴいし、映画好きだと主張するときにも非常に便利。
キューブリックなので画面は当然かっこいいが、オススメを聞かれてオススメする映画ではない。
そして映画好きは一回これを好きだった過去をなかったことにしがちかも。
でもサメ映画好きを名乗ってる奴で、人に『ジョーズ』を勧める奴はあんまりいないし、意外と観てない奴もいる。
なぜ「最高傑作」ではなく「金字塔」とか「殿堂入り」という言われ方をするのか、一回考えた方がいい。
誰に勧めてもだいたい面白いと言われる。
映画史的にどう重要なのか、人生観がどう変わるのか、現代社会に何を問いかけているのかは知らないが、面白い。
映画を語るために映画を観ていると、こういう映画について書くことがなくなっちゃうよ。
映画が好きならたぶん好き。
そんなナンバリング(ナンバリングではない)あったっけ?と思ったそこのアナタ。
YOU LOSE!
こういう映画を観ていると「年間何本観てます」には非常に貢献する。
映画史を語る上ではたぶん何の役にも立たない。むしろ騙されていることに怒りすら覚えてくる。
でも年間何本観たかを自慢するなら、こういう映画をちゃんと数えている人の方を信用したい。
ちなみに、俺はカウントしていない。
片方公開前で悪いけど、どっちもだいたい1977年公開の『未知との遭遇』。
『SUPER 8』はスピルバーグを観て育ったJ・J・エイブラムスが、ものすごくスピルバーグっぽく撮った『未知との遭遇』。
『ディスクロージャー・デイ』はスピルバーグ本人が、約50年経ってもう一回撮った『未知との遭遇』。
あれ、『未知との遭遇』観ればよくね?
絶版になってだいぶ経つのに、なぜかたまにセル版の価格が高騰する。
個人Vtuberがやたらと同時視聴配信をしている、いわゆるカルト。
これをVtuberに勧めてる輩に関して言えば、
Amazonの低評価レビューが150%信用できる作品なのに、人の心とかないのかと思う。
観てくれるなら止めはしないが、アンタが見ることを一度は止めたことにさせてもらう。
ちなみに日本公開当時、国内には1.43:1のIMAXフルサイズで上映できる映画館が存在しなかった。
なので公開当時にフルサイズIMAXで観た日本人がいたのなら、わざわざ国外まで観に行ったことになる。
そこまでした人は素直にすごいと思う。
が、肝心の映画は眠かった。
『インセプション』でいいじゃん。
映画においてこういう「見たくなるキャッチコピー」は大事だと思う。
何の関係もないのになぜか『エアポート』シリーズとしてほぼ年1本ペースで出ている。
映画史を勉強する前に、なぜ「旅客機VS旅客機」の8文字で人は映画を観たくなるのかを考えてもいいかもね。
登場人物の葛藤とか成長とか、物語を通して何を伝えたいのかとか、そういう話を真面目にし始めるとかなり困る。
映画には脚本が大事というわけでもないことを教えてくれる良作。
以上11本。
「これが入ってないのはあり得ない」「それを挙げるならこっちだろ」「お前は何もわかってない」、言いたいことは山ほどあると思う。
それでいい。俺も別にわかってない。
映画なんて観た本数が増えれば正解に近づくものでもないし、名作を履修した数だけ偉くなるものでもない。
『市民ケーン』を観てなくてもいいし、『ワールドエンド2012』は観なくていい。
お前らの「これも観ろ」をブコメで聞かせてくれ。
質問と回答は以下の通り。
1. 年齢 48
2. 性別 男
5. 喫煙(吸わない/過去に吸っていた/現在吸う、量)吸わない
6. 飲酒(頻度・量)飲まない
7. 運動習慣少しだけする
10. 持病や健康状態(高血圧、糖尿病など)内臓脂肪が多い、少し高血圧
12. 両親・兄弟姉妹の寿命や大きな病気(分かる範囲で)父が糖尿病、リンパ腫、肺がんなど
14. 健康診断で気になる数値(血圧、血糖、コレステロールなど。分かれば)血圧が高めだが今は服薬して正常。飲まないと高そう
先長そう…
映画とかわからないけど増田は個別株トレードを嗜むから、2026の年初から夏までに話題を集めたり注目された銘柄を選んでみるわ。
セクター偏ってるかも知れんが勘弁な。当たり前だけど投資は自己責任で頼むぞ。
やはり2026年の相場を見たらキオクシアは外せない。直近高値から半額セールになったとはいえ、年初からのパフォーマンスは未だ圧倒的だ。
現在はAIブームによる需要がこのまま続くか、中韓勢の増産によって供給がダブついてメモリ単価が落ちるか、強弱感が対立といった感じだな。はてブで退場した人が話題になったりもしていた。
太陽誘電と聞いて古参はてな―は「CD-RやDVD-Rの会社」を連想するだろう。あの太陽誘電だ。2026年前半に積層セラミックコンデンサ(MLCC)が一大テーマとなり、この会社の株価が7倍以上に沸騰する大相場が形成された。現在の株価は、発表された直近の決算に対して市場が勝手に期待して勝手に落胆といった状況だ。
AIブームによる大相場で話題となった銘柄は他にもあるが、セクター偏ってしまうからキオクシアと太陽誘電の2つに留めておく。
メガバンクから1つ選出。株価は「風が吹けば桶屋が儲かる」理論で形成されることが多く、メガバンクはまさに「日銀が利上げすると銀行が儲かる」のど真ん中だ。
正直メガバンクならどれでもよかったが、2026年は三井住友のOliveを三菱UFJがエムットで追撃する構図が印象に残ったため選んだ。
さて、地銀は「日銀が利上げすると銀行が儲かる」だけでなく「地域どうしの合従連衡」の再編もテーマになっている。このテーマにはSBIホールディングスも一枚噛んでいる。さらに言えば、メガバンクと違って国債運用の巧拙で差があって損を抱える銀行も多く、増田は買い頃の地銀銘柄を見抜くのはメガバンクよりも遥かに難しいと考える。
ふくおかフィナンシャルグループはTSMCやソニーセミコンの進出で潤っており、比較的かたいと思われるため選出した。他には地元名門企業への出資を多く手掛けている京都フィナンシャルグループあたりもかたいだろうか。
ゲームセクターから1つ選ぶとしたら、2026年はバンダイナムコになる。ゲームセクター大手はカプコンやコナミなど、同じような値動きをするケースも多くあるが中でもバンダイナムコは圧倒的パフォーマンスだった。
ソフトメーカー側もダウンロード版のセール実施などで業績の安定化に取り組んでいるものの、やはり大型タイトルを一発当てる世界ではあるため、ゲームセクターに投資してみたい人は最近算出の始まった日経エンタメ・コンテンツ株指数のETFなどから入ってみるのもいいかも知れないな。もちろんバンダイナムコのような銘柄を見抜いて当てるのも格別ではあるが、かなり難易度は高い。
なろう系タイトルに対する偏重、夏野CEOに対する解任動議など、2026年のはてブも賑わせた銘柄だ。
ネガティブなニュースばっかりだった割にプラスじゃん、と思う人もいるかも知れない。直近でKADOKAWAは早期退職を大々的に募集しており、リストラやった企業っていうのは固定費が減ってその後の業績が改善することが多々あるのだな。現在の株価はそれを織り込んでいると見ることもできるだろう。
社長交代や株主総会の会場拡大といった様々な出来事があったが、2026年のトヨタは何と言ってもホルムズ海峡の封鎖で利ザヤの大きい大型車を中東へ輸出が滞ってしまったのが大きいだろうな。大体トランプのせい。
時価総額でもソフトバンクグループに抜かれた、キオクシアに抜かれた、とネガティブな方で話題を集めてしまったな。思ったより好調だった決算も円安のお陰と市場から見られているのが痛い。
2025年にGPU大量調達で大相場を形成したさくらインターネット、2026年も社長が「フルリモートやめる会社から優秀な人材を引き抜けてホクホクですわ~」とSNSでアピールしていたところに大規模セキュリティ事故が起きて、今後の株価がどうなるか見通せなくなってきた。
国産ガバクラ需要を取り込んで今後も伸びるか、セキュリティ事故対応が長引いて長期低迷に陥るか、短期で差益を獲りに行きたい人でないと手を出してはいけない銘柄だ。
驚きの7年連続赤字、もう浜ちゃんのCMもすっかり見なくなったフードデリバリーの会社だ。KDDIがmenu撤退でフーデリ残存者利益を取れるか注目だな。年初来でプラスじゃん、と思った人は10年チャートを見て悲惨ぶりを実感してみよう。
SB流の焼畑農業は当たる(PayPay)とデカいが外れる(出前館)のもデカいと教えてくれる銘柄だな。ここにお金つっこんでたのは源流をたどるとLINEだから、SB流とは少し違うかもしれない。
最後を締めるのは、もちろん俺たちのはてな。実は11億円事件が無くても経営面で結構厳しくて、1回きりの電子ギフト優待を出して何とか東証グロース落ちを回避しようとせこましい努力をしていた。擁護すると、このような手段で何とか株価を一時的に上昇させようと画策するのは上場している中小企業で本当によくあるパターンで、はてなに限ったことではない。権利落ち後に株価がゲロ下げするのも通例だ。
増田としては、はてなの各社に提供しているコミックビューワーで楽しくWebマンガを読んでおり、潰れて欲しいとは思わないし、潰れるとも思ってない。が、MBOによる上場廃止は結構あり得るストーリーだと考えていて、今からはてなの株主になることは推奨しない。jkondoが同意すれば本当に秒で廃止できる資本構成だからだ。
「これ何で入ってないの?」って言われそうなやつ。
はてなーも大好き任天堂。この銘柄は2025夏だったら間違いなく10選に入っていたな。Switch 2ローンチで株価も盛り上がっていた時期だ。
実は2026年はメモリー高騰でハード事業が悲観的に見られて、一時かなり売り込まれていたんだよな。現在は少し戻ってきた。
AIと言ったらソフトバンクだろ! そうだね。でも孫正義がAIオールインしてるのは2026に始まった話じゃないんだ。
ある意味、チャットGPTが登場してから毎年10選入りできるから殿堂入りして選外、みたいなところがあるかな。
イオンは入れようか迷ったんだよ。はてな―にも優待狙いの株主が多そうだし。
熊本での悲運があったにしろ、2026のイオンが低迷しているのは、インフレ局面で他者が値上げしているのに頑なに値上げしない点も大きいのが増田の見方だ。今や多角化したビジネスをやってるから、スーパー事業だけが稼ぎ頭じゃないんだろうけど、市場の見方っていうのは案外単純なんだ。
襟川ファンドに投資させろ! のコエテク。でも株価パフォーマンスはバンナムの圧勝なんだ。
個別株ってむずかしいよな。
おまけではてな―にも人気そうなインデックスの年初来パフォーマンス載せとく。円建て評価だから外国株の指数はホクホク円安でかさ上げされてる点には注意な。