はてなキーワード: 1944年とは
冬戦争と、その後の継続戦争を経て、フィンランドが領土を失いながらも独立国家として存続したフィンランドの歴史。
何が起きたのか
1939年、ヨシフ・スターリン率いるソ連は、安全保障上の理由を挙げてフィンランドに領土交換を要求しました。フィンランドが拒否すると、ソ連は侵攻し、冬戦争が始まります。
フィンランド軍は激しく抵抗し、ソ連に予想以上の損害を与えましたが、国力の差は大きく、1940年に講和しました。
講和条約でフィンランドは、おおよそ国土の約10%を割譲しました。
主な地域は
ヴィープリ
ラドガ湖周辺
その後
1941年、ドイツがソ連へ侵攻すると、フィンランドは失地回復を目指してソ連と再び戦います(継続戦争)。
再度領土を失う
賠償金を支払う
ことを受け入れました。
それでも残ったもの
一方でフィンランドは、
独立国家であり続けた
民主主義を維持した
市場経済を維持した
という点が重要です。
戦後はソ連との関係に慎重な外交を続け、「フィンランド化(Finlandization)」と呼ばれる中立政策を採りました。
「ウクライナは領土の一部を失っても、国家・国民・自由を守ることを優先すべきではないか」
という主張がある
ただし、この比較には慎重な見方もあります。多くの歴史家や安全保障の専門家は、
現在のロシアとウクライナの戦争は1939~44年のフィンランドの状況とは国際環境や軍事・政治的条件が大きく異なる。
領土を譲歩すれば恒久的な平和が得られるとは限らず、将来さらなる侵攻を招く可能性があるという見解もある。
AI モードの会話あなたの入力: 死体の腕の骨をペーパーカッターに加工して大統領だかに贈るような米軍 +8 それは第二次世界大戦中の太平洋戦線において、実際に起きた米軍兵士による日本軍戦死者の遺体切断(戦利品狩り)に関する史実です。ご質問の具体的なエピソードの概要は以下の通りです。事件の概要贈られた人物:第32代アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルト贈り主:ペンシルベニア州選出の連邦議会下院議員フランシス・E・ウォルター贈られた物:太平洋戦線で戦死した日本兵の腕の骨(前腕骨)で作られたペーパーナイフ(レターオープナー)時期:1944年6月大統領の反応と結末当時、コラムニストのドリュー・ピアソンらが報じたところによると、ウォルター議員からこのペーパーナイフを差し出された際、ルーズベルト大統領は「これは私の好きなタイプの贈り物だ」などと言ったとされていますが、実際には触れることはしなかったとされています。その後、このニュースが公になるとメディアや宗教界から批判が起き、さらに日本側も「アメリカ兵は悪魔・野蛮人である」というプロパガンダ(戦意高揚)として激しく利用・抗議しました。事態を重く見たルーズベルト大統領は、数週間後にこのペーパーナイフをウォルター議員に返還し、しかるべき埋葬を行うよう命じています。背景:米軍内での「戦利品狩り」の横行当時の太平洋戦線では、米軍兵士の間で日本兵の遺体から頭蓋骨、歯、骨、耳などを切断し、「戦利品(お土産)」として持ち帰る行為が一部で流行していました。『ライフ』誌の衝撃写真:1944年5月には、アメリカの『ライフ』誌に「海軍の恋人から送られてきた日本兵の頭蓋骨」を見つめながら手紙を書く若いアメリカ人女性の写真が掲載され、社会に大きな衝撃を与えました。公式な禁止と実態:米軍上層部や政府は、こうした行為がジュネーヴ条約(戦死者の尊厳保護)に違反するとして1942年時点から厳格に禁止令を出していました。しかし、前線での激しい人種的憎悪や、日本兵を人間扱いしない風潮(非人間化)から、憲兵の目を盗んで終戦まで密かに行われ続けました。戦後、これらの「骨の戦利品」の多くはアメリカ国内の遺品整理などで発見され、現在も日本政府や関係団体によって遺骨の返還(日本への送還)手続きが進められることがあります。もしこの歴史的背景について、当時の日本側の報道(新聞の反応)や、米軍がなぜそのような行動に走ったのかという心理的要因など、さらに詳しく知りたい点があればお知らせください。米軍兵による日本軍戦死者の遺体の切断 - Wikipedia日本側はこれらの言動を察知して、プロパガンダに利用した。 ハルゼーの発言 ... 骨で彫ったペーパーナイフを贈呈されたという。後に大統領はその ...WikipediaAmerican mutilation of Japanese war dead - WikipediaThe phenomenon of "trophy-taking" was widespread enough that discussion of it featured pro...WikipediaSadly, human trophies are as old as war itself | Reuters2012/04/19 — The desecration of the bodies of Japanese soldiers was so common that in 1944, Life , open...ReutersSkull Questions:3 The Life image sparked a debate in the public discourse of the United States that became...University of PennsylvaniaSkulls, Ears, Noses, And Other Morbid "Trophies" Americans ...2017/11/13 — The taking of the trophies was in large part due to the widespread idea in America that th...All That's InterestingReligion: Honor After Death - TIMEMost Americans were horrified to learn that among the souvenirs which U.S. servicemen have...Time MagazineAmerican Mutilation of Japanese War Dead: Trophy ...2026/05/24 — The mutilation of Japanese service personnel included the taking of body parts as “war sou...Utterly InterestingHow enemy mutilation entered US mainstream in WWII ?2016/09/25 — Propaganda poster for Thirteenth Naval District, US Navy, showing a rat wearing a rising s...The Vintage NewsMay 22, 1944, Life magazine. "Arizona war worker writes her Navy ...2022/02/20 — "Arizona war worker writes her Navy boyfriend a thank-you-note for the Jap skull he sent h...Reddit·r/interestingasfuck AI は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください
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「戦争休止や軍縮により仕事がなくなったり生きられなくなる軍隊関係者が強く抵抗」するからである
例えば中国。古くは前漢成立後、功臣のはずの将軍の多くが次々と反旗を翻した
日本については、戦前にあった首相遭難(暗殺)事案は全て首相が出した軍縮方針に軍部が反発したことがきっかけだし、太平洋戦争でヒロシマナガサキが起きたのも1944年の勝敗が決定づけられてる段階で軍部が抗戦を強く主張し続けていたためだ。終戦で仕事失って餓死するよりも玉砕を選んだのだ
この仕組みは今のロシアウクライナ戦争、イラン周辺の戦争も変わらない。終戦したら食いっぱぐれる、下手したら命を失うという人が各国の軍隊側や武装組織側にたくさんいる。彼等は「終戦」だけはどうしても避けなければならない
だからいつまで経っても終戦目処は立たないし、停戦協定は数時間から数日以内に破られる
しかも為政者側が軍隊・武装組織側をコントロールしようとすると高確率で殺される。だからネタニヤフは眉間にシワを寄せながら軍隊を擁護しなければならない
「撃たなきゃ死んじゃう」状態は当面続く
それでいいはず
一応ネットで見られる語源辞典だと傷がついて針が飛んで同じところを繰り返し再生するためって書いてあるから
初出は1944年
https://www.etymonline.com/search?q=%E2%80%9Dbroken%20record%E2%80%9D
ゴッホ(1853〜1890年)やアインシュタイン(1879〜1955年)の子供時代にASDの概念はなかっただろ
(ハンス・アスペルガーが「小児期の自閉的精神病質」という題で論文を発表したのが1944年)
寧ろ彼等の時代に今のような概念があれば、早期に障害者として排除され、世に出る事なく潰されてしまった可能性が高いだろう(ゴッホはアウトサイダー・アートとして温情的評価を受けたかもしれないが)
ゴッホもアインシュタインもASDなんてない事で助かってたんだよ
この人だってASDなどと分類されなければ、今よりも一般社会で才能を評価されて成功できたかもしれない
叩くべき相手が違うんだよ
tomokatz 軽度だがASD当事者。ASDがなければゴッホもアインシュタインの才能も無く、美しい絵や高精度GPSも存在しなかった。良い部分だけはしっかり享受するくせに悪い部分は根拠なくこき下ろす、この風潮は本当にevilだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4782669056023403138/comment/tomokatz
青木光一(99)
1944年に奉天中央放送合唱団に入団、米山正夫の指導を受ける。関東軍入隊とシベリア抑留を経て1950年レコードデビュー。「柿の木坂の家」をはじめ「小島通いの郵便船」「早く帰ってコ」「元気でね、左様なら」等ヒット曲多数。紅白歌合戦3回出場。日本歌手協会名誉会長。
https://youtu.be/FPa4OWQNIYA?si=A54T3HI1SlXzzSda
桜井稔(99)
この人のことは私もよく知らない。タイヘイマーキュリー時代のレコードはここhttps://zarigani3.web.fc2.com/tm-rp/sakurai.htmに網羅されており昭和二十年代デビューと窺える。代表曲は「哀愁の佐渡航路」だろうか。作曲家としても活躍し愛知県弥富市で桜井稔歌謡研究所という歌謡教室を開いているようだ。
https://youtu.be/K8LUvE1lQvM?si=-F6QvPiqEDX6SIBV
中島孝(99)
1946(昭和21)年に晴邦劇団に入団しムーランルージュ新宿座のレビューショーで歌手生活を始める。この劇団の主宰は寅さんのおばちゃんでおなじみ三崎千恵子夫妻。1950年レコードデビュー。1954年「若者よ!恋をしろ」がヒット。
https://youtu.be/W2pdZrM2sYY?si=ltIoliyOo7tXF9Gu
菅原都々子(98)
第1回紅白歌合戦トップバッター。紅白の歴史はこの人から始まった。1955年のミリオンヒット「月がとっても青いから」の印象が強いがデビューは1937年。父は浅草オペラの歌手。二十代の頃の歌う姿が映画に映っている。
https://youtu.be/G0q0XHIlnkA?si=lcz2pN6uCJN9tPwb
楠トシエ(98)
800曲以上を吹き込んだCMソングの女王。1949年ムーランルージュ新宿座で歌手活動を始める。三木鶏郎の人気ラジオ番組「日曜娯楽版」で人気を博しマルチタレントとして活躍。2011年のドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」では三崎千恵子や中島孝と共に思い出を語った。紅白7回出場。
https://youtu.be/mHZsauDJAgA?si=OEyf3lpKXe8VyreV
吉岡妙子(97)
1947年デビュー。なんといっても1954年の津村謙とのデュエット「あなたと共に」の大ヒットに尽きる。辛いことがあっても二人で乗り越えようと朗らかに歌い上げるこの歌は結婚式の定番曲になった。1956年「私の幸せは何処へ」で紅白出場。
https://youtu.be/IxIAgkwCriY?si=YpsFeQwJiZVw3uEe
1949年デビュー。1953年「毬藻の唄」がヒット。阿寒湖に歌碑が残る。結婚し引退していたが1982年に復帰し同時代の二葉あき子や並木路子とコンサートを開いた。
https://youtu.be/MJsFookqleY?si=SshJLJFYvHFDYP0D
曽根史朗(95)
1954年デビュー。1956年「若いお巡りさん」が爆発的大ヒット。ピンク・レディー「ペッパー警部」はこの歌のパロディにあたる。近年なんと90歳で「若いお巡りさん」を歌い話題になった。声量も音程も若い頃と変らない驚異的な歌唱だ。https://youtu.be/_gGV_HJ7JnA?si=tr4mQmj8W5n0GDGr
(続く)
第一次・第二次世界大戦ともに、戦局の変化や外交の動きが日単位で起こる時期があり、リアルタイム進行のVTuber設定に非常に向いています。特に以下の期間が候補です:
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✅ 第二次世界大戦:1944年6月〜8月(ノルマンディー上陸〜パリ解放)
📅 日数:約80日間
📌 主なイベント数:20件以上(平均4日に1回以上の大事件)
主な出来事:
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📅 日数:約30日間
主な出来事:
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✅ 比較と特長:
戦国時代(1582年) 21日 10件程度 内政・移動主体、密度は高い
幕末(1867年〜) 90日 20件以上 政治・暗殺・クーデター多数
第二次大戦転換期 80日 20件以上 戦闘・諜報・レジスタンス・政治劇が入り混じる
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✅ 結論:
「戦争の転換点(特に第二次世界大戦)」は、1日単位で地図が変わるため、VTuberのリアルタイム配信に最適です。特に1944年夏は、地上戦・空襲・陰謀・解放・外交すべてが日々進行しており、没入感が高く、実況ネタに困りません。
見ていない作品もいくつかあるのでWikipedia等で調べたりした。
となりのトトロ 昭和30年代前半(1955年〜1960年頃)
耳をすませば 不明(未来ではないので映画公開の1995年以前)
千と千尋の神隠し 1994年〜2001年(ほとんど異世界が舞台なのでアウディ・A4がある時代で映画公開の2001年までならだいたい成り立つ)
つまり堀越二郎が三菱で飛行機の設計をしていた頃にポルコが飛行機を乗り回し、「風立ちぬ」が終わる頃にサツキが生まれ、松崎海(コクリコ坂から)も近い時期に生まれ、「コクリコ坂から」の数年後に狸達が生存戦略を模索していたということがいえる。
「竹槍で戦闘機を落とす訓練」という話は、日本の戦時中の状況を象徴的に表すものとしてよく語られますが、学術的・歴史的には誇張や誤解を含む話です。
1. 竹槍訓練は存在した
第二次世界大戦末期、日本国内では本土決戦に備え、民間人(主に女性や学生)に対して竹槍による訓練が行われました。これは地上戦での敵兵への抵抗を想定したものであり、戦闘機を落とす目的ではありませんでした。
竹槍訓練は、武器の不足や戦局の悪化に伴い、国民の士気を高めるために推奨されました。戦闘機を相手にするものではなく、「一億総特攻」的な発想の一環でした。
誤解や誇張
竹槍を持って戦闘機を直接攻撃するような訓練や計画は、公式な軍事戦略として存在しません。これは、戦後に「日本の戦争指導層が非現実的だった」という批判の文脈で、比喩的に広まった可能性が高いです。
2. 「竹槍では間に合わぬ」という批判が当時もあった
1944年、当時の貴族院議員・斎藤隆夫は「竹槍では間に合わぬ」と発言し、軍部の非合理性を批判しました。これは、航空機や近代兵器に対してあまりに原始的な武器しか準備されていないという問題を指摘したものであり、実際に竹槍で戦闘機を落とそうとしていたわけではありません。
まとめ
竹槍訓練自体は事実ですが、それは地上戦や敵兵への抵抗を想定したものであり、「竹槍で戦闘機を落とす訓練」が行われたという話は、戦後の誇張や比喩表現に近いものです。
「量産型」という言葉について、ニコニコ大百科などでは以下のように説明されている。
TVアニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクター商品であるバンダイが発売したプラモデル『量産型ザク』が由来となった単語である。
現在、Google Booksや国会図書館デジタルコレクションによって、容易に用例を検索できるようになった。
併しながら多量生産の専門家が量産出来る様に設計したものを無線の専門家が色々無線の機械として使へるように手入れをすることによつて、初めてここに全くいまの無線の機械と形の変った量産型の無線機が実現するのでないかといふことを考えてゐるのであります。
中心磁極の形状が作働空隙附近の磁束を集中し得るか否かを検討する為に常識的に判断した理想的形状 Fig. 5 の左と、加工を簡易化して量産型とした場合 Fig. 5 の右との比較実験は、Table 2の如くその差を認められなかった。
モビルスーツと扱いが近い戦闘機に対しても「量産型」は使われている。
有名なP-51の戦争初期の量産型で、1943年〜4年頃に主として欧州戦線で活躍し、45年には改造されたD型が、B-29の護衛機として日本にもしばしば飛来しました。
ところが、推力1135kgの英国製DHゴブリンH-1B型ジェットを装備したロッキードXP-80はピストン式戦闘機では出し得ない時速800km以上を出したので、空軍ではすぐこれを制式に採用することにし、量産を命じました。こうして、最初の量産型YP-80A型(アメリカ製のJ-33型装備)は、1944年10月に完成し、以後P-80A、P-80B、F-80Cと次第に改良されて、1950年6月まで生産が続けられ、その生産機数は合計1753機に及びました。
陸軍からは昭和12年5月末立川飛行機に試作指示があり、同13年4月20日に第1号機が試飛行に成功した。テストは従来の陸軍の慣習を破って実地に詳細に行われたが、別に問題となるところもなく、同年11月1日に完成した11号機から量産に入った。量産型では、翼端失速を防ぐため固定スロットを設け、後期の型では翼端に2度の捩り下げを付けて旋回性能を向上させ、昭和19年初頭まで約860機が立川及び川崎両社で製作された。
表記の違う「量産機」についても、たとえば1950年『ロケット 5月号』。
ジェット機関を取付けて10発となったB-36は、試験機ではアリソンJ-35ジェット機関4基を装備したが、量産機ではJ−47ジェット機関4基に取換えられることになっている。
1950年3月初飛行、カナダ空軍の制式機に採用されて現在量産中の大型戦闘機で、アメリカ空軍でも本機を試験中であるといわれる。巨大なナセルを主翼上面に装着した定石破りの設計で、試作機はロールスロイス“エーボン”ジェットをつけていたが、量産機は本社“オレンダ”ジェットを装備。
などのように、こちらも多く見られる。
「ガンダムがきっかけで広まった」わけでもなく、もともと広く使われていたことは明らかである。
というわけで「量産型」がガンダムの造語だというのはガセである。
満州事変のあとから敗戦に至るまで、警視総監も知らなかった官僚検挙活動があったらしい
これは勿論全体の官吏が皆そうであるというのではありませんが、一部少数の者に限った不心得の人のことでしょうが、いわゆる官僚独善とか官吏独善とかということが起ってきたのではないかと考えるのであります
この頃になって…記事の解禁の結果、昨今の新聞紙上に散見致しておる記事を見ましても、あるいは興亞院であるとか、あるいは、当時の商工省ですか、ずいぶん大官の方々が、はなはだ面白からざる犯罪の嫌疑によって検挙されておる記事が、司法処分の解禁と共に見えてきたのです
こういうことがありますと新聞紙は勿論のこと、まあ司法処分のためには外に漏れるということはよくないことでしょうが、噂にも上れば、煙のある所に火はあるで、何らかの形で世間に現れます。あるいはまた他の模範と申しまするか、戒めにもなりはせぬかと思うが、とにかく先ほど申します通りに、ほとんど何らの聞く所もなし、何らの見る所もなかつたということは、如何にも、餘りにも、むしろ不思議位に考えるのであります。
もしや官庁あるいは官吏につきまして、何等かの新聞紙等に、制限と言いますか、命令と申しますか出ておりましたらば、あるいはすでに解かれておるのではないかと思います。もし未だそういうことに参っておりませねば、速かにご考慮を煩わしたい、こう考えるのでございます(貴族院議員 岡喜七郎・警視総監、1944年)
いよいよ明後日が大統領選挙本番ですよ! むっちゃドキドキしてきた……有権者の皆さん、今日くらいは選挙に備えますよね?
そういうことで、4年前(anond:20201105075811)に引き続いて、次の大統領はどうなるかを書いてみる。
これまでの史上最高齢での就任記録は、現職ジョー・バイデン大統領の78歳2ヶ月だが、ドナルド・トランプが就任したら、78歳7ヶ月での就任となり、史上最高齢。この場合、「史上最高齢で1期目を開始した大統領」と「史上最高齢で就任した大統領」は別人になる(前者がバイデンで後者がトランプ。バイデンの就任前は、前者がトランプで後者がロナルド・レーガンだった)。
アメリカ大統領の任期は最大で2期8年だが、2期務める場合はたいてい連続した2期を務める。しかし、トランプは2017~2021年、2025~2029年という非連続の2期を務めることになる。これは、19世紀のグローヴァー・クリーヴランド(1885~1889年、1893~1897年)以来、132年ぶり2人目。
歴史上、弾劾訴追され弾劾裁判にかけられた大統領は3人いる。このうち、アンドリュー・ジョンソンは再選を断念し、ビル・クリントンは2期目の途中だったのでその後の大統領選挙に出る資格を持っていなかった。トランプは、弾劾裁判にかけられたにもかかわらず再選された初めての大統領ということになる。
大統領と副大統領はペアで選ばれる。したがって大統領1人につき、彼に仕えた副大統領も1人というのがふつうだが、トランプは今回の選挙にあたって副大統領をマイク・ペンスからJ・D・ヴァンスに入れ替えた。1人の大統領に2人以上の副大統領が仕えることになったのは、リチャード・ニクソン大統領時代の1973年にスピロ・アグニュー副大統領が汚職疑惑で辞任して、ジェラルド・フォード下院議員が副大統領に任命されて以来、およそ半世紀ぶりである。選挙のタイミングで副大統領を交代させた結果としてそうなったのは、1944年にフランクリン・ルーズヴェルトがヘンリー・ウォレス副大統領を降板させてハリー・トルーマン上院議員を副大統領候補にすげ替えて以来、80年ぶり(なお、1976年の大統領選挙ではフォード大統領がネルソン・ロックフェラー副大統領を勇退させてボブ・ドール上院議員を副大統領にすげ替えたが、負けたのでここではカウントしない)。
カマラ・ハリスは、ヒラリー・クリントンが成し遂げられなかった悲願を達成することになる。
個人的には南アジア系と東アジア系を「アジア系」でごっちゃにするのはどうかと思うが、それはそれとして、彼女はインド系なので、初のアジア系大統領となる。
ハリスは黒人でもあるので、バラク・オバマ以来2人目の黒人大統領となる(アメリカの闇は、オバマとハリスがいずれも「奴隷の子孫」ではない点だろう。オバマはケニヤ移民の子供、ハリスはジャマイカ移民の子供であって、アメリカ南部で綿を摘まされていた人たちの子孫はまだ副大統領にもなれていない。どんだけ彼らへの差別が激しかったのかという話である)。
ハリスの下の名前「カマラ」はサンスクリット語に由来する。ヨーロッパに由来しない名前を持つ大統領は、オバマ以来2人目(上で書いたように、彼ら2人が移民の子供だという事情もあるだろう。奴隷の子孫である黒人はたいてい英語の名前を持っているので)。
民主党は、ジョン・F・ケネディの跡を襲ったリンドン・ジョンソン以来、2人連続でホワイトハウスを手にしたことはない。ハリスが勝利した場合、ケネディ暗殺以来半世紀ぶりに、民主党から2人連続で大統領が出ることになる。
副大統領は要職だが、選挙に強いかというとそういうわけではない。大統領の死亡や辞任によって昇格した副大統領はこれまでに9人いるが、大統領選挙に勝ってその座を手にした副大統領経験者は6人しかいない。しかも、そのうち2人(ニクソン、バイデン)は副大統領退任後に間を置いて大統領になっているので、現職副大統領として大統領選挙に勝ったのは、これまでに4人だけである(ジョン・アダムズ、トマス・ジェファソン、マーティン・ヴァン・ビューレン、ジョージ・H・W・ブッシュ)。ハリスが大統領選挙に勝利したら、歴史上5人目となる。
ハリス父はジャマイカ移民なので奴隷の子孫じゃないって言う人、南米やカリブ海諸国に多くの黒人が住んでいる理由について考えたことないのかな?この増田なんか歴史に関して論じてるのにあまりに片手落ちじゃない?
不正確な記述でスマソ。もちろんジャマイカ系ということはカリブ海に連れてこられた奴隷の子孫。そこは間違いない。ただ、
という2点があるので、やっぱり本来のアメリカの奴隷の子孫とその他の黒人とを区別することは必要だよなと。不正確なものいいになっちゃったのは申し訳ないけれども。
というか国民の士気を高める手段としてスポーツや娯楽産業は有効であり国家は可能であればぎりぎりまで行う
今のウクライナは総力戦というかつての古いタイプの戦争を行っているのだが
・アメリカでは当然のように終戦までメジャーリーグの試合が開催され続けた。
・イギリスでは平時のプロリーグは休止したが代わりに戦時リーグが発足し終戦まで開催された。
・日本ではプロ野球の前身である職業野球が1944年の夏まで公式戦を行いその後も終戦まで断続的に試合を開催した。(夏の甲子園も1942年まで行われた)
さらに大相撲に至っては日本中が焼け野原になる終戦に至っても場所を継続し続けた。
・ドイツではプロサッカーのブンデスリーグの前身であるガウリーガがカップ戦では1943年を最後にリーグ戦は1945年の敗戦間際まで運営され続けた。
人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
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こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
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ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
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次にやる事
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
また別の機会に調べよう
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「Heaven Cartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
生産性の低さ、実質金利の低さ、多額の公的債務に行き詰まっている経済をどう刺激するかについて様々な議論がある。最新ぶっているが、実は老害の古臭い考え方「MMT」の支持者は、中央銀行が大量の国際を買い入れて通貨供給量を増やせば問題解決になると、頭の悪いことを言っている。これは典型的な「フリーランチ」である。
フリーランチは政策議論において長い伝統がある。政治的に人気があり、20世紀以前に何度も馬鹿のように繰り返された。MMT愛好家が提案した特定のフリーランチを受け入れたすべての経済圏の経験的事実として、持続不能な圧力が最終的に悲惨な結果を引き起こす可能性があることも判明している。
MMTが常にハイパーインフレ・大規模な社会的経済的破壊などをもたらし、その後やはり従来どおりにすべきだと言って元の経済政策が課されるのである。
今日のベネズエラ、2008年のジンバブエ、1994年のユーゴスラビア、1946年のハンガリー、1944年のギリシャ、1923年のドイツが、多額のコストがかかることをすでに証明してしまった。
既存経済学が何かを見落としていて、MMTが正しいことなどあり得るだろうか。
政府が生み出す歳入を上回る支出を刷る場合、通常国際発行で赤字を賄う。負債は将来のある時点で、例えば収入に比べて支出を削減する、または支出に比べて収入を増やすことによって貸し手に返済するという約束である。
政府が典型的債務を返済するために使用する所得税などのほとんどの税金は透明性がある。
対象的に、持続不能な赤字と爆発的に増大する政府債務の財源となる「税」はインフレ税、つまり人々が保有する貨幣の量よりも早く物価が上昇した場合に生じる、国民が保有する貨幣価値の実質的低下である。インフレは、追加の財を生産するために経済の供給側の能力を超えて中央銀行が大量の通貨を印刷した場合にも起こる。
これでシコれなくても俺は知らん
軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である。
現在の国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者と交戦者・軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合、戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。
この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在はジュネーブ諸条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。
時期によっても異なるが概ね
にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合、交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。
さて、
2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。
即ち、軍隊らしい立派なおべべを支給できぬ場合、交戦者たらんとする者共は「固有標章」だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう
欧州を失陥しつつあった大英帝国はドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材を活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品をほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古の銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。
https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601
ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである。
欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。
負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である。
黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人民突撃軍)のステンシルが施されていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg
占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国は本土決戦を覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月、国民義勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず(対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である。
本土残地の正規軍にすらろくろく兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。
そんな時こそ腕sy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!
というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。
なお、この部隊は樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434
確かに日本は「唯一の被爆国」だ。だが、1945年3月には「東京大空襲」があり、国会議事堂や最高裁判所が爆撃されただけでなく、10万人以上が亡くなっている。このときに何故戦争を終結させられなかったのか。何故反戦運動が起きなかったのか。本土決戦を覚悟していたわりに何故あっさりGHQの占領を受け入れ、寧ろ喜んだのか。結局、1945年4月~8月の期間に戦争を継続した意義はあったのか。「過ちは繰返しませぬから」も良いが、もう少し自分たちの弱さを直視したほうが良いのでは?未だに公共放送が芸能事務所創業者のスキャンダルを報道するのにもここまでコストが掛かるのを見ると、多くの報道機関が談合しているのを見ると、他の国ならば1945年3月には戦争終わらせることが出来たのでは、もっと早くに戦争終わらせること出来たのでは、というかそもそも開戦しなかったのでは、とか思ったり思わなかったり。
【追記】
・1944年頃から講話に向けた動きがあった、1945年2月には「近衛上奏文」があった
で、結局当時の一般の日本人は何をしていたのか? 自分の子供を戦地に無邪気に供給していただけなのでは?
日本人しか興味なさそうな言葉の定義に関する議論お疲れ様です。
何故隠蔽されてきたのか、報道機関は「忖度」していたのか、とかは興味がある。日本みたいに芸能事務所や広告代理店がメディアをハックしている事例とかも調べれば他国にあるのだろうか。
ChatGPT4くんに色々聞いてみた
例
・極度の貧困国の低所得層の人々は、1日あたり1000キロカロリー以下の摂取量を持つことがあります。このような低カロリー摂取は、栄養失調、免疫力の低下、成長障害、学習能力の低下、労働生産性の低下など、さまざまな健康問題や社会問題を引き起こします。
・世界保健機関(WHO)によると、極度の飢餓状態の人々は、1日あたり約400キロカロリー以下の摂取が報告されていることがあります
・日本の第二次世界大戦後期の苦しい時期、特に1944年から1945年、日本政府は配給制度を導入し、一般市民に対して食料を配分していました。
1944年当時の主食である米の1日あたりの配給量は、おおよそ300グラムでした。これにより、大人1人あたりの摂取カロリーは、おおよそ1,500キロカロリー程度だったと推定されています。(300gは2合でカロリーでいうと1100kcalくらい)