はてなキーワード: 部落とは
に要因があります。
若しくは罪人として畿内から追い出され兵庫県に押し込まれました。
こういった背景から兵庫県は非常に被差別部落地区が多いのです。
そして小さなコミュニティを形成し、朝鮮部落が誕生していきました。
同時に混血が進みます。
これどこまで事実なんかね
半分以上は事実くさいが
でもさー東日本だけかも知んないけど「みっちゃんみちみちウンコ垂れてー」って酷い童歌あったじゃん。こっちは誰も問題にしなかったし部落問題なんて東日本の子供全然知らんかった。みいちゃんも大人の間でだけ問題になってるんだから「子供に悪影響」なんてのは嘘っぱちだよね
まず震度7が来た地域にあるイオンモール宇城は爆発していない。屋根が一部落ちて休業中だが(これはこれで凄いとは思う)
爆発したほうのイオンモール熊本は熊本市ではなくその東にある嘉島町。なぜか28日については震度情報未入電扱いだが周辺地域が震度5強であるし、嘉島町HPだと震度5弱と書いてある
つまりイオンモール熊本は震度5クラスの地震で何かが壊れて爆発したというのがファクトだ。震度7の地震のせいにするのはフェイクだ
昨日の記者会見でこれに誰も突っ込まなかったのが残念すぎるし、他の最近出来たorリニューアルしたイオンモールが同じように震度5クラスでお陀仏になるリスクを抱えているとすれば、イオンモールに災害避難も含めて依存している地域は地域の在り方含めて今すぐ再考する必要がある
地元自治体にあるらしい部落の話を何十年も暮らした上で、外に出た後から今更ネットで騒ぎになってるので知った。
なんなら当時の市長が経営してるバイト先に勤めててたがそんな話は聞いたこともなかった。
ネット記事に出てる部落の怪しい領収書の本屋とか、昔は普通に利用してた団地の小さな書店で何もおかしいところはなかったし。
実際どこだったんだろうな。エリア的に見れば市街化調整外の農地のどっかなんだろうけど、
(多分部落でない普通の立地の)公営団地住まいだったフィリピーナのハーフが普通に学校に来てていろいろ苦労してたのを見てたから
どこにあるかもよくわからねー部落とやらの門戸より、出身者の民族的な属性のほうがよっぽどハンデになってそうな世界だよなと思った。
共産党をはじめとした左翼勢力は、今世紀に入り、以前とは真逆の主張を行うようになりました。結果として、1960〜70年代に彼らが自身で徹底批判していた「部落解放同盟(解同・朝田派)」のロジックは、半世紀の時を経て現代の左翼を批判する極めて有効なツールになっています。
これは「昔と今が逆転した」だけの話ではなく、左翼運動の本質的な病理的変質を浮き彫りにする事例です。
日本共産党は当時、解同に対して以下のように正面から徹底批判していました:
矢田事件(1969年:教師拉致・監禁・自己批判強要)、八鹿高校事件(1974年:教職員60名への集団暴行)など、実力行使を「解放のための闘争」として正当化。
特別対策事業を「運動の武器」と位置づけ、行政との癒着や予算の私物化を進める。差別を「温存・固定化」して特権を維持する構造。
部落問題は階級問題として一般行政で解決すべき。「毒まんじゅう」(同和対策審議会答申)を批判し、特別扱いが差別を永続化すると主張。
当時の共産党は、「被害者特権の聖域化」が運動を腐敗させ、真の解放を阻害すると論理的に攻撃していました。これは彼らの原則(階級闘争優先・現実的解決・暴力否定・利権批判)に基づくものでした。
今、共産党やその周辺(反差別運動、反基地運動、アイデンティティ政治派)は、当時批判した解同のロジックをそのまま再現しています:
「反差別」「平和学習」「マイノリティ」などのアイデンティティを絶対視。他者を最初から「差別者」「ヘイト」とラベリング(東大事件の誓約書、しばき隊スタイルなど)。
座り込み、講演妨害、キャンセルカルチャー。辺野古では「平和のための行動」として安全軽視を軟化。
赤旗未払い労働問題など、自らの搾取構造を「自主的貢献」と美化。
現実的な解決(外交・安全保障・経済格差是正)より、永続的な被害者ナラティブを維持。報道抑制や「痛ましい事故」といった語彙で責任追及を回避。
この歴史的アイロニーは、現在の移民・外国人問題でも鮮明に表れています。特に川口・蕨周辺のクルド人コミュニティで顕著です。
• 「普通の労働者」「出稼ぎ目的」という声の増加 トルコ現地側からも「日本のクルド人は犯罪者ではない。普通の労働者だ」との指摘が相次いでいます(ダイヤモンド・オンライン2025年5月報道など)。
• 在日クルド人自身の証言 解体業などで成功した人々が「日本人がやりたがらない仕事(下水道・建築・解体)を死に物狂いでやってきた」「日本で生きていくために働いている」と語る例が目立ちます。
• 出稼ぎ・チェーンマイグレーションの実態 先輩が後輩を呼び寄せる連鎖来日が主流で、経済的動機が大きいと指摘されています。
現代左翼の「反差別」運動そのものが、結果として新たな人権侵害を生み出す構造になっています。
「普通の労働者」「仕事に来た」という当事者本人の現実の声を、「差別を助長する」「日本政府の責任を隠すもの」として封じ込める。 支援団体が「正しい被害者像」を決め、それに沿わない発言をすると「裏切り者」「差別主義者に利用されている」と排除・糾弾する。 これ自体が、言論の自由と自己決定権という基本的人権の侵害です。
正規で自立した外国人は「反差別」の材料になりにくいため、不安定な仮放免・不法残留を増やし続け、「日本社会の被害者」として象徴化する。 当事者は支援団体に依存せざるを得なくなり、指定された語りを強いられます。
搾取、遵法意識の低下、並行社会化、社会摩擦といった実際の被害を「さらに反差別を」と叫ぶことで覆い隠す。 問題解決より「運動の継続」と「道義的優位性」を優先するため、被害者本人の苦しみが長期化・悪化します。
部落解放同盟時代、日本共産党はまさにこれを批判していました:
今、共産党やそのシンパは、外国人問題における「反差別」運動で全く同じ構造を再現しています。
「反差別」という看板を掲げながら、当事者の多様な声(特に「普通の労働者」としての本音)を抑圧し、人権を侵害する——これほど皮肉な倒錯はありません。当時の共産党の先進性と、その堕落は、歴史上稀に見るアイロニーであり、半世紀の時を経たブーメラン現象です。
日本基督教団(UCCJ)と部落解放同盟(解同)の公式連携は、1975年の「確認と糾弾」を契機に始まり、現在も継続しています。以下に公式サイトからの直接引用を示します。
(出典:日本基督教団部落解放センター公式「設立の経緯」ページ)
(出典:部落解放同盟機関紙「解放新聞」2010年7月5日号、教団側も公式に報告)
教団はこれを2年に1度の全国規模会議として定期的に共同開催しており、フィールドワークや講演なども共同で行っています。
日本基督教団が議長教団を務めた時期があり、部落解放同盟が主導する宗教者ネットワークの中心的な役割を果たしています。
部落差別撤廃を教団の宣教課題として明文化し、継続的な連携を位置づけています。
日本基督教団は公式に1975年の確認と糾弾を受け入れ、部落解放センターを設立して以降、部落解放同盟と共同会議・フィールドワーク・狭山事件支援などで組織的に連携しています。これは教団の社会派活動として公式に位置づけられたものです。
• 日本基督教団部落解放センター公式サイト https://blc-uccj.org/
• 設立の経緯(最も重要なページ) https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/
• 日本基督教団公式サイト内の言及 https://uccj.org/secretariat-publicationbureau-pensionbureau(事務局ページ)
(出典:https://blc-uccj.org/日本基督教団と部落解放センター/history-of-establishment/)
• 教団は部落解放全国会議を部落解放同盟とともに共同主催(2年に1度)。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」に参加・議長教団を務めた時期あり。
これらはすべて日本基督教団の公式ウェブサイトに掲載されている一次情報です。 特に「設立の経緯」ページは、1975年の確認と糾弾から部落解放センター設立までの経過が詳細に記述されており、最も信頼できる公式記録です。
元産経新聞記者で医療ジャーナリストの那須優子氏は、2026年4月27日、X(旧Twitter)で以下の投稿を行いました。
と付け加えました。
• 日本基督教団を「部落解放同盟」と同定し、「プロテスタントを名乗った左翼活動家の隠れ蓑」と表現。
• 自身が30年前に産経新聞で担当した同志社特集を通じて、教団と北朝鮮の関係を「裏の顔」として認識していたと主張。
• 教団が北朝鮮拉致問題に十分向き合わなかったことを「読者と拉致被害者家族への裏切り」と批判。
• 横田早紀江さん(拉致被害者・横田めぐみさんの母)が福音派の信徒として祈りを捧げていた点に触れ、「あまりに残酷すぎて」と強い感情を込めて記述。
那須氏の発言は、同志社国際高校の辺野古沖事故を背景に、宗教団体としての日本基督教団と政治・社会運動の関与を強く問題視したものです。表現は断定的ですが、教団の部落解放同盟との長年の協力関係や象徴天皇制反対声明、北朝鮮関連の交流実績などは公式資料や過去報道で確認できる事実に基づいています。
那須優子氏の2026年4月27日投稿を中心に、主張の事実関係を検証します。公的資料・公式サイト・報道に基づきます。
• 日本基督教団は1975年に部落解放同盟(大阪府連・東京都連など)から「確認と糾弾」を受け、部落差別問題特別委員会を設置。1981年に部落解放センターを大阪に設立。
• 以後、部落解放同盟と共同で「部落解放全国会議」を開催(教団が主催・共催)、フィールドワーク、講演、狭山事件支援などを実施。
• 「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)」で議長教団を務めた時期もあり、公式連携は継続中。
• 教団公式サイトや部落解放センター資料で確認可能。ただし、教団全体が一枚岩ではなく、社会派活動の一環です。
• 教団は2019年の天皇代替わり時に大嘗祭への国関与を強く反対する声明を発表(政教分離・天皇神格化批判)。
• 戦後「戦争責任告白」(1967年)以降、社会派神学の影響が強く、天皇制・靖国問題で批判的立場を維持。
• 那須氏の過去投稿で「産経新聞夕刊特集時代に同志社特集を手伝った」と繰り返し記述。同志社(ミッション系)と教団の関係を取材した可能性は高い。
• 詳細な記事確認は限定的ですが、彼女の記者歴(産経→医療ジャーナリスト)と一致します。
• 日本基督教団は日本キリスト教協議会(NCC)に加盟。NCCが北朝鮮の朝鮮基督教連盟と交流し、訪朝・「制裁非礼」謝罪文を送った事例あり。
• 拉致問題への言及が薄いとの批判は、保守系メディアなどで長年指摘されています。
• 横田早紀江さんは日本同盟基督教団(福音派)の信徒(1984年受洗)。日本基督教団社会派とは異なる教派。
教団の北朝鮮寄り交流が拉致被害者家族の祈りと対立する構図は事実として存在します。
那須氏の発言の事実の骨子は概ね正しいです。教団と部落解放同盟の公式協力関係、天皇制批判、北朝鮮交流、拉致問題対応の温度差などは確認できます。
ただし、「=」や「隠れ蓑」などの表現は強い価値判断・一般化を含み、教団内の多様性(社会派 vs 教会派)を考慮していない点は考慮が必要です。
人権教育の現場では、被差別部落(同和地区)の歴史や差別問題が繰り返し取り上げられる。意図は「過去の身分制度による差別を正しく理解させ、現代社会から差別意識を根絶すること」にある。しかし、現実には教育の意図と効果の間に大きなズレが生じている。むしろ教育そのものが、「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調し、結果としてスティグマ(社会的烙印)を維持・強化している側面がある。本稿では、この現象を、結婚差別と私権の自由の衝突、圧力団体としての歴史的イメージという観点から論じる。
人権教育は、学校や職場、行政の啓発事業で実施される。内容の中心は、江戸時代の士農工商+穢多・非人という身分制度、明治4年(1871年)の解放令(穢多・非人等の称廃止令)による法的身分廃止、そして1969年から2002年まで続いた同和対策事業特別措置法による生活環境改善の歴史である。
これを学ぶことで、参加者が「差別は不合理で許されない」という価値観を内面化することを目指す。実際、法務省や自治体の意識調査では、講義を受けた人の多くが「部落差別は悪いことだと理解できた」と回答する。しかし、行動や深い意識変容まではつながりにくい。鳥取県の調査では「不合理であることが理解できた」と答えた人は58.5%に上る一方、「自分に直接関係がある」「何か行動を起こさなければならない」と感じた人はわずか18%程度だった。
特に効果が薄いのが、差別意識がすでに薄れている地域や世代だ。東北や沖縄、若い世代の中には「被差別部落」という概念自体をほとんど認識しておらず、「同じ日本人としか認識していない」人が増えている。そうした人々に改めて「特別な被差別集団」として教育することは、逆にそのカテゴリーを意識させ、想像上の区別を再生産する矛盾を生む。教育が「関係ないのに押しつけられている」という違和感を強め、逆効果になるケースも少なくない。
結婚は憲法第24条が保障する私権の核心である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」と定められたこの権利は、個人の価値判断に他者が強く介入することを原則として禁じている。
ところが人権教育では、「部落出身者との結婚に反対するべきでない」という規範が強く押し出される。これは、個人の私的領域——血統意識、家族の価値観、将来設計——に公的な道徳を突きつける形となりやすい。特に問題なのは、反対理由の多くが「純粋な血統意識」ではなく、「現実的な利害や圧力の懸念」である点だ。
法務省の令和2年(2020年)「部落差別の実態に係る調査」でも、結婚・交際での差別的取扱いが依然として存在すると明記されている。実際の相談事例では、「相手の親が部落出身者だと知って婚約を破棄された」「親族から『部落の団体と関わるのは面倒だ』と反対された」といった声が今も上がる。こうした心理は、単なる「差別意識」ではなく、合理的な懸念として存在しているケースが多い。
部落解放同盟(解同)は、戦後すぐに被差別部落の解放を掲げ、水平社運動の継承として大きな役割を果たした。しかし、運動の長期化とともに「圧力団体」としての側面が目立つようになった。
• 1969年から始まった同和対策事業特別措置法時代に、解同系団体が事業執行の優先権や予算獲得で強い影響力を持った。
• 一部自治体では随意契約や優先採用が問題化し、2000年代に「飛鳥会事件」などの不祥事が相次いだ。
• これらの歴史が、「結婚すると将来的に団体とのトラブルに巻き込まれるのではないか」という現実的な恐れを生み出す。
人権教育がこの歴史的背景を十分に語らず、「被害者」としての側面だけを強調すると、逆に「被害者利権」という批判を生む。結果、被差別部落は「過去の被害者集団」としてではなく、「今も特別な配慮を求める圧力団体」としてイメージされ続け、差別意識の再生産を招いている。
啓発教育を行うこと自体に利益がある——この感覚は、事業継続の正当性や予算の根拠として機能しやすい。結婚差別は私権の領域であり、血統意識や現実的な懸念が絡む極めて複雑な問題だ。人権教育がこの複雑さを十分に考慮せず、一律の「正しさ」を押しつける限り、被差別部落というカテゴリーは教育によってむしろ維持・再生産され続ける可能性が高い。
人権教育の意図は尊い。しかし、憲法第14条が定める「法の下の平等」という理念に照らして、その役割を冷静に検証する必要がある。教育によって差別意識が実際に緩和されているのか、それとも「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調することで、かえって区別意識を再生産しているのか——この問いは避けて通れない。
特に、差別意識がすでに薄れ、「同じ日本人としか認識していない」世代や地域が増えている中で、改めて特別な被差別集団として教育を繰り返す矛盾に、自覚的であるべきだ。結婚という私的な領域への介入、圧力団体としての歴史がもたらす現実的な懸念、そして教育そのものが持つ「利益構造」を直視しなければ、人権教育はスティグマを維持する装置ではとの疑念は拭えない。
被差別部落問題は、過去の身分制度の産物であると同時に、人権教育という現代の装置によって再定義され続けている。私たちはそのメカニズムを冷静に見つめ、改めてその意義を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
https://ameblo.jp/ghostripon/entry-12090900472.html
以前、TeaCupという無料掲示板には、もっとすごい事が書いてありました。
済州島の三大姓が高(コ)、安(アン)、馬(マ)らしい。
日本人の姓で馬がつく姓は多くないので駒、駿、牧なども使ってるかと。
高市はアメリカに行った際に原爆投下したパイロットの墓に献花してるそうです。
それに韓国KCIA系のスパイ組織であるLINEの在日法人であるLINEヤフーに
https://truejourneyguide.com/archives/5856
しかも、その個人情報は実際にヤクザによって犯罪に利用されてしまいました。
こういう連中が支持してるのが秋篠宮です。
対して雅子皇后は由緒ある織田家重臣の丹羽長秀の系統なのだとか。
https://ameblo.jp/shibusawaeiichi1/entry-12782691707.html
「秋篠宮家にだまされたようなモノ」 紀子さまの実弟・川嶋舟氏に絡む“1億円トラブル” 川嶋氏に真相を聞くと…
https://news.yahoo.co.jp/articles/f31a7bfbcf4bb626ee44ac7808ddb1842ea024fa
皇族の名前出され信用した…紀子さまの実弟が絡む1億円トラブルか
https://news.livedoor.com/article/detail/30564230/
こういうのを強引に「日本の天皇」にしようというのが反日カルト統一教会と
それを受けてか置いてある薬も使用期限まで短い古い傾向あるようだし。
もしかしてクリエイトの薬剤師って他のとこ全部落ちたような人がなる底辺ってこと?
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260421173259# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaec2EAAKCRBwMdsubs4+ SLT3AQD2R8sLOfLCP0sZY95miVbMzABvELCKiISmrIP7XYe2wAEAjfj9xN9Uyp9V qlsr6KA+nMuimaAqsg3XEeMxpPTM2AU= =zKGF -----END PGP SIGNATURE-----
「ほな死ねっちゅうんかえ?」必修科目なのに抽選で受講不可...運次第で留年が確定してしまう大学制度に「これ違法じゃないのバグだろ」 - Togetter
これな。お前ら適当言いすぎ。いくらはてブでも限度ってもんがある。
私は10年程前の政治経済学部生だったので細部は異なるかもしれないが、商学部のwebサイトで科目登録関連資料をざっと見た感じ履修登録システムは共通だし、私立文系だし、大筋はあまり変わっていないようだ。
まず、大前提として早大文系学部の必修科目にはざっくり2タイプある。
①は外国語の必修科目がメイン。今回の「基礎数学」のケースは②やね。
この必修はどういうものかというと、同名の講義が複数開講される。
早稲田大学のwebシラバスで「商学部」「基礎数学」を検索してもらうと分かるが、2026年度春学期は「基礎数学 1」~「基礎数学 8」の計8講を6人の教員で受け持っており、必修なのでシラバスの内容も同一のものとなっている。
学生たちはこの中から希望する教員や時間帯の講義に合わせて履修申請を行う。
この手の講義は大教室で行われるので、1講あたりまあ大体200~300人程度は入るだろうか。
参考までに、商学部の2025年度4月入学者数は923人。これに再履修組(2~4年生の総数の2割と仮定)を加味しても総数は十分確保されていると言えるだろう。
もちろん総数が確保されているからといって全員の希望通りに履修登録がなされるわけではない。開講時限(1限はイヤだ~とか)や教員個人の人気(講義が面白いとか評価が甘めとか)等によって申請状況には当然偏りが出る。
この偏りを正確に予測するのは困難を極めるというか不可能なので、定員を超過した科目は残念ながら抽選となる。これが「1次登録」である。
1次があるなら当然2次がある。1次登録で希望した必修科目から漏れた学生たちは学部webサイトを見る。
そこには「2次登録余裕定員表」というものが掲載される。これは読んで字のごとくだが、「1次登録を経てもなお定員に余裕のある科目の一覧」だ。
1次で「基礎数学n」の抽選から漏れた学生はこれを見て定員に余裕のある「基礎数学m」に2次登録を行うという流れだ。
2026年度商学部の手引きによれば2026年度の商学部の2次登録期間は4/7・4/8で、結果発表は4/11。
もう一つ言うと彼はおそらく2年生で、基礎数学の「再履修組」だ。お前この科目もう1回か2回落としてることになるやんけ。
留年がどうこうと騒いでたのはまあおそらく大学生特有の悪ノリで、要するにお前らは釣られたんだよ。
この手の必修科目は極端な話4年間のどこかで取れば問題なく、「1年次の必修を落としたら2年次に進級できない」などといった類のものではない。運ゲーで学費が追加されるのではと心配している人たちはまず落ち着いてほしい。これは桃鉄ではない。
ってかこの学生のツイートを遡るとGPA1割ったとか言ってるし、件の基礎数学以外にも落としまくってるだろ。留年だとか騒いでるのはそのせいでは?それはもう抽選以前の問題だろ。
ちゃんと大学行け。11号館のファミマでモンエナ買って勉強しろ。
ちなみに2次登録から漏れても更に3次登録があり、学生側によほどの事情がない限り必修科目未登録の学生を吸収し切るようになっている。
他学部だが、私の在学中は必修で3次登録までもつれ込んだことはない。必修科目はそもそものキャパが大きいので、抽選に落ちた学生も2次で大体吸収される。
なお、3次登録でも「基礎数学」を登録できなかった学生のために(そんな学生は殆どいないだろうが)、2026年度秋学期は「基礎数学 9」~「基礎数学 14」の計6講が開講予定だ。
秋入学組や再履修組とともに受講することになるが、総数としては十分だろう。それでも登録すらできないとしたらそれはもはや学生の側に問題があるとしか言いようがない。(履修申請忘れとか)
以下、想定問答集
上記の通り3次登録までで吸収可能な上に秋学期にも同科目が開講するため、学生に履修の意志がある限りこの必修抽選のみが原因で留年することはない。(バカすぎて留年することは当然ある)
それはそれとして話は変わるが、早稲田大学に留年の概念はない。便宜上または社会通念上留年と表現しているだけで実際は「年次に留まる」ことがないからだ。
どういうことかというと、例えば1年次に単位を全部落としたとしても自動で2年次に進級するようになっている。
これを繰り返し、卒業単位数を満たさないまま学部5年生以上に到達した選ばれし者たちは留年生ではなく「延長生」と呼ばれる。私は私自身の要因によって学部で6年間過ごしたので詳しいんだ。卒業までの残り単位数によっては学費が安くなったりする。
家族・友人・教員・職員の皆さんには多大な心配をかけた。彼ら彼女らが親身になって世話を焼いてくださったおかげで今、強く生きられている。ありがとう…ありがとう…。
今回の件で例えよう。
「基礎数学」の履修申請に落ち続け、3次登録の余裕定員表を見たら残りの「基礎数学」が全て他の履修確定済み科目と被っていたとする。
そういったケースを想定して、「3次登録期間中は自動登録科目以外の科目の履修登録を取り消すことができる」ようになっている。これにより必修科目を優先して履修登録することができる。
もちろんそうならないように1次登録の時点から計画的に申請すべきだが、このように必修科目に関しては大体何とかなるようになっている。
それでも本当にどうにもならないケースが万が一発生した場合は、学部事務所の相談窓口に泣きつけば空きの出たコマにねじ込んだり救済措置を提案してくれたりする。
それでもガチのマジで春も秋もダメだったなら翌年度以降に履修申請することになるが、「手引き」によると専門基礎科目の必修は1年生が優先登録になるようだ。
例の学生はおそらく2年生と思われるので、まあ1年生優先+定員超過コマで弾かれてしまったんやろね。それ自体はしゃーない。2次登録をちゃんとやれば大丈夫。
ただ、この手の必修で抽選全落ちなんてマジで聞いたことないし(そもそも3次登録で抽選になることがない)、基礎数学は昨年度の3次登録時点でも定員に余裕あるみたいだし、マジで何なんだ。
まあ分からんでもないんだが、自動登録ってのは結構厄介で。「自動登録によって学生が受講希望科目を申請できなくなる」ケースが出てくる。
例えば今回の「基礎数学」のように同じ内容で8講も開講される科目を自動登録にしてしまうと、学生が他に履修したい科目Aの日時を運次第で潰されてしまうことになる。
それなら科目Aと被らない日時の「基礎数学」を選択履修する形式の方が望ましいだろう。カリキュラムが全て同一なのだから。
実際、商も政経も自動登録科目は最低限の外国語科目がメイン。理工学部なら自動登録がもっと多いだろうけど、そっちの事情はよく知らん。
上記の通り、当該学生に履修の意志がある限り「基礎数学」を履修できなくなることはまずない。
そもそも1年次や2年次は大体皆基礎科目を受けるわけで、「基礎数学」は初年度の春学期1次2次3次・秋学期1次2次3次のどこかで取れれば十分だろう。あとは本人の頑張り次第。
まず受講枠の総数が確保されているということは前提として、リモート講義化して定員を増やすことは不可能ではない。
ただ、講義を受け持つということはただ壇上で講義すればよいというわけではなく、受講生の成績評価や質問対応も行わなければならないので限度はある。この点を失念している人が多すぎる。
必修科目は同じ科目でも複数の枠があって全体の募集枠は足りているけれど、マイルストーンとかの情報を見て単位取りやすそうな教員のやつに申し込んで倍率高くて落ちているだけじゃないの?
私も結局はそんなところだろうと思っています。私も人気科目を申請する時は2次登録まで想定して時間割を組んだりしてたし。
「マイルストーン」ってのは学生サークルが出版してる総合情報誌のことで、講義やサークルの口コミが大量に載ってるんだわ。で、それを情報源として楽単に履修申請が集中して抽選になったりすることがあんねん。
今はSNSの口コミとかもあるだろうけど、基本的な構造は変わってないはず。
マイルストーン情報のせいで申請状況に偏りが生じるパターンも確かにあるとは思うが、それは大学側の責任とは言えないだろう。
そうだよ。特に新入生にとってはね。だから各学部は科目登録ガイダンスをみっちりやったり、学部の手引き(冊子)を配布したり、
「こうはいナビ」っつー学生スタッフが新入生の相談に乗る大学公式のプロジェクトがあったり、
「サポエニ」っつー学内の総合情報ポータルサイトがあったりすんねん(これは私がいた頃はなかった!)。
高齢化著しいはてなで万が一これを読んでる人の中に新大学生がいるなら、「マジで、人と、人が作った仕組みを、頼れよ。」言いたいことはそれだけだ。
お前ら黙って見てりゃ好き勝手言いやがってよ~ 大学の職員さんたちにはすげ~世話になったからむかっ腹が立つぜ
近年の商学部4月入学者数とwebシラバスと大教室のおおよその収容人数を照らし合わせれば学外の人間でも「再履修者込みでもおそらく受講枠の総数は確保されているだろう」と思い至るのはさほど難しくないだろ
まあ留学や休学等のやむを得ない事情を除く早稲田の留年、いや「延長生」は必修抽選のせいじゃなくて普通にバカなだけだよ 6年いた私が言うんだから間違いない
裁判だの何だのといきり立つ前に自分が新入生になったつもりで調べてみてください
調べる気がないならその勃起を鎮めてくだ↑さい
僕の肩で羽を休めておくれ~
𝑷𝒐𝒓𝒏𝒐𝑮𝒓𝒂𝒇𝒇𝒊𝒕𝒕𝒊...
都の事業から下ろされたんだから悪かったんだ!って論法もかなり無理あるよな
その低レベルの理解はだいたい「量子力学=粒がふわふわする話」くらいの雑さだ。表面の比喩だけ拾って、本体を全部落としている。
Edward Wittenのレベルの人間が何十年も格闘している理論が、「粒子はみんなひもです」だけで終わるなら、世界中の理論物理研究所はとっくに閉鎖されている。
弦理論の核心は「ひも」という物体ではない。点粒子量子場理論が抱える深刻な病気、つまり量子重力で出る紫外発散をどうやって回避するかという問題から出発している。
点粒子の散乱振幅を高エネルギーで計算すると、積分が無限大に吹き飛ぶ。
ところが相互作用の基本単位を点ではなく一次元の世界面にすると、散乱振幅はリーマン面上の積分に変わる。
ここで奇妙なことが起きる。理論が自己整合性を保つ条件を課すと、時空次元が10になり、質量ゼロのスピン2粒子が必然的に出る。
このスピン2粒子が重力子だ。つまり重力は勝手に出てくる。ここが肝だ。
弦は単なる比喩ではなく、場の自由度を再編成する数学的構造だ。
量子状態は振動モードのスペクトルとして表現される。電子やクォークは違う粒子ではなく、同じ対象の異なる励起状態になる。
弦理論は一次元の物体だけでは終わらない。高次元の拡張対象、いわゆるDブレーンが現れる。
これらはゲージ理論、ブラックホールエントロピー、双対性の構造と深く結びつく。弦理論の研究の半分以上は、むしろこの幾何学と双対性の研究だ。
そして最も重要なポイント。現代の弦理論は「ひもの理論」というより、巨大な双対性ネットワークの理論だ。
異なる理論に見えるものが、実は同一の物理を別の変数で書いただけだった、という現象が何度も起きる。これを総称して M理論と呼ぶ。11次元の構造が背後に見え始める。
ここまで来ると「粒子がひも」どころの話ではない。
時空そのものが二次的な量として現れる可能性すら出てくる。実際、ゲージ理論から重力が出てくる対応(AdS/CFT)がそのヒントになっている。
本体は量子重力の整合的定式化、双対性による理論統一、時空幾何の再構成、という巨大な数学構造だ。
もし誰かが「ひもの話でしょ?」と言ったら、Youtubeの馬鹿用説明を見たか、馬鹿が理解したつもりになってるかのどちらかだ。
物理学ではよくあることだ。「ブラックホールは掃除機みたいに吸い込む」とか、「量子は観測すると変わる」とか、だいたい同じカテゴリーの都市伝説である。
宇宙はもう少し意地悪な構造をしている。表面の比喩だけ理解すると、必ず本体を見失うように出来ている。そういう罠が理論物理には山ほど仕込まれている。
職場の政治とか暗黙ルールとかが全部見えてしまってしんどくなった。
生活のためにWebエンジニア職を探して100社以上応募したし、バイトとかも探したけど、全部落ちた。
就労移行からも変なWeb制作会社に行かされ、データベースの縄張り争いで人格攻撃を3日間一方的に聞かされて、居てられないから4日で辞めた。
ぶっちゃけ、このイカれたメタ認知に興味のある認知科学者や、AI研究者などに、自分を研究対象として使ってほしいくらいだ。
頭がいい人は構造を把握する力がある、みたいな話をよく見るけど、
正直、構造が見えると嫌われることの方が多い気がする。
同じようなタイプの人っている?
どうやって生きてる?