はてなキーワード: 戦前とは
すべての新聞が廃刊となり、戦前のメディアは駆逐されました。メディアの職員は一般市民から憎悪され2級市民3級市民扱いをされました。
戦争を煽った朝日新聞、毎日新聞はGHQと取引をして温存されました。戦争で利益を得た新聞職員たちは、GHQの広報機関として存続し、高給を保証されました。
ナチス政権が崩壊した際、全土が連合国に完全に分割・直接統治されて既存の国家機構やメディアが根こそぎ解体・禁止(すべての既存新聞が廃刊)され ました。
ヒトラー政権のナチ党と国家が完全に消滅し、米・英・仏・ソの4カ国による完全な分割直接統治が行われたため、ナチスに協力した既存の新聞はすべて即座に廃刊・根絶されました。
GHQが既存の天皇制や日本政府という統治機構を間接的に利用する方針をとったため、朝日・毎日・読売などの既存の新聞社が存続を許されました。
GHQは日本政府や官僚機構、そして天皇の権威を存続させ、それらを通じて間接的に統治する道を選んびました。そのため戦争犯罪人である朝日新聞などのプロパガンダ組織もそのまま温存されました。
GHQは既存の新聞社(朝日や毎日など)の戦争犯罪人に対して戦争責任を追及することはありませんでした。民主化と再教育のための「伝達経路」として利用する道を選びました。
いまこそ真の戦争犯罪人をさばくべきなのです。
ど田舎の山ン中の!
ワイがブサイクとゆうこともあるけども、仮にイケメンでも田舎の山奥の農家の長男はワイが女だとしたらムリやね
ジジイの認知では銀座に土地持ってるより、電車が1日5本のクソ過疎村で畑持ってる方が生産性が高くてエラいって世界観なんだよな
でも大丈夫、ワイが末代や
アタシは御年二歳の三毛猫、ミケだ。このリビングの覇者であり、ふかふかのラグマットの所有権を持つこの家の実質的な支配者である。
だが、その平穏は奴の登場によって完全に踏みにじられていた。
耳障りな電子音が静寂を切り裂く。充電ドックという名のシマシマの檻から、あいつ――自走式掃除機ルンバがのそのそと這い出てきたのだ。
薄汚いプラスチックの丸いボディ、青く光る冷酷なインジケーターランプ。あいつの存在そのものが、アタシのプライドに対する最大の侮辱だった。
思わず喉の奥から威嚇の唸り声が漏れる。だが、奴に感情なんてものはありゃしない。ただプログラムされた冷徹な軌道に従い、アタシの縄張りを無慈悲に舐め回すように進んでくる。
ちっ、上等じゃねえか。ガキの頃からスズメを追い回し、網戸をぶち破ってきたこの爪の錆にしてくれるわ!
アタシはソファの影から低い姿勢で奴を睨みつけていた。眼光は鋭く、全身の毛が逆立ち、二倍に膨らみ上がっている。
奴がアタシの縄張りの核心部、つまりお気に入りの爪とぎマットに近づいてくる。
跳んだ。
一気にフローリングを蹴り出し、ルンバの真上へと飛びかかる。ガチン! と乾いた衝突音。アタシの肉球が奴のプラスチックの装甲を捉えた。
しかし、奴も伊達に自動で動いているわけじゃない。突如として「ウィィィン!」とモーター音を戦闘機の如く高め、急激な方向転換(スピンターン)をかましやがった。
遠心力で弾き飛ばされそうになりながらも、アタシは両前足の爪を突き立て、奴のボディにしがみつく。
引っこ抜かれるような摩擦熱、けたたましい吸引音。まるで人間たちの言う「仁義なき戦い」そのものだ。
どちらかが潰れるか、あるいは力尽きるか。妥協など一切ない、血で血を洗う(正確には毛が舞う)サバイバルがそこにあった。
アタシは奴の前方をふさぐように着地し、猫パンチの連続技を叩き込む。
右フック! 左フック! 連打、連打、連打!
しかし、奴のボディは鋼の如く硬く、ただ「コツコツ」と乾いた音が響くだけ。奴は一言も発せず、ただひたすら前進を続ける。その無機質なまでの執念に、一瞬だけ背筋が凍るような気味の悪さを覚えた。
激しい戦闘の末、お互いに息が切れた(アタシが勝手に疲れただけだが)。
ルンバはソファの脚に挟まり、その場でジタバタと空回りしている。エラー音を鳴らしながら「ピピピッ、ピピピッ」と助けを求めるようなマヌケな電子音を響かせている。
じっと奴を見つめる。
耳を澄ませば、奴が削り取っていたのはアタシの抜け毛だけじゃない。フローリングに落ちていた、アタシが嫌いなザラザラした砂埃や、大嫌いな柑橘系の皮のカス、人間が落とした厄介なクズどもだった。
あいつは、敵じゃなかったのか……?
いや、待てよ。
奴は誰に褒められるわけでもなく、ただひたすらこの床を綺麗に保つために、その身を粉にして(文字通りゴミを吸いながら)働いている。
人間どもは奴を「便利な家電」としか見ていないが、アタシにはわかる。あいつもまた、この家の中で孤独に戦う「一匹の獣」なのだと。
組長(飼い主のオッサン)が帰ってきて、「おお、今日もルンバが綺麗にしてくれたな、ミケも仲良くしろよ」なんて頭を撫でていく。
その度にアタシは不機嫌そうに尻尾を床に叩きつけていたが、今なら少しだけわかる気がする。
奴とアタシは、このリビングという巨大な組を支える「二枚看板」なのだと。
アタシはふうっと大きく息を吐き出し、ルンバの前に歩み寄った。
ソファの脚に挟まって動けなくなっている奴の前で、前足を伸ばして、引っかかっていたコードをちょいと押し出してやる。
再び勢いを取り戻したルンバは、何事もなかったかのように方向転換し、アタシの足元をかすめて遠ざかっていく。
その時、かすかに奴の排気風がアタシのヒゲを揺らした。まるで、「恩に着るぜ、相棒」と言っているかのように。
アタシはフンと鼻を鳴らし、再びふかふかのラグマットへと体を預けた。
はい。これらは「漢字の普通の読み方」だけで説明しようとすると、ほぼ全部おかしく見えます。
ポイントは、
②昔の日本語の音が変化した語、
を区別することです。
| 語 | 正体 |
| 餃子(ぎょうざ) | 中国語の方言音を取り込んだ外来語 |
| 五右衛門(ごえもん) | 官職名「右衛門」の発音が縮まったもの |
| 鳥取(とっとり) | 古い日本語「ととり」が音変化した地名 |
| 案山子(かかし) | 中国語の漢字語に日本語「かかし」を対応させた熟字訓 |
| 流石(さすが) | 先に日本語「さすが」があり、後から特殊な漢字表記を当てた |
| 団扇(うちわ) | 中国語の「団扇」に日本語「うちは/うちわ」を対応させた熟字訓 |
| 海豚(いるか) | 日本語「いるか」に中国語由来の表記「海豚」を当てた熟字訓 |
ここは疑問がもっともです。日本語の漢字音から「餃子→ぎょうざ」はまず出てきません。
現代の標準中国語では「餃子」は jiǎozi。日本語で無理に写せば「ジャオズ~チャオズ」あたりですが、中国語の j は日本語のジャともチャとも少し違う [tɕ] 系の音です。
ところが、日本語の「ギョーザ」は現代北京系の標準音を直接借りたものではない可能性が高い。
2023年の遠藤雅裕の研究では、戦前の旧満洲で日本人が接触した山東~遼東半島の膠遼官話、とくに登連片が有力な供給源とされています。
この方言では、標準中国語で後に j 系へ口蓋化した古い k 系の子音が保持されており、「餃」の音が giao / gyao に近く聞こえる条件がありました。
つまり、
という経路です。
戦前の満洲の日本人社会で使われ、敗戦後の引き揚げなどを通じて国内に持ち込まれ、1950年代に広まったとする研究があります。
なお「ギョーザ」という形の細部にはまだ未解決部分もあります。
なので、中国語はチャオズなのに、なぜギョーザ?ではなく、「現代標準中国語ではジャオズ系だが、日本語は別の中国方言・別の時代の発音を取り込んだ」と考えると分かります。
これは「五+右+衛+門」と一字ずつ読むものではありません。
もともと「衛門府」という役所があり、左衛門府・右衛門府がありました。
「右衛門」は古くはうえもんと呼ばれていました。これが人名の末尾として使われるうちに「えもん」になったと考えられています。
音の変化としては、
右衛門
うゑもん / uwemon
→ ゑもん / wemon
→ えもん / emon
のような縮約を想定できます。
別説として、もともと「右衛門」を「衛門」と略称する習慣があり、その「えもん」という読みが逆に「右衛門」の表記にも定着した可能性もあります。
したがって、五右衛門 = 五(ご)+右衛門(えもん)→ ごえもんです。
「右=何も読まない」というより、「右衛門」三文字で歴史的に「えもん」という一まとまりになったと考えるのが正確です。
これはかなり面白い例です。
鳥取という地名は、古代の鳥取部(ととりべ)という集団に由来するとされています。鳥を捕る役目を担った人々です。
鳥取県自身も、飛鳥時代ごろこの地域に「鳥取部(ととりべ)」がいたことを地名の由来として説明しています。
重要なのは、昔から「とっとり」だったわけではなく、「ととり」だったということです。『和名類聚抄』の鳥取郷も「ととり」とされます。
大ざっぱな変化は、
鳥を取る人々
→ 鳥取部(ととりべ)
→ 鳥取(ととり)
→ とっとり
です。
つまり「鳥=とっ」という訓読みが存在するわけではありません。「ととり」という古い固有名詞が後世に促音化して「とっとり」になったため、結果的に最初の「鳥」の部分が「とっ」に見えるだけです。
なので「とりとりの方が自然」という感覚は語源的にはかなり鋭い。ただし、実際の古い形はすでに「とりとり」ではなく「ととり」として定着していました。
日本語の「かかし」は、もともと「嗅がし(かがし)」だったとする説が有力です。
昔のかかしは人形とは限らず、獣肉や毛髪などを焼いて悪臭を出し、鳥獣を近づけない仕掛けでした。
嗅がすもの
→ かがし
→ かかし
というわけです。江戸時代には「かがし」から「かかし」へ清音化した形が勢力を増したとされます。
では「案山子」は何なのか。
これはもともと中国の禅僧が使っていた語で、案山の田畑に置く鳥獣よけの人形を指しました。日本人が「これ、日本のかかしと同じものだな」と考えて、
と対応させました。
したがって、子の「し」は合ってるも、実は偶然です。
案=か、山=か、子=し、ではありません。
三文字まとめて「かかし」です。漢語としてなら「案山子」は「あんざんし」と読むこともできます。
「流=さ、石=すが」という読みはありません。
先に日本語の「さすが」が存在しました。『竹取物語』『伊勢物語』など平安時代の文献にも「さすがに」が現れ、もともとは「そうはいうものの、やはり」のような意味でした。日本国語大辞典では「さ」「す」「がに」などが一語化したものと分析されています。
つまり、
日本語「さすが」
↓
↓
「流石」が定着
です。
「流石」という字が広く使われるようになるのはずっと後で、中国の「漱石枕流」の故事と関連づける説があります。
晋の孫楚が「石を枕にし、流れで口をすすぐ」と言うべきところを逆に言い間違え、それを巧みに言い張ったという話です。
ただし、なぜそこから「流石=さすが」になったかは完全には確定していません。辞書編集史を調べても、「流石」以外に「有繋」「遉」「雅」など複数の表記が使われていました。
だからこれは、「流石」という漢字から“さすが”という発音が生まれたのではなく、既存の“さすが”に後から変わった漢字表記がくっついたと理解するのが正解です。
これも「団=うち、扇=わ」ではありません。
中国にはもともと「団扇」という漢語があり、日本ではその物に対応する和語を「うちは」と呼んでいました。平安時代の『和名抄』でも、中国語「団扇」に対する和名として「うちは」が示されています。つまり、
を辞書で対応させ、その漢字が日本語表記として定着したわけです。
「うちは」の語源は「打ち+羽」、つまり打ち羽だったとする説があります。扇いだり、虫などを払ったりする羽状の道具という説明です。ただし、この語源説の細部は確定的ではありません。
そして「うちは→うちわ」は、かなり普通の日本語の音変化です。
古い日本語では語中のハ行がワ行へ変化するハ行転呼が起きました。
かは → かわ
うちは → うちわ
という同じタイプの変化です。10世紀末ごろから一般化した音変化とされています。
したがって、
打ち羽? → うちは → うちわ
+
これも熟字訓です。
中国語の「海豚」は文字通り「海の豚」という発想の動物名です。一方、日本語にはそれとは独立して「いるか」という古い単語がありました。
実際、10世紀初頭ごろの『新撰字鏡』には、すでに音を表すために
伊留加
という表記が見えます。つまり「イルカ」という日本語は、「海豚」という漢字表記とは独立して古くから存在していたことが分かります。
後に、
なので、
と読むようになっただけです。
1945年以前の広島は、西日本有数の城下町・軍都として発展していて、
• 数百年かけて積み重ねられた街並みがありました。
原爆によって、それらの大部分が一瞬で失われました。
だから「原爆が落ちなかった広島を旅行してみたかった」という気持ちは、単なるノスタルジーではなく、「何百年も積み重ねられた歴史ある都市を見てみたかった」という思いなんですよね。
京都や金沢を歩くと「昔から続いてきた街」を感じますが、広島はその連続性が1945年に断ち切られています。
戦後の広島は復興都市として新しく生まれ変わり、それ自体が非常に大きな歴史ですが、「もし失われなかったら、どんな景色が今も残っていたんだろう」という想像をする人は少なくありません。
戦前の写真を見ると、「あ、こんな街だったのか」と驚くことも多いです。石造りの近代建築や古い橋、城下町の風景など、今とはかなり違う広島の姿が残っています。
なので、「原爆が落ちなかった広島を旅してみたかった」というのは、失われた文化や景観そのものへの惜しさを表した、とても自然な感想だと思います。 
国会の議席がほぼ自民党となってしまったことで、独裁国家への一途を辿っているという意見をみかけるが、やはりそうなのか。
たしかに、国旗毀損罪や国家情報局の成立など、戦前に逆戻りしている気がする。違憲立法と言われているのに、もう元には戻らなさそうだし。憲法違反の法律を作れてしまうなんて知らなかった・・・
このままだと、本当に日本で戦争が起きてしまうのか。何か逃げる手立てはないのか。防ぐ手立てはないのか。
そもそももし本当に戦争に向かっているとして、日本はなぜわざわざ戦争をしたいのか。全く分からない。
よく「日本人は平和ボケしすぎ、これは必要な軍拡」みたいな意見も見るけど、本当にそうなのか?
抑止力は必要だろうけど、それとは違う方向に行っているような・・・上手く言えないけど。
「通俗道徳」という言葉、この人によればどうも自己責任論の類いらしいんだけど
単に通俗道徳と聞いたら普通の人は、困っている人には優しくしましょうとか差別はやめましょうとか、
そういう内容を想像すると思うんだよね
字面から連想される内容とこの人達が主張する内容がかけ離れていて誤解を招くので、「通俗道徳」という言葉を使うのはやめた方がいいと思う
昼寝猫
@tcv2catnap
通俗道徳(勤勉・質素・倹約)とは自己鍛錬(努力)により、困難を克服していくというものだから、困難に対応できない人間を努力不足としてしまう。つまり怠け者とするので助ける必要が無いになる。勤勉・質素・倹約の履行による副作用が結果として人権軽視になるということ。戦前の恤救が正にそれ。
人間って基本上から下まで都市から田舎まで富裕層から貧困層まで価値観ばらばらで利益共有してないから何かしら国をまとめるものが必要
フランスとかアメリカとか戦前日本では普通にやってるナショナリズム教育がそれだったけど日本では戦争原因として禁止/忌避されて、それに代わるものが皇族として残る
で、戦後に国をまとめるものが今のところ見つかってないので皇族をいまだに使ってる