4-6、発掘調査された家茂の墓
増上寺に埋葬された徳川将軍や正室たちの墓は昭和30年代に改葬される際に発掘調査が行われています。「増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体」によれば、家茂は四肢骨からの推算で身長は156.6wp_、血液型はA型で、遺骨から面長で極めて鼻が高く歯は反り歯ということで、肖像画の顔はそうした特長をよく表しているそう。
ただし羊羹や氷砂糖、金平糖などの甘いものに目がなくて、31本中虫歯が30本だったとか。
4-7、和宮の胸に置かれた写真
また、家茂と並んで建てられた和宮の墓の中から、家茂と思われる男性の肖像写真が発見されました。この写真は家茂が亡くなる直前に大坂で撮影されて、江戸の和宮に贈られたものではということ。しかし写真は湿板写真だったために発見の翌日に検証しようとしたところ、日光のためか画像は消失、永遠に失われてしまいました。発掘した歴史学者の山辺知行は、写真の男性は「長袴の直垂に烏帽子をかぶった若い男性」で「豊頬でまだ童顔を残していた」ということで、家茂かまたは和宮の元婚約者の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひと)かと言われていますが、家茂の写真だとすれば、ツタンカーメン王の発掘の際に見つかった花輪のようなはかない写真だと思いますね。
家茂がもう少し長生きすれば、歴史が変わったかも
激動の時代に生まれて4歳で紀州藩主を継ぎ、13歳で将軍職についた家茂ですが、伸び伸びと楽しく遊ぶ子供時代があったのだろうかと、今更ながらかわいそうな気持ちになるほどです。そして明治維新直前に20歳そこそこで病死、わずか数年でも、微笑ましいカップルとなった和宮との結婚生活が、せめてもの救いでは。また、もし家茂が将軍で孝明天皇もご存命だったら、明治維新はどうなっていたでしょう。家茂は相手の気持ちもわかり、責任感もある筋の通った性格であったゆえに、戊辰戦争は防げたかもと歴史タラレバを思ってしまうのは私だけでしょうか。






