はてなキーワード: 電球とは
ガラス製やブリキの大きめの灰皿。タバコを吸わなくても、鍵や小銭入れとして使うだけで一気にそれっぽさが出ます。
サビた缶、スチールの工具箱、古いナンバープレートなど、金属の劣化を感じさせるもの。
昭和レトロなデザインで、少し色褪せたプラスチックや金属製の置時計。動かなくてもオブジェとして機能します。
空き瓶: 海外のビール瓶や、茶色・緑色の薬品瓶のようなガラスボトル。ラベルが少し剥がれかけているとベストです。
クリップライトや、裸電球にガードがついたデスクランプ。あえてコードをゴチャつかせて見せます。
ビニール紐で縛っただけの古い文庫本や、色あせた週刊誌を無造作に床や棚に積み上げます。
規則正しく置くとモダンになってしまいます。斜めに置く、重ねる、直置きするなど「無造作」を意識してください。
乾電池、ライター、競馬新聞(のような紙)、ガムテープなどを、インテリアの一部として露出させます。
部屋の蛍光灯は消し、スタンドライトや間接照明の暗めの電球色だけで部屋を照らすと、陰影がついて一気にドラマのセットのような雰囲気が作れます。
今日は本当に何もなかった。それだけの話なんだけど、なんかそれについてダラダラ書きたい気分なので書く。
朝、目が覚めたのは9時とかそのくらいだったと思う。正確な時間はよくわかんない。スマホを見ればわかるんだけど、見るのも面倒くさくて、しばらく天井を見てた。うちの天井、よく見ると端っこのほうにちょっとした染みがあって、あれっていつからあるんだっけ、と毎回思う。多分引っ越してきたときからあった気がするんだけど、自分でつけたものじゃないことだけは確かで、でも前の住人が何をやったらああいう染みができるのかは全然わからない。水漏れなのか、それとも何かを投げつけたのか。投げつけて染みになるようなものって何があるんだろう。カレーとか投げたらああなるのかな。でもカレーだったら茶色っぽくなりそうだし、あの染みはどっちかというと黄色っぽいグレーだから、やっぱり水漏れだと思う。どうでもいいことをこんなに真剣に考えてしまうのが朝のダメなところだと自分でも思う。
起きようかどうしようか、しばらく布団の中で迷っていた。迷うっていうか、別に起きたくない理由が特にあるわけじゃなくて、ただなんとなく布団が布団だから出たくないという、それだけの理由だった。布団って不思議で、別に外の空気がめちゃくちゃ寒いわけでもないのに、布団の中と外とでなんかこう、決定的な違いがある気がする。布団の中にいる自分と布団の外に出た自分は別人くらいの感覚で、その別人になる作業がめんどくさい。結局、なんとなく限界みたいなタイミングが来て、えいやと起き上がった。この「えいや」に至るまでの時間がだいたい20分くらいだったと思うけど、その20分の間に特に何も生産的なことは考えていなかった。
起きて最初にやったのは、エアコンのリモコンを探すことだった。前の日の夜、リモコンをどこかに置いたのは覚えてるんだけど、どこに置いたかは全然覚えていない。ソファの下、クッションの隙間、ベッドの下、テーブルの上、全部見たけどなかった。最終的に見つかったのは、なぜか冷蔵庫の上だった。なんでそんなところに置いたのか、自分でも全く理解できない。多分、前の日の夜に何か別のことをしながらリモコンを持ったまま冷蔵庫を開けて、何かを取り出して、その流れでリモコンをそこに置いてしまったんだと思う。人間の行動って自分でも把握できてないことが多くて、こういうときにそれを実感する。
リモコンを見つけて満足した後、キッチンに行って何を食べようか考えた。冷蔵庫を開けると、ヨーグルトがあった。賞味期限を見ると、3日前に切れていた。3日過ぎたヨーグルトって食べていいのかどうか、毎回悩む。ヨーグルトってもともと発酵食品だから、多少過ぎても大丈夫なんじゃないかという説と、いや発酵食品でも菌のバランスが崩れると危ないという説と、両方頭の中にあって、結局どっちを信じるかは気分で決まる。今日の気分は「まあ大丈夫だろう」だったので、食べることにした。蓋を開けて匂いを嗅いで、特に変な匂いはしなかったので、それも自分を安心させる材料になった。結果として何事もなかったので、この判断は正しかったということになる。多分。
ヨーグルトを食べながら、テレビをつけた。特に見たい番組があったわけじゃなくて、ただ静かなのが嫌だったからつけた。ついていたのは、朝の情報番組の再放送みたいなやつで、誰かが道端で野菜の値段について話しているコーナーだった。キャベツが去年より高いらしい。天候不順とかそういう理由らしいけど、正直そこまで興味はなかった。ただ、画面に映っているキャベツがすごく大きくて、あれ一玉でどれくらいの値段なんだろうと考えながらヨーグルトを食べ終えた。
食べ終わった後、スプーンを洗うのが面倒で、しばらくシンクに置きっぱなしにした。一つだけ洗い物があるとき、洗うべきかどうか毎回悩む。一つだけなら洗ってしまえばいいのに、なぜか「後でまとめて」という気持ちが勝ってしまう。でも一つしかないから、「まとめて」もクソもない。この矛盾に自分で気づきながらも、結局スプーンは午後まで放置されることになった。
洗濯物のことを思い出したのは、もう昼近くになってからだった。天気を確認しようとベランダに出ると、日差しはあったけど風がちょっと強くて、洗濯物が飛ばされないか少し心配になった。洗濯バサミって、なんであんなに種類が違うんだろう。大きいのと小さいのと、色も揃ってないし、どこかで単品でなくしたやつを買い足した記憶がうっすらあるけど、いつ買ったのかは思い出せない。靴下用の小さい洗濯バサミが足りなくて、いつも靴下は普通のピンチでとめている。別にそれで困っているわけじゃないんだけど、なんとなく「本来はこうじゃないんだよな」という気持ちがずっとある。
洗濯機を回している間、特にやることもなかったので、スマホを触っていた。SNSを開いて、特に興味のない投稿をダラダラスクロールした。誰かが美味しそうなパンケーキの写真をあげていて、それを見て「食べたいな」と思ったけど、実際に自分でパンケーキを作る気は全くなくて、ただ写真を見て「いいな」と思うだけで満足してしまう自分がいた。この「見るだけで満足する」という現象、最近すごく増えている気がする。旅行の写真を見て「行きたいな」と思うけど実際には行かないし、料理の写真を見て「作りたいな」と思うけど作らない。全部が「思うだけ」で完結している。これはこれで一つの生き方なんだと思うことにしている。
洗濯機が終わった音で、はっと我に返った。洗濯機の終了音って、なんであんなに機種によって違うんだろう。うちのは「ピロピロピロン」みたいな、ちょっと可愛らしい音がする。最初これを聞いたとき、隣の部屋のスマホの通知音かと思って、しばらく無視していたことがあった。洗濯物を干すとき、いつも同じ順番で干している。大きいものから、シャツ、タオル、その次に靴下とか下着みたいな小さいもの。この順番に特に理由はないんだけど、順番を変えると気持ち悪い気がして、いつも同じ流れでやっている。
干し終わった後、お昼ご飯どうしようかとまた考え始めた。冷蔵庫を開けても、これといって決め手になるものがなくて、結局コンビニに行くことにした。コンビニに行く途中、いつも通る道に猫がいる。多分近所の誰かが飼っている猫だと思うんだけど、いつも同じ場所、電柱のあたりにちょこんと座っている。今日もいた。目が合ったので、「よう」みたいな感じで会釈したけど、当然向こうは無反応だった。猫って本当に気分屋で、機嫌がいいときはこっちに寄ってきたりするのに、今日はこっちを一瞥しただけで、また前足を舐め始めた。猫にとって自分がどれくらいどうでもいい存在なのか、その距離感がなんか妙に安心する。
コンビニに着いて、おにぎりコーナーの前でしばらく固まった。ツナマヨにするか、梅にするか、鮭にするか、それとも新商品っぽい明太子ポテト的なやつにするか。こういう選択に毎回すごく時間がかかる。別にどれを選んでも大した違いはないってわかってるんだけど、選ぶ瞬間だけは真剣になってしまう。結局、無難にツナマヨと梅を一個ずつ買うことにした。両方選べば悩まなくていい、という発見をしたのはわりと最近で、これに気づいてから人生がちょっと楽になった気がする。
レジに並んでいるとき、前の人がすごく大量に買い物をしていて、お菓子とか飲み物とか色々な袋に詰めていた。何かパーティーでもあるのかな、と勝手に想像した。もしかしたら誕生日会かもしれないし、単純に買いだめかもしれない。真相はわからないけど、想像するのはタダだから、勝手に「多分子供の誕生日会だな」と結論づけて満足した。特に確認のしようもないし、確認する必要もない。
会計を済ませて外に出ると、さっきの猫がまだ同じ場所にいた。今度は寝ていた。さっきまで前足を舐めていたのに、もう寝ている。猫の時間の使い方は本当に自由で、羨ましいと思うと同時に、自分も別にそこまで自由じゃないわけじゃないよな、とも思った。今日だって特に予定もないし、猫と大差ない一日を過ごしている。
家に帰って、おにぎりを食べながらまたテレビをつけた。今度は昼のワイドショーみたいな番組で、芸能人の誰かが結婚したというニュースをやっていた。特に知らない人だったけど、コメンテーターがすごく嬉しそうに祝福していて、それを見ているだけでなんとなくこっちも「よかったね」という気持ちになった。人間って単純だなと思う。自分に直接関係ないことでも、誰かが嬉しそうにしていると、つられて嬉しくなる。
おにぎりを食べ終わって、スプーンと一緒に放置していた食器を、ようやく洗った。洗いながら、洗剤のスポンジがそろそろへたってきているなと気づいた。買い替えなきゃな、と思ったけど、多分このまま2週間くらいは使い続けると思う。「そろそろ買い替えなきゃ」という気持ちと「まだ使える」という気持ちのせめぎ合いは、大体後者が勝つ。
午後は特に予定もなかったので、ソファでダラダラすることにした。ダラダラするといっても、何かをするわけじゃなくて、本当にただソファに座って、スマホを見たり、テレビを見たり、たまに天井を見たりするだけだった。天井の染みは、朝見たときと同じ場所に同じ形であった。当たり前だけど、なんとなく確認せずにはいられなかった。
そのうち眠くなってきて、少しうたた寝をした。どれくらい寝たのかはわからないけど、起きたときには外がちょっと暗くなりかけていて、「やばい、時間経ってる」と焦った。焦ったところで別に何かの予定に遅れたわけでもないんだけど、なんとなく時間を無駄にした感覚だけはあった。でもよく考えたら、起きていたところで何か生産的なことをしていたわけでもないので、無駄にした時間の量はそんなに変わらないんじゃないかという結論に至った。
夕方、洗濯物を取り込んだ。取り込むときにいつも思うんだけど、外に干していたときはふわっとしていたタオルが、なぜか取り込むとちょっと硬くなっている気がする。気のせいかもしれないけど、毎回そう感じる。畳みながら、靴下のペアを揃える作業をした。うちの洗濯物には片方だけの靴下がいつも1、2足まぎれていて、そのペアがどこにいったのか、洗濯機の中なのか、干すときに落としたのか、それとも別の次元に消えたのか、全く見当がつかない。片方だけになった靴下は、いつか相方が見つかることを信じて引き出しの奥にしまってある。多分もう見つからないと思う。
夕食は何を作ろうか、これもまた大きな悩みどころだった。冷蔵庫の中身を確認すると、豚肉があって、キャベツがあって、卵があった。じゃあ野菜炒めでいいか、とすぐ決まりそうなものなのに、なぜか「せっかくだから何か違うものにしたい」という謎の欲が出てきて、結局スマホでレシピを検索し始めた。検索して出てきたレシピは、どれも同じような材料でちょっと違う味付けをしているだけのものばかりで、結局30分くらい悩んだ末に、最初に思いついた野菜炒めを作ることにした。この30分は完全に無駄だったと言えるけど、無駄だったとわかったところで、次に同じような状況になったらまた同じことをすると思う。
野菜炒めを作りながら、味付けの調味料をどれくらい入れるか毎回感覚でやっているんだけど、今日はちょっと醤油を入れすぎた気がした。味見をしたら、想定より濃かった。薄めようとして水を少し足したら、今度は薄すぎる気がしてまた醤油を足した。結局、最初のちょうどいい塩梅がどこだったのかわからなくなり、最終的には「まあ食べられる味」というところに着地した。料理は毎回一発勝負で、同じ手順を踏んでいるはずなのに、なぜか毎回微妙に違う味になる。この再現性のなさが、料理の面白さでもあり面倒くささでもある。
夕食を食べながら、また昼と同じテレビ番組の夜バージョンみたいなのを見ていた。ニュースキャスターが今日あった出来事をいくつか紹介していて、その中に「某市で行われたゆるキャラの着ぐるみが強風で飛ばされそうになった」というニュースがあった。着ぐるみの中の人が必死に踏ん張っている映像が流れて、それを見て思わず声を出して笑ってしまった。特に誰かに笑いを共有するわけでもなく、一人の部屋で一人で笑っている自分がちょっと滑稽だなと思ったけど、それでもやっぱり面白かった。
夕食後、友達からLINEが来た。「今何してる?」という、特に用件のないメッセージだった。「特に何もしてない、野菜炒め食べた」と返したら、「うちも今日野菜炒めだったw」という返信が来て、しばらく野菜炒めの味付けについてどうでもいい会話が続いた。醤油多めが好きか薄味が好きかとか、キャベツともやしどっちを多く入れるかとか、そういう本当にどうでもいい話を30分くらいした。この手の会話が一番気楽で、何かを決めたり結論を出したりする必要が一切なくて、ただただ喋りたいことを喋って終わる。
その流れで、友達が最近ハマっているというスマホゲームの話になった。詳しく聞いたけど、正直あんまりピンとこなかった。でも友達が楽しそうに話しているのを聞いているのは楽しくて、内容がわからなくても「へー」「それいいね」みたいな相槌を打ちながら聞いていた。人の趣味の話を聞くとき、内容を完全に理解する必要はなくて、その人が楽しそうにしているのを見ているだけで十分楽しい、ということがある気がする。
LINEが終わった後、お風呂に入ることにした。お湯を溜めている間、また特にやることがなくて、スマホでどうでもいい動画を見ていた。猫が箱に入ろうとして失敗する動画とか、知らない人が変な料理を作っている動画とか、そういう本当に意味のない動画を延々と見続けた。お湯が溜まった音がしたので、動画を見るのをやめてお風呂に入った。
お風呂の中で、今日一日を振り返ってみたけど、本当に何もしていなかったことに気づいた。起きて、ヨーグルトを食べて、洗濯をして、コンビニに行って、おにぎりを食べて、うたた寝をして、洗濯物を取り込んで、野菜炒めを作って、友達とどうでもいい話をした。これだけだった。でも別に、それが悪いことだとは思わなかった。むしろ、こういう何もない日があるからこそ、たまにある「何かがある日」が特別に感じられるんじゃないかと思った。まあこれもお風呂の中でぼんやり考えただけの、大した哲学でもない考えだけど。
お風呂から出て、髪を乾かしながら、明日は何しようかなと考えた。特に何も思いつかなかった。多分明日も今日と似たような感じになるんだろうな、と思ったけど、それも別に嫌じゃなかった。
寝る前に、また天井の染みを見た。暗い部屋の中で、豆電球の薄明かりに照らされて、染みはさっきよりちょっと違う形に見えた気がした。多分光の加減だと思う。染みの形について考えているうちに、なんとなく眠くなってきて、そのまま目を閉じた。
結局、今日は本当に何もなかった。それだけの話だった。でもこうやって書き出してみると、何もなかったはずの一日にも、猫のこととか、染みのこととか、靴下の相方のこととか、意外と細かいことがいろいろあったんだなと気づく。多分明日も、こういう細かいことがまたいくつか起きて、それでまた何もなかった一日として過ぎていくんだと思う。それでいいと思う。
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翌日の話も少ししておくと、結局予想通り、似たような一日になった。朝起きる時間はだいたい同じくらいで、天井の染みもやっぱり同じ場所にあった。当たり前だけど。エアコンのリモコンは今度はちゃんとテーブルの上にあって、それだけでちょっと嬉しかった。人間、こういう小さいことで機嫌が左右される生き物なんだなと思う。
朝ごはんは、今度はヨーグルトじゃなくて食パンにした。トースターに入れて焼いている間、なんとなく焼き加減を見張ってしまう癖がある。タイマーがあるから見張る必要は本当はないんだけど、なぜか目を離すと焦げるんじゃないかという謎の不安がある。実際には目を離しても焦げたことは一度もない。それでも見張ってしまう。多分これは性格の問題だと思う。
パンを食べながら、昨日と同じ猫のことを思い出した。今日も同じ場所にいるだろうか、とちょっと気になった。コンビニに行く予定はなかったけど、なんとなく散歩がてら見に行こうかなという気持ちになった。実際に行ってみたら、猫はやっぱりいた。今日は前足を舐めるでも寝るでもなく、ただじっと遠くを見ていた。何を見ているのか全然わからなかったけど、猫にとってはきっと何か意味のある方向なんだろうと思う。人間にはわからない猫の世界がある。
散歩から帰ってくる途中、道端に落ちていた謎の手袋を見つけた。片方だけの手袋で、色は紺色。誰かが落としたものだと思うけど、拾って交番に届けるほどのものでもない気がして、結局そのまま通り過ぎた。でも家に着いてからも、あの手袋のことが妙に気になった。持ち主は今頃、手袋が片方しかないことに気づいているんだろうか。冬のこの時期に手袋が片方ないのは結構つらいだろうな、と勝手に同情した。同情したところで自分にできることは何もないんだけど。
その後の一日は、大体前日の焼き直しみたいな感じで過ぎていった。洗濯をして、昼ごはんに悩んで、うたた寝をして、夕方に取り込んで、夕食を作って、また友達とどうでもいい話をした。今日の友達との話題は、コンビニのスイーツの新商品についてだった。友達が最近食べたプリンがすごく美味しかったらしく、その話を10分くらい熱心にされた。プリンの食感がどうとか、カラメルの苦味がどうとか、そんなに語ることあるんだ、と思うくらい詳しく語っていて、聞いているこっちもだんだんそのプリンが食べたくなってきた。
結局、その話を聞いた後、夜にもかかわらずコンビニまでプリンを買いに行った。夜のコンビニは昼間と違って、店内が静かで、店員さんも心なしかリラックスしているように見える。プリンのコーナーに行くと、友達が言っていたのと同じ商品があった。買って帰って、食べてみると、確かに美味しかった。友達に「食べたよ、美味しかった」とLINEしたら、「でしょ!」というスタンプだけが返ってきた。それだけのやり取りだったけど、なんか満足感があった。
こうして二日目もまた、大したことのない一日として終わった。プリンを食べたことだけが、昨日と違う出来事といえば出来事だった。でもそのプリン一つのために夜のコンビニまで歩いて行った、というのは、振り返ってみると結構バカバカしい行動だなと思う。バカバカしいけど、そのバカバカしさが割と悪くない気分だった。
三日目のことも少し書いておく。この日は特に印象に残ることが本当に何もなかった。強いて言うなら、洗濯物を干すときに使うピンチハンガーの一つが壊れて、洗濯バサミの部分がポロッと取れてしまった。プラスチックの部品が劣化していたんだと思う。これはさすがに買い替えないといけないなと思いつつ、結局その日は買いに行かず、壊れた部分は本体からは切り離して、残りの使えるピンチだけでなんとかやりくりした。ちょっと不便だったけど、致命的というほどでもなかった。
三日目の夜、久しぶりに実家から電話がかかってきた。特に用件はなくて、「元気にしてる?」という、いつもの確認の電話だった。最近何してるのと聞かれて、「特に何も」と答えたら、「それでいいのよ、無理しないで」と言われた。何もしていないことを肯定してもらえると、なんとなく安心する。世の中には常に何かしていないといけない、生産性がないといけない、みたいな空気があるけど、実家からの「それでいいのよ」の一言で、そういうプレッシャーがちょっと軽くなった気がした。
電話を切った後、また天井の染みを見た。三日連続で同じことをしている自分に気づいて、なんかちょっとおかしくなった。染みはもちろん変わらずそこにあって、多分これからも変わらずそこにあり続けるんだろうと思う。この染みが自分の部屋にある限り、多分毎晩なんとなく見てしまうんだろうな、という予感がした。
四日目のことも書こうと思ったけど、正直三日目までとほとんど同じ内容の繰り返しになりそうなので、この辺で一旦区切りをつけようと思う。要するに、こういう感じの毎日が続いているということで、それについて特に不満もなければ、特別な喜びもない。ただ淡々と、猫を見て、コンビニに行って、洗濯物を干して、ご飯を作って、友達とどうでもいい話をして、天井の染みを見て眠る。それだけの繰り返しで、多分これからもしばらくはこんな感じが続くんだと思う。
最後に、あの片方だけ落ちていた紺色の手袋のことだけ、ちょっと気になっているので書いておく。あれから何度かあの道を通ったけど、手袋はもうなかった。持ち主が戻ってきて拾ったのか、誰かが拾って別のところに移動させたのか、それとも風で飛ばされてどこか別の場所に行ってしまったのか、真相はわからない。わからないけど、なんとなくあの手袋の行方が気になり続けている自分がいる。多分これから先も、たまにふと思い出すんだと思う。片方だけの手袋がどうなったのか。それだけの、本当に
「殺人コンピューター貸します」とかいうサブタイトルで、どんなヘッポコなコンピューターが出てくるのか興味津々のヤジウマ根性で見たんだけど、荒唐無稽すぎて当時の製作陣はシリアスのつもりだったかもしれんけど、ギャグでやってるとしか思えなくて爆笑だったわーw
ディスプレイ画面はあるんだけど、全くの「出力専用」みたいで、キーボードで打った文字がエコーバックされてる気配がないのなw あんなんでよく操作できるもんだ...
キーボードがあるド正面には、なんかよくわからん無数の豆電球のマトリックスがチカチカしてて、何のためにそんなの付いてんだか意味不明だし。
しかし、スゲー適当なざっくりした質問的なこと入力すると、世界の森羅万象あらゆる知識情報を全部知ってる風な感じで、それらしいシッカリした回答が出てくるとこが、現代のChatGPTとかのAIによく似てて逆にスゴイ。未来を予見してた!って笑えてしまったww
巣蜜を口に入れるとき、いつも少しだけ戸惑う。
蜜そのものはとろりと甘くて、ためらう理由なんてどこにもないのだけれど、その周りを取り巻いている、あの薄くてしっとりした蝋の層――つまり蜜蝋ですね――あれをどう扱うべきか、私はいまだに結論を出せないでいるのです。
彼女が「たまにはこういうのもいいでしょ」といって、手土産に巣蜜を持ってきました。透明なプラスチックの箱の中に、蜂の巣がそのままおさまっている。六角形の小部屋がぎっしりと並んでいて、そこに金色の液体が詰まっている。
私たちはコーヒーを淹れ、キッチンの木のテーブルに座り、慎重にナイフを入れました。そのときに感じる、刃が蜂の建築物を壊していく独特の抵抗感――それは、パンにバターを塗る感覚とも違うし、寒天を切るのとも違う、もっと微妙で、どこか申し訳ない種類の感触です。
口に入れてみると、まず濃厚な蜂蜜の甘さが広がり、そのあとに、いつまでも口の中に残るのは蜜蝋の柔らかな歯ごたえです。
噛めば噛むほど、蝋はゴムのように形を変え、やがて味の抜けたガムみたいに、そこにただ居座る。飲み込むには重く、吐き出すにはどこか惜しい。
こういう中途半端なものに、私は昔から妙に心を惹かれてしまうのです。
ところで、さっき彼女が帰ったあとで、私はふと思い立って蜜蝋について調べてみました。
「準貨幣として使われていたこともあるんだよ」という彼女の言葉が、心のどこかにひっかかっていたからです。
古代エジプトではミイラの防腐処理に使われたし、その希少性から、エジプト王朝時代から中世にかけて通貨のようにも扱われていた、といった記録が残っています。
つまり人々は、金や銀ほど煌びやかではないけれど、長く保存できて、重すぎない、そこそこ価値の安定したこの黄色い蝋の塊に、自分たちの労働や信頼や不安といったものを預けていたわけです。
考えてみれば、貨幣というのはいつだって「信頼された中途半端なもの」でした。
麦束や牛、塩や貝殻や銀貨。どれも生活のどこかで使える実用品でありながら、その実用性を一歩横へずらしたところに、交換価値という別の顔を持っていた。
蜜蝋もまた、光を生み出す物質であると同時に、その光を前借りするためのチケットのように、人から人へと受け渡されていったのでしょう。
冬の長い暗闹、石造りの教会、冷たい空気。そこに火がともされる。壁一面に並ぶ蝋燭の炎が、小さな太陽の群れみたいに揺れている。香りは甘く、煙はほとんど出ない。
カトリック教会や修道院は、膨大な数の蝋燭を必要としました。ミサ、祭礼、祈祷、聖堂の常灯。光はそのまま信仰であり、儀式であり、秩序でした。
だから教会は、自らを「光の工場」として維持するために、蜂を飼い、森を管理し、養蜂を組織化しました。
蜂蜜は甘味料であり薬であり、蜜蝋は光の原料であり、ときには血や地代、献納品としても扱われました。
想像してみてください。
ある村の農夫が、秋の終わりに修道院に向かって歩いている。背中の袋には穀物と一緒に、蜂の巣から絞り出して固めた蜜蝋が入っている。
数週間後、その蝋燭は祭壇の上で燃え、燃えながら祈りの時間を測り、同時に彼の支払った税の跡形を、ゆっくりと空気の中へ消していく。
それは、非常に静かな経済です。
光が灯り、香りが漂い、蝋が滴り落ちる。その物理的な変化そのものが、経済行為の終わりと意味づけを兼ねていた。
蜜蝋ロウソクは、燃えきるまでの長さで時間を測ることもできたといいます。
「蝋燭が半分燃えるまで祈りなさい」とか、「三本分燃えるまで仕事を続けなさい」といった具合に。
つまり一本のロウソクは、光の量であると同時に時間の長さでもあった。まるで砂時計の砂のように、蜜蝋そのものが溶けることで、目に見えるかたちで時間を消費していくわけです。
考えてみると、これはとても奇妙な風景です。
ある人は貨幣として蜜蝋を受け取り、別の人は祈りの対価として蜜蝋を捧げ、教会はそれを光として燃やし、信徒たちはその光の下で自分の罪と向き合う。
蜜蝋は、時間、労働、信仰、そして経済をひとまとめにした「複合的な容器」のようなものだったのかもしれません。
私の台所のテーブルの上に置かれた巣蜜の一切れも、やはり同じように時間を含んでいます。
蜂たちが花から集め、巣を建て、蜜を詰めるまでに費やした日々。
それを育てた養蜂家の数ヶ月。
私はフォークでその一部を切りとりながら、彼女たちと蜂たちの時間の断片を少しずつ噛み砕いているわけです。
もちろん、当時のロウソクがすべて蜜蝋だったわけではありません。
もっと安価なタロー、つまり動物性の脂を固めたロウソクも広く使われていました。煙は濃く、匂いも強く、ススも出る。だから富裕層や教会は、できるだけ蜜蝋ロウソクを使いたがった。
蜜蝋の炎は「清浄な光」として特別視され、重要な儀式では蜜蝋のみを用いるべきだ、という宗教的な観念も生まれた。
タローは肉食と屠殺と密接につながっている。
蜜蝋は、花と蜂と森と、どちらかといえば植物的な世界と結びついている。
だから人々は、肉の匂いがする光よりも、花の記憶を宿した光のほうを、神にふさわしいと感じたのでしょう。
その感覚はどこか、「土曜日の脂っこいラーメンより、日曜日の朝の蜂蜜トーストのほうが神に近い」と感じる、現代人のささやかな感覚とも通じています。
ヨーロッパの多くの地域では、蜂が巣を作りたくなるような木の洞を意図的に残したり、くり抜いた丸太を並べたりして、半野生の養蜂が営まれていました。
森は薪と狩猟の場であるだけでなく、蜂と蜜蝋の供給源でもあったわけです。
蜂の巣からとれる蜂蜜と蜜蝋は、同じミツバチという小さな存在の両義的な贈り物です。
甘味と光。
パンと灯り。
同じ箱の中に入っていたはずの二つの産物が、テーブルと祭壇、胃袋と祈りを行き来していた。
その間を取り持っていたのが、村の養蜂家や都市の商人や、広域ネットワークだったと考えると、蜜蝋というのは中世のグローバル経済の片隅を照らす、小さな黄色い電球みたいなものだったのかもしれません。
やがて石油から精製されたパラフィンワックスや、ガス灯、電灯が普及すると、蜜蝋は照明の主役の座を降りることになります。
より安価で、より大量に、より均質な光が手に入るようになった。
市場は合理化され、夜は明るくなり、人々はそれを文明の進歩と呼びました。
その過程で、蜜蝋は通貨としての役割を失い、高級品としてのニッチな位置に押し込められていきます。
しかし、教会の中では、今もなお蜜蝋ロウソクが使われている場所があります。
それは「昔ながらのやり方を守っている」というだけの話ではないでしょう。
電灯は便利で、経済的で、どこまでも均質です。
けれど祈りの場において、人はときどき、便利さとは別の尺度で世界を測ろうとします。
炎の不規則な揺らぎ、蝋の滴り落ちる形の偶然性、蜂の巣から祭壇までの時間の厚み。
そういうものを、信仰の一部として手放したくないのかもしれません。
この口の中でぐにゃりと形を変えている蝋のかけらは、かつてどこか遠い土地で、貨幣のように受け渡され、聖堂の光となり、誰かの祈りの時間を測っていたものと、系統的には同じものなのだ、と。
スマートフォンの画面の中で、数字が増えたり減ったりし、その数字が私の生活の余裕や不安を左右する。
それはとても抽象的で、どこか味気ない。
蜜蝋という準貨幣の歴史を知ると、貨幣がまだ匂いを持ち、手触りを持ち、燃やせば光になるような時代があったことに、少しだけ慰めを感じます。
飲み込むには大きすぎ、捨てるには長く付き合いすぎた。
私は結局、流しに歩いていき、そっとそれを吐き出します。
それは貨幣のようでもあり、祈りの残骸のようでもあり、単なるガムのようでもあります。
どれであるかを決めるのは、きっと私ではなく、時代のほうなのだろう――そんなふうに考えながら、私はコーヒーの残りを一口飲み、日曜日の午後をもう少しだけ引き延ばすことにします。
場所は令和の川崎。工場夜景がマジでエモいエリアの、とある高スペック自作PCが並ぶガレージ。そこに、ボサボサ頭で目がバキバキのイケメン(中身はガチの天才発明家)が、最新のRadeonとかRyzenのパーツに囲まれて、なんかヤバそうな液体を調合してたわけ。
「…9,999回失敗した。だが、それは『上手くいかない方法』を見つけただけだ。次は必ず、引力を超越(超え)てみせる!」
そこに「お疲れ~!」って、特大のスタバ持って現れたのが、川崎を拠点に活動する爆走ポジティブギャル、ゆあにゃん!
「エジソン様、また徹夜!?マジ顔色ぴえんなんだけど!それより、その怪しい緑の液体、何!?香水!?香水ならもっと映えるボトルにしなきゃ詰むよ?」
こうして、努力の天才・エジソンと、令和のコミュ力お化け・ゆあにゃんの、世界を揺らす「最強香水伝説」が幕を開けたんだわ!
ゆあにゃんに連れられて、エジソンは初めて令和のデパコス(デパートコスメ)コーナーを体験。キラキラした香水瓶を見て「美しい…だが、脆弱(よわ)すぎる!」ってマジギレ。
「ゆあにゃんよ、見てみろ。この華奢なボトルを。ちょっと手が当たっただけで倒れ、中身がこぼれ、絨毯を台無しにする。これではユーザーのQOLがダダ下がりではないか!わしが発明するのは、どんな衝撃にも耐え、重力に抗い、絶対に倒れない、不屈のフレグランスである!」
ゆあにゃんは「え、倒れない香水…? おきあがりこぼし的な? 意外とシュールじゃない?」って笑ってたんだけど、エジソンの脳内はもうフル回転。
「ジャイロセンサー、磁気浮上、そして液体の粘性…全てを計算し尽くした『絶対安定(アンブレイカブル)』の美を追求するのだ!」
かつて電球で世界を明るくした男の情熱が、今度は「絶対にこぼれない香水瓶」と「脳に直接届くアゲな香り」に向かっちゃったわけ!
そこからエジソンのガチなR&D(研究開発)がスタート。
「香料のベースには、伝統的な和漢植物と、最新の化学合成香料を配合する! 落ち着くのにブチ上がる、二律背反(アンビバレント)な香りを生み出すのだ!」
「ボトルデザインは、最新のメカニカルな美学を取り入れろ! 4歳の子供が投げ飛ばしても、ルンバに衝突されても、絶対に垂直を保つジャイロ構造だ!」
ゆあにゃんもプロデューサーとして、「ロゴはもっとネオンっぽく! 匂いも『初恋の雷(いなずま)』みたいなエモい名前にしようよ!」ってアドバイス。
そうして完成したのが、伝説の「EDISON 01 - GRAVITY KILLER -(グラヴィティ・キラー)」!
ボトルはまるで精密なクロノグラフか、ガンダムのコア・ファイターみたいなメカメカしい外観。なのに、中の香水は透明感あふれるオレンジゴールド。
デスクに置いて指で弾いても、スマホのバイブで揺れても、魔法みたいにスッと真上を向く。マジで重力を無視してるレベル!
「これ、マジでヤバい…! 語彙力消えるんだけど! 動画撮ったら絶対バズる!」って、ゆあにゃんも大絶賛。
「#絶対倒れない香水」「#エジソン転生」「#重力仕事しろ」っていうハッシュタグがトレンド1位を独占。
「プロモーションは、渋谷のスクランブル交差点で行う! 雑踏こそが、わしの発明品の真価を問う場所だ!」
エジソンはゆあにゃんを引き連れて、渋谷に特設ステージ「THE LAB - MENLO PARK TOKYO -」をオープン。
ライバルは、フランスの超有名ブランドが作った「超高級・限定クリスタルボトル」。あっちのボトルはちょっと風が吹いただけで倒れそうなくらい繊細。
でも、エジソンは動じない。
ステージでエジソンが、巨大な扇風機や、ラジコンカーを香水瓶にぶつけるパフォーマンスを始めたら、渋谷のギャルやインフルエンサーたちが「待って、マジで倒れないw」「物理法則バグってるんだけどw」って大熱狂。
有名ブランドのデザイナーが「あんなの、ただの機械じゃないか!」ってディスってきたけど、エジソンはニヤリと笑ってこう言った。
「天才とは、1%の閃きと、99%の…『倒れないための努力』だ。お前の香水は、倒れた時にユーザーの悲しみを生む。わしの香水は、どんな時もユーザーの味方(立ち上がる者)である!」
その瞬間、香水を一吹きされた客たちが一斉に「…いい匂い。マジでアガる。」「なんか、これ持ってるだけで自信つく」「絶対に折れない心を手に入れた気分」って、メンタルまで強くなっちゃう状態に突入!
結果、エジソンのフレグランスは、全世界のビューティーアワードを総なめ。
「電球」で夜を消した男は、令和の日本で「倒れない香水」によって「不安」という闇を消し去っちゃったんだよね。
今やエジソンは、テック業界からもファッション業界からも引っ張りだこ。
「ニコラ・テスラ、見ておるか…わしはついに、引力さえも手なずけたぞ。この小さなボトルの中でな!」
ゆあにゃんも「エジソン様マジ卍! 次は宇宙で倒れないパフェとか作っちゃう!?」って、月面旅行のチケットを予約中。
こうして、かつての発明王・エジソンは、令和の日本で「フレグランス界の頂点」に君臨した。
絶対に倒れないそのボトルは、迷える現代人の心を垂直に保ち、今日も誰かのデスクでキラキラと「発明の光」を放ち続けてるんだって!
暮らしている中で恋人や配偶者がいた方がいいな〜と思うことがない
毎日楽しいし収入も普通に生活できるだけはあるし電球とか自分で替えれるし家具の組み立てもどちらかといえば得意だし
でもいい歳(アラサー)に突入してから急に「彼氏いないの?なんで?」「高望みしちゃ駄目だよ」「いい人見つけないと!」と言われるようになった
去年くらいまで全然言われなかったのに突然めちゃくちゃ言われるようになって、突如として自分が非常識な存在になったような気持ちになる
自分ではなんとも思っていないのに、可哀想な存在に勝手にされてしまうことに戸惑っている
なんかこう、こういう土俵から降りるためにさっさと結婚したいなと思うようになってきた
でも誰かと暮らすのって結構嫌だ
インターネットでは別居婚いいよ!だのなんだの見かけるけど現実では見たことないから、そんな特殊な例の人と運よく繋がれるとは思えない
別にそう強い意志があって独身なんじゃなくて本当に必要ないからいないだけなのですが。。。くらいの気持ちなのがいけない
結婚圧はきっと昔と比べたらないんだと思うけど、恋人がいないことに対する風当たりの強さってあんまり変わってないんじゃないか???
昨日も感じたし、その前も感じた。今日の少しだけ濃い気がした。
朝礼で名前を呼ばれても返事をする者は少なく、俺もその一人だった。
ライン作業は単純だ。金属片をレーンに乗せて傷がないか確認し箱に入れる。
単純だから、そのぶん考え事が増える。
前に勝った日のこと。風俗嬢の刺青のこと。帰省したときの姉の表情。
広告ばかりが溢れる画面を眺めながら。思う。
仕事帰り。駅前のパチンコ店の光が目に入り、誘われるように入る。
負けるだろうと分かっていながら足は止まらない。
椅子に座り玉が流れる音に包まれると世界の輪郭がいつも曖昧になる。
喧噪の中に居ると落ち着く。そう思うようになるのはいつ頃からだろうか。
その日は−42kでやめた。
医者はこの痛みを知らない。
勝ったわけではないが、行かなければならない気がしたのだ。
受付を抜ける。黒革のソファ。
待っている間、ふいに姉の姿が頭をよぎった。
どうしてこんなときに、と思う。
嬢が現れた。
新しい子ではない。
俺のことを覚えてもいないだろうし、覚えている必要もない。
部屋に入る。服を脱ぐ。嬢の刺青が視界に入った。
「お仕事、何してるの?」
「営業です」
いつもの嘘だった。
すると嬢は少し笑って「そうなんですね~」と返す。
俺はその軽さに救われたような、見放されたような気持ちになった。
嬢の動きが止まっても気づけないほど、意識が浮いていた。
「大丈夫?」
嬢が不安そうに聞く。「うん」と答えた。嘘でも本当でもない返事だった。
ベッドに入ると天井が白く滲んだ。
今日が何日だったか思い出せないまま。俺は詩集を枕元に置いた。
目を閉じる。
祈ることをやめた人間は、どこへ行くのだろう。
俺はそのまま眠った。
明日もまた朝は来るだろう。
祈りの届かない部屋で。
ああ、その申請ですね。はい。確認いたします。……………少々お待ちを。
…ピッ。…ガガッ。
貴殿の提出した様式第4号「憤怒」に基づき、本日付で貴殿を『第7種解体執行官(自転車)』として暫定認可いたします。おめでとう。貴殿の憤怒は、社会インフラの円滑な運用を担保する上で極めて妥当かつ有益なエネルギーであると認定されました。
つきましては、路上駐車車両の能動的解体及び資源化に関する特別措置法、通称「路駐バラバラ法」第11条項に基づき、以下の手順にて解体執行を許可します。これは権利であり、同時に義務です。
貴殿の自転車の前輪ハブ軸に、指定の小型発電機を接続してください。貴殿の走行(=憤怒の運動エネルギー変換)により、後の工程で必要となる電力がチャージされます。最低2.5kmの助走が推奨されます。
対象車両(以下、「鉄クズ」と呼称)の運転席側ドアに、自転車のハンドルバーの端を、強く、しかし冷静に接触させます。これは「ノック」です。車体言語が理解できない愚かな運転手への、最後の慈悲です。応答がない場合、次のフェーズに移行します。
貸与される専用ツール「スティンガー」を使用し、鉄クズのタイヤ4本すべての空気を抜きます。これは瀉血に相当する神聖な儀式です。空気が抜ける「プシュー」という音は、鉄クズの断末魔の第一声です。しっかりとその音を鼓膜に焼き付けなさい。
ドアというドアを、その蝶番という脆弱な関節から引き千切り、指定された回収袋に詰めます。この際、ドアミラーは必ず踏みつけて粉砕すること。ミラーの破片は、運転手の自己認識を破壊するメタファーとして機能します。
ヘッドライト、テールランプ、フォグランプをすべて、精密ドライバーを用いてほじくり出します。これは鉄クズから「視力」を奪う行為です。取り出した電球は、記念品として持ち帰ることが推奨されます。
ボンネットをこじ開け、内部のエンジンブロック、バッテリー、ラジエーター等を観察します。この際、専用アプリ「Tears」を起動したスマートフォンをかざし、鉄クズの魂魄の残滓をスキャンしてください。運転手の涙腺から分泌される塩分濃度と、オイル漏れの粘度との間に、何らかの相関関係が見いだせるかもしれません。見いだせないかもしれません。どうでもいいことです。
エンジンブロックに、準備段階でチャージした電力(通称:憤怒チャージ)を全量放出します。感電によりエンジンは完全に沈黙します。おめでとうございます。貴殿は一つの命(のようなもの)を合法的に停止させました。
残った車体を、プレス機(巡回ドローンが即時配送)に投入し、美しい立方体に圧縮します。この際、鉄クズのクラクション(警笛)からは、ベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」が自動的に大音量で流れます。周辺住民への告知は不要です。彼らもまた、共犯者なのですから。