「うつほ物語」は作者不詳とされているるが、複数の人の手によって記されたという説が濃厚。中心的な書き手は源順(みなもとのしたごう)と言われている。全20巻により構成され、成立したのは平安中期とされているが今でも謎が多い作品です。

宮廷生活が写実的に生き生きと描写されて、当時の文化を知ることもできる面白い作品です。そんな「うつほ物語」について日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。平安時代にも興味があり、気になるものがあったら色々調べている。「うつほ物語」は、ストーリーとしてはもちろん音楽の教科書としても面白い作品だと思い、紹介することにした。

1.うつほ物語とはどんな作品?

image by PIXTA / 68138817

「宇津保物語」とも表記されます。作者は不詳ですが、複数の人の手によって記され、中心的書き手は源順(みなもとのしたごう)という説が濃厚。全20巻で、成立したのは平安中期の永観2年(984)年ごろと推測されています。平安時代の年中行事、装束、舞楽の描写がとても詳しく書かれているのが特徴。全編にわたり中国大陸文化への崇拝が見られます。

うつほ物語のあらすじ

清原仲忠(なかただ)という人物をめぐる音楽伝承。秘伝の曲を伝えることにまつわる物語です。前半は清原俊蔭(としかげ)と孫の仲忠を中心とする「琴(きん)の物語」。竹取物語のような伝奇的色彩が特徴です。後半は当代の貴族の憧れであった貴宮(あてみや)という女性をめぐる求婚と政権争い。仲忠一族の繁栄の物語です。

宮廷の年中行事が生き生きと事細かに描写されており、読むだけでも楽しいうつほ物語。源氏物語以前に成立した話で、源氏物語にも大きな影響を与えました。貴族にとっては必須の教養であった琴の演奏技術の伝来について、ストーリー仕立てで楽しめるという一面も。「先祖から伝わった秘伝」という日本的な考え方のルーツを垣間見ることができます。

琴(きん)の演奏法の秘技

「うつほ」という名前は、後半の主人公の仲忠と母親が森の中の杉の空洞(うつほ)に住んでいたことに由来します。前半と後半は別物語のように異なっており、前半は、唐土(もろこし)から音楽という文化が伝来したことがメイン。日本の文学史上、初めて書かれた壮大な物語で、のちの源氏物語の成立にもつながります。

中国においても日本でも、古代社会で王と呼ばれる人たちは、音楽の技をマスターすることが必要不可欠。音楽と神は一体であると思われていたからです。皇帝が聖なるものであるように音楽も聖なるものと考えられていました。なかでも琴(きん)は聖人君子の楽器として崇められていました。

2.「うつほ物語」の壮大なストーリー

image by PIXTA / 73023431

うつほ物語は、竹取物語の伝奇的な要素を引き継ぎながら、写実的な描写も取り込んでいきます。その写実性は、のちに生れる源氏物語に引き継がれることに。源氏物語や枕草子にも、うつほ物語に関する記載があり、清少納言は熱心な仲忠ファンでした。当時の宮中勤めの女房達のあいだでうつほ物語は大ブーム。近年は長編小説として源氏物語よりもうつほ物語を高く評価する研究者もいるほどです。

\次のページで「前半は琴を手に入れる物語」を解説!/

前半は琴を手に入れる物語

遣唐使に任命された清原俊蔭は唐に渡る途中に嵐で船が座礁。ペルシャ国に流れ着きます。そこで仙人に出会い、秘伝の琴を教えてもらいました。23年後に帰国するものの官職を辞することに。娘に秘伝の琴の演奏を教え、落ちぶれた清原家の再興を託して亡くなります。

娘は太政大臣の息子である藤原兼雅(かねまさ)との間に子をもうけましたが、実家は没落したまま。貧しさから、森のなかの杉の木の空洞に息子仲忠と暮らしながら秘伝の琴を教えます。この母と子をなんと森のサルが助けるというエピソード付き。最終的に兼雅はふたりと再会、引き取られた仲忠は立派な若者に成人しました。

後半は琴で大成功を収める話

その頃、都では「あて宮」と呼ばれる姫が大評判。求婚者の列ができるほどでした。この求婚物語は、竹取物語に影響を受けているようです。求婚者には、春宮(皇太子)もいましたが脱落、仲忠と涼が宮中で琴の勝負を繰り広げます。しかしながら、あて宮は春宮に入内(じゅだい・結婚すること)。藤壷と呼ばれるようになりました。

そこで仲忠は「女一宮」と結婚。娘の「犬宮」(いぬみや)が生れました。犬宮は帝に見いだされ妃のひとりとなり、仲忠は大納言へ大出世。春宮は新帝に即位し、藤壷の生んだ皇子が春宮になりました。仲忠の願いにより母は秘伝の琴を伝えて犬宮はそれをマスター。邸内に嵯峨院と朱雀院というふたりの上皇を招待し、見事な琴を演奏するまでになりました。

3.「うつほ物語」に流れる音楽の歴史

image by PIXTA / 10045930

古代宮廷の人々は音楽と共に生きていたと言えるほど音楽に密着した生活をしていました。日本古来の歌に加え、中国、朝鮮半島、ベトナム、天竺(インド)など、海の彼方から渡来してきた音楽にも慣れ親しんでいました。それらを雅楽(ががく)と呼び、宮中の行事に取り入れていました。

海を渡って日本へやってきた雅楽

雅楽というのは、日本古来の音楽と平安時代初期までにアジアの諸国から伝来してきた歌舞を統合したもの。9世紀の半ばに、渡来の系統によって左方と右方に整理されました。左方は中国、中央アジア、インドなどから伝わったもので唐樂(とうがく)と呼ばれるもの。唐楽の舞は左舞(さの舞)と呼ばれ、赤系統の衣装をつけて演奏するものです。

右方は朝鮮や満州から渡来したもの。高麗樂(こまがく)、舞は右の舞、衣装は青系統でした。また、日本独自の舞は国風歌舞(くにぶりのうたまい)と呼ばれました。天皇即位の式典では、勇壮華麗な唐楽が演じられるため、貴族たちにとって唐楽の演奏や舞をマスターすることはエリートの必須条件でした。

外来の音楽をもたらしたのは渡来人と遣唐使。うつほ物語の最初の主人公も遣唐使の1人として中国をめざしていました。難破してペルシャにたどりついたことで、琴の秘儀を入手したという筋書きです。当時は羅針盤もなく航海の技術も稚拙なもの。ベトナム、タイ、ペルシャまで漂流することは珍しくはありません。ちなみに浦島太郎の話は難破して異国に流れ着いた人のお話だったと言われているんですよ。

\次のページで「琴(きん)の歴史も分かる「うつほ物語」」を解説!/

琴(きん)の歴史も分かる「うつほ物語」

古代の日本では、琴というのは弦楽器の総称。琴(きん)、筝(そう)、琵琶などを含んでいました。うつほ物語の「琴」(こと)は中国から伝来した唐琴(からごと)のこと。琴(きん)あるいは筝(そう)の可能性もありますが、和琴は指してはいません。和琴は6弦で琴柱(ことじ)を使うもの。現在はほとんど残っていません。

唐琴は中国から伝来したもの。琴柱を使いわないものが「琴」(きん)、琴柱を使うものが、筝(そう)と呼ばれました。唐琴は、中国の伝統的な楽器であり、琴(きん)は2006年に世界無形遺産に認定されています。

4.「うつほ物語」に書かれた雅楽の決まりごと

image by PIXTA / 22336741

中国の琴と筝はどちらも奈良時代に伝わってきた特別な楽器。楽器が伝来するのと時を同じくして、絢爛豪華な舞衣装も伝わりました。それらが日本のなかでローカライズされて完成していきました。

古代中国では音楽は神の歌

うつほ物語には衣装についても詳細に記されています。たとえば、赤と白の襲ね(かさね)の衣装に冠を付けて舞うのが「春鶯傳」(しゅんのうでん)。天皇が即位するときに舞うのが「太平楽」(たいへいらく)、源氏物語で光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)が舞ったのが「青海波」(せいがいは)。これらは宮中行事を彩る花として欠かせないものでした。

日本伝来前は、音楽や舞には、宇宙、人と自然のかかわり、天上から聞こえてくる神の歌など、神秘的な意味があると考えられていました。しかし日本に入って来ると、音楽も舞楽も行事のあとの宴会向けのものに変化。宴会向けだから全てが自由というわけではなく、いくつかの決まりが残されました。

現在は神聖な決まりごとは消滅

舞台の正面は必ず北向き。天皇は南向きに坐していたため、演奏者や舞人(まいびと)は北向きになるのです。また、舞人が左回りに舞台を一周することを「春・夏・秋・冬」と解釈されました。そのため一曲の舞には、舞台の正面、右、左、後ろ向きの4方向を向いた4人の舞手がいることが前提。このスタイルは今では残っていません。

奈良時代に伝わってきた琴(きん)は7弦で琴柱はありませんでした。このタイプの楽器もいつのまにか日本からは消滅。同じころに伝来した筝が今では琴(こと)ととして残っています。ちなみにうつほ物語で清原俊蔭が仙人から教えてもらったのは「琴」(きん)。演奏することがかなり難しい楽器で、聖人君子しか弾けないと考えられていたものです。

\次のページで「5.「うつほ物語」で言及された求婚とは」を解説!/

5.「うつほ物語」で言及された求婚とは

image by PIXTA / 3976461

古代社会は婿入り婚の通い婚が当たり前。つまり男性が女性の家に婿入りするかたちでした。そして夫婦が同居することはなし。夫が妻の家に通っていました。女にとっては自分の実家の興隆に役立つ男性を婿に取りたいもの。男性側もまた、衣食住の生活を一切見てくれる妻の家が資産家であり、自分の出世に役立つ家柄であることを望みました。

多くの男性たちに求婚される女性とは

平安時代は身分がすべて。男性も女性も身分の高い相手を望みました。自分の出世や暮らしにかかわるため、夫あるいは妻の身分が高ければ高いほど良しとされたのです。それに加えて美人であれば帝までを夢中にさせることができました。

うつほ物語の後半のヒロインである「あて宮」は源家の姫君。源姓はもともと皇族であったことを意味したため、皇族と同じように処遇され、敬われました。そこの婿になることは男性にとって「玉の輿」。婿入り婚の時代では、男性の望む最高の結婚のかたちだったのです。さらに女性が美人という噂があれば、男たちは我こそはと殺到しました。

玉の輿に乗るための偏差値は高い

能力のない男性を婿に取ったら実家が落ちぶれてしまいます。そのため女性は実家の浮沈をかけて婿を選びました。男性の才能、美貌、家柄などが、あたかも偏差値のように等級づけられていました。この時代、貴族社会で行われていたのは、すべて家同士の浮沈をかけた戦い。つまり政略結婚に等しいものだったのです。

平安時代は戦争のなかった時代。そのため武力や腕力は無関係でした。漢籍(漢詩や漢字だけで書かれた中国の歴史)や和歌や漢詩が素晴らしいことに加え、楽器の演奏、なかでも琴の演奏に優れていることが、高偏差値につながりました。美貌と家柄は努力してもどうにもなりません。しかし、漢籍、和歌、琴の演奏ならどうにかなると男性たちは頑張りました。

うつほ物語の登場人物のひとりである犬宮の生き方はとても行動的で現代的。仲忠の母に秘伝の琴を習って見事に習得。ふたりの上皇を招待して演奏を聴かせるなど桁違いの能力を発揮しました。彼女の行動のモチベーションは一家の再興。彼女の強さと賢さは読者の心を惹きつけました。古代社会では、香の調合や衣装の染色など技術は、女性から女性に引き継がれていました。秘儀の継承は神聖な行為。古代の母系社会では母なる女性は神聖化されていたのでしょう。

「うつほ物語」は出世のための音楽の教科書

うつほ物語は、楽器を演奏する精神や技術、さらには出世の方法について書いた古典。平安時代のお話としてはもちろん、今は消えてしまった楽器の技術のことが分かる歴史本でもあります。膨大な知識を要する内容のため、複数の人たちにより分担してかかれたのかもしれません。歴史はもちろん音楽に興味がある人にとっても面白い古典と言えるでしょう。

" /> 平安時代の音楽の教科書?「うつほ物語」について元大学教員が5分でわかりやすく解説 – Study-Z
奈良時代平安時代日本史

平安時代の音楽の教科書?「うつほ物語」について元大学教員が5分でわかりやすく解説

「うつほ物語」は作者不詳とされているるが、複数の人の手によって記されたという説が濃厚。中心的な書き手は源順(みなもとのしたごう)と言われている。全20巻により構成され、成立したのは平安中期とされているが今でも謎が多い作品です。

宮廷生活が写実的に生き生きと描写されて、当時の文化を知ることもできる面白い作品です。そんな「うつほ物語」について日本史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。平安時代にも興味があり、気になるものがあったら色々調べている。「うつほ物語」は、ストーリーとしてはもちろん音楽の教科書としても面白い作品だと思い、紹介することにした。

1.うつほ物語とはどんな作品?

image by PIXTA / 68138817

「宇津保物語」とも表記されます。作者は不詳ですが、複数の人の手によって記され、中心的書き手は源順(みなもとのしたごう)という説が濃厚。全20巻で、成立したのは平安中期の永観2年(984)年ごろと推測されています。平安時代の年中行事、装束、舞楽の描写がとても詳しく書かれているのが特徴。全編にわたり中国大陸文化への崇拝が見られます。

うつほ物語のあらすじ

清原仲忠(なかただ)という人物をめぐる音楽伝承。秘伝の曲を伝えることにまつわる物語です。前半は清原俊蔭(としかげ)と孫の仲忠を中心とする「琴(きん)の物語」。竹取物語のような伝奇的色彩が特徴です。後半は当代の貴族の憧れであった貴宮(あてみや)という女性をめぐる求婚と政権争い。仲忠一族の繁栄の物語です。

宮廷の年中行事が生き生きと事細かに描写されており、読むだけでも楽しいうつほ物語。源氏物語以前に成立した話で、源氏物語にも大きな影響を与えました。貴族にとっては必須の教養であった琴の演奏技術の伝来について、ストーリー仕立てで楽しめるという一面も。「先祖から伝わった秘伝」という日本的な考え方のルーツを垣間見ることができます。

琴(きん)の演奏法の秘技

「うつほ」という名前は、後半の主人公の仲忠と母親が森の中の杉の空洞(うつほ)に住んでいたことに由来します。前半と後半は別物語のように異なっており、前半は、唐土(もろこし)から音楽という文化が伝来したことがメイン。日本の文学史上、初めて書かれた壮大な物語で、のちの源氏物語の成立にもつながります。

中国においても日本でも、古代社会で王と呼ばれる人たちは、音楽の技をマスターすることが必要不可欠。音楽と神は一体であると思われていたからです。皇帝が聖なるものであるように音楽も聖なるものと考えられていました。なかでも琴(きん)は聖人君子の楽器として崇められていました。

2.「うつほ物語」の壮大なストーリー

image by PIXTA / 73023431

うつほ物語は、竹取物語の伝奇的な要素を引き継ぎながら、写実的な描写も取り込んでいきます。その写実性は、のちに生れる源氏物語に引き継がれることに。源氏物語や枕草子にも、うつほ物語に関する記載があり、清少納言は熱心な仲忠ファンでした。当時の宮中勤めの女房達のあいだでうつほ物語は大ブーム。近年は長編小説として源氏物語よりもうつほ物語を高く評価する研究者もいるほどです。

\次のページで「前半は琴を手に入れる物語」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: