コペルニクスと学問
ポーランド最古のクラクフ大学に進んだコペルニクス。そこで天動説を疑問視している天文学者のブルゼスフキの下で天文学を学びます。そして法律を学ぶためにイタリアのボローニャ大学に留学し、そこでさらに天文学も学びました。その後医学も学び、同時に占星術も学びました。
コペルニクスは聖職者、医者として働く一方、天体観測を続けていました。そして1508年ごろに地動説を考え始めたのです。この考えをコペルニクスは1510年に著書「コメンタリオルス」にまとめ、数人の仲間に送りました。
コペルニクスの友人たちによってこの地動説の考えが徐々に広がり、1542年に主著「天体の回転について」の原稿が完成します。しかしその後コペルニクスは病に倒れ、校正版が手元に届いた1543年の5月24日に亡くなりました。
写真はポーランド科学アカデミーにあるコペルニクスの銅像です。
コペルニクスの考えを受け継いだガリレオ・ガリレイ
初めて望遠鏡で天体観測をしたガリレオ・ガリレイ。
コペルニクスよりも90歳ほど年下のガリレオはコペルニクスの地動説を支持しました。しかしこのことがきっかけでガリレオはローマ教皇庁と対立します。さらにコペルニクスの著書「天体の回転について」は閲覧禁止となったのです。しかしそれでも遅動説を唱え続けたガリレオ。1633年の宗教裁判で有罪となったガリレオはその時にあの有名な言葉「それでも地球は回っている」を呟きました。
イタリアのサンタ・クローチェ協会にはガリレオの像があります。
コペルニクスの前にもいた!地動説を唱えた人物
紀元前にも地球が動いていると考えた人物がいました。
最初に太陽を中心とする考えを唱えたのはアリスタルコスです。アリスタルコスは「太陽と月の大きさと距離について」で地球中心説を述べています。
古代ギリシャの天文学者であるアリスタルコスは地動説を述べました。しかしこの説が受け入れられることがはなく約2000年の間、天動説が信じられていたのです。そしてコペルニクスが再び地動説を唱えたことでアリスタルコスは古代のコペルニクスと呼ばれるようになりました。
天文学最大の発見!コペルニクスが唱えた地動説
以前は地球が宇宙の中心でその周りを他の天体が回っていると考えられていました。これが天動説ですね。しかし観測技術の進歩によって天動説では理解できない現象が発見されました。こうして新たに地動説が唱えられるようになったのです。
ポーランド出身のコペルニクスは天文学者としてだけでなく、医者としても活躍していました。この時代は天体が体や病気に影響すると考えられていて、医者は占星術も学んでいたそうです。また教会には病気を抱えた人もやってくるということでコペルニクスは聖職者でありながら教会の理解のもと、医学や占星術を学ぶことができたのでしょう。
当初、地動説は受け入れられませんでした。それが多くの科学者によるいろいろな実験や研究を通して正しいと証明されたのです。今信じられている説がいずれ誤っていたとされることがあるかもしれませんね。
