今回は歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒に日本史上の「大御所」について解説していきます。
- 1.日本史における「大御所」の定義
- 始まりは引退した親王の尊称
- 武士たちに受け継がれた「大御所」
- 武士の「大御所」を引き継いだ江戸時代
- 2.室町時代の大御所たち
- 室町時代序盤をざっくり解説
- 室町幕府最初の大御所「足利義満」
- 「応仁の乱」の引き金を作った足利義政
- 大きな傷跡だけを残した「応仁の乱」
- 室町幕府最後の将軍足利義昭の父・足利義晴
- 3.「大御所」と引き継いだ江戸幕府
- 江戸時代の始まり
- 江戸幕府初めての「大御所」徳川家康
- 徳川家康の大御所政治
- 米将軍「徳川吉宗」の引退後
- 徳川治済と十一代将軍・徳川家斉
- 徳川治済を「大御所」にしたい!
- 徳川家斉の「大御所時代」
- 引退後も政治を手放さなかった人々
この記事の目次
ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は源義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。徳川吉宗が主人公の時代劇を見て育ったので、徳川吉宗に関連する「大御所」について詳しく勉強してきました。
始まりは引退した親王の尊称
「大御所」と聞くと、たいていの人は桜木先生のおっしゃったように「その道の第一人者」や「その世界を引退しながらも大きな存在感を持ち続ける人物」という意味で捉えるでしょう。
しかし、日本史で「大御所」と言う場合はちょっと違います。しかも、「大御所」の意味合いは時代を経るごとに変化していきました。
まずは、「大御所」の最初の意味から見ていきましょう。
本来、「大御所」は天皇の住まい「おほみもと」を指す言葉でした。そこから親王(皇族の男性)の隠居場所を「御所」と呼ぶようになって、やがて隠居した親王その人を呼ぶときの尊称として使われるようになったのです。
武士たちに受け継がれた「大御所」
それが鎌倉時代に移ると、前将軍「源頼朝」の御所(邸宅)に対して「大御所」と呼ぶ記述が鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にありました。このころになると、天皇家だけでなく、将軍の居所にも「大御所」が使われるようになっていたんですね。
そして、室町時代では、「足利幕府の将軍の実の父」が大御所と呼ばれるようになりました。名前を上げると、足利義満、足利義政、足利義視、足利義晴の四人です。
室町時代の最盛期を築き、金閣(鹿苑寺)でも有名な三代目将軍「足利義満」は引退後も実権を持ち続け、武士として二人目、そして足利家では最初で最後の太政大臣に任命されます。
ここから将軍職を引退しても、「大御所」として権力を振る性質が生まれたのでした。ただし、室町時代は「将軍の実の父」という意味のほうがまだ強いです。
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武士の「大御所」を引き継いだ江戸時代
それからさらに時間を下った江戸時代。ここでも室町時代の「大御所」の存在は健在です。
初代将軍となった徳川家康は、早くから将軍の座を息子の徳川秀忠に譲って「大御所」になります。その後の江戸幕府では、八代将軍徳川吉宗、九代将軍徳川家重、十一代将軍徳川家斉が「大御所」となりました。
江戸幕府が受け継いだ「大御所」は室町幕府からさらに変化して、「将軍経験者」に限定されます。
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