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AI時代の不都合な真実― 選ぶことを「創造」だと思う人たち

AIの文字を見ない日はない。

AIが株価を牽引する。
AIが人間を超えた。
AIが創造する。
AIが考える。
AIが感情を持つ。
AIが仕事を奪う。

たしかにAIはすごい。

文章を書く。
画像をつくる。
企画を出す。
会議を整理する。
音楽もつくる。
建築デザインも出す。
小説らしきものまで書く。
論文も論評も書く。

しかも速い。
整っている。
それらしく見える。

だから、人は驚く。
「これはすごい」
「これは深い」
「もう人間以上だ」

しかし、本当にそうか?

AIが“考えている”のではない。

人間が、
AIの出力を、

「賢い」
「深い」
「創造的だ」

と読み始めているのである。

ここに
AIの不都合な真実がある。
大きな勘違いがある。


1 AIは「意味」をつくっているのではない

AIの文章を読むと、
もっともらしい。

構成がある。
論理がある。
言葉も整っている。

一見、
深く考えているように見える。
しかし、
AIは、本当に考えているのか?

違うと思う。

AIは、
人間が
「自然だ」
「賢そうだ」
「深そうだ」
と感じるような形を、
膨大なデータの中から組み合わせて返してくる。

つまり

AIは「意味」をつくっているのではない。
「意味がありそうな形」

を整えている。

そして人間が、
そこに勝手に「意味」を読み込んでいる。

これは
絵も、
小説も、
音楽も同じである。

人間は、
自分の記憶や経験を重ねながら、
「深い」
と感じる。

問題は、
AIが深いかどうかではない。

人間が、
AIのアウトプットに「意味」を読んでしまうこと。

AIは、
人間の思い込みに助けられている、すごいと言われている。


2 人間は、「不完全」な存在。

AIは整っている。
破綻しない。
乱れない。
迷わない。
疲れない。

人間らしく悩んでいるような文章も書ける。
傷ついているような言葉も返せる。
寄り添っているような表現もできる。
しかも、綺麗に整っている。

しかし、人間は違う。
迷う。
揺れる。
怒る。
傷つく。
悩む。
言い過ぎる。
沈黙する。

昨日と今日で、言うことも変わる
同じ問いでも、相手によって答えは変わる。
朝と夜でも違う。
疲れている時と、元気な時でも違う。

人間とは、本来、そういう“不安定な存在”である。
その不安定さこそ、人間である。

AIは、「不完全らしさ」を演出することはできる。
悩んでいるような文章も書ける。
迷っているような言葉も返せる。

しかし、本当に迷っているわけではない。
ここが決定的に違う。

「AIは、“人間らしさ”を再現できる。
しかし、“人間そのもの”にはなれない」

人間は、不完全に生きている。
失敗する。
後悔する。
傷つく。
人と人との関係の中で揺れる。

だから、同じ答えにならない。
そこに、人間のリアリティがある。

AIには、それがない。

3 AIは作品をつくる。しかし「時間」を生きていない

AIは
小説を書く。

音楽をつくる。
絵を描く。

しかし、
そこには、
「時間」
がない。

悩む時間。
迷う時間。
失敗する時間。
捨てる時間。
やり直す時間。

作品とは、
完成品だけではない。

そこに至る時間も含めて、
作品である。

作家は苦しむことがある。
芸人は滑ることがある。
音楽家は悩むことがある。
建築家は場所を歩きまわる。

その時間が、
人間を鍛える。

昔の日本は、
この「時間」を大切にしていた。

現場で怒られる。
失敗する。
見て覚える。
空気を読む。
先輩の背中を見て学ぶ。
職場のみんなで議論しあう。

そうやって
人は育ってきた。

しかし今、
AIは、
その時間を飛ばす。

一瞬で出す。
何案も出す。
綺麗に整える。
たしかに便利である。

しかし
人間が
「つくりあげる時間」
を失い始めている。

このインパクトは大きい。

4 人間は「創る側」から、「選ぶ側」に変わる

AIが、手品のように案をいっぱい出す。

タイトル案。
企画案。
文章案。
デザイン案。

人間は、
AIが出してきたいっぱいの案の中から選ぶ。

「これがいいな」
「これは違うな」
「もう少し柔らかく」
「もうちょっと強く」

一見、
人間が判断しているように見えるが、違う。
「構造」が劇的に変わろうとしている。

人間が
「創る側」から
「選ぶ側」
に移ろうとしている。

とてつもなく大きな変化である。

創作者ではなく
消費者になり始めている。

もちろん
選ぶ力も必要である。

しかし
選ぶことと、
創ることは違う。

創るとは、
まだ存在しないものを、
自分の中から引きずり出すこと。

悩み、
迷い、
失敗しながら、
形にしていくこと。

しかし、
選ぶとは、
並べられたものの中から、
「なにかひとつ」
を選択することである。

AI時代の不都合な真実は、
ここにある。

人間が、
「創る苦しみ」
を失い始めている。

選ぶことを、
創造だと思い込み始めている。


それはまったく違う。

本当の創造とは、
まだ言葉になっていないものを、
自分の中から掘り起こすことだから。

5 AIが仕事を奪うのではない

「これから、AIで仕事がなくなる人がいる」

たしかに
なくなる仕事はある。

情報を集める。
資料をまとめる。
文章を整える。
提案書をつくる。
議事録をつくる。

そういう仕事は、
AIが一瞬でやるようになる。

すると、人は驚く。
「すごい」
「AIが全部やってくれる」
「仕事が楽になった」
そこに気がついていないことがある。

それは、今まで
あなたがやっていた仕事。

「AIで、その仕事が代替できる」ということは、
「あなたでなくてもよかった」
ということ。

不都合な真実。

AIが仕事を奪うのではない。

いつからか日本は
人間にしかできない仕事を、
軽く見てきるようになった。

人と向き合う。
違和感を拾う。
空気を読む。
問いを立てる。
何度もやり直す。
関係をつくる。
責任を負う。

本来、
こういう仕事は、
人間の仕事だった。

しかし
それを
「非効率だ」
「無駄だ」
「面倒くさい」
として削ってきた。

残ったのは、
整理するだけの仕事。
まとめるだけの仕事。
前例を並べるだけの仕事。

しかし、その仕事
AIが最も得意な領域である。

だから、
AIに置き換えられる。

AIが優秀だからではない。

人間が、
人間らしい仕事を、
手放してきたからである。

だから、そうなる。
あなたは、いらない、と。

6 AIが「本物」に見えるのはなぜ?

「AIがすごい」
を感動する人が増えている。

しかし、それ、本当?

すごいのは、
AIなのか?
そうではない。

人間の側が、
「読む力」
を失っているのでは。

教養とは
知識量ではない。

目の前のものに、
意味を感じる力。

風景を観て、
背景を感じる力。

言葉の奥を読む力。
心にピン留めする力。

日本人は、
本来、
そういう感性を持っていた。

しかしこの30年
効率を求め
時間を短縮し
人を減らして
答えだけを急ぐ社会になった。

すると、
「それっぽいもの」
が、「本物」に見えてくる。

AIが賢くなったのではない。
人間の側が、
読み解く力を失い始めている。

最後に、
もう一度言う
AIが賢くなったのではない。

AIが、もっともらしくなった。

人間が、「AIは賢いね」
と思うような形を返せるようになった。

しかし、
それを「深い」と読むのは、人間である。

「本物だ」と思い込むのも、
人間である。

つまり、
問題はAIにあるではない。
人間の側にある。

人間が、
読む力を失えば、
AIは本物に見える。

人間が、
考える力を失えば、
AIは知性に見える。

人間が、
創る時間を失えば、
AIの出力が作品に見える。

しかし、
AIは人間ではない。

時間を生きていない。
関係を背負っていない。
失敗して傷つかない。
責任を取らない。

人間は違う。

迷う。
悩む。
失敗する。
傷つく。
やり直す。

その不完全さの中で、
意味をつくってきた。

AIが賢くなったのではない。

人間が、
読み違え始めているのである。
それが、AI時代の不都合な真実である


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