少し変わったことがしたくて、事前に購入しておいた宮崎駿の絵コンテを読んでから映画を見に行った。
数日前には手元にあったのだからさっさと読み始めていればいいものの結局、映画を見に行く当日になっても読んでなくて、朝とても早起きして通読することになった。
ただ明確に締め切りがあったおかげでひさしぶりに一冊の本を集中して読むことが出来た。
耳年増なオタクとして生きてきたので、絵コンテはアニメの設計図とか言われているのは知識としては知っていた。
けど、絵コンテをしっかりと読んだのは今回が初めての経験だった。
もっと想像力の翼を羽ばたかせて、実際の映像になったシーンを思い浮かべて読まないと、駄目なのかな?と思ってた。
でも実際は違った。
宮崎駿の絵コンテは、ただ普通に読んでいるだけで、ちゃんと映画としての魔女の宅急便が伝わってくる。
映画として、私の心を「ハッ」とさせて心を動かす場面がキチンとわかるのだ。
これは宮崎駿の絵コンテの伝える力が相当に強いということなのか、絵コンテとはそういうものなのかは判断ができない。
ただ宮崎駿の絵コンテは、ただ読み進めるだけで、スッと頭の中に伝わって感動させられる。
それは魔女の宅急便を過去に見ているから、その記憶が刺激されているだけでは?
という疑問を持たれるかもしれない。
正直、魔女の宅急便とは「こういう映画だというイメージだけ」は記憶に残っているけれど、シーンやカットなどは丸ごと記憶が欠落してて、読んでてそうそうそうだった!思い出した!という感覚はなかった。
有名なネットミームにもなっている「ニシンのパイ」とかのエピソードはなんとなく残ってるけどその他のことは極めて断片的な印象でしか無い。
にも関わらず宮崎駿の絵コンテはきちんと映像としてのイメージを、決して想像力が逞しいわけでもない私に伝えてくるのだ。
一例としてあげると、
オープニングエピソードの最後、カモメと戯れながら海の上の飛ぶキキとか
トンボの自転車の後ろに乗って、思い切り身体を倒し込んで地面スレスレに顔を寄せるキキ、
老婦人の言葉に胸が詰まるキキに胸をつまらせてしまう私の心とか
実際に映画を見たときに、心を動かされる場面がしっかりと伝わって理解出来るのだ。
実際に映画を見に行くと、絵コンテ通りに映画は展開する(当たり前か)。
「グッ」と来るシーンも出てくる。
テレレテレレテレテレレレーーレーー
って流れてくるまでに一瞬のタメとかあるんだけど
今年は魔女の宅急便。
来年もなにかやってくれるんだろうか?
あと、これは要望としてジブリの出版部にでも送ろうと思うんだけど
実際に宮崎駿が描いた絵コンテのサイズそのままの大きさの絵コンテ集も出して欲しいね、って思う。
だいぶ縮小されててよく見えないのも多いんだよな。
付録としてついて生きた小冊子に
このサイズが実際の絵コンテのサイズです、って載ってるんだけど