アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズは、「プラグマティズム」という哲学を提唱した。プラグマティズムを体系化し教育や政治など多方面に影響を与えたのが、大哲学者ジョン・デューイであり、日本国憲法が当時でも有数のリベラルな憲法になったのは、デューイの教え子の影響が大きい。
ウィリアム・ジェームズは政党間の「good temper」(穏やかさ、冷静さ、寛容さ)を重んじる。敗北した側が不平を言わず、静かに次の機会を待つ態度を説く。これが失われれば、民主主義は退廃(degeneration)するとジェームズは警告している。
この考えは、プラグマティズムの民主主義観(試練のプロセス、市民的習慣の積み重ね)を象徴し、政敵への誹謗中傷を強く否定する基盤となっている。
中道と旧左翼の退潮は、国民が成熟し、誹謗中傷を武器にすることの邪悪さに気がついたからだとも言える。憲法の精神に今こそ立ち返り、民主主義を実践することができる基盤がようやく生まれたのかもしれない。
米中露がいずれも専制に傾きつつある現在で、国民が「民主主義の価値」を理解するまで成熟したことに、かすかな希望を感じる。
下記は引用文
「すべての国にまさって祝福された国とは、市民の天才(civic genius)が日々救済を行う国である……外部的に絵になるような行為ではなく、合理的に話し、書き、投票し、腐敗を迅速に打ち砕き、政党間で穏やかな態度(good temper between parties)を保ち、人々が真の人物を見抜き、狂信的な党派主義者(rabid partisans)や空虚なペテン師(empty quacks)ではなく彼らを指導者に選ぶ国である。」
「民主主義はまだ試練の最中にある。我々の市民的天才(civic genius)はそれの唯一の防壁であり、法律も記念碑も、戦艦も公立図書館も、大新聞も活況を呈する株式も、機械の発明も政治的機敏さも、教会も大学も公務員試験も、内なる神秘(inner mystery)が失われてしまえば、我々を退廃から救うことはできない。あの神秘は、一度に我々の英語を話す人種の秘密であり栄光でもあるが、二つのありふれた習慣、二つの公的生活に持ち込まれた根強い習慣以外に何もない——修辞的に表現するに値しないほど平凡な習慣だが、人類が得たものの中でおそらく最も貴重な習慣である。その一つは、反対党が公正に勝利したときに、訓練され規律された穏やかな態度(trained and disciplined good temper towards the opposite party when it fairly wins its innings)を持つ習慣である。」
プラグマティズムに追いついたというかただの推し活だから...