「岩隈は中日の選手でした」元スカウトが明かす“3人指名”99年ドラフトの真相 後に受けた星野監督からの謝罪
2022年11月8日 10時25分
◇中田宗男の「スカウト虚々実々」
《広告の下に記事が続きます》
元中日の中田宗男さん(65)が、37年のスカウト人生を振り返る。今回は史上最少の3人指名で終えた1999年ドラフトの真相を明かす。あの「燃える男」から、まさかの謝罪!そこには取れたはずの大魚を逃がしてしまった舞台裏があった。
前回は1995年のドラフトで福留孝介を抽選で外し、星野仙一監督から「すぐに謝りに行け」と大阪まで飛んでいった話を書きましたが、今回は逆。あの星野さんから「悪かった」と謝られた思い出です。99年のドラフトの指名は3人だけ。これは中日だけでなく、全球団の最少記録(分離ドラフトは除く)です。直後からおしかりや疑問を受けましたが、その事情を初めて明かします。
最初の理由は「優勝したから」です。開幕11連勝から見事に押し切り、リーグ制覇。2年目の川上憲伸やルーキーの福留も大いに貢献してくれました。すると「鬼の星野」がこう言うのです。
「せっかく優勝したのに、そう何人もクビにはできんだろ」。仏の顔になれば、ドラフトの枠も減ります。さらに会議当日、星野監督はこんな裏情報をつかみました。
「江藤(智、広島)は恐らく取れる。工藤(公康、ダイエー)も十分に脈がある」
連覇のためにFA補強に動いていました。投打の大物を獲得できれば、枠はさらに狭まります。その代わり「ドラフトは将来性重視でいこう」と方針決定。中日は投打の目玉と相思相愛でした。1位の河内貴哉(国学院久我山高)と2位の田中賢介(東福岡高)です。当時は1・2位同時入札。ところが河内は広島、近鉄、田中も日本ハム、西武と競合し、いずれも抽選に負けてしまいました。
外れ1位は朝倉健太(東邦高)、同2位は福沢卓宏(滝川二高)。3位に山北茂利(トヨタ自動車)を指名して終了しました。予定通りとはいきませんでしたが、それもドラフト。星野さんに謝罪されたのは、枠がなくあきらめた「幻の4位」でした。
夏の西東京大会。とある球場に私と関東地区担当の堀江忠一スカウトはいました。ところがスタンドは立すいの余地もなく、視察もままならない。「ちょっとついてきてください」と堀江さんに言われた先は、バックネット下の部屋でした。関係者以外は立ち入り禁止。「さすがにまずいでしょ」と言う私を、堀江さんは「選手を見る方が大事です。知り合いには許可を得ていますが、問題になれば私が謝ります。それくらいおもしろい投手なんです」と涼しい顔で受け流す。試合で見たその投手は、確かに潜入してでも見る価値がありました。
岩隈久志。スピードはないが、長身の割にフォームは柔らかく、バランスも良かった。私たちの世界で言う「大化け期待」というやつです。近鉄が5位指名。1年ほどたったころ、岩隈のうわさを聞き付けた星野さんに頭を下げられました。「あの時に取りたがってたの、岩隈やろ? 悪いことしたな」。私だって日米通算170勝の大魚に育つとわかっていたら、ケンカしてでも4位で指名しています。あの年、優勝していなければ…。江藤や工藤に脈がなければ…。岩隈は中日の選手でした。これが3人指名の真相です。(中日ドラゴンズ・元スカウト)
▼中田宗男(なかた・むねお)1957年1月8日生まれ、大阪府出身の65歳。右投げ右打ち。上宮高から日体大をへて、ドラフト外で79年に入団した。通算7試合に登板し、1勝0敗で83年に引退。翌84年からスカウトに転じ、関西地区を中心に活躍。スカウト部長なども歴任し、今年1月に退団した。
関連キーワード
おすすめ情報