諦めることも、時には好転となる
18歳の終わりがけ、私は進学のために愛知県から大阪に来ました。
進学先は歯学部でしたが、歯科医療はおろか、医療そのものにさえ興味を持てないまま入学しました。
初めて実家を離れた 1990年4月、大阪で早々にできた友達『K君』に、聞いてみたことがあります。
「なんで歯学部に入ったの?」
K君 『ん? うちの親父、歯医者やねん』
「そんだけ?」
K君 『そうやで』
しばらく呆然としていた私に、K君は満面の笑みで言いました。
『まあ、楽しいやろうや』
私は拍子抜けしました。
ここに私と同じ境遇の人がいた。
しかし、K君は既に達観し、前を向いている。
自分を恥じました。
なんとダサくて、どうにもならんボンクラ。。
しかし、その日の夜、少し気が晴れていていました。
それでいいんだと思えました。
通常、【諦める】ことは、良い意味では使われません。
ただこの時は、諦めることも、時には良いと考えることができました。
前進するために諦めることは、長い目で見れば良い選択であることも十分にあると思います。
また、諦めたことにより、前進できることもあるのでしょう。
捉え方次第で、運命、人生、自分を変えられること。
アホなことばかりして、いつも楽しい関西人のK君に、私は教わり、救われました。
しかしもう、あの頃のことを話そうにも、K君には二度と会うことができません。
ただただ、寂しいです。

