豊岡杞柳細工
豊岡杞柳細工(とよおかきりゅうざいく)はコリヤナギという柳や籐を用いて、兵庫県豊岡市及びその周辺において作られた木工品で、国の伝統的工芸品(経済産業大臣の指定を受けた工芸品)。特許庁の地域団体商標に登録されている。


かつては養父市や美方郡香美町でも生産されており、最盛期には、全国各地でコリヤナギの栽培や杞柳細工の生産が行われていた。
柳行李(やなぎごうり)が代表的製品であり、現代では、かごバッグなど需要に合わせた様々な製品が作られている。昭和初期や戦時中までは、国内大多数の家庭で衣類や書物の収納(永尺行李・文庫行李など)、また弁当箱(飯行李)として、杞柳製品が様々なシーンで活用されていた。
歴史
編集詳細
編集コリヤナギを主に使用し、麻糸で編み上げられる柳行李を代表とする。その他、コリヤナギを割り、薄く引いた材料や籐を組み合わせて編む籠類の総称が「豊岡杞柳細工」である。現在コリヤナギは職人ら各自の手によって栽培されている。
杞柳産業の始まりは豊岡が城下町として形成された安土桃山時代である。江戸時代、初代豊岡藩主 京極高盛から代々コリヤナギの栽培・加工技術の育成と製造・販売に力を注ぎ、豊岡藩が杞柳産業を保護奨励した。この時代の杞柳製品といえば柳行李であった。1763年に専売制が成立し、交通の発達とともに「豊岡の柳行李」として全国に知れ渡るようになる。豊岡は日本有数の柳行李の産地として発展した。旅行具として一般の庶民に広く利用されており、この頃には、農家の中にも専業で柳行李を製造する者が現れている。
明治時代になると、地域の産業として歩み始め、同業組合が結成されるようになった。柳行李より飯行李の方が多く生産されていた。数々の内国勧業博覧会や国際博覧会に出品され、1881年に八木長右衛門が創案した「行李鞄」から、手に提げて歩く杞柳製品が作られるようになる。この「行李鞄」が鞄の生産量日本一で、鞄のまちとしても有名な豊岡市の地場産業「豊岡鞄」の源流とされる。
大正時代には、 宇川安蔵が創案した柳と籐のバスケット(大正バスケット)が大流行し、様々な杞柳製品の海外輸出も盛んになった。原材料のコリヤナギが不足したため、他府県で栽培されたものや朝鮮・満州・中国のものを輸入して使った。
昭和に入ると、一時期は生産量が減少したものの、軍需により軍用行李や飯行李の生産が増加した。栽培・製造加工・販売など部門が細分化され、分業制となり大量生産の体制が整えられた。しかし、戦争末期になると再び生産量が減少し、戦後には最盛期の4分の1ほどに減少していた。その後、ラッカー塗装による着色やデザインの改良を行い、流行に合わせた製品を作るようになる。時代とともに分業制はなくなり、栽培・製造加工は職人が一貫して行うようになった。
1992年に経済産業大臣より国の伝統的工芸品に指定された。2006年には杞柳細工に関する資料や、製作に用いる道具類などを展示した資料館が玄武洞公園ふもとの玄武洞ミュージアムに「豊岡杞柳細工ミュージアム」として開設した(2018年リニューアル。現在は玄武洞ミュージアムの展示の一部となっている)。2007年に地域ブランドとして特許庁の地域団体商標に登録された。
原材料(コリヤナギ)
編集
コリヤナギ(Salix koriyanagi)は楊柳科の落葉灌木で、城崎温泉の大谿川沿いにも見られる柳(いわゆるシダレヤナギ)とは異なる。
大正時代に原材料のコリヤナギのことを指す「杞柳(きりゅう)」という名称が使われるようになった。江戸時代の文書には、柳行李は「骨柳(こうり)」と記載されており、まだ「杞柳」は使われていない。「杞柳」という言葉自体は、中国ではコリヤナギを指すものとして昔から存在していた。コリヤナギは朝鮮半島原産とされる。
生け花で使われることもあるが、生産量はそれほど多くない。ヨーロッパでは別種のセイヨウコリヤナギが籠の材料として使われている。日本や中国、韓国などのアジアに比べると、コリヤナギの皮を剥かず、皮付きのまま使われることが多い。
豊岡杞柳細工の材料として使うための加工には、時間や労力のかかる工程を必要とする。
後継者育成
編集沿革
編集- 27年 - 天日槍命(出石神社の祭神)が柳編みの技術を伝えたとされる
- 奈良時代 - 東大寺の正倉院に但馬国産柳箱を上納
- 1636年(寛永13年) - 成田広吉が初めて柳行李を製造販売したとされる
- 1763年(宝暦13年) - 準専売制が成立する
- 1842年(天保13年) - 幕府の専売禁止令により大きな影響を受ける
- 1881年(明治14年) - 第2回内国勧業博覧会(東京・上野公園)に八木長右衛門が「行李鞄」を創案し出品
- 1893年(明治26年)5月1日 - シカゴ万国博覧会(アメリカ合衆国イリノイ州)に出品
- 1900年(明治33年)4月15日 - パリ万国博覧会に出品
- 1903年(明治36年) - 第5回内国勧業博覧会(大阪・天王寺)に遠藤嘉吉郎が「旅行鞄」を出品
- 1904年(明治37年)4月30日 - セントルイス万国博覧会(アメリカ合衆国ミズーリ州)に出品
- 1909年(明治42年) - 宇川安蔵が柳・籐のバスケット(後の「大正バスケット」)を創案
- 1910年(明治43年)5月14日 - 日英博覧会(大日本帝国と大英帝国共催)に出品
- 1915年(大正4年)2月20日 - サンフランシスコ万国博覧会(アメリカ合衆国カリフォルニア州)に出品
- 1917年(大正6年) - 柳行李商豊岡同業組合が但馬物産杞柳製品見本帳を発行
- 1925年(大正14年)4月28日 - パリ万国博覧会で宇川安蔵が国際賞を受賞
- 1962年(昭和37年) - 現在の兵庫県杞柳製品協同組合が設立される
- 1965年(昭和40年) - 皇太子徳仁親王(当時)が学習院幼稚園時代に愛用した籐の豆バスケット「ナルちゃんバッグ」が流行
- 1990年(平成2年) - 豊岡市の助成を受け杞柳細工を学ぶ「編み組教室」(現在は「後継者育成教室」)を開始
- 1992年(平成4年)10月8日 - 国の伝統的工芸品に指定される
- 2002年(平成14年) - 皇太子妃雅子さま(当時)が杞柳細工のかごバッグを愛用される
- 2002年(平成14年) - グッドデザインひょうご日常生活部門に選定
- 2003年(平成15年) - 宮崎和子の「草木染長角模様編皮手手提かご」がグッドデザインひょうご大賞受賞
- 2006年(平成18年)1月 - 玄武洞公園ふもとに豊岡杞柳細工ミュージアム(現在は「玄武洞ミュージアム」)が開設
- 2007年(平成19年)3月9日 - 地域ブランドとして特許庁の地域団体商標に登録される
- 2023年(令和4年)- 数十年ぶりに伝統を継承したブランド(KORI ANRI JAPAN)が活動を始める
柳行李の特徴
編集- 丈夫で軽く、落としても壊れにくい
- 蓋のかぶせ方で収納量を調節できる
- 衣類を守り、大容量である
- 通気性が高い
- 純白の美しさがある
柳行李の種類
編集- 尺荷行李(しゃくにごうり)
- 文庫行李(ぶんこごうり)
- 薬屋行李 - 富山の売薬が有名である。
- 小間物行李 - 小物の行商に用いられた。
- 帖行李 - おもに商家で使われ、商人が大福帳(帳簿)や算盤を入れて持ち歩いて仕事に使っていた。
- 行李鞄 - 1881年に豊岡市で誕生した手に提げて使う柳行李。豊岡鞄のルーツ。
- 軍用行李
- 永尺行李(ながじゃくこうり)
- 大荷行李(だいにこうり)
- 大馬行李(おおまこうり)
- 袈裟行李(けさごうり)
- 裃行李(かみしもごうり)
- 飯行李(めしごうり)
祭事
編集産地組合
編集- 兵庫県杞柳製品協同組合 - 兵庫県豊岡市赤石1362(玄武洞ミュージアム内)
イベント
編集- 作品展 - 6月上旬に豊岡市立交流センター「豊岡稽古堂」にて2日間開催。「後継者育成教室」で学んだ生徒作品を展示する。
- 展示即売会 - 6月下旬に玄武洞ミュージアムショップにて開催。「後継者育成教室」の生徒作品を中心に展示販売する。
関連施設
編集- 玄武洞ミュージアム - 豊岡杞柳細工に関する資料や道具、作品が展示されており、杞柳細工のかご編み体験をすることが出来る。また、併設のミュージアムショップにて、杞柳細工の作品を販売している。
- 但馬地域地場産業振興センター(じばさんTAJIMA) - 豊岡杞柳細工の展示販売を行っている。
- KORI ANRI JAPAN - 数十年ぶりに伝統を継承したブランド。材料の栽培から製造過程の全てを手掛ける本物の手仕事を軸に活動している。
外部リンク
編集関連記事
編集関連項目
編集参考文献
編集- 『豊岡市史』 豊岡市史編集委員会
- 『伝統的工芸品 豊岡杞柳細工』 兵庫県杞柳製品協同組合、2013年改訂