行政主席
行政主席(ぎょうせいしゅせき、英:Chief Executive of the Government of the Ryukyu Islands)は、1952年(昭和27年)4月から1972年(昭和47年)5月まで置かれていた琉球政府の行政府の長。内閣のような合議体ではなく独任制の機関である[1]。
概要
編集1952年2月29日、琉球列島米国民政府(USCAR)は民政府布令68号「琉球政府章典(Provisions of the Government of the Ryukyu Islands)」と民政府布告13号「琉球政府の設立(Establishment of the Government of the Ryukyu Islands)」を公布し、4月1日より施行され琉球政府は設立された[2]。ただし、琉球政府は「琉球における政治の全権を行うことができる」とされていたものの、民政府の布告、布令及び指令に従うこととされていた[2]。
琉球政府は議院内閣制ではなく、琉球政府の行政権は独任制の行政主席に帰属した[1]。琉球政府で立法権が帰属していた立法院には主席の不信任決議権はなく、行政主席にも立法院の解散権は無かった[1]。
琉球政府の政府構造は米国式の抑制均衡型の大統領制に近く、行政各部局の局長も議院内閣制の国務大臣というより大統領制の各省長官に近かったとされる[1]。琉球政府行政組織法(琉組法)で設置された局長会議も「主席の補佐機関」(第15条)とされていた[1]。
行政主席は、立法院の立法案(予算案等も含む)に対して異議のある場合は、理由を明示して立法院に返送することができた(いわゆる拒否権の行使)。ただし、立法院の3分の2以上の多数で再議決された場合は、米国民政府の民政副長官(後の琉球列島高等弁務官)の決定を待たなければならなかった。
地位と職務
編集選出方法の変遷
編集- 直接軍選方式(1952年制定)
- 琉球民政副長官が任命[1]。初代の比嘉秀平と第2代の當間重剛がこの方法で任命された[1]。
- 立法院諮問・軍選方式(1957年改正)
- 1957年「琉球列島の管理に関する行政命令」第8節により改正[1]。高等弁務官が立法府の代表者に諮って任命[1]。第3代の大田政作が1959年にこの方法で任命された(ただし1960年再任時には諮問なし)[1]。
- 立法院指名・軍選方式(1962年改正)
- 1962年改正[1]。主席の選出は立法府が行い、米国民政府の受諾できる者を指名し、高等弁務官が任命[1]。第3代の大田政作が1962年にこの方法で再々任され、第4代の松岡政保も1964年にこの方法で任命された[1]。なお、1962年と1964年にとられた立法院指名・軍選方式の下でも立法院決議により指名選挙が行われたため、形式的には下の立法院選挙方式と変わりがなかった(任命手続の有無は異なる)[1]。
- 立法院選挙方式(1965年改正)
- 1965年改正[1]。主席の立法院の全議員の過半数により選挙[1]。高等弁務官の任命手続も不要となり実質的に間接公選となる[1]。1966年にこの方式で選挙が行われ第4代の松岡政保が再任された[1]。
- 直接公選方式(1968年改正)
- 1968年改正[1]。行政主席は琉球住民の選挙による[1]。厳密には各選挙法で参政権は「日本国民」とされており、当時琉球列島で施行されていた出入管理令では「琉球住民」と「非琉球人」に分けられていたが、日本国籍をもつ非琉球人には参政権が認められていた[3]。第5代屋良朝苗のみがこの方式による[1]。
行政主席の一覧
編集| 代 | 主席 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 比嘉秀平 | 沖縄社会大衆党 | - | 1952年4月1日 - 1952年8月31日 |
4年 + 207日 | ||
| (1) | 琉球民主党 | 1952年8月31日 - 1956年10月25日 |
在任中に死去 | ||||
| - | (欠員) | - | 1956年10月25日 - 1956年11月11日 |
17日 | |||
| 2 | 當間重剛 | 無所属 | - | 1956年11月11日 - 1959年11月10日 |
2年 + 364日 | ||
| 3 | 大田政作 | 沖縄自由民主党 | - | 1959年11月11日 - 1964年10月30日 |
4年 + 354日 | ||
| 4 | 松岡政保 | 沖縄自由民主党 | - | 1964年10月31日 - 1964年12月 |
4年 + 30日 | ||
| 民主党 | 1964年12月 - 1967年12月 |
党名改称 | |||||
| 沖縄自由民主党 | 1967年12月 - 1968年11月30日 |
党名改称 | |||||
| 5 | 屋良朝苗 | 無所属 | 1 | 1968年12月1日 - 1972年5月14日 |
3年 + 165日 | ||
脚注
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 琉球文化アーカイブ 琉球政府の時代
- 沖縄県公文書館
ウィキメディア・コモンズには、行政主席に関するカテゴリがあります。