荀子
荀子(じゅんし、紀元前298年(紀元前313年?) - 紀元前238年以降)は、中国戦国時代末の思想家・儒学者。
| 荀子 | |
|---|---|
![]() 荀子 | |
| プロフィール | |
| 出生: | 紀元前313年、紀元前298年? |
| 死去: | 紀元前238年以降 |
| 出身地: | 趙 |
| 職業: | 中国戦国時代末の思想家・儒学者 |
| 各種表記 | |
| 拼音: | Xún zǐ |

人物・来歴
編集著作
編集荀子および後学の著作群は、前漢末に劉向によって整理され、『孫卿新書』32篇12巻としてまとめられた(河平3年、紀元前26年)[2]。『漢書』芸文志に『孫卿子』として出ている。唐の楊倞は当時伝承されていたテキストが混乱していたのでこれを校訂して注釈を加え、書名を『荀子』と改め、劉向の篇の配列を一部改めて内容のまとまりのある順番に並べ替え、32篇20巻とした(元和13年、818年)。のちに『孫卿新書』は亡佚し、現存するものはすべて楊倞注本の系統である。
出版物として初めて刊行されたのは、北宋の神宗の熙寧元年(1068年)であり、南宋の孝宗の淳熙8年(1181年)に台州知州唐仲友が復刻した。この宋代の刊本が宋本である。しかしこれは中国で散逸し、日本の金沢文庫に一冊のみ残された。この写本が影宋台州本である。江戸期文政時代の久保愛(久保筑水)は、この影宋台州本を参照して『荀子増注』を著した(文政3年、1820年の自序。文政8年、1825刊)。よって、宋本を参照した注釈は、日本の『荀子増注』が中国より早い。中国では王先謙が清代考証学の成果を取り入れ、日本の宋本も参照して、『荀子集解』を著した(光緒17年、1891年)。
構成
編集現行の『荀子』32篇は以下の構成である。
- 1. 勧学
- 2. 修身
- 3. 不苟
- 4. 栄辱
- 5. 非相
- 6. 非十二子
- 7. 仲尼
- 8. 儒效
- 9. 王制
- 10. 富国
- 11. 王覇
- 12. 君道
- 13. 臣道
- 14. 致士
- 15. 議兵
- 16. 彊国
- 17. 天論
- 18. 正論
- 19. 礼論
- 20. 楽論
- 21. 解蔽
- 22. 正名
- 23. 性悪
- 24. 君子
- 25. 成相
- 26. 賦
- 27. 大略
- 28. 宥坐
- 29. 子道
- 30. 法行
- 31. 哀公
- 32. 堯問
思想
編集教育論
編集統治技術としての礼
編集勧学篇で君子が学ぶべき対象は、「礼」であることが説かれる。修身篇では、君子は「礼」に従って行動するべきことが強調される。「礼は法の大分、類の綱紀なり」(勧学篇)「礼なる者は、治弁の極なり、強国の本なり、威行の道なり、功名の総(そう)なり」(議兵篇)と説明されるように、荀子はいにしえの時代から受け継がれた「礼」の中に、国家を統治するための公正な法の精神があると考える。国家の法や制度は、「礼」の中にある精神に基づいて制定される。王制篇では王者は「人」=輔佐する人材、「制」=礼制、「倫」=身分秩序と昇進制度、「法」=法律を制定するべきことが説かれる。君子は礼を身に付け、法に従って統治し、法が定めない案件については「類」=礼法の原理に基づいた判断を適用して行政を執る。「その法有る者は法を以て行い、法無き者は類を以て挙するは聴の尽なり」(王制篇)。
このように荀子は、君主が頂点にあり、君子が礼法を知った官吏として従い、人民が法に基づいて支配される、つまり法治国家の姿を描写して、その統治原理として「礼」を置くのである。孔子や孟子も「礼」を個人の倫理のみならず国家の統治原理として捉える側面を一応持っていたが、荀子はそれを前面に出して「礼」を完全に国家を統治するための技術として捉え、君子が「礼」を学ぶ理由は明確に国家の統治者となるためである。
荀子の描いた国家体制は、まず彼の弟子である李斯が秦帝国の皇帝を頂点とする官僚制度として実現し、続く漢帝国以降の中国歴代王朝では官僚が儒学を学んで修身する統治者倫理が加わって、後世の歴代王朝の国家体制として実現することとなった。
実力主義・成果主義
編集王覇論
編集性悪説・社会起源論
編集荀子は人間の性を「悪」すなわち利己的存在と認め、君子は本性を「偽」(人為的なもの)、すなわち後天的努力(すなわち学問を修めること)によって修正して善へと向かい、統治者となるべきことを勧めた。この性悪説の立場から、孟子の性善説を荀子は批判した。
富国篇で、荀子は人間の「性」(本性)は限度のない欲望だという前提から、各人が社会の秩序なしに無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は混乱して窮乏する、と考えた。それゆえに人間はあえて君主の権力に服従してその規範(すなわち「礼」)に従うことによって生命を安全として窮乏から脱出したと説いた。このような思想は、近代西欧に先行した最古の社会契約説であるとも評価される[3]。荀子は規範(「礼」)の起源を社会の安全と経済的繁栄のために制定されたところに見出し、高貴な者と一般人民との身分的・経済的差別は、人間の欲望実現の力に差別を設け欲望が衝突することを防止して、欲しい物資と担うべき労役を身分に応じて各人に相応に配分されるために必要な制度である、と正当化する。そのために非楽(音楽の排斥)・節葬(葬儀の簡略化)・節用(生活の倹約)を主張して君主は自ら働くことを主張する墨家に対し、礼儀を軽んじ等しく倹約を奨め、なおかつ働きに応じて身分秩序を区別する原理を軽視することは、是非と治乱の根拠を分からなくさせることである犯罪的立論であると非難する(非十二子篇第六)。
天人の分
編集天論篇では、「天」を自然現象であるとして、従来の天人相関思想(「天」が人間の行為に感応して禍福を降すという思想)を否定した。
「流星も日食も、珍しいだけの自然現象であり、為政者の行動とは無関係だし、吉兆や凶兆などではない。これらを訝るのはよろしいが、畏れるのはよくない」。
「天とは自然現象である。これを崇めて供物を捧げるよりは、研究してこれを利用するほうが良い」。
また祈祷等の超常的効果も否定している。
「雨乞いの儀式をしたら雨が降った。これは別に何ということもない。雨乞いをせずに雨が降るのと同じである」。
「為政者は、占いの儀式をして重要な決定をする。これは別に占いを信じているからではない。無知な民を信じさせるために占いを利用しているだけのことである」。
後世への影響
編集
中国・秦漢代
編集荀子の弟子としては、韓非・李斯・浮丘伯・陳囂・張蒼などが記録に現れる。韓非・李斯は荀子の統治思想を批判的に継承した。韓非・李斯は、外的規範である「礼」の思想をさらに進めて「法」による人間の制御を説き、韓非は法家思想の大成者となり、李斯は法家の実務の完成者となった。ただし、「法家思想」そのものは荀子や韓非の生まれる前から存在しており、荀子の思想から法家思想が誕生した、というのは誤りである。
浮丘伯は漢代に『詩経』の伝承の一である魯詩を伝えた申公の師である。張蒼は漢代初期の丞相であり、『経典釈文叙録』によればその学を荀子に学んだ。荀子の学が漢学に影響したものははなはだ大きく、『詩経』『書経』『春秋』の三学のごときは荀子の伝承に出たものである[4]、荀子の名声は、漢代の儒者において大きかった[5]。
中国・唐代以降
編集唐代に『荀子』を校訂した楊倞は、『孟子』は唐代の君子たちの多くが読んでいるのに『荀子』にはいまだ注釈がなく、テキストが混乱して意味が取れなくなっているので自分が校訂して注釈した、と『荀子』の自序に書いている[6]。つまり、唐代にはすでに『荀子』は『孟子』に比べて読まれなくなっていた。
唐代の韓愈は『原道』で儒学復興を提唱したが、その中で古代の聖人の道統を述べた。堯・舜・禹・湯王・文王・武王・周公の聖人たちが伝えた道は孔子に継がれ、その後に孟子に継がれ、その死後は道が断絶したと評した。そして荀子および漢の揚雄は、「選びて精(くわ)しからず、語詳(つまびら)かならず」(『原道』より)と聖人の道を選んで正しく伝えることができなかったと評したのであった。
この韓愈の評価が、後の宋代儒学の道統の標準となり、孟子の後に現れた荀子は排斥される道を辿った。北宋の蘇軾は『荀卿論』を著して、王安石を暗に批判するために荀子を取り上げ、弟子の李斯の過ちが師の荀子に由来すると批判した。その後の中国思想を支配した朱子学においては、荀子は四書の一である『中庸』『孟子』を書いた子思・孟子を批判し、孟子の性善説を否定して性悪説を説く異端として、遠ざけられてしまった。孔子廟では、北宋神宗の時代から、孟子より下位の脇役として揚雄・韓愈とともに従祀されたが、明嘉靖帝の時代にやはり異端として排除された[7]。
清代に考証学が盛んになると、『荀子』も先秦の古文献として研究されるようになり、汪中らに再評価された。清末には王先謙が『荀子集解』を著した。
日本・江戸時代
編集
江戸時代、荀子に一定の評価を与えたのは、荻生徂徠で、徂徠は「荀子は子・孟(子思と孟子)の忠臣なり」と言い、彼の言うところによれば荀子は子思や孟子の理論的過ちを正した忠臣といえる存在であり、荀子のほうが孔子が伝えようとした先王の道(子思・孟子の言う儒家者流の倫理ではなく、先王が制定した礼楽刑政の統治制度)をよく叙述していた。徂徠は『読荀子』で『荀子』の初期注釈を行った。
江戸後期の『荀子』研究成果では、久保愛(久保筑水)が、師の片山世璠(片山兼山)を継ぎ『荀子増注』を著した。その他、冢田大峯・猪飼敬所・桃白鹿・萩原大麓・古屋昔陽らの研究がある[9][10]。
江戸時代を通じ日本儒学の主流は朱子学、あるいはそれに対抗した陽明学であり、いずれも孔子・孟子は評価したが、荀子への評価は高いとはいえなかった。久保愛も『荀子増注序』においてこの書を天下で知る者は少ない、と嘆いている。
中国・現代
編集新出文献との関係
編集日本語訳・注解
編集- 『荀子 上』金谷治(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1961年6月。ISBN 4-00-332081-6。読み下しと現代語訳。
- 『荀子 下』金谷治(訳)、岩波書店〈岩波文庫〉、1962年4月。ISBN 4-00-332082-4。度々再刊
- 『荀子』沢田多喜男、小野四平(訳)、中央公論新社〈中公クラシックス〉、2001年5月。ISBN 4-12-160005-3。町田三郎解説、抄訳版・新書。
- 湯浅邦弘(編)『荀子 中国の古典 ビギナーズ・クラシックス』角川学芸出版〈角川ソフィア文庫〉、2020年1月。ISBN 4-04-400546-X。抄訳版・文庫。
- 『荀子 上』藤井専(訳)、明治書院〈新釈漢文大系5〉、1966年10月。ISBN 4-625-57005-0。原文・読み下し・訳注解説が揃った大著。
- 『荀子 下』藤井専(訳)、明治書院〈新釈漢文大系6〉、1969年6月。ISBN 4-625-57006-9。
- 『荀子』藤井専(訳)、明治書院〈新書漢文大系25〉、2004年1月。ISBN 4-625-66334-2。井ノ口哲也編、抄訳版・新書。
- 『荀子 上・下』 金谷治・佐川修・町田三郎訳著、集英社〈全釈漢文大系7・8〉、1973-74年、再版1981年。原文・読み下し・訳注解説が揃った大著。
- 『中国の古典 8 荀子 上・下』 戸川芳郎・大島晃ほか訳注、学習研究社、1986年
脚注
編集- ↑ 『史記』孟子・荀卿列伝につけられた司馬貞『史記索隠』によると、漢の宣帝の諱である「詢」を避けたもの。
- ↑
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:荀卿新書十二卷三十二篇 - ↑ 重澤俊郎『周漢思想研究』大空社、1998年2月。ISBN 4-7568-0577-9。
- ↑ 服部 宇之吉『荀子解題』漢文叢書、有朋堂書店、1923年8月18日。
- ↑ 楊倞(著)、山世璠、久保愛、土屋型(編)『荀子増注』須原屋茂兵衛 等、1825年。NCID BB18274889。
- ↑ 『荀子注序』
- ↑ 黄進興著、工藤卓司訳「荀子――孔子廟従祀の欠席者」『孔子廟と帝国――国家権力と宗教 黄進興著作選集(二)』東方書店、2020年、ISBN 9784497220189。195f頁。
- ↑ NDLJP:2546260/2
- ↑ 藤川正数『荀子注釋史上における邦儒の活動 正篇』風間書房、1980年。ISBN 978-4-7599-0523-6。
- ↑ 周振鶴 [中国語版]「文化史における和刻本漢籍の意義 (PDF)」『東西学術研究所紀要』45巻、2012年、9頁。
- ↑ 竹内実(著)「現代中国における古典の再評価とその流れ」『中国の古典名著・総解説』(自由國民社、2001年6月、ISBN 4-426-60208-4)
- ↑ 「中国の支配者・習近平が引用する奇妙な古典」ジセダイ、2015年4月23日。2019年7月17日閲覧。
- ↑ Ryan Mitchell, The Diplomat. "Is 'China's Machiavelli' Now Its Most Important Political Philosopher?". The Diplomat. January 16, 2015
- ↑ "Leader Taps into Chinese Classics in Seeking to Cement Power". The New York Times. 12 October 2014.
- ↑ “China’s New Legalism,” The National Interest, Number 143, May-June 2016,
- ↑ “A Déjà Vu? The Social Credit System and fajia (Legalism)”. verfassungsblog. 28 June 2019. 2019年7月17日閲覧.
- ↑ 近藤浩之、西信康「先秦~秦漢代 (特集 学界時評)」『中国研究集刊』(56号)、大阪大学中国学会、2013年、9–12頁。doi:10.18910/58716。
- ↑ 橋本敬司「明治以降の『荀子』研究史 : 性説・天人論」『広島大学大学院文学研究科論集』69巻(2号)、広島大学大学院文学研究科、2009年。NAID 120002723271。40頁。
- ↑ 西山尚志「諸子百家はどう展開したか」『地下からの贈り物 新出土資料が語るいにしえの中国』中国出土資料学会、東方書店、2014年、93頁。ISBN 978-4497214119
関連項目
編集外部リンク
編集- 『荀子』 - コトバンク
- 『荀子』全文 - 中国哲学書電子化計画
- Xunzi - スタンフォード哲学百科事典「荀子」の項目。
