總願寺
埼玉県加須市にある真言宗智山派の寺院
總願寺(そうがんじ)は、埼玉県加須市にある真言宗智山派の寺院である。山号は玉嶹山(ぎょくとうさん)。本尊は智証大師(智證大師)作と伝わる不動明王。関東三十六不動霊場の一つ(第30番)であり、開運、商売繁盛、火防を守護とする。
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不動堂 | |
| 所在地 | 埼玉県加須市不動岡2-9-18 |
| 位置 | 北緯36度08分06.9秒 東経139度35分07.1秒 / 北緯36.135250度 東経139.585306度座標: 北緯36度08分06.9秒 東経139度35分07.1秒 / 北緯36.135250度 東経139.585306度 |
| 山号 | 玉嶹山[1] |
| 院号 | 不動院 |
| 宗旨 | 新義真言宗[1] |
| 宗派 | 真言宗智山派 |
| 本尊 | 不動明王 |
| 創建年 | 1616年(元和2年) |
| 開山 | 宥智[1] |
| 開基 | 總願上人 |
| 正式名 | 玉嶹山 不動院 總願寺 |
| 別称 | 不動ヶ岡不動尊 |
| 札所等 | 関東三十六不動 第30番 |
| 法人番号 | 2030005005114 |
歴史
編集- 仁和2年(886年)第58代光孝天皇は自身の重病を治すため、智証大師(智證大師)に対し不動明王に祈願するよう命じた。その結果重病が回復したため、天皇は大師に不動明王像を作るよう命じた[2]。初冬に像後紫宸殿に安置される。以降、歴代天皇の御守護仏となった[2]。
- ある時、殿上人の1人が不動明王像の剣を盗もうとした。すると不動明王は堂守の夢枕に立ってそのことを告げた。不動明王を守るために堂守は像を背負い、自分の故郷の武州吉見領へ逃れた。その後、仮堂をその地に建てて像を安置した[2]。
- 長暦3年(1039年)荒川流域で大洪水が起こり、武州吉見領一帯もその災禍にあった折に、不動明王像は流失した。その後武州羽生領岡古井村に流れ着き、それを見つけた村人が拾い上げるが、その瞬間地震が起こる[3]。立て続けに起こった天変地異を、勝手に像を拾い上げたことに対する不動明王の怒りと思った村人は、元の場所へ返すよう、不動明王を再び川に流した[4]。
- 数日後、武州羽生領岡村で村人が利根川(会の川)の中洲に引っかかっていた不動明王像を拾い上げた。その後、お堂(不動堂)を建て像を安置した[5]。のちに不動尊信仰の繁栄に伴い、岡村は不動岡村に改名した[2]。
- 元和2年(1616年)に總願上人によって開基された。
- 明和8年(1771年)12月14日、火災により本堂、客殿、堂塔、庫裡などが焼失した[2]。
- 安永6年(1777年)3月、本堂、庫裡などの再建を行う[6]。
- 天保14年(1843年)9月、現在の本堂(不動堂)が建立された[7]。
- 明治16年(1883年)總願寺付近から出火した火災により、仁王門及び黒門が焼失した[7]。
- 明治23年(1890年)仁王門を信徒の浄財を得て再建する[7]。
境内
編集文化財
編集行事
編集交通
編集脚注
編集- 1 2 3 新編武蔵風土記稿 不動岡村.
- 1 2 3 4 5 『調査報告書第九集 加須市の神社・寺院』埼玉県加須市、1983年3月30日、54頁。
- ↑ 『羽生•行田•加須 歴史周訪ヒストリア』まつやま書房、2015年12月14日、226頁。
- ↑ 『羽生•行田•加須 歴史周訪ヒストリア』まつやま書房、2015年12月14日、227頁。
- ↑ 『羽生•行田•加須 歴史周訪ヒストリア』まつやま書房、2015年12月14日、228頁。
- ↑ 『調査報告書第九集 加須市の神社・寺院』埼玉県加須市、1983年3月30日、54−55頁。
- 1 2 3 『調査報告書第九集 加須市の神社・寺院』埼玉県加須市、1983年3月30日、55頁。
- ↑ 伊藤大仁『東武線歴史散歩』鷹書房、1988年6月15日、94-95頁。
- ↑ 坂田英昭、野本誠一、前田伴一『さきたま文庫・59 玉儔山總願寺』株式会社さきたま出版会、2003年2月3日、25−27頁。
関連項目
編集参考文献
編集外部リンク
編集- 不動ヶ岡不動尊 總願寺公式ホームページ
- 不動ヶ岡不動尊總願寺節分会 - 加須市ホームページ
- 令和3年不動ヶ岡不動尊總願寺節分会 - 世界とつながる、かぞちゃんねる(加須市公式アカウント)
- 「総願寺の節分祭(加須市)」 - サイタマどうが(埼玉県公式アカウント)