松田 毅一(まつだ きいち、1921年大正10年)5月1日 - 1997年平成9年)5月18日)は、日本歴史学者[1]。専門は、戦国時代から江戸時代初期の日欧交渉史、特にポルトガルスペインとの関係史。京都外国語大学名誉教授。香川県高松市出身、大阪市育ち。

松田 毅一
(まつだ きいち)
人物情報
生誕 1921年大正10年)5月1日
日本の旗 日本香川県高松市
死没 (1997-05-18) 1997年5月18日(76歳没)
日本の旗 日本
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 上智大学
学問
時代 昭和時代中期 - 平成時代前期
活動地域 日本の旗 日本スペインの旗 スペインドイツの旗 ドイツ日本の旗 日本
研究機関 日本の旗 日本関西学院大学
スペインの旗 スペインナバラ大学
日本の旗 日本清泉女子大学
日本の旗 日本京都外国語大学
ドイツの旗 ドイツケルン大学
日本の旗 日本・京都外国語大学
称号 文学博士1969年
主な業績 日欧交渉史
主な受賞歴 C.O.ドン・エンリケ王子勲章(1969年
菊池寛賞1981年
毎日出版文化賞(1981年)
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人物

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1921年(大正10年)5月1日 、松田操一、栄の長男として高松市に出生。同郷の伯父である林毅陸自ら、毅の一字をとって「毅一」と命名した[2]。翌年、大阪に移り、主に住吉区天王寺町に居住した。

天王寺師範附属小学校5、6年生の時代に地図旅行という宿題が出たときのこと、各人地図の上で1週間の旅行を試み、地図や時刻表、写真、絵を見て想像して苦斗しながら友人が書き上げる中で、締切り発表になり先生が講評したところ、松田少年の原稿は 5、60枚になっていた。子どもの頃から大らかに天衣無縫でとび抜けていた[3]

1936年(昭和11年)7月 天王寺中学校(旧制) 3年生の夏休みに3週間、単身にて台湾全島を、ついで翌12年3月、8日間の旅程で沖縄を訪れる。この時の旅行記は林毅陸や天王寺中学校校長等の序文を得て自費出版で本にした。

1939年(昭和14年)上智大学へ進学し、歴史学や外国語の学習に努める一方、キリシタン研究所会員となり、学徒動員による離脱までの間に、既に約20の論文・小稿・翻訳を投稿している[4]

1943年(昭和18年)12月学徒動員により陸軍入隊、広瀬隊(第三中隊)第二区隊(入校時、48名)に属し、1945年(昭和20年)3月小隊長として中支に駐留しルソン島へ向かう途中、九死に一生を得て上海へと留まった。ルソン島へ派遣された第二区隊の生存確認者は2名であった[5]

終戦後、高校教諭として勤務したが 1959年(昭和34年)研究に専念するために依願退職し、その後は大学に身をおいて、ヨーロッパ各地(ポルトガルスペインバチカン等)やフィリピンマカオ等の文書館に保存されている日本関係史料の発見・翻訳・紹介に取り組み、また多数の著書論文を発表して日本における上記分野の研究の進展に貢献する一方、こうした研究成果の一般市民への啓発普及、関係諸国との学術文化交流にも尽力した。

清泉女子大学教授時代に、非常勤講師として横浜国立大学スペイン語講義をおこない、沢木耕太郎も授業を受けている[6]

今上陛下、皇后様の皇太子殿下、妃殿下時代に、昭和48年、昭和59年の2回、東宮御所において「日本・イスパニア交渉史」「ポルトガルにおける日本関係の資料と史跡」についてご進講[7]することができた。この時の記念写真を机の横に飾られて大切にされた。昭和61年、皇太子殿下、同妃殿下より、スペイン国王女エレーナ殿下歓迎の茶会に、妻 茂子同伴にて、東宮御所にお招きを受けている[8]

このほか語録・周囲の人が伝えるエピソードに次のようなものがある。

  • 「私は、原稿依頼を電話で受けたらすぐ書きはじめ、正式依頼がくる頃には原稿が編集者の手元に届いている」[9]
  • 「幼児期の子どもを背におぶわれて、読書や執筆に打ち込まれる姿。研究の時間を確保すべく全ての職を決然投げ打って、日も夜もなく学問に没頭される時の話。4時間睡眠をその後もずっと通されたこと。まさに研究の鬼としか言いようがない。」[10]
  • 「松田先生のゼミは面白かった。教室にいながら、天正少年使節の足跡をたどり、アジアからヨーロッパまでを旅をする。発見した古文書をひもといていく様子は、ミステリー小説さながら、胸躍らせて聞き入ったものだった。「もっと本を読みなさい。研究することは山ほどあります。」」「旅行でバチカンやスペインのオリーブ畑の丘にたたずむ時、少年使節を語る松田先生の熱のこもったお姿が目に浮かぶ。いい授業だったとしみじみ思う。」[11]

学歴・職歴

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  • 1939年(昭和14年)4月 - 上智大学入学
  • 1941年(昭和16年)3月 - 上智大学予科修了
  • 1941年(昭和16年)4月 - 上智大学文学部ドイツ文学科入学
  • 1942年(昭和17年)2月 - アテネ・フランセ入学
  • 1942年(昭和17年)4月 - 上智大学大学院史学科(新設)転科
  • 1942年(昭和17年)7月 - アテネ・フランセ初等本科修業
  • 1943年(昭和18年)1月 - アテネ・フランセ中等予備科修業
  • 1943年(昭和18年)9月 - アテネ・フランセ中等科中退(入隊のため)
  • 1943年(昭和18年)9月 - 慶應義塾外国語学校イスパニア語学科卒業
  • 1943年(昭和18年)12月 - 学徒動員により歩兵第三七連隊(大阪)に入隊
  • 1944年(昭和19年)5月 - 仙台陸軍予備士官学校入学(十一期生)
  • 1944年(昭和19年)9月 - 上智大学文学部史学科卒業
  • 1944年(昭和19年)9月 - 仙台陸軍予備士官学校より転属
  • 1944年(昭和19年)9月 - 中部軍教育隊(福知山)入隊
  • 1944年(昭和19年)12月 - 中部軍教育隊卒業、見習士官
  • 1945年(昭和20年)8月 - 予備役陸軍少尉任官
  • 1945年(昭和20年)9月 - 召集解除
  • 1947年(昭和22年) - 上智大学大学院史学研究生修了
  • 1967年(昭和42年) - 立教大学より文学博士の学位を取得。学位論文名「パードレ・ルイス・フロイス文書の研究」

教歴

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受賞・叙勲

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出版・完結に対して)

著作

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単著

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  • 台湾沖縄の旅』(学校印刷出版部、1937年)
  • 『ヨーロッパ人の瀬戸内海往来記』(中央出版社、1947年)
  • 『輝く都の使徒―オルガンチーノ神父小伝』(ドン・ボスコ社、1947年)
  • 『きりしたん大名大友宗麟』(中央出版社、1947年)
  • 『聖フランシスコ・サヴィエル 日本の使徒』(中央出版社、1947年)
  • 『メンデス・ピント日本物語』(ドン・ボスコ社、1948年)
  • 『近畿キリシタン史話』(中央出版社、1949年)
  • 『キリシタン研究 第一部四国篇』(創元社、1953年)
  • 大村純忠伝』(大村純忠公伝記刊行会、1955年)
  • 『河内キリシタンの研究』(八尾郷土史料刊行会、1957年)
  • 『じゃぱのろじい行脚』(私家版・自費出版、1962年)
  • 『日葡交渉史 ―大村純忠公受洗四〇〇年祈念出版― 』(教文館、1963年)
  • 『在南欧日本関係文書採訪録』(養徳社、1964年)
  • 『南蛮史料の発見 よみがえる信長時代』(中公新書、1964年)
  • 『天正少年使節』(角川書店角川新書〉、1965年)
  • 『The Relation between Portugal and Japan』(J.I.U and C.E.H.U(Portugal)、1965年)
  • 『太閤と外交―秀吉晩年の風貌』(桃源社、1966年)
  • 『近世初期日本関係南蛮史料の研究』(風間書房、1967年)
  • 『南蛮巡礼』(朝日新聞社、1967年、中公文庫、1981年) 
  • 『慶長使節―日本人初の太平洋横断』(新人物往来社、1969年)
  • 『キリシタン―史実と美術』(淡交社、1969年)
  • 『南蛮文化』(アルプス、1970年) 
  • 『南蛮のバテレン―東西交渉史の問題をさぐる』(日本放送出版協会NHKブックス〉、1970年)
  • 『大村純忠公と長崎甚左衛門 : 長崎開港四百年記念』(親和銀行済美会、1970年)
  • 『天正の少年使節』(小峰書店、1970年、偕成社文庫、1980年)、児童出版 ※松田 翠鳳(すうほう)名義
    • 『天正の少年使節(テープ録音)』(日本キリスト教奉仕用テープライブラリー、1977年)
  • 『江戸・南蛮・東京』(読売新聞社、1971年)
  • 『ふたつの使節』(日本放送出版協会〈NHKブックスジュニア〉、1972年)、児童出版
  • 『秀吉の南蛮外交―サン・フェリーペ号事件』(新人物往来社、1972年)
  • 『黄金のゴア盛衰記―欧亜の接点を訪ねて』(中央公論社、1974年、中公文庫、1977年) 
  • 『南蛮遍路』(読売新聞社、1975年)
  • 『南蛮の世界』(東海大学出版会東海大学文化選書〉、1975年)
  • 『キリシタン研究 第二部 論攷篇』 (風間書房、1975年)
  • 『史譚 天正遣欧使節』(講談社、1977年)
  • 『大村純忠伝 付・日葡交渉小史』(教文館、1978年)
  • 『キリシタン時代を歩く』(中央公論社、1981年7月)
  • 『西洋との出会い 南蛮太閤記』(大阪書籍「朝日カルチャーブックス」(上・下) 1982年6月)
    • 『南蛮太閤記』(朝日文庫、1991年)、講義録
  • 『南蛮人の日本発見』(中央公論社、1982年11月)
  • 『渡欧日記 昭和三十四・五年』(同朋舎出版、1987年2月)
  • 『わたしの旅路 六十年』(文藝春秋、1987年3月)、研究自伝
  • 伊達政宗の遣欧使節』(新人物往来社、1987年9月)
  • 『日欧のかけはし 南蛮学の窓から』(思文閣出版、1990年9月)
以下は増訂再刊
  • 『南蛮遍路 フロイス研究回顧録』(朝文社 1991年7月)、著作選集 2002年12月
  • 『南蛮のバテレン』(朝文社 1991年7月、新装版1993年8月)、著作選集、2001年9月
  • 『天正遣欧使節』(朝文社 1991年12月)、著作選集 2001年9月 + 2008年1月
  • ヴァリニャーノとキリシタン宗門』[12](朝文社 1992年3月)、著作選集 2003年3月 + 2008年4月
  • 豊臣秀吉と南蛮人』(朝文社 1992年5月)、著作選集 2001年12月
  • 慶長遣欧使節 徳川家康と南蛮人』(朝文社、1992年6月)、著作選集、2002年12月
  • 『江戸南蛮東京 南蛮文化の源流をもとめて』(朝文社、2009年5月)、紀行文集

共編著

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翻訳

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  • ヨハネス・ラウレス『きりしたん史入門』(エンデルレ書店、1947年)
  • ヨハネス・ラウレス『織田信長とキリスト教』(中央出版社、1947年)
  • ヨハネス・ラウレス『高山右近の生涯―日本初期基督教史』(エンデルレ書店、1948年)
  • ヨハネス・ラウレス『高山右近の研究と史料』(六興出版社、1949年)
  • ヴァリニャーノ 『日本巡察記』「東西交渉旅行記全集 第5巻」[13]桃源社、1965年)
  • 『回想の織田信長 フロイス「日本史」より』(川崎桃太共編訳、中公新書、1973年/中公文庫、2020年)
  • 『秀吉と文禄の役 フロイス「日本史」より』(川崎桃太共編訳、中公新書、1974年)
  • ルイス・フロイス 『日本史』(川崎桃太共訳、中央公論社(全12巻)、1977年 - 1980年、普及版:1981年 - 1982年)
  • パブロ・パステルス『16-17世紀 日本・スペイン交渉史』(大修館書店、1994年)

その他

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  • 『日本関係イエズス会原文書 京都外国語大学付属図書館所蔵』(同朋舎、1987年)、責任編集
  • 監訳『十六・七世紀イエズス会日本報告集』(全15巻、同朋舎、1987年 - 1998年)
  • 『南蛮学の発見 松田毅一先生の追悼と足跡』(松田毅一先生を偲ぶ会、思文閣出版、1997年11月)- 追悼文集+年譜・書誌

脚注

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  1. 『南蛮学の発見』松田毅一 履歴・業績譜 1997.
  2. 『南蛮学の発見』1997, p. 47,124.
  3. 『南蛮学の発見』1997, p. 197.
  4. 『南蛮学の発見』1997, p. 319-320.
  5. 『南蛮学の発見』1997, p. 200-201.
  6. 沢木耕太郎『旅する力 深夜特急ノート』新潮社。追悼出版『南蛮学の発見』は沢木による序文
  7. 『南蛮学の発見』1997, p. 45.
  8. 『南蛮学の発見』1997, p. 293.
  9. 『南蛮学の発見』1997, p. 59.
  10. 『南蛮学の発見』1997, p. 62.
  11. 『南蛮学の発見』1997, p. 241-242.
  12. 訳者解説・研究を増訂
  13. 佐久間正と共編訳、平凡社版は近松洋男が参加