有本恵子
有本恵子(ありもと けいこ、1960年〈昭和35年〉1月12日 - )は、北朝鮮による拉致被害者、政府認定の拉致被害者[1]。
ありもと けいこ 有本 恵子 | |
|---|---|
| 生誕 |
1960年1月12日(66歳) 兵庫県神戸市 |
| 失踪 |
1983年8月 |
| 国籍 |
|
| 親 | 有本明弘、有本嘉代子 |
人物
編集有本家の三女として神戸市長田区に生まれる[2]。子どもの頃よりおとなしく、たいへん手のかからない子であったという[2]。神戸市外国語大学を卒業後、両親や姉たちの反対を押し切り、1982年4月からロンドンで1年間の語学留学をしたが、1983年(昭和58年)8月頃、「よど号事件」のハイジャック犯の妻であった八尾恵に声をかけられ、北朝鮮に拉致された[2][3][4]。当時23歳だった。
有本は同年6月頃に日本へ帰国する予定の電報を実家に送っている。その後、コペンハーゲンで仕事が見つかったので帰国が8月になるという電報を送った[3]。ところが帰国予定日になっても有本は帰国せず、心配した家族が航空会社に搭乗者リストについて問い合わせたところ、有本の名前はなく、キャンセルしたのも有本本人ではないという返答だった。有本の家族によれば、彼女の留学が終わる直前、一番下の妹がロンドンで会ってきたら帰り支度をしていたという[5]。当時ヨーロッパで仕事を得ようとしている有本について、ホームステイ先のイギリス人夫妻は「ケイコの英語は仕事するには不十分」と考えていたが、八尾は「市場調査の仕事がある。いろんな外国に行けるよ」と有本に持ち掛け、「そんなうまい話があるはずない。その女性に会わせなさい」というイギリス人夫妻の忠告も有本には届かなかった[4]。同年10月、貿易関係の仕事をしているなどという内容のはがきが2通家族に届き、その後、消息は途絶えた[3][注釈 1]。
失踪から数年経った1988年9月、恵子の両親は、北海道の石岡と名乗る人物から、恵子が自分の息子(石岡亨)とともに北朝鮮にいるということを知らされる。というのも、石岡の家族のもとにポーランド消印のエアメールが届いており、それは「石岡・有本をふくむヨーロッパで失踪した3人の日本人は北朝鮮への長期滞在を余儀なくされたが、厳しい経済事情の当地での長期の生活は苦しく、特に衣服と教育、書籍について困窮している」旨の内容であったためである[3][4][注釈 2]。
この件を知った恵子の両親は、石岡と松木の家族とともに、外務省や警察機関に相談をしたが、その際、外務省より「表面化すると、3人の命に保障がないので公表しないように」と助言されたという[7][注釈 3]。「北朝鮮が拉致した日本人」(『コリア・タブーを解く』収載。初出は『諸君!』1991年3月号)のなかで西岡力は、「もしそれが事実なら、日朝国交交渉が始まるかなり前の時点で、外務省は『北朝鮮という国は日本人を自分の意思に反して国内にとどめておき、そのことを家族が日本で公表すると、その日本人の命に危害を加えかねない国だ』という認識を持っていたことになる」として外務省の姿勢に疑念を呈し、「そのような国に対して、なぜ国民の税金を使って経済協力やコメ支援をしなければならないのか、日本政府は当然その疑問に答えるべきだろう」との見解を示している[7]。
彼女の拉致について、「産経新聞」1991年1月7日夕刊で「10年前欧州で蒸発の3日本人、『北朝鮮にいる』と手紙、自分の意思で行っていない?」、『週刊文春』1991年1月7日号では「日本人学生3人ヨーロッパで謎の失踪。そして北朝鮮から手紙が」などと報じられた[3]。
事件については、「よど号」ハイジャック犯の柴田泰弘の妻にさせられた八尾恵が、2002年3月12日、東京地方裁判所において「私がロンドンにいる有本恵子さんを騙して北朝鮮に連れていきました」と証言した[8]。八尾の供述などにより、警視庁によって拉致被害者として認定された[9][注釈 4]。
八尾はまた、「よど号」メンバーと訣別し、同年6月に文藝春秋より自著『謝罪します』を出版し、そのなかで「私が有本恵子さんを誘拐しました」と証言した[11]。さらに有本の両親に実際に土下座もしている[5][注釈 5]。八尾の犯罪については、同年3月20日の参議院外交防衛委員会で漆間巌警察庁警備局長が「我々としてはまだ時効になっていないものとして捜査を進めております」と答弁している[8]。しかしながら、八尾本人は起訴も検挙もされていない。この警察の対応については、2013年(平成25年)の第183回国会では有田芳生参議院議員より質問書が提出され[8]、2014年の第186回国会の衆議院予算委員会において三宅博が言及する[12]など批判や指摘がされている。
警視庁公安部は「よど号」犯人の魚本公博を国際手配し、北朝鮮に対し所在の確認と身柄の引き渡しを要求している。
北朝鮮側の説明
編集八尾恵の証言
編集脚注
編集注釈
編集- ↑ 共同通信記者の斎藤茂男は1988年8月12日の『朝日ジャーナル』誌で自ら担当していた「メディア時評」に八尾恵の言い分をうのみにした文章を発表。「この女スパイ騒ぎ、もしかすると一方で北朝鮮バッシングに、他方で『だから国家秘密法は必要だ』の世論誘導に有効、と深読みした人が筋書きを作ったのだろうか」と記した。八尾本人も1989年に「北朝鮮のスパイとデッチアゲられた。違法捜査を許さない! 没収した旅券も返してほしい」として国に対して裁判を起こした。浅野健一率いる「人権と報道連絡会」などが八尾の救援にかかわったものの、実は「よど号」グループの一味だったことが判明し、支援者の多くは愕然としたという。
- ↑ 『コリア・タブーを解く』「北朝鮮が拉致した日本人」(1991年1月)のなかで西岡力は、「教育、教育面での本が極端に少」いことに困るという文面から、もし、自分たちが何かを学ぶための本が必要というのならば「学習」ということばを使うはずであり、失踪した3人は北朝鮮で何かを教える立場、すなわち工作員の日本人化教育を担当させられたのではないかと推測している[6]。また、海外で失踪した彼らはパスポートを所持しており、北朝鮮としては偽造パスポートの材料提供者とするねらいがあったとも考察している[6]。
- ↑ 政治家にも相談したが、日本社会党委員長だった兵庫県選出議員の土井たか子をふくめ、だれも取り合ってくれなかったという[4]。
- ↑ それまで日本政府は、拉致被害の認定について、情況証拠などから、「本人の意思に反して連れていかれた」と言えることが必要で、有本以前に認定された10名は「いろいろ関係者の証言とかいうものからその本人が意思に反して連れていかれた疑いがあるということを裏づけるものを得た」ことで認定に至ったのだと説明されていた。しかし有本については、失踪の発生が海外であったことなどから、認定に足りる状況証拠などが足りないため、認定に至っていない、とされていた。しかし、有本が認定される以前の日朝交渉のなかでは、日本政府から有本について言及していた[10]。
- ↑ このとき、有本恵子の両親は、八尾に対し、きわめて優しく対応した[5]。
- ↑ 有本の両親は、2003年の小泉純一郎首相訪朝の際、福田康夫官房長官より「恵子さんはお亡くなりになっています」と告げられている[4]。一度は絶望したものの、北朝鮮が精神病で死んだと遺骨を提供してきた横田めぐみについてはDNA鑑定から別人の遺骨であることなどが判明したため、北朝鮮の報告は虚偽だと確信するにいたったという[4]。
出典
編集- ↑ “政府認定の拉致被害者”. 外務省. 2021年5月16日閲覧。
- 1 2 3 有本恵子さんの思い出 - 救う会(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)
- 1 2 3 4 5 西岡(1997)pp.2-4
- 1 2 3 4 5 6 「有本恵子さん」の母親、嘉代子さん逝去 優しかった「八尾恵」への対応 1(『デイリー新潮』2020年2月11日掲載)
- 1 2 3 「有本恵子さん」の母親、嘉代子さん逝去 優しかった「八尾恵」への対応 2(『デイリー新潮』2020年2月11日掲載)
- 1 2 西岡(1997)pp.11-12
- 1 2 西岡(1997)pp.19-20
- 1 2 3 第183回国会(常会) 「日本国内に在住する拉致実行犯に関する質問主意書」
- ↑ 第154回国会 参議院 予算委員会 平成14年3月12日 会議録
- ↑ 第153回国会 参議院 内閣委員会 平成13年10月30日 会議録
- ↑ 八尾(2002)
- ↑ 第186回国会 衆議院 予算委員会 第8号 平成26年2月14日
- ↑ “01_政府は制裁発動決断を!”. 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会 (2004年11月16日). 2022年1月1日閲覧。
参考文献
編集- 西岡力『コリア・タブーを解く』亜紀書房、1997年2月。ISBN 4-7505-9703-1。
- 八尾恵『謝罪します』文藝春秋、2002年6月。ISBN 978-4-16-358790-5。
関連項目
編集外部リンク
編集- “拉致被害者ご家族ビデオメッセージ~必ず取り戻す! 愛する家族へ/有本恵子さんの御家族メッセージ”. 北朝鮮による日本人拉致問題. 政府 拉致問題対策本部. 2021年12月15日閲覧。
- 日本国政府 北朝鮮による日本人拉致問題
- 救う会 : 北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会