仁王門通 (京都市)
仁王門通(におうもんどおり[2])は、京都府京都市左京区の東西の通りの一つ。鴨川東岸に位置し、西は川端通から、東は白川通との交差点から南東に進み蹴上交差点で三条通と合流する。全長約1.7km[3]。
概要
編集三条通の蹴上交差点から東大路通までは2車線の広い道で三条通のバイパスとして機能している[4]。南禅寺橋から東大路通の東側までの間、琵琶湖疏水を隔てた北には岡崎の文化施設の並ぶ一角がある。東大路通から川端通までは西行一方通行の狭い道で住商混在の通りである。
歴史
編集宝永5年(1708年)3月の「宝永の大火」による公家町の拡張による民家・寺院の移転により、当地には二条川東(にじょうかわひがし)と呼ばれる区画が拓かれた[5]。仁王門通もその時におよそ現在の川端通から東大路通の間に開かれたと考えられる[6]。
仁王門通の名称は、宝永の大火以前から同地にある、沿道の頂妙寺(寛文13年(1673年)に現在の京都御苑内の高倉下立売から移転[5])の仁王門に由来する[7]。なお『京都坊目誌』では仁王門通の名称を岡崎法勝寺の門に行き当たることによるとするが、法勝寺復元図による西大門は仁王門通の位置とはかなりのずれがあることから、名称の由来は頂妙寺の仁王門によるものとされる[5]。
明治に入り、琵琶湖疏水の岡崎運河の南側に京都電気鉄道の鴨東線(狭軌路線)が明治28年(1895年)に通じた。同線は後に明治40年(1907年)蹴上インクラインの南側に沿って三条通まで通じることになった。京都電気鉄道は大正7年(1918年)に京都市に買収され京都市電となった。
東大路通の東側から東側は約28mと幅員が広く、これは明治45年(1912年)に京都市電の東山線が通り、以降延長されたことによる[6]。大正15年(1926年)には東山仁王門から東に進み、広軌軌道に改軌した路線(京都市電蹴上線)により蹴上まで通じた。蹴上線は、1945年に休止となり、1965年に正式に廃止された。
鴨川東岸の南北の通り
編集沿道の主な施設
編集交差する道路など
編集公共交通
編集脚注
編集- ↑ らくたび 編『京都の道はややこしい』光文社、2015年、3頁。ISBN 978-4-334-78684-7。
- ↑ 京都市内の通りの名称は、道路標識では例外として「○○通り」と送り仮名をつける表記を採用するが、送り仮名「り」のつかない「○○通」が本来の表記である[1]。(→「京都市内の通り#表記の差異」参照)[*]
- ↑ 『京都の大路小路』 (1994), pp. 264–265, 「仁王門通」
- ↑ この区間の道幅が広いのは、かつて京都市電蹴上線(1945年休止、1965年正式廃止)が通っていたためである。
- 1 2 3 『京都市の地名』 (1979), p. 175.
- 1 2 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 1066, 「仁王門通」.
- ↑ 『京都の大路小路』 (1994), pp. 264–265, 「仁王門通」.
- 1 2 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 142, 「新丸太町通 新麩屋町通」.
- 1 2 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 143, 「新車屋町通 新富小路通」.
- 1 2 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 144, 「新東洞院通 新柳馬場通」.
- 1 2 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 145, 「新間之町通 新堺町通」.
- ↑ 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 147, 「新高倉通」.
- ↑ 『続・京都の大路小路』 (1995), p. 146, 「西寺町通」.
- ↑ “京都市バス・地下鉄路線図(路線図面)2024年6月1日改訂版”. 2025年2月22日閲覧。