宋忠
宋 忠(そう ちゅう、生没年不詳)は、中国後漢末期の学者。字は仲子。荊州南陽郡の人。「宋衷」とも表記される。
| 宋忠 | |
|---|---|
| 後漢 | |
| 出生 |
生年不詳 荊州南陽郡 |
| 拼音 | Sòng Zhōng |
| 字 | 仲子 |
| 別名 | 別名:宋衷 |
| 主君 | 劉表→劉琮→曹操 |
正史の事跡
編集荊州を支配した劉表の招請に応じ、儒者として教鞭をとった。また、かねてから親交のあった蜀郡太守の王商へ、許靖に教えを請うよう勧める手紙を送っている。劉表の死後は引き続き劉琮に仕えた。
それから間もなく、劉琮は曹操に降伏を申し入れたが、客将の劉備には黙っていた。しかし、隠し通すのも限界となり、宋忠は劉琮の命令でこの旨を劉備に伝えることになった。事の次第を聞いた劉備は驚き怒り、剣を抜いて宋忠に突きつけ「貴様を殺すのは容易いが、貴様のような輩を殺すのは大丈夫の恥だ」と言い捨て、宋忠を追い払った。
その後は劉琮に従って曹操に降った。
宋忠には子(名は不詳)がいたが、建安24年(219年)の魏諷の反乱に加担して処刑された。父の宋忠が健在であれば、連座による処分を受けていた可能性があるが詳細は不明である。