十両

大相撲における番付の名称

十両(じゅうりょう)は、大相撲番付の1つ。正式名称は十枚目(じゅうまいめ)。大相撲で6つある番付上の階級のうち、幕内に次ぐ上から2番目の階級である(幕内・十両幕下三段目序二段序ノ口)。

呼称・由来

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江戸時代にはこの地位は存在せず、幕内の下の地位がすなわち「幕下」であった。1888年明治21年)春場所、給与制度の導入に伴い、幕下の上位10枚目以内の力士に場所毎に給与を支給したことにより創設された。このことから、正式な名称を「十枚目」といい、かつては十両優勝の表彰式などでは「十枚目」の呼称を使っていた。しかし「十枚目二枚目」のように表現する煩わしさを避けるため、当時の年俸にちなみ「十両」の名で呼ばれることが一般的であり、現在の表彰式や本場所の場内アナウンス、日本相撲協会公式ホームページ、館内の勝敗電光掲示板、NHK中継テロップなどは全て「十両」で統一されている。明治時代の資料では、「幕下上」との呼び名が見られる。

十両と幕下の歴史的な枚数の扱い

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十両と幕下の枚数の扱いについては、現在では十両と幕下をそれぞれ別の階級として、十両で筆頭・2枚目・3枚目…という風に十両最下位まで枚数を付け、幕下でも筆頭・2枚目・3枚目…という風に幕下最下位まで枚数を付ける。しかし、歴史的に見れば、番付表記上十両が創設された(十両と現在でいう幕下が分離され、十両が現在でいう幕下より大きく太い文字で書かれるようになった)1888年(明治21年)以降も、大正の頃までは、番付表の上から2段目の十両と現在でいう幕下を通して「幕下」として枚数を数える方式が一般的であった。すなわち次の表のように数えられていた[1]

1911年(明治44年)6月場所まで(十両10枚):

現代の方式 当時の方式
十両筆頭幕下筆頭
十両2枚目幕下2枚目
十両3枚目幕下3枚目
十両9枚目幕下9枚目
十両10枚目幕下10枚目
幕下筆頭幕下11枚目
幕下2枚目幕下12枚目

1912年(明治45年)1月場所から1926年(大正15年)1月場所まで(十両15枚):

現代の方式 当時の方式
十両筆頭幕下筆頭
十両2枚目幕下2枚目
十両3枚目幕下3枚目
十両14枚目幕下14枚目
十両15枚目幕下15枚目
幕下筆頭幕下16枚目
幕下2枚目幕下17枚目

特徴

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十両以上の力士は、真の意味でのプロの力士である関取として扱われる。

十両の番付上の表記は、歴史的に幕下上位から発生したため幕下とともに上から2段目に書かれているが、十両の方が太く大きい字で書かれ、十両の地位表示は1人ずつ「前頭」と書かれている。

十両昇進のうち、初めての十両昇進を「新十両」、二度目以降の十両昇進を「返り十両」あるいは「再十両」と呼ぶ。

元々が幕下の地位における上位10枚目までの立場であることの名残から、「関取」と呼ばれる地位の中では唯一、幕内(前頭以上の地位)と区別される独立した存在であり、幕下以下の各段と同様に「十両」という個別の枠組の中での対戦が原則となっている。また、優勝についても幕内とは区別されており、同じく幕下以下の格段と同様に十両枠で独立している。

待遇

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十両に昇進することは力士として一人前になった証とされ、幕下以下の力士養成員と違って[注 1]比較的高額の給料をもらえる(2019年現在の基本給は月110万円で年収は1711万7500円[2]であり、関取力士褒賞金なども受け取れる)ほか、大部屋の集団生活から解放されて個室に住むことを許され、食事や風呂の順番も優先となり、公の場では紋付の正装を許され、日常生活では付け人の世話を受けられるなど、あらゆる面で大きく優遇され、十両と幕下では天と地ほどに待遇が違うとも言われるほどである。横綱や大関も含めて大相撲の関取が引退する時、「相撲人生の中で最も嬉しかったことは?」と聞かれて、ほぼ全員が「十両になれた時」と答えるのもそのためである。

一方で、新十両の力士は私物の新調など様々な準備が必要となるため、番付編成会議で十両昇進が決まった力士には(再昇進も含めて)すぐに昇進決定の通知が行われる。ただし、これはあくまでも力士本人や部屋の用意に配慮した「内示」であり、正式に十両の待遇となるのは新番付発表以降である[注 2]

本場所では控の席で共用の紫一色の座布団を使用する(幕内力士は私物の座布団)。また夏場でも場所入りの際は羽織[注 3]の着用が義務付けられる(幕内力士は、四股名や柄を染め抜いた「染め抜き」と呼ばれる着物が着用できるうえ、染め抜き着用であれば場所入りは羽織も不要)。

地位幕内(横綱 - 前頭)十両幕下三段目序二段序ノ口
大銀杏 丁髷
(十両との対戦時および弓取式、巡業中の初切出演、床山の練習台、引退時の断髪式の際は大銀杏容認)
紋付羽織袴 着物・羽織(外套・襟巻も着用可) 着物・羽織 着物(浴衣もしくはウール)
博多帯 ベンベルグ
番傘蛇の目傘 洋傘
履物 足袋雪駄(畳敷き) 足袋に雪駄(エナメル製) 素足に雪駄(エナメル製) 素足に下駄
稽古廻し 白色・木綿 黒色・木綿
取り廻し 博多織繻子(規定上、色は現在も取的と同じく黒色と定められているが、事実上自由) 黒色・木綿(稽古廻しをそのまま使用)
下がり 取り廻しの共布 紐(のり付けされていない柔らかい物で、色は自由)
足袋の色
控えの敷物 私物の座布団(色・デザインは自由) 共用の座布団(紫一色) 畳に直座(幕下上位五番および十両との対戦時は十両と同じ座布団)
月ごとの収入 月額給与 なし(自身が付き人を担当している関取などから「小遣い」の名目で個人的に些少を貰う程度)
場所ごとの収入 力士褒賞金 場所手当・奨励金

取組

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本場所では15日間毎日取組が組まれる。

本場所の取組は原則十両同士であるが、休場などにより幕内の出場力士が奇数になった場合などには幕内力士と、関取全体の出場力士が奇数になった場合などには幕下力士と対戦することがある。休場が多くなると複数の繰り上げ取組が行われ、特に終盤にはいわゆる「入れ替え戦」が多く行われる。これにちなんで、筆頭力士を「貧乏神」「瀬切り」と称すことがある[注 4]

十両の最後の一番(中入り前最後の一番)は「中跳ね(ちゅうばね)」と呼ばれ、幕内取組のうち一方または両方が小結以上である場合と同様、行司及び呼出の呼び上げが二声となる。これは大正期まで幕内取組が中入りの前後に分かれ、それぞれに横綱や大関の取組があった名残である。

定員

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定員は、創設時は名称通り、東西10人ずつの計20人であった。大正期以降はそれよりも多い人数で上下するようになった。2026年3月現在、定員は14枚28人(2004年1月場所以降)。史上最多人数(枚数)は1958年1月場所から11月場所における24枚48人である。

優勝

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優勝賞金は200万円。

十両では力士間の実力が拮抗している上に、幕内力士との対戦が組まれることもあるため、全勝力士は極端に少なく、全勝優勝経験者(1963年11月場所)の北の富士勝昭が2006年3月場所に自身以来43年ぶりとなる全勝優勝を果たした把瑠都を讃えて贈呈した賞金は俗に「北の富士賞」とも呼ばれた。過去には9勝6敗の十両優勝が出たこともある[注 5]

引退後

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引退に際し、関取を通算30場所(1998年5月以前の規定では連続20場所または通算25場所)務めた力士は(幕内を経験していなくても)年寄を襲名する資格がある。部屋を継承する場合に限り関取通算20場所以上で資格を得る。2025年9月場所終了時点で、最高位が十両の年寄は参与(再雇用)である熊ヶ谷(元十両4・大竜)のみ、最高位が十両で年寄襲名条件を満たしているのは白鷹山(最高位:十両3)のみである。

戦後以降、最高位が十両で年寄を襲名したのは以下の11名である。

四股名 年寄変遷 最高位 在職期間 離脱理由
大平山圭四郎 山科 十両4 1948年5月 - 1975年12月 停年(定年)
八幡野平八郎 谷川 十両5 1949年1月 - 1977年5月 廃業
泉州山久義 千田川 十両2 1950年12月 - 1969年1月 廃業
信濃川藤四郎 間垣 十両10格[注 6] 1951年9月 - 1958年9月 廃業
大達信太郎 芝田山陣幕 十両8 1953年9月 - 1981年4月 死去
一錦周之助 安治川友綱 十両7 1953年9月 - 1989年5月 停年(定年)
松緑貢兵衛 湊→片男波尾車 十両5 1957年1月 - 1962年11月 廃業
豊ノ花光義 荒汐 十両5 1957年1月 - 1986年6月 死去
森ノ里信義 尾上 十両10 1957年3月 - 1962年3月 廃業
大竜忠博 大嶽佐ノ山山響二子山→大嶽→熊ヶ谷 十両4 1997年7月 - 2025年9月 停年(定年)→再雇用
2025年9月 -
金親和憲 宮城野→熊ヶ谷 十両2 2004年8月 - 2015年10月 懲戒解雇

1958年(昭和33年)から年6場所制採用により前年の1957年(昭和32年)12月に年寄襲名基準が「十両連続20場所または通算25場所」と厳格化されたことや、昭和後期からの年寄株不足による年寄株問題の影響もあり1997年(平成9年)に大竜忠博が15代大嶽を襲名するまでの約40年間、最高位が十両の新規襲名者は現れなかった[注 7]

1961年(昭和36年)1月1日の定年制実施後、最高位が十両の年寄で65歳の停年(定年)を迎えたのは、伊勢錦清(8代清見潟、1967年2月)、常陽山正治(9代稲川、1968年1月)、陸奥錦秀二郎(12代玉ノ井、1971年1月)、大平山圭四郎(10代山科、1975年12月)、一錦周之助(9代友綱、1989年5月)、大竜忠博(18代熊ヶ谷、2025年9月)の6名である。

このほか最高位が十両の力士は、引退するとき適格と認められれば、若者頭世話人になって相撲協会に残ることもできる。

昇進・陥落要件

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十両に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではないが、関取については目安として、勝ち越し、負け越しの点数(勝数と、負数・休みの合計の差)と同じ枚数だけ番付が上下する。十両と幕下の入れ替え人数は十両力士の星取が主な判断要素となるが、現行内規では幕下15枚目以内で全勝すれば、優先的に十両に昇進させる扱いをしている。

前相撲から全勝を続けた場合、幕下通過には2場所かかると考えられていたため、番付外・序ノ口・序二段・三段目の各1場所と合わせて十両昇進は最短6場所で可能である、と長らく言われていた。実際、初土俵から十両昇進までの最短記録は6場所である(板井圭介土佐豊祐哉常幸龍貴之炎鵬晃)。しかし2010年ごろから力士数の減少にともなってその分昇進する地位も繰り上がるようになり、2011年9月場所では一度十両に昇進した後、故障で番付外まで転落していた北勝国英明が前相撲から5場所での十両再昇進を果たした[注 8]。なお初土俵(前相撲)から5場所で十両に昇進したケースはまだないが、常幸龍、炎鵬のケースでは5場所目の地位がそれぞれ東幕下15枚目と西幕下14枚目で、7戦全勝すれば5場所での十両昇進が濃厚であった。

2000年9月から2023年9月まで、幕下付出の場合は、10枚目格・15枚目格共に、7戦全勝することで1場所での十両昇進が可能だった。2023年1月場所で落合哲也が15枚目格で7戦全勝をし、翌3月場所の新十両を決めた。しかし、15枚目格で7戦全勝を果たした下田圭将(2006年5月場所)は、十両からの陥落力士が少なく十両昇進はならず、翌場所は西幕下筆頭だった[注 9]。2000年までの制度の60枚目格付出の時代には、輪島博長岡末広武双山正士雅山哲士の4人が2場所での十両昇進を果たしている。

大関経験者が関脇以下に陥落後、幕内から十両に陥落することが確定的となった場合は、慣例的に引退するケースが殆どであったが、近年では大関経験者が現役中に十両以下に陥落するケースが増えてきている。

記録

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在位場所数

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  • 2026年5月場所現在
  • 太字は現役力士
順位十両在位四股名最高位
1位55場所大潮憲司小結
蜂矢敏行前頭6
3位54場所栃勇義治前頭7
4位53場所英乃海拓也前頭6
5位51場所大文字研二前頭5
朝登俊光前頭2
7位50場所大竜川一男前頭1
東龍強前頭11
9位48場所北桜英敏前頭9
10位47場所大旺吉伸前頭4
魄龍弘十両1
  • 瓊ノ浦(のちの両國梶之助)は春秋園事件の影響で東幕下3枚目から西前頭7枚目に抜擢され、引退まで十両に陥落したことがない。このため、昭和以降の幕内力士では唯一の十両在位皆無という珍記録を残した。

勝数・負数記録

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当然ながら在位場所数の長さとの相関性がある。

十両で最も多くの白星を挙げた力士は大潮の436勝、栃勇及び蜂矢の399勝がこれに次ぐ。幕内在位歴がない力士に限定すると魄龍の334勝が最多である。

十両で最も多くの黒星を喫した力士は蜂矢の426敗、栃勇の404敗・英乃海の394敗がこれに次ぐ。幕内在位歴がない力士に限定するとやはり魄龍の371敗が最多である。

2026年5月場所時点で、十両在位歴がありながら在位中の勝利が0の力士は以下の4人である。

  • 1940年5月場所の小役丸は新十両場所を左踵の怪我の為に8日目(布引に負け)のみを出場し、9日目の不戦敗以降再出場せず0勝2敗13休。幕下陥落直後に応召し、復員することなく廃業した。
  • 1942年1月場所の錦竜は新十両場所を全休し、同場所をもって廃業したため、関取在位歴がありながら1回も関取として本場所に出場せずに廃業した史上初の力士とされる。
  • 1965年5月場所の楠ノ海は新十両場所を膝の怪我により全休し、再十両の機会もなく廃業したため、戦後に関取在位歴がありながら1回も関取として本場所に出場せずに廃業した唯一の力士とされる。
  • 2020年9月場所の王輝は新十両場所を怪我により精彩を欠く相撲が続き15戦全敗となった。新十両場所での皆勤全敗は史上初めてである。以降は幕下以下に在位し続けたが、2024年5月場所をもって引退した。

連勝記録

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十両在位中の連勝記録はほとんど残っていないが、栃ノ心は全勝優勝を達成する前の場所は終盤4連勝で取り終えたため、19連勝の記録を残している。

連敗記録

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十両での全敗は年6場所制以後、過去に8人いる。1960年の双ツ龍は9月場所10日目から11月場所千秋楽まで21連敗を記録し、年6場所制での関取連敗記録となっている。

新十両成績

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順位四股名成績最高位
1位遠藤聖大14勝1敗◎小結
草野直哉14勝1敗◎前頭筆頭
3位栃乃洋泰一13勝2敗◎関脇
市原孝行13勝2敗前頭13枚目
千代大龍秀政13勝2敗◎小結
尊富士弥輝也13勝2敗◎前頭4枚目
阿武剋一弘13勝2敗前頭3枚目
朝白龍太郎13勝2敗◎前頭8枚目
藤凌駕雅治13勝2敗◎前頭17枚目
10位大翔山直樹12勝3敗◎前頭2枚目
若ノ城宗彦12勝3敗◎前頭6枚目
時津海正博12勝3敗◎前頭3枚目
金開山龍12勝3敗◎前頭6枚目
雅山哲士12勝3敗◎大関
把瑠都凱斗12勝3敗大関
栃ノ心剛史12勝3敗◎大関
翔天狼大士12勝3敗◎前頭2枚目
勢翔太12勝3敗◎関脇
照ノ富士春雄12勝3敗◎横綱
友風勇太12勝3敗◎前頭3枚目
湘南乃海桃太郎12勝3敗前頭5枚目
大の里泰輝12勝3敗横綱
  • 2026年5月場所現在。
  • 太字の力士は、2026年5月場所現在、現役力士である。
  • ◎の成績は、新十両優勝を指している。

優勝回数

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全勝優勝

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十両は人数が少ないため、優勝争いで混戦になることが多い。幕内では10勝5敗での優勝は過去に例が無く、11勝4敗でも過去に4回しか例が無い[注 10]が、十両では10勝5敗や11勝4敗が優勝者の最高成績となることが頻繁にある。2001年7月場所では9勝6敗での優勝が記録され、あまりにも成績が低過ぎるとして理事会で優勝無しが検討されたほどである。故に十両は15戦全勝を達成することが極めて困難な地位として知られる。後述のように、関取の1場所15日制が定着する以前にも十両での全勝優勝を経験した者は数人居るが、これは現在よりも取組数が少ないために達成が比較的容易だったという要素もある。

2026年3月場所終了時点で15戦全勝を達成した力士は下表の5人であり、全勝優勝を達成した力士は最終的に全員が大関以上の地位に昇進している。

達成した力士達成した場所最高位
栃光正之 1955年3月場所大関
豊山勝男 1961年11月場所大関
北の富士勝昭 1963年11月場所横綱
把瑠都凱斗 2006年3月場所大関
栃ノ心剛史 2014年9月場所大関

連続優勝

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十両は枚数が少ない関係上、十両優勝力士が翌場所に幕内に昇進するケースの方が、十両に据え置かれるケースよりも多い。そのため、十両での連覇発生は、1回目の優勝の際に中位~下位に在位していた・優勝のレベルが低かった・幕内昇進枠に対し十両の(優勝力士以外の)好成績者が多かったなど、偶然性にも左右される。1909年6月場所に優勝制度が導入されて以降、十両で連覇を経験した力士は以下の21名である。1場所目の太字は当場所が新十両だったケースである。

2場所連続の十両全勝優勝及び3場所連続の十両優勝は過去に例が無い。また、関取の1場所15日制定着以降に連覇を達成した力士の中で1場所目もしくは2場所目のいずれかで全勝優勝を達成しているのは栃ノ心剛ただ1人である。

なお、上述しているように、十両は枚数が少ない関係もあり、優勝した場合は十両据え置きよりも幕内昇進となる場合が多いため、1場所目で全勝優勝を達成した場合は番付(枚数)に関係なく幕内昇進がほぼ確実となるため、1場所15日制が定着している現在は2場所連続全勝優勝はまず不可能であると考えられる。

四股名 1場所目 2場所目
場所 地位 成績 場所 地位 成績
阿久津川 大正8年1月 西十両9 5戦全勝 大正8年5月 東十両1 7勝2敗
幡瀬川 昭和2年5月 東十両8 6戦全勝 昭和2年10月 東十両1 9勝2敗
和歌嶋 昭和3年5月 東十両7 9勝2敗 昭和3年10月 東十両7[注 11] 10勝1敗
清水川 昭和4年3月 東十両12 10勝1敗 昭和4年5月 西十両1 11戦全勝
駿河海 昭和17年1月 西十両14 13勝2敗 昭和17年5月 西十両1 14勝1敗
千代ノ山 昭和19年11月 西十両13 8勝2敗 昭和20年6月 東十両2 6勝1敗
國登 昭和22年11月 東十両10 10勝1敗 昭和23年5月 西十両1 9勝2敗
金剛 昭和45年5月 東十両11 12勝3敗 昭和45年7月 西十両3 12勝3敗
播竜山 昭和49年11月 東十両11 10勝5敗 昭和50年1月 東十両2 11勝4敗
鷲羽山 昭和53年5月 東十両6 11勝4敗 昭和53年7月 東十両1 10勝5敗
鳳凰 昭和58年9月 東十両9 13勝2敗 昭和58年11月 西十両1 11勝4敗
小錦 昭和59年3月 西十両10 13勝2敗 昭和59年5月 東十両2 11勝4敗
久島海 平成元年3月 西十両12 11勝4敗 平成元年5月 東十両3 10勝5敗
益荒雄 平成2年1月 西十両7 12勝3敗 平成2年3月 東十両2 10勝5敗
雅山 平成10年11月 西十両11 12勝3敗 平成11年1月 西十両1 14勝1敗
小城錦 平成11年11月 東十両5 11勝4敗 平成12年1月 東十両2 13勝2敗
若の里 平成12年5月 東十両11 12勝3敗 平成12年7月 東十両1 13勝2敗
翔天狼 平成20年11月 西十両9 12勝3敗 平成21年1月 東十両1 11勝4敗
妙義龍 平成23年7月 西十両12 11勝4敗 平成23年9月 東十両3 13勝2敗
栃ノ心 平成26年7月 東十両12 13勝2敗 平成26年9月 西十両5 15戦全勝
志摩ノ海 平成31年1月 東十両11 13勝2敗 平成31年3月 東十両1 13勝2敗
草野 令和7年3月 西十両14 14勝1敗 令和7年5月 西十両1 13勝2敗

歴代優勝力士(昭和60年以降)

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場所地位四股名成績回数備考
1985年昭和60年)1月西7寺尾節男12勝3敗1
1985年(昭和60年)3月西4玉龍大蔵12勝3敗1
1985年(昭和60年)5月3寺尾節男12勝3敗2
1985年(昭和60年)7月4益荒雄広生10勝5敗1三杉磯拓也榛名富士新司との優勝決定戦を制す。
1985年(昭和60年)9月4薩洲洋康貴10勝5敗1飛騨乃花成栄との優勝決定戦を制す。
1985年(昭和60年)11月東11若瀬川剛充10勝5敗2益荒雄広生・栃司哲史との優勝決定戦を制す。
1986年(昭和61年)1月4水戸泉政人11勝4敗1栃纒勇光との優勝決定戦を制す。
1986年(昭和61年)3月西4益荒雄広生11勝4敗2
1986年(昭和61年)5月西8竹葉山真邦11勝4敗1
1986年(昭和61年)7月西12三杉里公似11勝4敗1鳳凰倶往との優勝決定戦を制す。
1986年(昭和61年)9月8騏乃嵐和稔12勝3敗1
1986年(昭和61年)11月西3栃乃和歌清隆10勝5敗1竹葉山真邦小林山秀昭との優勝決定戦を制す。
1987年(昭和62年)1月4栃纒勇光10勝5敗1小林山秀昭との優勝決定戦を制す。
1987年(昭和62年)3月7隆三杉貴士13勝2敗1
1987年(昭和62年)5月西11大乃花武虎11勝4敗1
1987年(昭和62年)7月西7舛田山靖仁11勝4敗136歳3か月での優勝は史上最年長。
1987年(昭和62年)9月西9大乃花武虎13勝2敗2
1987年(昭和62年)11月西7鳳凰倶往12勝3敗4
1988年(昭和63年)1月4安芸ノ島勝巳12勝3敗1
1988年(昭和63年)3月西1若瀬川剛充13勝2敗3
1988年(昭和63年)5月西13秀ノ花行秀11勝4敗1琴富士孝也との優勝決定戦を制す。
1988年(昭和63年)7月3多賀竜昇司10勝5敗1佐賀昇博旭道山和泰との優勝決定戦を制す。
1988年(昭和63年)9月5貴ノ浜真二11勝4敗1
1988年(昭和63年)11月西13益荒雄広生11勝4敗3
1989年平成元年)1月西5栃司哲史11勝4敗1
1989年(平成元年)3月西12久島海啓太11勝4敗1琴錦功宗との優勝決定戦を制す。
1989年(平成元年)5月3久島海啓太10勝5敗2駒不動大助大徹忠晃旭豪山和泰維新力浩司との優勝決定戦を制す。
1989年(平成元年)7月2栃司哲史12勝3敗2
1989年(平成元年)9月9龍興山一人10勝5敗1維新力浩司・大徹忠晃との優勝決定戦を制す。
1989年(平成元年)11月西6小城ノ花昭和13勝2敗1
1990年(平成2年)1月西7益荒雄宏夫12勝3敗4
1990年(平成2年)3月2益荒雄宏夫10勝5敗5星岩涛祐二との優勝決定戦を制す。
1990年(平成2年)5月西11大翔山直樹12勝3敗1
1990年(平成2年)7月2若花田勝12勝3敗1
1990年(平成2年)9月西2小城ノ花昭和11勝4敗2琴の若實哉との優勝決定戦を制す。
1990年(平成2年)11月西9大輝煌正人11勝4敗1
1991年(平成3年)1月9両国梶之助12勝3敗1小城ノ花昭和との優勝決定戦を制す。
1991年(平成3年)3月西9旭豪山和泰11勝4敗1
1991年(平成3年)5月2大翔鳳昌巳11勝4敗1
1991年(平成3年)7月東11武蔵丸光洋11勝4敗1
1991年(平成3年)9月5大善徳夫12勝3敗1貴ノ浪貞博との優勝決定戦を制す。
1991年(平成3年)11月9大岳宗正10勝5敗1立洸熊五郎若翔洋俊一常の山勝正との優勝決定戦を制す。
1992年(平成4年)1月2豊ノ海真二12勝3敗2
1992年(平成4年)3月8恵那櫻徹11勝4敗1
1992年(平成4年)5月6琴ヶ梅剛史11勝4敗1
1992年(平成4年)7月西1若翔洋俊一11勝4敗1琴稲妻佳弘との優勝決定戦を制す。
1992年(平成4年)9月西5琴別府要平12勝3敗1
1992年(平成4年)11月東12駒不動大助11勝4敗1
1993年(平成5年)1月4蒼樹山秀樹11勝4敗1
1993年(平成5年)3月西2時津洋宏典11勝4敗1
1993年(平成5年)5月8湊富士孝行12勝3敗1
1993年(平成5年)7月6立洸熊五郎12勝3敗1
1993年(平成5年)9月西3濱ノ嶋啓志11勝4敗1
1993年(平成5年)11月西4朝乃若武彦11勝4敗1琴椿克之との優勝決定戦を制す。
1994年(平成6年)1月6浪ノ花和博11勝4敗1
1994年(平成6年)3月西11敷島盛12勝3敗1
1994年(平成6年)5月西3小城ノ花昭和12勝3敗3
1994年(平成6年)7月東10立洸熊五郎12勝3敗2
1994年(平成6年)9月西1浪乃花教天10勝5敗2
1994年(平成6年)11月東13土佐ノ海敏生11勝4敗1若翔洋俊一との優勝決定戦を制す。
1995年(平成7年)1月2旭豊勝照11勝4敗1土佐ノ敏生・巴富士俊英との優勝決定戦を制す。
1995年(平成7年)3月1時津洋宏典10勝5敗2敷島盛との優勝決定戦を制す。
1995年(平成7年)5月1土佐ノ海敏生14勝1敗2
1995年(平成7年)7月東13旭鷲山昇10勝5敗1
1995年(平成7年)9月西13若ノ城宗彦12勝3敗1
1995年(平成7年)11月西9和歌乃山洋11勝4敗1大飛翔誠志との優勝決定戦を制す。
1996年(平成8年)1月9力櫻猛10勝5敗1若隼人幸治との優勝決定戦を制す。
1996年(平成8年)3月西8旭鷲山昇11勝4敗2彩豪一義との優勝決定戦を制す。
1996年(平成8年)5月西3力櫻猛12勝3敗2
1996年(平成8年)7月5大善尊太11勝4敗2若翔洋俊一との優勝決定戦を制す。
1996年(平成8年)9月西3栃東大裕12勝3敗1
1996年(平成8年)11月西13栃乃洋泰一13勝2敗1
1997年(平成9年)1月2出島武春12勝3敗1
1997年(平成9年)3月9千代大海龍二11勝4敗1
1997年(平成9年)5月西13時津海正博12勝3敗1
1997年(平成9年)7月1千代大海龍二11勝4敗2
1997年(平成9年)9月西8小城乃花昭和12勝3敗4
1997年(平成9年)11月東12若の里忍10勝5敗1須佐の湖善誉との優勝決定戦を制す。
1998年(平成10年)1月西13金開山龍12勝3敗1
1998年(平成10年)3月9久島海啓太12勝3敗3闘牙進との優勝決定戦を制す。
1998年(平成10年)5月西9大碇剛10勝5敗1出羽嵐大輔大至伸行との優勝決定戦を制す。
1998年(平成10年)7月6安芸ノ州法光12勝3敗1
1998年(平成10年)9月8千代天山大八郎12勝3敗1
1998年(平成10年)11月西11雅山哲士12勝3敗1
1999年(平成11年)1月西1雅山哲士14勝1敗2
1999年(平成11年)3月西2大善尊太12勝3敗3
1999年(平成11年)5月6皇司信秀11勝4敗1
1999年(平成11年)7月2金開山龍10勝5敗2智乃花伸哉追風海直飛人との優勝決定戦を制す。
1999年(平成11年)9月西8追風海直飛人12勝3敗1
1999年(平成11年)11月5小城錦康年11勝4敗1大碇剛との優勝決定戦を制す。
2000年(平成12年)1月2小城錦康年13勝2敗2
2000年(平成12年)3月西6栃乃花仁13勝2敗1琴光喜啓司戦闘竜扁利との優勝決定戦を制す。
2000年(平成12年)5月東11若の里忍12勝3敗2
2000年(平成12年)7月1若の里忍13勝2敗3
2000年(平成12年)9月4琴光喜啓司14勝1敗1
2000年(平成12年)11月西1金開山龍12勝3敗3
2001年(平成13年)1月1玉ノ洋新12勝3敗1
2001年(平成13年)3月3若孜浩気10勝5敗1闘牙進との優勝決定戦を制す。
2001年(平成13年)5月西1北桜英敏13勝2敗1
2001年(平成13年)7月東12武雄山喬義9勝6敗1貴闘力忠茂濵錦竜郎寺尾常史・戦闘竜扁利・大碇剛・玉力道栄来若兎馬裕三との優勝決定戦を制す。
2001年(平成13年)9月西5蒼樹山秀輝12勝3敗2玉力道栄来との優勝決定戦を制す。
2001年(平成13年)11月3大碇剛11勝4敗2
2002年(平成14年)1月西5高見盛精彦12勝3敗1霜鳥典雄との優勝決定戦を制す。
2002年(平成14年)3月西1琴龍宏央12勝3敗1
2002年(平成14年)5月9岩木山竜太11勝4敗1五城楼勝洋との優勝決定戦を制す。
2002年(平成14年)7月西8潮丸元康13勝2敗1
2002年(平成14年)9月西4玉力道栄来11勝4敗1金開山龍・豊桜嘉人との優勝決定戦を制す。
2002年(平成14年)11月6春日王克昌11勝4敗1
2003年(平成15年)1月西1朝赤龍太郎11勝4敗1武雄山喬義との優勝決定戦を制す。
2003年(平成15年)3月8栃栄篤史10勝5敗1蒼樹山秀樹・濵錦竜郎との優勝決定戦を制す。
2003年(平成15年)5月西7玉春日良二12勝3敗1
2003年(平成15年)7月2垣添徹11勝4敗1
2003年(平成15年)9月5豪風旭13勝2敗1
2003年(平成15年)11月西2黒海太14勝1敗1
2004年(平成16年)1月西6和歌乃山洋11勝4敗2千代天山大八郎露鵬幸生との優勝決定戦を制す。
2004年(平成16年)3月西8白鵬翔12勝3敗1追風海英飛人との優勝決定戦を制す。
2004年(平成16年)5月西10時天空慶晃12勝3敗1
2004年(平成16年)7月3琴欧州勝紀13勝2敗1
2004年(平成16年)9月4安馬公平11勝4敗1五城楼勝洋との優勝決定戦を制す。
2004年(平成16年)11月西13石出祐二12勝3敗1
2005年(平成17年)1月西7皇司信秀12勝3敗2
2005年(平成17年)3月4琴奨菊一弘13勝2敗1
2005年(平成17年)5月2栃栄篤史12勝3敗2
2005年(平成17年)7月西3時津海正博11勝4敗2
2005年(平成17年)9月西1豊ノ島大樹14勝1敗1
2005年(平成17年)11月東13闘牙進12勝3敗1
2006年(平成18年)1月1栃乃洋泰一13勝2敗2
2006年(平成18年)3月東11把瑠都凱斗15戦全勝1
2006年(平成18年)5月西3豊桜保勝10勝5敗1寶智山幸観皇牙都嵯との優勝決定戦を制す。
2006年(平成18年)7月6寶智山幸観13勝2敗1
2006年(平成18年)9月8隆乃若勇紀11勝4敗1豊桜保勝との優勝決定戦を制す。
2006年(平成18年)11月西2十文字昭憲13勝2敗1
2007年(平成19年)1月東14豊響隆太10勝5敗1栃煌山雄一郎・霜鳥典雄との優勝決定戦を制す。
2007年(平成19年)3月4里山浩作12勝3敗1
2007年(平成19年)5月西11把瑠都凱斗14勝1敗2
2007年(平成19年)7月1岩木山竜太12勝3敗2旭天鵬勝豪栄道豪太郎との優勝決定戦を制す。
2007年(平成19年)9月西9把瑠都凱斗13勝2敗3
2007年(平成19年)11月東13境澤賢一13勝2敗1市原孝行との優勝決定戦を制す。
2008年(平成20年)1月西12栃ノ心剛12勝3敗1
2008年(平成20年)3月東14木村山守12勝3敗1
2008年(平成20年)5月東11千代白鵬大樹13勝2敗1
2008年(平成20年)7月8武州山隆士12勝3敗1
2008年(平成20年)9月西6阿覧欧虎12勝3敗1
2008年(平成20年)11月西9翔天狼大士12勝3敗1
2009年(平成21年)1月1翔天狼大士11勝4敗2白馬毅との優勝決定戦を制す。
2009年(平成21年)3月西3豊響隆太12勝3敗2
2009年(平成21年)5月西13玉飛鳥大輔12勝3敗1
2009年(平成21年)7月西6若の里忍14勝1敗4
2009年(平成21年)9月1玉鷲一朗11勝4敗1
2009年(平成21年)11月5北太樹明義10勝5敗1光龍忠晴德瀬川正直との優勝決定戦を制す。
2010年(平成22年)1月東13臥牙丸勝12勝3敗1
2010年(平成22年)3月西4木村山守11勝4敗2光龍忠晴・玉飛鳥大輔との優勝決定戦を制す。
2010年(平成22年)5月西5武州山隆士11勝4敗2
2010年(平成22年)7月西3将司昂親13勝2敗1
2010年(平成22年)9月西1豊ノ島大樹14勝1敗2
2010年(平成22年)11月6魁聖一郎11勝4敗1豊響隆太・栃乃若導大髙安晃との優勝決定戦を制す。
2011年(平成23年)1月2春日王克昌12勝3敗2栃乃若導大との優勝決定戦を制す。
2011年(平成23年)3月八百長問題により開催中止。
2011年(平成23年)5月東12磋牙司洋之13勝2敗1
2011年(平成23年)7月西12妙義龍泰成11勝4敗1舛ノ山大晴との優勝決定戦を制す。
2011年(平成23年)9月3妙義龍泰成13勝2敗2
2011年(平成23年)11月東14勢翔太12勝3敗1
2012年(平成24年)1月西13千代大龍秀政13勝2敗1
2012年(平成24年)3月西7皇風俊司12勝3敗1
2012年(平成24年)5月西2玉飛鳥大輔12勝3敗2
2012年(平成24年)7月東11千代の国憲輝11勝4敗1
2012年(平成24年)9月西3常幸龍貴之11勝4敗1勢翔太との優勝決定戦を制す。
2012年(平成24年)11月西4佐田の富士哲博14勝1敗1
2013年(平成25年)1月東13貴ノ岩義司12勝3敗1
2013年(平成25年)3月2旭秀鵬滉規12勝3敗1東龍強との優勝決定戦を制す。
2013年(平成25年)5月西3琴勇輝一巖13勝2敗1
2013年(平成25年)7月西13遠藤聖大14勝1敗1
2013年(平成25年)9月西11照ノ富士由章12勝3敗1鏡桜南二との優勝決定戦を制す。
2013年(平成25年)11月2千代鳳祐樹13勝2敗1
2014年(平成26年)1月6千代丸一樹13勝2敗1
2014年(平成26年)3月西2豊真将紀行14勝1敗1
2014年(平成26年)5月西10逸ノ城駿11勝4敗1青狼武士・鏡桜南二・琴勇輝一巖との優勝決定戦を制す。
2014年(平成26年)7月東12栃ノ心剛13勝2敗2逸ノ城駿との優勝決定戦を制す。
2014年(平成26年)9月西5栃ノ心剛15戦全勝3
2014年(平成26年)11月1時天空慶晃12勝3敗2
2015年(平成27年)1月3北太樹明義13勝2敗2
2015年(平成27年)3月3富士東和佳12勝3敗1
2015年(平成27年)5月9鏡桜南二12勝3敗1
2015年(平成27年)7月西12御嶽海久司11勝4敗1新十両。
2015年(平成27年)9月西6松鳳山裕也13勝2敗1
2015年(平成27年)11月西5正代直也13勝2敗1
2016年(平成28年)1月西2英乃海拓也11勝4敗1
2016年(平成28年)3月1大砂嵐金崇郎13勝2敗1
2016年(平成28年)5月3千代の国憲輝12勝3敗2
2016年(平成28年)7月西11天風浩二13勝2敗1
2016年(平成28年)9月西6大輝明道12勝3敗1
2016年(平成28年)11月西3佐藤貴信12勝3敗1
2017年(平成29年)1月西2大栄翔勇人12勝3敗1
2017年(平成29年)3月西3豊響隆太10勝5敗3大砂嵐金崇郎・朝乃山英樹との優勝決定戦を制す。
2017年(平成29年)5月4錦木徹也10勝5敗1
2017年(平成29年)7月8大奄美元規11勝4敗1豊山亮太・朝乃山英樹との優勝決定戦を制す。
2017年(平成29年)9月西11阿炎政虎10勝5敗1安美錦竜児・琴勇輝一巖・誉富士歓之との優勝決定戦を制す。
2017年(平成29年)11月西7蒼国来栄吉14勝1敗1
2018年(平成30年)1月1妙義龍泰成10勝5敗3英乃海拓也との優勝決定戦を制す。
2018年(平成30年)3月4佐田の海貴士11勝4敗1明瀬山光彦との優勝決定戦を制す。
2018年(平成30年)5月西1阿武咲奎也12勝3敗1
2018年(平成30年)7月西3貴ノ岩義司13勝2敗2隆の勝伸明との優勝決定戦を制す。
2018年(平成30年)9月東11德勝龍誠11勝4敗1大奄美元規との優勝決定戦を制す。
2018年(平成30年)11月西14友風勇太12勝3敗1新十両。
2019年(平成31年)1月東11志摩ノ海航洋13勝2敗1
2019年(平成31年)3月1志摩ノ海航洋13勝2敗2
2019年(令和元年)5月2貴源治賢13勝2敗1
2019年(令和元年)7月6剣翔桃太郎13勝2敗1
2019年(令和元年)9月西12勢翔太12勝3敗2
2019年(令和元年)11月1東龍強11勝4敗1勢翔太・魁聖一郎・霧馬山鐵雄との優勝決定戦を制す。
2020年(令和2年)1月西13照ノ富士春雄13勝2敗2
2020年(令和2年)3月6琴勝峰吉成12勝3敗1
2020年(令和2年)5月2019年新型コロナウイルス感染症流行により開催中止。
2020年(令和2年)7月1明生力10勝5敗1旭大星託也豊昇龍智勝千代ノ皇王代仁天空海翔馬水戸龍聖之との優勝決定戦を制す。
2020年(令和2年)9月西11千代の国憲輝14勝1敗3
2020年(令和2年)11月2翠富士一成10勝5敗1旭秀鵬滉規との優勝決定戦を制す。
2021年(令和3年)1月8剣翔桃太郎12勝3敗2
2021年(令和3年)3月西9白鷹山亨将11勝4敗1
2021年(令和3年)5月西2宇良和輝12勝3敗1
2021年(令和3年)7月西6水戸龍聖之12勝3敗1
2021年(令和3年)9月5阿炎政虎13勝2敗2
2021年(令和3年)11月西4一山本大生13勝2敗1
2022年(令和4年)1月西2琴勝峰吉成11勝4敗2矢後太規との優勝決定戦を制す。 
2022年(令和4年)3月東13竜電剛至13勝2敗1
2022年(令和4年)5月西6錦富士隆聖11勝4敗1大奄美元規との優勝決定戦を制す。 
2022年(令和4年)7月1竜電剛至12勝3敗2
2022年(令和4年)9月東14栃武蔵陽太11勝4敗1新十両。
2022年(令和4年)11月西12欧勝馬出喜11勝4敗1大奄美元規との優勝決定戦を制す。
2023年(令和5年)1月西12朝乃山広暉14勝1敗1
2023年(令和5年)3月3逸ノ城駿14勝1敗2
2023年(令和5年)5月1豪ノ山登輝14勝1敗1落合哲也との優勝決定戦を制す。十両での14勝以上の決定戦及び、14勝で優勝できなかった例は史上初。
2023年(令和5年)7月西1熱海富士朔太郎11勝4敗1大奄美元規との優勝決定戦を制す。
2023年(令和5年)9月西7一山本大生13勝2敗2
2023年(令和5年)11月西1琴勝峰吉成12勝3敗3大の里泰輝との優勝決定戦を制す。
2024年(令和6年)1月東10尊富士弥輝也13勝2敗1新十両。
2024年(令和6年)3月西2水戸龍聖之12勝3敗2
2024年(令和6年)5月西6若隆景渥14勝1敗1
2024年(令和6年)7月8白熊優太12勝3敗1
2024年(令和6年)9月西11尊富士弥輝也13勝2敗2
2024年(令和6年)11月西1金峰山晴樹12勝3敗1
2025年(令和7年)1月西4獅司大13勝2敗1
2025年(令和7年)3月西14草野直哉14勝1敗1新十両。1977年3月場所の琴乃富士以来、48年ぶりの12日目に優勝決定。[3]
2025年(令和7年)5月西1草野直哉13勝2敗2
2025年(令和7年)7月西11三田大生11勝4敗1
2025年(令和7年)9月西11朝白龍太郎13勝2敗1新十両。
2025年(令和7年)11月西13藤凌駕雅治13勝2敗1新十両。
2026年(令和8年)1月東11若ノ勝栄道12勝3敗1
2026年(令和8年)3月東10出羽ノ龍和希11勝4敗1若ノ勝栄道との優勝決定戦を制す。

十両格行司・十両呼出

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行司・呼出共通事項

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行司呼出のうち、十両(十枚目)に相当する階級の者を十両格行司(十枚目格行司)・十両呼出(十枚目呼出)と呼ぶ。本場所の本割では1日の取組の中で1人につき2番を担当し(裁き・呼び上げ)、十両の取組を担当するほか、行司・呼出の人数と取組の番数の関係で、下位の者は幕下の取組を担当することがある。極端な例では、十両呼出が三段目の取組を呼び上げる例もある[注 12][4]。また十両優勝決定戦も十両格行司・十両呼出が務める。

十両格行司・十両呼出以上の行司・呼出は「有資格者」と呼ばれ、取組の際の場内アナウンスでは基本的に十両格行司・十両呼出以上の行司・呼出のみアナウンスで紹介される。ただし、優勝決定戦では幕下格行司・幕下呼出以下であってもアナウンスで紹介される。

十両格行司

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十両格行司が土俵に上がると、土俵の照明が明るくなる。十両格以上の行司は、兄弟子となり、三段目格以下の行司を付け人として従える。十両格行司の装束の菊綴と軍配の房紐の色は、青白(青は実際には緑色)であり、白足袋履きで、土俵控えまでの入場時は草履を履いているが、土俵入りの時は花道で脱いで行く。本場所では前述のように十両または幕下の取組を担当するほか、十両土俵入りの際の先導行司も務める。

番付表や、場内の観客に配布される取組表では、行司は十両格行司以上かどうかを問わず行司(取組表の場合は出場者)全員が記載される。

十両呼出

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十両呼出への昇格規定は、「勤続15年以上で成績優秀な者、または勤続10年以上15年未満で特に優秀な者」となっている。また十両呼出の定員は8人以内との規定があるが、近年は長年定員オーバーの状態が続いている。

番付表や、場内の観客に配布される取組表では、呼出は十両呼出以上が記載され、幕下呼出以下は記載されない。

現役者

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2026年1月場所番付発表時点で、現役の者は次の表の通りである:

階級名前所属部屋
十両格行司木村行宏玉ノ井
5代式守慎之助片男波松ヶ根/二所ノ関/放駒
木村吉二郎放駒芝田山
木村勘九郎北の湖/山響
木村千鷲出羽海
5代木村善之輔春日野
木村幸三郎中村八角
木村秀朗春日野→千賀ノ浦/常盤山
11代式守与之吉荒汐
階級名前所属部屋
十両呼出邦夫若松高砂
松男松ヶ根/二所ノ関/放駒
弘行峰崎西岩
禄郎押尾川尾車二所ノ関中村
正男花籠峰崎→西岩
荒磯→松ヶ根/二所ノ関/放駒
太助北の湖/山響
重太郎九重
富士夫安治川/伊勢ヶ濱
啓輔放駒芝田山
陽平出羽海
総一二十山→北の湖/山響

脚注

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注釈

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  1. 力士養成員でも場所ごとの収入は受け取れるが、力士養成員の場合は給料ではなく場所手当という名目であり、金額も関取の給料よりも格段に低い。
  2. 一方、同様に番付編成会議直後に発表される新横綱・新大関及び大関復帰者は、昇進の事実が発表されたその日から横綱・大関の待遇を受ける。
  3. 新十両・再十両の力士は袴も。
  4. 幕内力士より給料が安いものの、幕内下位の力士との対戦が多く組まれるため。
  5. 2001年7月場所・武雄山喬義
  6. 1944年1月場所に西幕下9枚目で6勝2敗と勝ち越し十両昇進が確定的になったが場所直後に応召される。以降、終戦後にシベリア抑留から帰参するまで十両格の番付外扱いとなり、1950年5月場所で土俵に復帰した際には番付外の十両10枚目格で相撲を取った。番付上の最高位は翌場所の1950年9月場所の東十両14枚目である。
  7. この間、大戸崎祐慈朗(連続24場所)、白雄山昇(通算37場所)、伊集院大八(通算28場所)、佐賀光健司(通算31場所)、瀧見山延雄(連続21場所)、時浪春樹(連続21場所)、佐久昇染太(通算27場所)、公地次男(通算30場所)、沢風富治(通算40場所)、大蛇川寛(通算25場所)、翠竜輝嘉(連続20場所)、魄龍弘(通算47場所)、維新力浩司(連続20場所)が襲名条件を満たしていた。この中で佐賀光・魄龍は若者頭に、瀧見山は世話人に転じている。
  8. もっとも、この期間は大相撲八百長問題で関取などに大量の欠員が出ていた時期と重なっており、通常よりも番付が上がりやすい状況であったことに留意が必要である。2011年7月場所は西幕下9枚目で5勝2敗と通常では十両に昇進できない成績であった。
  9. 当時、協会は「15枚目格は15枚目以内ではない」趣旨のコメントをしており、実際に15枚格に内規が通用するのかは不明であった。しかし、前述の通り15枚目格付出であった落合が幕下全勝優勝を受けて十両に昇進している事から、スポーツ紙などの報道では、下田のケースについては「十両からの陥落者などの番付運に左右された」見解が有力となっている。19歳落合が新十両昇進!史上最速所要1場所で関取に 28日に引退相撲の元横綱白鵬に朗報届く - 日刊スポーツ 2023年1月15日
  10. 1972年1月場所(栃東知頼)、1996年11月場所(武蔵丸光洋)、2017年9月場所日馬富士公平)、2023年9月場所(貴景勝貴信)の4例。
  11. 1927年東西合併から1932年春秋園事件発生までの間は、東京開催と関西開催を交互に行う年4場所制だったが、現行のように各場所の成績は即翌場所の番付に反映されず、番付の昇降は関西で開催した場所後の2回のみで、直近2場所を合算した成績をもって編成されていたため、十両優勝をしたにもかかわらず、同地位に据え置かれるケースも多々見られた。
  12. 実例としては、新型コロナウイルスによる休場力士が多数出た大相撲令和4年7月場所の千秋楽では、三段目最後の4番に十両呼出の総一陽平が登場した。

出典

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参考文献

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公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』71p