伊丹城
兵庫県伊丹市にあった城
伊丹城(いたみじょう)は、摂津国川辺郡伊丹段丘有岡(現・兵庫県伊丹市)にあった日本の城。別名有岡城(ありおかじょう、在岡城とも)[1]。国の史跡に指定されている。
(兵庫県) | |
|---|---|
|
本丸跡 | |
| 別名 | 有岡城、在岡城 |
| 城郭構造 | 平城 |
| 天守構造 | 不明 |
| 築城主 | 伊丹氏 |
| 築城年 | 南北朝時代 |
| 主な改修者 | 荒木村重 |
| 主な城主 | 伊丹氏、荒木村重、池田之助 |
| 廃城年 | 天正11年(1583年) |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀跡 |
| 指定文化財 | 史跡(国指定) |
| 位置 | 北緯34度46分52.66秒 東経135度25分15.21秒 / 北緯34.7812944度 東経135.4208917度 |
概要
編集城の範囲
編集城の範囲は南北1.7km、東西0.8kmで南北に細長く、本丸は城の東側(現JR伊丹駅付近)に位置し、有岡城跡史跡公園となっている。明治時代の鉄道敷設のため、本丸東側の大半を失っている。防御の要所に3つの砦が配置され、北に「きしの砦」(現猪名野神社付近)、西に「上臈塚砦」(現墨染寺付近)、南に「鵯塚砦」が築かれていた[2]。
総構え(惣構)
編集伊丹城(有岡城)の略史
編集現在確認可能な残存遺構
編集アクセス
編集その他
編集- 黒田孝高(如水・官兵衛)は当城内にあった牢内に1年弱幽閉されていた。
- 信長に反旗を翻し城に籠もっていた城主の村重は、家宝の茶壺(銘:兵庫)を背負い、名鼓「立桐筒」を腰に結わえ、少数の家臣と共に尼崎城(尼崎古城とも呼ばれ、現在の尼崎城趾とは位置が異なる)に移ったという。逃亡という説もあるが、その後有岡城が直ぐに落城しなかったところから、同盟を結んでいた毛利と連絡を図るためとの説がある。残された家臣は戦ったものの内応により落城する。
- 猪名野神社の紋章は村重を従えていた織田家の家紋(織田木瓜)である。
- 城跡南東には「荒村寺」と言う村重の由来を感じさせる寺があり、伊丹城・有岡城で亡くなった人達の慰霊碑がある。
- 城跡南西には「墨染寺」と言う寺があり、謀反後に処刑された荒木家由来の人々の墓がある。
- 天正5年(1577年)にポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが訪れた際に「甚だ壮大にして見事なる城」と記している[6]。
- 伊丹の俳人鬼貫が「古城や茨くろなる蟋蟀(きりぎりす)」という句を残している[6]。
- 廃城後は、在郷町として酒造業と運送業で栄えた[8]。
- JR伊丹駅の西側にあるショッピングモール「アリオ」は有岡城にちなんだ名称である(同名のセブン&アイ系のショッピングモールとは、スペルが同じ「ARIO」であること以外無関係であり、伊丹のアリオの方が先に開業した)。
関連作品
編集脚注
編集- ↑ http://4travel.jp/domestic/area/kinki/hyogo/koshien/itami/hotplace/11290715/
- ↑ 城郭談話会『図説近畿中世城郭事典』
- 1 2 『伊丹の文化財』伊丹市教育委員会、1995年。
- ↑ 「<夢路を追って ~官兵衛と村重~ 摂津⇔姫路>(1)幽閉の城 来訪者迎える「惣構え」」『神戸新聞』2014年5月2日、朝刊、西播、20面。
- ↑ 『日本城郭大系』 第12巻、新人物往来社、1981年、334頁。
- 1 2 3 『有岡城跡の二十年』伊丹市教育委員会、1999年、2頁。
- ↑ 「最古の石垣 伊丹城跡」『読売新聞』1976年7月11日。
- ↑ 大手前女子大学史学研究所『城・町・くらし 有岡城跡・伊丹郷町調査10年の成果から』1996年、3頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 伊丹市ウェブサイト 有岡城跡
- 伊丹市ウェブサイト フロイスも驚いた名城・伊丹城
- 惣構の北端「岸の砦」が置かれていた猪名野神社
- 有岡城(Web版尼崎地域史事典『apedia』)
- 有岡城跡/伊丹市公式ホームページ

