フィル・スペクター

イギリスの音楽プロデューサー、ソングライター、殺人犯 (1940-2021)

ハーヴェイ・フィリップ・スペクター英語: Harvey Phillip Spector1939年12月26日 - 2021年1月16日[5])は、アメリカ音楽プロデューサーである。1960年代から70年代にかけて「ウォール・オブ・サウンド」と称されるプロデュースで、ポピュラー音楽の分野で大きな足跡を残した。

フィル・スペクター
Phil Spector
(1965年)
生誕 ハーヴェイ・フィリップ・スペクター
(1939-12-26) 1939年12月26日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク
死没 (2021-01-16) 2021年1月16日(81歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州フレンチ・キャンプ英語版
死因 新型コロナウイルス感染症による合併症
職業
配偶者
    アネット・メラール
    (結婚 1963年、離婚 1968年)
    [1]
      ロニー・スペクター
      (結婚 1968年、離婚 1974年)
      [1]
        レイチェル・ショート
        (結婚 2006年、離婚 2018年)
        [2]
        子供 5人
        有罪判決 第2級殺人罪
        死者 ラナ・クラークソン英語版
        凶器 コルト・コブラ0.38[3]
        逮捕日
        2003年2月3日
        収監場所 カリフォルニア州立刑務所の薬物中毒治療施設
        音楽家経歴
        ジャンル
        担当楽器
        活動期間 1958年 - 2009年
        レーベル フィレス・レコード英語版
        共同作業者 ザ・テディ・ベアーズ英語版
        公式サイト The Official Phil Spector Site
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        1989年にロックの殿堂入りし、1997年にソングライターの殿堂英語版入りを果たした[6]。2004年にローリング・ストーン誌が発表した「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」では第64位にランクインした[7][8]

        来歴

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        ニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクスにてロシア系アシュケナジムの家庭に生まれた。父の死後にカリフォルニア州ロサンゼルスに移住。10代の頃から音楽活動を始め、ザ・テディ・ベアーズ英語版[9]を結成。「逢った途端にひとめぼれ」が全米1位のヒットとなった。しかし、スペクターはすぐにバンド活動よりも音楽制作の方へと興味が移り、音楽プロデューサーとしての活動を始める。

        1961年にレスター・シル英語版と共にフィレス・レコード英語版(レーベル名は二人の名前 Phil + Les から)を設立。第1弾シングル『ゼアズ・ノー・アザー・ライク・マイ・ベイビー』が全米20位を記録。パリス・シスターズのヒット作を発表した。

        1963年、ザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」がヒット。「レッキング・クルー」と呼ばれた多人数のスタジオ・ミュージシャンを起用し、独特の音響を持つゴールド・スター・スタジオにて録音された大編成のバンドを狭いスタジオで一発録音することで作られた重厚な音は、当時としては非常に斬新なもので「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれ、音楽制作者やミュージシャンに大きな影響を与えた。当時はまだ録音技術が発展途上なために、この手法での録音作業は完成までかなりの時間と労力を要したが、スペクターは偏執的なまでに理想とするサウンド作りにこだわった。また、ステレオ録音が主流となってもモノラルにこだわり続けたところに、偏執ぶりがよく現れている。1963年のアルバム『クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』はクリスマスアルバムの定番として有名であり、クリスマスソングをウォール・オブ・サウンド一色に染めたコンセプト・アルバムであると見る向きもある。

        早い時期からビートルズとは親交があった。スペクターはビートルズの初渡米の際に別の飛行機に搭乗する予定であったが、便を変更してビートルズに同乗した。ポール・マッカートニーはスペクターに「僕らはアメリカで必要とされているだろうか?」と漏らしたという。また、1970年発表のアルバム『レット・イット・ビー』で「ゲット・バック・セッション」の再プロデュースを手がけた。ジョン・レノンジョージ・ハリスンは、ビートルズの解散寸前の散漫なセッション録音集を、一作品として短期間のうちにまとめ上げたスペクターの手腕に感銘を受け、その後もそれぞれのソロ・アルバムでプロデューサーに起用している。しかし、マッカートニーは特に「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」にオーケストラコーラスオーバー・ダビングするなどしたスペクターの再プロデュースを「本人の意向を無視した過剰プロデュース」として強い不満を持ち、憤慨した[10][11]

        2000年のスペクター

        1970年代以降もプロデューサーとして活動していたが、セッション中に対立したラモーンズのメンバー[12]やレノン[13]を銃で脅したり、出来具合に満足しないマスターテープを持って失踪する[14]といった奇行が目立つようになった。また、麻薬を常用するなどして錯乱状態に陥り、1980年にラモーンズのアルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』をプロデュースして以降は第一線から退いた。

        殺人事件

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        スペクターのマグショット(2009年)

        2003年2月、自宅で女優のラナ・クラークソン英語版を射殺した容疑で逮捕される。スペクターはクラークソンが自殺を図ったと主張して容疑を否認し、その後保釈される。2007年9月26日、ロサンゼルス郡地裁の陪審団は、判決を確定できないため評決不能を宣言した。

        2009年4月13日、検察の申し立てを受けた2度目の審理で、ロサンゼルス郡地裁の陪審により、第2級殺人罪で、有罪の評決が出された。 同年5月29日、禁錮19年の判決が言い渡され[15]、カリフォルニア州立刑務所の薬物中毒治療施設に収監されていた[16]

        2013年にアル・パチーノ主演で伝記テレビ映画『フィル・スペクター英語版』が製作され、HBOで放送された[17]

        死去

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        2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の陽性が発覚、その後合併症を発症し、刑務所から移送されて入院したが、翌2021年1月16日に死去した[18][19][20][21]81歳没

        プロデュースしたミュージシャン

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        脚注

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        出典

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        1. 1 2 “Phil Spector’s Ex-Wife Missing”. NBC Los Angeles. 2009年7月20日. 2021年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2025年3月18日閲覧.
        2. Perry, Kevin E G (2024年7月16日). “What happened to Phil Spector? Music producer turned murderer in Netflix’s Homicide: Los Angeles”. The Independent. Independent Digital News and Media. 2024年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2025年3月18日閲覧.
        3. “Woman in Spector murder trial 'killed herself'. The Guardian. Guardian News & Media. 2007年6月27日. 2013年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2025年3月18日閲覧.
        4. 1 2 3 4 Walters, Barry (2021年1月17日). “Phil Spector, Music Producer and Convicted Murderer, Dies at 81”. Billboard. 2025年3月18日閲覧.
        5. フィル・スペクターが獄中で死去 革新的プロデューサーの波乱万丈な人生を振り返る”. Rolling Stone (2021年1月18日). 2025年1月16日閲覧。
        6. Phil Spector profile at”. Songwritershalloffame.org. 2008年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月23日閲覧。
        7. 100 Greatest Artists of All Time”. Rolling Stone. 2006年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月30日閲覧。
        8. Wexler, Jerry. The Immortals: Phil Spector”. Rolling Stone Issue 946. Rolling Stone. 2005年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月23日閲覧。
        9. The Teddy Bears Albums: songs, discography, biography, and listening guide”. Rate Your Music. Sonemic. 2020年11月23日閲覧。
        10. Kreps, Daniel. 'Let It Be' 40 Years Later: A Look Back at the Beatles' Final LP”. Rolling Stone. 2017年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月23日閲覧。
        11. ビートルズの解散と『McCartney』ができるまで【連載:第2回 】”. uDiscover. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2020年11月6日). 2020年11月23日閲覧。
        12. “The Curse of the Ramones”. Rolling Stone: 8. (May 19, 2016).
        13. Pang, May (1983). Loving John. Warner Books
        14. Blaney, John (2005). John Lennon: Listen To This Book. Paper Jukebox. ISBN 0-9544-5281-X
        15. Phil Spector gets 19 years to life for murder of actress”. CNN (2009年5月29日). 2017年7月15日閲覧。
        16. Phil Spector moved to California prison”. CNN (2009年6月24日). 2017年7月15日閲覧。
        17. “殺人罪で服役中、フィル・スペクターの伝記映画公開へ”. Billboard JAPAN. 阪神コンテンツリンク. 2013年2月8日. 2020年11月23日閲覧.
        18. Music Producer Phil Spector Dead at 81」『TMZ』EMH Productions、2021年1月17日。2025年1月16日閲覧。
        19. フィル・スペクター受刑者、獄中で死亡 米音楽プロデューサー”. AFP🔵BB News (2021年1月18日). 2025年1月16日閲覧。
        20. Phil Spector, Famed Music Producer and Convicted Murderer, Dies at 81”. ニューヨーク・タイムズ (2021年1月17日). 2025年1月16日閲覧。
        21. Pスペクター受刑者はコロナ死と米各紙が報じる」『日刊スポーツ』2021年1月18日。2025年1月16日閲覧。

        関連項目

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        外部リンク

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