ジョン・ニュートン
ジョン・ニュートン(John Newton、1725年8月4日 - 1807年12月21日)は、イギリスの海軍兵士から奴隷商人を経て牧師となった人物であり、賛美歌「アメイジング・グレイス」の作詞者として知られている。

経歴
編集生い立ち
編集奴隷貿易に従事
編集関税職員~牧師へ
編集1755年30歳で奴隷貿易の仕事を辞めリヴァプールの関税職員になる。ロンドンでジョージ・ホウィットフィールド、ジョン・ウェスレーと関わり、影響を受け牧師になるための勉強を始める。
1758年チェスターの主教がニュートンの英国聖公会の聖職叙任を拒否する。1764年に第2代ダートマス伯爵ウィリアム・レッグがニュートンの後援者になり、ダートマス伯爵の紹介で1764年38歳でオウルニィの副牧師職になる。
1764年39歳で『物語』を発表する。1767年42歳の時にうつ病の静養のために移住してきたウィリアム・クーパーと未亡人のメアリー・アンウィンに出会い友達になる。オウルニィへ引っ越すことを勧める。
1769年より、グレートハウスで毎週の祈りの集会を始める。クーパーと共にこの集会のために讃美歌を書き始める。1773年クーパーが精神に異常をきたしニュートン宅に8ヶ月同居する。
アメイジング・グレイスの発表
編集1779年に『オウルニィの讃美歌集』という讃美歌集を出版した。この中に後に有名になる『アメイジング・グレイス』が収録された。その年、ロンドンのセント・メアリー・ウルノス教会に教区牧師として赴任する。その頃から、奴隷貿易反対運動に関わる。
1785年にウィリアム・ウィルバーフォース下院議員の相談に乗る。下院議員を辞めて、聖職者になりたいというウィルバーフォースの希望を断念させ、福音主義の議員の立場から奴隷貿易反対をすべきであると忠告する。
1790年にニュートンの妻メアリー・キャトリットが癌で死去する、姪で養女のベツィ・エリザベス・キャトリットが家事を行う。1801年ベツィが神経失調のために入院する。1802年ベツィが回復する。1807年81歳の時、英国国会法で奴隷貿易の廃止が決定される。
死去
編集参考文献
編集- 『讃美歌略解』 日本基督教団出版局、1954年
- 久野陽一「ニュートンと「恩恵」のゆくえ」『愛知教育大学研究報告. 人文・社会科学』第56巻、85-90頁、2007年3月1日。ISSN 1341-4615。 NAID 110006425506。 NCID AN10523636。国立国会図書館書誌ID:8864991。2020年4月29日閲覧。