名前を隠して楽しく日記。
という経験談です
Xを見ているとコンサルに文句を言っている奴を山ほど見かけるけど、そもそもコンサルを入れられている時点で自分達が無能なんだってことに気づいて欲しい
つまり経営者はそれだけの金を払うくらいにはにっちもさっちもいかなくなっているのだし、もっと言えば自分の会社の社員に対して不信感を募らせている
そもそも健全にビジネスができていて健全に成長を続けている企業だったらわざわざコンサルなんて雇わないわけ
コンサルを雇っている時点で商材の売れ行きがよくないとかなんか最近成長できてないとかそういう不景気な事情が必ずある
社員に発破をかけてもろくにアイデアを寄越さないか、寄越してもなんの根拠もない絵空事とか実現不可能な予算の馬鹿みたいな企画とかしか言わない
そもそも経営者のやりたいことやビジネスのビジョンをろくに理解せず実現に向けて動きもしない
はっきり言うけど経営者がコンサルに頼る時点でそこの社員の質は競合他社に比べても恐ろしく低いわけ
いやね?
例外はあるよ?
コンサルで入って商材を確認してみたらむしろ競合よりぐんぐん成長していて何の不安もない
「いやあの、改善点もなにもないですよ?」「こんな整ってる環境始めて見ましたけど…」と困惑していると「あらそう? そりゃよかった! ほら、一応第三者のご意見も聞きたくて!」的なことを言われてその日1回限りでお仕事終了みたいなやつ
でも大半の会社はそうじゃない
実際、コンサルに文句言ってるやつのアカウントを遡るとろくなことつぶやいていないもんな
給料低いだの残業死ねだの会社の愚痴ばっかりつぶやいて休日はアニメ漫画ゲームのつぶやきばっかりでスキルの向上にもろくに取り組まない
あれだよね
ウシジマくんだっけ?
ケツをボリボリ掻きながら格闘技番組を見て「なんでそのパンチ当たっちゃうかな〜」「下手すぎだろ!」って言いながらニートしているクズが登場するやつ
ビブラートや裏声やミックスボイス?の定義からしてわからないし
響かせるって何?みたいな
共通してるのは喉に無駄な力を入れないと自分の歌を録画して見る聞くくらいなのでひたすら風呂で力を抜いて声を出す練習してヒトカラで録画した
…………?
それ、仏教じゃん
苦労ったってレジャー苦行しただけじゃん、箔つけだよ、箔つけ
しかも、生まれたときに天上天下唯我独尊と宣ったとかいう伝説を作っちゃう辺り、相当なナルシストだ
なにが悟りよ、無我の境地よ、絶対まともじゃなかっただろ開祖の教団
でもそんな綺麗事が、遠い昔から現在に至るまで貧乏人から大金持ちと幅広い層に信仰されてるわけで、やっぱ綺麗事って素晴らしい
こういう風土があるから男も被害に遭うのにまともに被害者扱いしてもらえない、辛さをわかってもらえない、なんなら羨ましいとか得したやんみたいな言い方をされるからクソ
空襲はあったけどね
もう、われわれの世代には酒もない。いや、正確にいえば、酒はある。しかし、酒を飲んで昔のように人生を忘れることができなくなった。
若いころには、酒を飲めば翌朝には多少の二日酔いを残しながらも、それで済んだ。それが四十を越すころになると、酒は翌日の身体に借金を残すようになる。飲んでいるあいだは愉快でも、翌朝になると、その愉快さの利子まで取り立てられる。
しかも酒は高くなった。
氷河期世代のITエンジニアにとって、酒代というのは、若いころのような小銭ではない。給料が特別に増えたわけでもなく、将来に対する不安だけは年齢とともに増えている。その不安を消すための酒にまで金を払わねばならない。
そして、もっと始末が悪いのは、酔っているときでさえ不安から逃れられないことである。
「あのとき、ああしていれば」
「悪かったのは自分ではない。国であり、社会であり、時代だった」
そういう考えが、酒で赤くなった頭のなかを、まるで古い電線のようにぐるぐると走る。
酔えば楽になるどころか、かえってそれが増幅される。
頭のなかが、キュウウウウウ、と締めつけられるようになる。
なろう系である。
ところが、四十を過ぎた人間が、前途洋々たる若者や、美男美女が運命的な恋に落ちたり、仲間と冒険したりする物語を眺めていると、どうにも胸がざわつく。
その未来を持っている連中が、物語のなかで恋をし、笑い、成功している。
それを見ると、われわれの世代には、ときとして妙な憎悪が湧いてくる。
それだけならまだいい。
見たくないのである。
われわれが見たいのは、若者ではない。
長いこと世間から見向きもされず、本人も自分の才能などとうに枯れたと思っていた男が、ある日突然、隠れていた才能に目覚める。
「すごい!」
と言われ、美少女からも好意を寄せられ、昔自分を馬鹿にした連中を実力で叩き伏せる。
この筋書きが、われわれには異様なほど心地よい。
それは娯楽なのだろうか。
たぶん、娯楽だけではない。
「追放された者が、実は優秀だった」
「馬鹿にされていた者が、実は本物だった」
「失敗したのは本人の能力不足ではなく、周囲が見る目を持っていなかったからだ」
「最後には正しい者が勝つ」
こういう物語を、われわれは何度も読む。
何度読んでも読む。
それは、現実で失ったものを物語のなかで取り返すための装置だからである。
もっといえば、「現実で負けた」という事実そのものを、一時的に無効にする装置なのだ。
だから手放せない。
酒なら翌日に二日酔いが残る。
しかし、なろう系なら、布団のなかで読んでいるかぎり身体にはさほど悪くない。
ただし、精神にとって健康的なのかどうかは、また別の話である。
われわれは、そのことも薄々わかっている。
なろう系のコンテンツに金を落としているのが、いまや中年ばかりになっていることも、わかっている。
そのころ二十代、三十代だった連中が、いまもその場所にいる。
作家も読者も年を取った。
新しい若者が大量に入ってきているわけではない。
ネットで盛んに「まだこの市場は生きている」と叫んでいても、街というものは正直である。
ところが、われわれはそこで「なろうを馬鹿にするな」と怒る。
なろう系を守るための聖戦を始める。
しかし、ふと静かになった瞬間、その聖戦の空しさに気づくことがある。
これは、昔の団塊世代が学生運動をやめられなかったのと、どこか似ているのではないか。
時代のほうが先に行ってしまったのに、自分だけが昔の場所に残っている。
革命という言葉を使わなくなっただけで、構造は案外よく似ている。
追放された俺が実は最強だった。
馬鹿にされていた俺が本当は有能だった。
しかし、それを笑うこともできない。
なぜなら、われわれ自身が、そういう精神のなかで生きてきたからである。
ラノベ市場の紙の売上が、かつての全盛期から大きく縮小していることも知っている。
十代、二十代の若者たちは、縦読みのウェブトゥーンへ行き、ソーシャルゲームへ行き、VTuberへ行く。
出版社の側からも、読者の中央値が毎年のように上がっている、という話が聞こえてくる。
そのたびにわれわれは怒る。
「なろうを馬鹿にするな」
そう言って戦う。
しかし、その戦いが何を守っているのかと考えると、わからなくなる。
守っているのは市場なのか。
作品なのか。
たはは、と笑うしかない。
世代が入れ替わらない。
そこに住んでいる者たちは、昔からそこにいる。
ただ、髪が白くなり、眼鏡の度が進み、昔の話が増えていく。
そして、われわれ四十代のITエンジニアにも、同じものがあることに気づいた。
「オタクこそ本物だ」
われわれは、その空気を吸った。
そして人生を一発逆転できるような気がした。
技術さえあればいい。
マネジメントなど要らない。
営業など、やーやーなの。
専門の学校を出たわけでもないのに、IT技術に人生を賭けた者もいた。
それが悪いとは言わない。
しかし、時代というものは、技術だけでは人間を食わせてくれない。
技術のほかに、人を動かす能力や、商売をする能力や、組織を作る能力まで要求してくる。
われわれは、そのことをあとから知った。
そして、うまくいかなかった。
だから「追放ざまぁ」や「チート無双」が、単なる娯楽ではなくなった。
酒を飲めば苦しい。
だから、なろう系へ行く。
そこには、まだ「やり直し」がある。
あと十年、十五年もすれば、購買層そのものが年齢によって退場していく。
そうなれば市場も消えるだろう、と言う者がいる。
団塊の世代が減っていくにつれて、かつて盛んだった左翼論壇誌が次々と姿を消していったように。
それは酷い言い方である。
読者がいなければ、本は売れない。
ただ、そういうふうに時代は動く。
それでも、われわれは願っている。
どうか、なろう系だけは廃れないでくれ、と。
もう廃れ始めていることは知っている。
それでも、作り続けてほしい。
われわれは、「負け方」を教えられなかった。
学校でも教えられなかった。
社会も教えてくれなかった。
人生というものは、勝つ方法だけを教えていれば済むものではない。
負けたあと、どうやって生きていくのか。
失敗したあと、どうやって自分を納得させるのか。
そういうことを、われわれは学ばなかった。
それを読んでいるあいだだけは、われわれもまた、まだ途中にいる人間でいられる。
人生はまだ終わっていない。
本当は自分も、まだ何かを成し遂げられるのかもしれない。
そう思わせてくれる。
それだけでいい。
だから頼む。
せめて、われわれがこの世からいなくなるまでは、作り続けてくれ。
なろう系がわれわれにとって何だったのか。
大義や理想ではなく、酒であったり、女であったり、故郷であったり、古い歌であったりする。
そして、われわれにとっては、それが「追放された俺が実は最強だった」という、あの物語だった。
笑ってくれてもいい。
馬鹿にしてくれてもいい。
ただ、これだけは言わせてほしい。
午前3時の花火が午後3時にも上がる